以前,一緒に勤めていた同僚が「休職」した。たまたま,知ったんだが,そうとう辛い日々を送っていたと聞く。彼とは,学年主任として,「学校をどうしていくのかを真剣に話し合った仲」だったし,考え方も近く,ある意味,学校の流れを教頭も入れて,作っていった関係である。
しかし,その彼が「疲れて」しまった。能力があっても,それをサポートできない学校。と言うか,周りの人たち。まさしく,今の学校の組織を表している。以前,書いたが,今後,中学校は,「荒れ」ていくだろうと予想している。そういう組織になってきていると感じる。
「この道は,いつか来た道」と,どれだけ言っても,それに鈍感な人たちが,リーダーであれば,結局,いつか来た道を進むことになる。後ろから,「そっちは違いますよ。」と言い続けても,先頭に立つ人が「こっちだ」と進んでしまう。相談をして,決めるとしても,誰の意見を聞くかで進む道は違ってくる。
休職した彼は,その進んでいく道が,自分の心配する道だと言い続けた。しかし,それを聞く人がいなかったということだと私は思っている。力ある人が,学校からいなくなる。厳しく言えば,力ある人を上手に使えないリーダーが増えた。
私も彼も,一緒に働いていたときの教頭は,今までには出会ったことがないほど,先を見る目を持っていたし,誰の意見を聞けばいいのかもわかっていた。だから,自分にとって嫌な話も聞いたし,私も厳しい事もいった。それが,言える人だった。
今年から校長として頑張っていると思うが,こういう人が増えないと,学校は,機能不全になるだろう。
たぶん,教育委員会は,休職した人,個人の問題だと考えているだろうが,私の知る限り,その多くは,職員あるいは,リーダーの問題だと思うことが多い。確かに,個人的な問題の場合もある。でも,今一度,本当にそうか考えてみたい。
ある学校では,一人や二人ではなく,何人も休職してしまった学校がある。これを個人の問題だけで考えるのではなく,その学校の管理職の問題として考えたら,もっと,管理職は,学校の危機管理意識を身につけるんじゃないかと思う。そして。学校をどうしていけばよいかを考えてくれるんじゃないかと思う。何かを突きつけないと,動かない管理職がいるんじゃないか。そんな事を感じたのである。
2008年12月25日木曜日
久しぶり!
今日,朝,学校の門で,2つ前の学校で一緒に勤めていた同僚と会った。彼は,部活動の練習試合で来ていた。
今年から,この学校にかわってきたことや,一緒に働いていた頃の話題で,しばらく時間が過ぎるのも忘れるほどだった。
途中,「去年より,今年は,何とかなりましたか?」と聞かれ「去年の事は,よく知らないけど,とにかく大変で,1学期にしばらく休んだんです。」と言うと「先生のようなタフな人でも,大変だったんですね。」と言われた。去年から,大変な学校であることは,ある意味,知れ渡っていた事になる。前にも書いたが,それでも私をこの学校に配属した教育委員会の判断は,いったい何を考えているんだろうと,今でも思う。
ところで,タフかどうかは別として,あまり辛さを表に出さないのは,事実で,今学期も何度も「辛い」日々があったが,誰一人気付く人はいなかった。心配してもらおうという気持ちではないが,限界近くで頑張っていることくらいはわかってほしいと思ったことは何度もある。2学期が終わって,休暇は,1日。自分でもよくやれたなと思う。2学期が終わって,声をかけてくれた人は,誰一人いなかった。それほど,辛いのを隠して頑張ったということかな。でも,その辛さを知っている人にも一言も声をかけてはもらえなかった。こういう時に,「物としての扱い」を感じる。
