昨日から,全クラスへ「最後の話」をしにいっている。学年の先生達の配慮で実現できた。今の子ども達との出会い,そして別れ。この3年間は,自分自身が今まで経験しなかった問題も多く起きた。
そこで,考えたことは,「集団の力にかけてみよう!」ということだった。この意見に学年の先生達は賛同してくれ,ある意味,私のわがままを実践していってくれた。その結果が,今目の前にある。間違っていなかったことを実証して見せたのである。
途中では,反対意見やなじめない先生もいた。わかりやすくいえば,学校では,非常識な「指導をするな」という実践だ。これは,1年の時に3年後を見据えた挑戦であった。集団の力をどう育てていくのか。リーダーをそう育てていくのか。この集団を見もしないで批判した人たちに対しても,見える形で結果を出そうと思ったのである。
今,こうして終わりを迎え,子ども達にと共に生活した3年間が,彼らの人生に生きた体験になれば幸いである。
実は,1年次から毎日やったことがある。それは,一日一言である。毎日,子ども達にとっては,禅問答のような言葉を並べ「考えろ」と言い続けた。間違っていないことを10年後20年後に見たいものだ。
さて,最後の4日間に書く一日一言はこれである。「ラストレッスン」の話を聞いた後に読めば,それがわかるというものだ。
2月29日(4日前) 「Push back approved Runway!」
3月 3日(3日前) 「Taxi to Runway!」
3月 4日(2日前) 「Line up and wait!」
3月 5日(前日) 「Cleared for take off!」
2008年2月28日木曜日
指示を出しすぎるな!
中学校に勤めていて,最近よく思うことは,多くの教師が「指示をだすこと」が指導だと思っているような気がすることである。私の学年は,1年次より,「まずやらせて」後で反省というスタイルを貫いてきた。
例えば,学年での集会の集まりが悪く,なかなか静かにならないとしても「静かにしろ」とは言わない。その会が終わるときに「何がいけなかった」を話してきた。
ある時,「なぜ,○○君,子ども達を指導しないのか」と言われた。私は,「この人は,指示をすることを指導だと思っている人なんだ。だから,私の指導方針を理解できない人だ」と感じた。そこまでに,見えない指導をどれだかしたかが見えてない人。寂しい限りだ。
だから,途中から学年に入った先生達との違いは歴然としてしまう。何かをやっていると,列に入って指導をする「前をみなさい」とか「姿勢を正しなさい」とか・・・。でも,それをやるなと言うのは「指導を放棄している」と考えるのか,何度も同じ事をする。こうなると困ってしまう。3年間かけて作ってきた学年集団。
昨日も,子ども達だけで1時間を有効に使うように指示しただけで,途中での指示は一切しなかった。ただ,卒業式が近いせいかいつもに比べて落ち着かない様子もあったので,最後に久しぶりに雷を落とした。子ども達の目は,間違いなく「気づいた目」だった。3年間の成果だと思っている。このやり方,認めてもらえますか。文章に書いて認めるんじゃなくて,生徒を見て,評価してみませんか。
何も認めてもらうためじゃなく,子ども達のためというか,私にも子どもがいるが,「自分の子どもにもこういう指導をしたい」ということをやっているだけである。しかし,これを是とする雰囲気がない学校というのは,寂しい。子どもを見て,「なぜ,こういう生徒集団になったか」を分析しないのか。そして,良いという部分を継承しないのか。
それは,研究なんかじゃない。実際の子どもが見えない文章ではなく,今の子どもを見て,評価するのは誰なのか。それを評価できるだけの能力を身につけているのか。そう思えてしまう今日この頃である。
例えば,学年での集会の集まりが悪く,なかなか静かにならないとしても「静かにしろ」とは言わない。その会が終わるときに「何がいけなかった」を話してきた。
ある時,「なぜ,○○君,子ども達を指導しないのか」と言われた。私は,「この人は,指示をすることを指導だと思っている人なんだ。だから,私の指導方針を理解できない人だ」と感じた。そこまでに,見えない指導をどれだかしたかが見えてない人。寂しい限りだ。