また,彼と働いていた頃の学校の大変さからすれば,今の学校の方が楽なはずなのに,なぜ,大変か。それは,リーダーの不在と,職員構成のように思う。彼と一緒に働いていた頃は,何度も新聞報道されるほど大変だったが,今より,大変さを感じていなかった。変な言い方だが,職員間では楽しく過ごせた。それは,若さもあるだろうが・・・。
しかし,何と言っても教師集団のチームワークがしっかりできていたことである。だから,今より楽だと感じたと思う。当時の校長・教頭は,とにかく,リーダーとしての役割を十分に果たしていて,働きやすい環境を作っていた。だからこそ,大変な学校でもやっていけるんだと思う。
久しぶりの再会だったが,その当時を思い出して,嬉しくなった。あんな学校にしたいものだ。あの当時の教師が,今の学校に集合したら,必ず,大変でも「やりがいある」チームになるだろうなと思う。生徒指導主事も人間的に素晴らしく,リーダー性もあった。それを支える校長・教頭も素晴らしかった。こういう関係がなければ,学校は,機能していかないんだと言うことを知った気がする。
今日会った同僚も,人間的に素晴らしく,いつも最前線で頑張っていた人である。
今年から,この学校にかわってきたことや,一緒に働いていた頃の話題で,しばらく時間が過ぎるのも忘れるほどだった。
途中,「去年より,今年は,何とかなりましたか?」と聞かれ「去年の事は,よく知らないけど,とにかく大変で,1学期にしばらく休んだんです。」と言うと「先生のようなタフな人でも,大変だったんですね。」と言われた。去年から,大変な学校であることは,ある意味,知れ渡っていた事になる。前にも書いたが,それでも私をこの学校に配属した教育委員会の判断は,いったい何を考えているんだろうと,今でも思う。
ところで,タフかどうかは別として,あまり辛さを表に出さないのは,事実で,今学期も何度も「辛い」日々があったが,誰一人気付く人はいなかった。心配してもらおうという気持ちではないが,限界近くで頑張っていることくらいはわかってほしいと思ったことは何度もある。2学期が終わって,休暇は,1日。自分でもよくやれたなと思う。2学期が終わって,声をかけてくれた人は,誰一人いなかった。それほど,辛いのを隠して頑張ったということかな。でも,その辛さを知っている人にも一言も声をかけてはもらえなかった。こういう時に,「物としての扱い」を感じる。
また,彼と働いていた頃の学校の大変さからすれば,今の学校の方が楽なはずなのに,なぜ,大変か。それは,リーダーの不在と,職員構成のように思う。彼と一緒に働いていた頃は,何度も新聞報道されるほど大変だったが,今より,大変さを感じていなかった。変な言い方だが,職員間では楽しく過ごせた。それは,若さもあるだろうが・・・。
しかし,何と言っても教師集団のチームワークがしっかりできていたことである。だから,今より楽だと感じたと思う。当時の校長・教頭は,とにかく,リーダーとしての役割を十分に果たしていて,働きやすい環境を作っていた。だからこそ,大変な学校でもやっていけるんだと思う。
久しぶりの再会だったが,その当時を思い出して,嬉しくなった。あんな学校にしたいものだ。あの当時の教師が,今の学校に集合したら,必ず,大変でも「やりがいある」チームになるだろうなと思う。生徒指導主事も人間的に素晴らしく,リーダー性もあった。それを支える校長・教頭も素晴らしかった。こういう関係がなければ,学校は,機能していかないんだと言うことを知った気がする。
今日会った同僚も,人間的に素晴らしく,いつも最前線で頑張っていた人である。
2008年11月24日月曜日
旧知の友より電話あり!