だから,途中から学年に入った先生達との違いは歴然としてしまう。何かをやっていると,列に入って指導をする「前をみなさい」とか「姿勢を正しなさい」とか・・・。でも,それをやるなと言うのは「指導を放棄している」と考えるのか,何度も同じ事をする。こうなると困ってしまう。3年間かけて作ってきた学年集団。
昨日も,子ども達だけで1時間を有効に使うように指示しただけで,途中での指示は一切しなかった。ただ,卒業式が近いせいかいつもに比べて落ち着かない様子もあったので,最後に久しぶりに雷を落とした。子ども達の目は,間違いなく「気づいた目」だった。3年間の成果だと思っている。このやり方,認めてもらえますか。文章に書いて認めるんじゃなくて,生徒を見て,評価してみませんか。
何も認めてもらうためじゃなく,子ども達のためというか,私にも子どもがいるが,「自分の子どもにもこういう指導をしたい」ということをやっているだけである。しかし,これを是とする雰囲気がない学校というのは,寂しい。子どもを見て,「なぜ,こういう生徒集団になったか」を分析しないのか。そして,良いという部分を継承しないのか。
それは,研究なんかじゃない。実際の子どもが見えない文章ではなく,今の子どもを見て,評価するのは誰なのか。それを評価できるだけの能力を身につけているのか。そう思えてしまう今日この頃である。
2008年2月26日火曜日
嘘を見抜け!罰が当たるぞ!
今,あることで,何で上の人たちは「嘘を見抜けなかったんだろう」と思う。去年3月にある人が,言ったことは,実は嘘だった。しかし,私は,当初からそれを見抜いた。「たぶん,こうだろう」と。でも,結果は,嘘をついた人の思い通りになった。 以前にも同じ事が多々あった。ある意味,「オオカミ少年」的な人だから・・・。
自分の言動に責任を持てない人は,人として許されない。でも,こういう人は,嘘をついて自分の都合の良いように生きていく。周りの人たちは,それを知りながら,腹を立てながら生活していく。これが,世の中なんだろうか。子どもの頃,「罰が当たるよ」という言葉を良く聞いた。でも,罰が当たったと言うことを実感したのは,自分自身だけで,周りの人がそうなったのを見たことがない。
自分の言動に責任を持てない人は,人として許されない。でも,こういう人は,嘘をついて自分の都合の良いように生きていく。周りの人たちは,それを知りながら,腹を立てながら生活していく。これが,世の中なんだろうか。子どもの頃,「罰が当たるよ」という言葉を良く聞いた。でも,罰が当たったと言うことを実感したのは,自分自身だけで,周りの人がそうなったのを見たことがない。
良いところを引き出すこと
私たちの仕事は,学習面は当然として,子ども達の良いところを見つけ,引き出すことも仕事の一つである。「この子は,こういうところが良いから,これをひきだしてやろう」というようにである。それをひとり一人にやっていくのは,大変難しい。時間との戦いでもある。ただ,3年という間に,それを可能に出来ることも多い。
さて,これを,教職員に当てはめるとどうだろう。良いところを引き出せる人がいるかいないかが大きな問題である。端で見ていてこの人は,こんなに素晴らしいところがあると思ってもそれをいかせていない部分は多い。原因は,私たちが子どもを育てるような目線を持っていないからである。引き出せない人たちは,子ども達にも同様な対応になっていないだろうか。
私は,150人強の生徒全ての「良いところを言え」と言われても自信はない。ただ,「たぶん,顔を思い出し,時間をもらえば,全員についてはなせると思っている。こういう事を,教職員についてもやったら,学校も活性化するに違いない。
さて,これを,教職員に当てはめるとどうだろう。良いところを引き出せる人がいるかいないかが大きな問題である。端で見ていてこの人は,こんなに素晴らしいところがあると思ってもそれをいかせていない部分は多い。原因は,私たちが子どもを育てるような目線を持っていないからである。引き出せない人たちは,子ども達にも同様な対応になっていないだろうか。
私は,150人強の生徒全ての「良いところを言え」と言われても自信はない。ただ,「たぶん,顔を思い出し,時間をもらえば,全員についてはなせると思っている。こういう事を,教職員についてもやったら,学校も活性化するに違いない。
2008年2月23日土曜日
人のふりみて我がふりなおせ!
昨日,用があって,県立高等学校へ出かけた。2つの学校へ行ったが,その差に愕然とした。1つめに行った高校は,私が行って,事務職員に挨拶をしてもおじぎ一つしない。しかも,十数人が私の方をじっと見ている状態だった。教頭先生をお願いして,お会いした教頭先生は,挨拶も態度もよかったのに・・・。
もう1つの学校は,着くとすぐに1人の方が窓口に出てきて挨拶をし,用件を聞くという対応で,他の事務職員も私の「教頭先生」という言葉を聞いて,気を利かせて教頭先生を呼んできてくれた。特に,用が終わって帰るとき,ほぼ全員の職員が,おじぎをした。1つめの学校とは,明らかに違う対応に,「公務員の質」をまざまざと感じた。
ただ,これも,チームとして,リーダーを中心にやっていくことで,いい雰囲気を作れば,きっと不快な思いをさせることはなくなるだろう。
私も学校に勤める者として,「人のふり見て我がふり直せ」という言葉が頭にうかんだ。良いことだから書くが,後者の学校は,愛知県立瑞陵高等学校の事務職員の方々である。ありがとうございました。
もう1つの学校は,着くとすぐに1人の方が窓口に出てきて挨拶をし,用件を聞くという対応で,他の事務職員も私の「教頭先生」という言葉を聞いて,気を利かせて教頭先生を呼んできてくれた。特に,用が終わって帰るとき,ほぼ全員の職員が,おじぎをした。1つめの学校とは,明らかに違う対応に,「公務員の質」をまざまざと感じた。
ただ,これも,チームとして,リーダーを中心にやっていくことで,いい雰囲気を作れば,きっと不快な思いをさせることはなくなるだろう。
私も学校に勤める者として,「人のふり見て我がふり直せ」という言葉が頭にうかんだ。良いことだから書くが,後者の学校は,愛知県立瑞陵高等学校の事務職員の方々である。ありがとうございました。
2008年2月21日木曜日
壊れていくような・・・。
今,学校が壊れていくような,そんな妙な気になる。教職員の意思疎通がうまくいかない。そこには,勝手な思いこみもあるだろう。
しかし,危惧をすることは,学校が子ども優先ではなく,教師や保護者優先になっていないだろうか。ある要望が保護者から出されたとき,謙虚に,その要望を考える姿勢を持っているのか。「それは,親のわがまま」ですましていないか。
私たちは,学校をどういう方向に持って行くのか。不協和音をどう改善していくのか。声だけが大きい,理屈だけの人に引っ張られすぎていないか。
常々,正しい評価をしてもらえる職場が良いなと思っている。それは,主任になるとかではなく,この先生は,こういう良いところがあり,ここで頑張っていると言うような・・・。しかし,そういう思いが出来たのは,今までに数回しかない。でも,言葉だけは「よくやってくれる」というものだが,具体的に何をやっているのかに言及できた人は少ない。 学校を出た後,家庭訪問を何度もしていることに気づく人はいない。気づいてもらうためにやっているのではないので良いのだが,こういう方法もあるんだと言うことが,次の世代の若い先生達に伝えられないか。親の考えを変えるのは難しい。でも,子どもへの思いは共通である。不登校の子どもの親に「あなたが悪い」というような指導は,絶対あってはならない。一緒に考えていく姿勢こそ大切なことである。
問題がなく,うまくいっているとき,それに向けてどれだけの時間を使って子ども達と話をしているのかに気づく人もいない。私の周りにも子どもと同じ目線で頑張っている教師がいる。しかし,見えるところでのみ働く教師もいる。
よい担任を見つけるのは,至難の業だと思う。それは,ある意味,子どもに聞くのが一番だろうな。
今日,たまたま,帰りに今の中三の保護者に出会い,「今度,1年生に娘が入るから,担任をしてくださいね。先生のやり方に大賛成なんですから・・・。なかなか良い集団作りですよ。」と言われた。ちょっと言葉につまった。すごく嬉しい言葉だけど・・・。