今日,旧知の友より電話がかかってきた。私の勤務校の様子を聞いて,心配をしてのことだった。何日か休んだと言うことを話した。また,今年,かわってきてすぐに3年で,しかも,問題を多く抱えているクラスの担任で,体力を消耗していることも話した。
さすがに,「お前が,学年主任だったら,新しく来た人にそういう事はしないよな。」「前も,転任して3年に入った人のクラスを,一番問題がないクラスにしたものな。」と言った。
まさに,その通りで,私の考え方は,現有メンバーで組織運営ができることが大前提で,新しく来た人は,わからないことが多いので,まずは,旧メンバーで核を作っていくのが当然だと思っている。それを考え,人事を考えるのは誰なのか。私は,ここに,不信感がある。
前にも書いたが,学年状況の判断ミス,学年構成の判断ミス,各リーダーの選任ミス。転任者への説明不足。これだけのことが機能していないのに,学校が立ち直るはずもない。もし,このやり方で学校が立ち直ったとすれば,奇跡だろう。
私が,新卒の頃,学校は大荒れで,警察も学校に入る状況にあった。ここで,次年度は,学年構成について,まさに,今,私が書いたことの逆,現有メンバーを中心に,立て直しをはかった。先を見通した判断であった。それが,できた校長をはじめとするリーダーの集団があったんだと思う。それを見てきただけに,今の状況が,どうしても納得ができない。
「体を壊すなよ」と言われ,本当にそう思った。このままでは,命を削ってやっていくしかないのである。組織を動かす方法は,いろいろある,せめてその一つでもやっていかなければいけないんじゃないかと思う。
さすがに,「お前が,学年主任だったら,新しく来た人にそういう事はしないよな。」「前も,転任して3年に入った人のクラスを,一番問題がないクラスにしたものな。」と言った。
まさに,その通りで,私の考え方は,現有メンバーで組織運営ができることが大前提で,新しく来た人は,わからないことが多いので,まずは,旧メンバーで核を作っていくのが当然だと思っている。それを考え,人事を考えるのは誰なのか。私は,ここに,不信感がある。
前にも書いたが,学年状況の判断ミス,学年構成の判断ミス,各リーダーの選任ミス。転任者への説明不足。これだけのことが機能していないのに,学校が立ち直るはずもない。もし,このやり方で学校が立ち直ったとすれば,奇跡だろう。
私が,新卒の頃,学校は大荒れで,警察も学校に入る状況にあった。ここで,次年度は,学年構成について,まさに,今,私が書いたことの逆,現有メンバーを中心に,立て直しをはかった。先を見通した判断であった。それが,できた校長をはじめとするリーダーの集団があったんだと思う。それを見てきただけに,今の状況が,どうしても納得ができない。
「体を壊すなよ」と言われ,本当にそう思った。このままでは,命を削ってやっていくしかないのである。組織を動かす方法は,いろいろある,せめてその一つでもやっていかなければいけないんじゃないかと思う。
2008年11月22日土曜日
労働組合とは・・・
今,私の入っている教員組合,そして,違う組合。考え方の違いで別れているんだろうが,私自身積極的に参加しているということはないのでよくわからない。
ただ,昨日,たまたま,他の用事で来ていた,私の入っていない側の組合の執行委員長に会った。以前,同じ職場だったこともあって,少し話をした。そこで,私に対して強烈な言葉を言った。
「あんた達の,組合が,体調を崩すような状態の学校に対して,何かやってくれるか?労働条件について直接話をして改善しようとするか」というものだった。彼は,誰のための組合かを話した。組合員が困っているのに,調査すらしない。困っていることを言うことが,ひょっとして,自分の将来に影響があるんじゃないかと思わせるような雰囲気がある。そうじゃないの?と言われて,返す言葉がなかった。
私の勤務校には彼と同じ組合員がいて,「今の状況を知って,改善できないか」を話しに来たと言うことらしい。私は,「へー,そう言うことやってるんだ」と思った。過度な要求は,問題だが,今の私の勤務校の状況は,改善がなければ,倒れる人が増えていってしまうような気がする。
組合の幹部を経験した校長もいる。ならば,教員の職場の状況について,改善策を出す事ってできないんだろうか。組合の意味って何だろうと思った。
この際,組合もやめようと思い始めた。だからといって,違う組合に入ろうとも思わない。だって,どんなに困っても,やっぱり,一人で頑張るしかないんだから・・・。
ただ,昨日,たまたま,他の用事で来ていた,私の入っていない側の組合の執行委員長に会った。以前,同じ職場だったこともあって,少し話をした。そこで,私に対して強烈な言葉を言った。
「あんた達の,組合が,体調を崩すような状態の学校に対して,何かやってくれるか?労働条件について直接話をして改善しようとするか」というものだった。彼は,誰のための組合かを話した。組合員が困っているのに,調査すらしない。困っていることを言うことが,ひょっとして,自分の将来に影響があるんじゃないかと思わせるような雰囲気がある。そうじゃないの?と言われて,返す言葉がなかった。
私の勤務校には彼と同じ組合員がいて,「今の状況を知って,改善できないか」を話しに来たと言うことらしい。私は,「へー,そう言うことやってるんだ」と思った。過度な要求は,問題だが,今の私の勤務校の状況は,改善がなければ,倒れる人が増えていってしまうような気がする。
組合の幹部を経験した校長もいる。ならば,教員の職場の状況について,改善策を出す事ってできないんだろうか。組合の意味って何だろうと思った。
この際,組合もやめようと思い始めた。だからといって,違う組合に入ろうとも思わない。だって,どんなに困っても,やっぱり,一人で頑張るしかないんだから・・・。
2008年11月21日金曜日
知人の言葉!