この集団ができたのは,私の「思い」を実現できるスタッフがいたことが大きい。時として,他の学年から非難された。でも,私を信じてついてきてくれた人たちに感謝である。今,周りを見て,私の「思い」を理解できる人が激減した。寂しい限りである。「伝えたい」という思いは,もう伝わらないだろうな。
しかし,危惧をすることは,学校が子ども優先ではなく,教師や保護者優先になっていないだろうか。ある要望が保護者から出されたとき,謙虚に,その要望を考える姿勢を持っているのか。「それは,親のわがまま」ですましていないか。
私たちは,学校をどういう方向に持って行くのか。不協和音をどう改善していくのか。声だけが大きい,理屈だけの人に引っ張られすぎていないか。
常々,正しい評価をしてもらえる職場が良いなと思っている。それは,主任になるとかではなく,この先生は,こういう良いところがあり,ここで頑張っていると言うような・・・。しかし,そういう思いが出来たのは,今までに数回しかない。でも,言葉だけは「よくやってくれる」というものだが,具体的に何をやっているのかに言及できた人は少ない。 学校を出た後,家庭訪問を何度もしていることに気づく人はいない。気づいてもらうためにやっているのではないので良いのだが,こういう方法もあるんだと言うことが,次の世代の若い先生達に伝えられないか。親の考えを変えるのは難しい。でも,子どもへの思いは共通である。不登校の子どもの親に「あなたが悪い」というような指導は,絶対あってはならない。一緒に考えていく姿勢こそ大切なことである。
問題がなく,うまくいっているとき,それに向けてどれだけの時間を使って子ども達と話をしているのかに気づく人もいない。私の周りにも子どもと同じ目線で頑張っている教師がいる。しかし,見えるところでのみ働く教師もいる。
よい担任を見つけるのは,至難の業だと思う。それは,ある意味,子どもに聞くのが一番だろうな。
今日,たまたま,帰りに今の中三の保護者に出会い,「今度,1年生に娘が入るから,担任をしてくださいね。先生のやり方に大賛成なんですから・・・。なかなか良い集団作りですよ。」と言われた。ちょっと言葉につまった。すごく嬉しい言葉だけど・・・。
この集団ができたのは,私の「思い」を実現できるスタッフがいたことが大きい。時として,他の学年から非難された。でも,私を信じてついてきてくれた人たちに感謝である。今,周りを見て,私の「思い」を理解できる人が激減した。寂しい限りである。「伝えたい」という思いは,もう伝わらないだろうな。
2008年2月20日水曜日
DIYで二重窓に挑戦<防音対策>猫の鳴き声
リフォーム業者の見積もりは,予想以上に高額で,これでは,無理と判断。自分でできないかと思っていると,アクリサンデーというページに「アクリル版を使った二重窓」の作成方法が掲載されていた。これだと思い,材料を調達することにした。 ホームセンターに行ってみようと思う。
ところで,隣の家にお願いに行ったことで,布をかぶせるなど対策をしてもらったが,やはり,猫の鳴き声は,こもったように聞こえてくる。以前ほどではないが,気にし出すとたまらない。
ところで,隣の家にお願いに行ったことで,布をかぶせるなど対策をしてもらったが,やはり,猫の鳴き声は,こもったように聞こえてくる。以前ほどではないが,気にし出すとたまらない。
2008年2月17日日曜日
防音のための二重窓(プラマード)
今,書いたように,息子の部屋のすぐ横が,隣の家の猫小屋になっている。言いにいったもののすぐに改善できることもなく,結局,防音対策を考えることになった。
YKKから「プラマード」という製品があり,後で,内窓として設置できるらしい。早速,近くのリホーム店で見積もりをしてもらうことにした。電話をして,明日来てくれるという。
ただ,結構金額は高い。
今回,音が「騒音」になるかどうかと言うことを考えた。猫の鳴き声は,かわいいと感じる人にとっては,全くの音である。しかし,それを不快に感じる人にとっては,「騒音」である。だから,「そんなにうるさい鳴き声は出していません。違う野良猫だと思う。」という返事になる。息子の部屋に行ってみれば歴然として,隣の家の猫の鳴き声である。しかも,私が聞いても「ちょっと,大きすぎるなと思う。前の家から聞こえてくる犬の鳴き声よりはるかに大きい。
かくも,人によって感じ方が違うのである。近所付き合いは,やはり,難しい。それを,誰よりも感じたのは息子本人だろう。
YKKから「プラマード」という製品があり,後で,内窓として設置できるらしい。早速,近くのリホーム店で見積もりをしてもらうことにした。電話をして,明日来てくれるという。
ただ,結構金額は高い。
今回,音が「騒音」になるかどうかと言うことを考えた。猫の鳴き声は,かわいいと感じる人にとっては,全くの音である。しかし,それを不快に感じる人にとっては,「騒音」である。だから,「そんなにうるさい鳴き声は出していません。違う野良猫だと思う。」という返事になる。息子の部屋に行ってみれば歴然として,隣の家の猫の鳴き声である。しかも,私が聞いても「ちょっと,大きすぎるなと思う。前の家から聞こえてくる犬の鳴き声よりはるかに大きい。
かくも,人によって感じ方が違うのである。近所付き合いは,やはり,難しい。それを,誰よりも感じたのは息子本人だろう。
息子,意外な一面。(隣家の騒音)
今日,朝息子が「隣の家に行ってくる」というので,「なぜ?」と聞くと
「隣の猫がうるさくて夜寝られない。家の奥に入れてもらおうと思う」と言う。
私も,実は,反対側の部屋にいて,ものすごくうるさいと思っていた。すぐ隣の息子の部屋だったら,それはそれは大変だと思う。
私は,「でも,近所だし,言うのはどうかと思うよ」と言うと,
「近所だから言うんじゃない。お互い様でしょ」と。
一人で行こうとしているのを見た妻が,一緒に行くことになった。
後で聞いてみると,息子が自分でしっかり話してきたという。
いやー,知らぬ間に大人になっているんだと。近所だからやめとけと言った
自分が少し恥ずかしくなった。
「隣の猫がうるさくて夜寝られない。家の奥に入れてもらおうと思う」と言う。
私も,実は,反対側の部屋にいて,ものすごくうるさいと思っていた。すぐ隣の息子の部屋だったら,それはそれは大変だと思う。
私は,「でも,近所だし,言うのはどうかと思うよ」と言うと,
「近所だから言うんじゃない。お互い様でしょ」と。
一人で行こうとしているのを見た妻が,一緒に行くことになった。
後で聞いてみると,息子が自分でしっかり話してきたという。
いやー,知らぬ間に大人になっているんだと。近所だからやめとけと言った
自分が少し恥ずかしくなった。
2008年2月9日土曜日
「ほっ」と一息
息子が高校受験の真っ最中である。まず,私立高校の入試が終わり,結果が来た。私立では,第一希望に合格できた。次は,公立高校である。希望が高いだけに心配である。世の中の親は,今,こんな気持ちで毎日を過ごしているんだろう。
しかし,意外に普段と変わらない。まあ,自慢と言えば,子ども2人とも塾に行かずに高校入試,大学入試に挑戦していることだろう。これで,合格できたら,公立学校の教師としては,間違った道を選んでないと思う。何か,学校に勤めながら,自分の子どもを塾に行かせている教師が多いが,公立学校の教師は,塾に行かなくても学力をつけられる授業を心がけているんだろうか。
私は,公立学校の教師が自分の子どもを塾に頼らずに授業だけで学力をつけるという意気込みが必要だと思う。
しかし,意外に普段と変わらない。まあ,自慢と言えば,子ども2人とも塾に行かずに高校入試,大学入試に挑戦していることだろう。これで,合格できたら,公立学校の教師としては,間違った道を選んでないと思う。何か,学校に勤めながら,自分の子どもを塾に行かせている教師が多いが,公立学校の教師は,塾に行かなくても学力をつけられる授業を心がけているんだろうか。
私は,公立学校の教師が自分の子どもを塾に頼らずに授業だけで学力をつけるという意気込みが必要だと思う。
2008年2月2日土曜日
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