今日は,前任校で同僚だった人と会った。私の体のことをとても心配してくれた。そして,今,薬を飲みながら勤務している私の話を聞いて,何の配慮もない職場に,自分の事のように怒ってくれた。
ただ,全くないわけではないが,ほぼないという状況であることは間違いない。医者は休んだ方がいいというときでも,何とか迷惑を最小限にするために,動かない体を無理して勤務した。しかし,出勤すれば,もう全く配慮はない。当たり前のことである。となれば,休んで代わりの人を呼んでもらうことが当たり前のこととなる。自分の今やっていることの評価は,それくらいなのである。
いてもいなくても一緒。いなくなったら困る存在。もし,後者なら,体調不調の中勤務している状況を把握する事も必要だろう。そうでないなら,医者の言うように休むべき事だろう。
今日あった知人は,「すぐに休むべし。駒の1つにしか考えていないに決まっているんだから・・・」「人間としてみていたら,もっと,配慮をしてくれるはずだよ」と言った。「医者がしばらく休めと言っているんだから,休めば良いんだ。自分を優先しないといけないよ。」と言う。
迷いに迷った言葉である。
ただ,全くないわけではないが,ほぼないという状況であることは間違いない。医者は休んだ方がいいというときでも,何とか迷惑を最小限にするために,動かない体を無理して勤務した。しかし,出勤すれば,もう全く配慮はない。当たり前のことである。となれば,休んで代わりの人を呼んでもらうことが当たり前のこととなる。自分の今やっていることの評価は,それくらいなのである。
いてもいなくても一緒。いなくなったら困る存在。もし,後者なら,体調不調の中勤務している状況を把握する事も必要だろう。そうでないなら,医者の言うように休むべき事だろう。
今日あった知人は,「すぐに休むべし。駒の1つにしか考えていないに決まっているんだから・・・」「人間としてみていたら,もっと,配慮をしてくれるはずだよ」と言った。「医者がしばらく休めと言っているんだから,休めば良いんだ。自分を優先しないといけないよ。」と言う。
迷いに迷った言葉である。
トップダウンとボトムアップ!
組織を作って,それを運用するとき,2種類が考えられる。いわゆる「トップダウン方式」と「ボトムアップ」方式である。
今,私の勤務校は,荒れの状態にある。しかし,残念なことに「この状況」にありながら,方針がはっきり出てこない。自分は,考える組織に入っていないからだろうが,全く伝わらない。トップダウンで組織を活性化させるのか,それともボトムアップで意見を集約するのか。そのいずれでもないように思える。
何もしないことが解決につながることもあるんだろうが,私はそうは思えない。ここは,強いリーダーシップを持った人を中心に,学校の方針をはっきり出すことではないだろうか。それをやるように指示を出さなければ,先へは進まない。
これができないとなれば,多くの先生方の考え方をピックアップしながら方針を作る。これが,ボトムアップ方式である。
今,この2つの方式のどの方法で進もうとしているのか。全くわからない。もし,私がリーダーだったら,どちらかを選択すると思う。何とか学校を立て直すために・・・。
今,私の勤務校は,荒れの状態にある。しかし,残念なことに「この状況」にありながら,方針がはっきり出てこない。自分は,考える組織に入っていないからだろうが,全く伝わらない。トップダウンで組織を活性化させるのか,それともボトムアップで意見を集約するのか。そのいずれでもないように思える。
何もしないことが解決につながることもあるんだろうが,私はそうは思えない。ここは,強いリーダーシップを持った人を中心に,学校の方針をはっきり出すことではないだろうか。それをやるように指示を出さなければ,先へは進まない。
これができないとなれば,多くの先生方の考え方をピックアップしながら方針を作る。これが,ボトムアップ方式である。
今,この2つの方式のどの方法で進もうとしているのか。全くわからない。もし,私がリーダーだったら,どちらかを選択すると思う。何とか学校を立て直すために・・・。
2008年11月18日火曜日
感じられない統率感!
何だろう。この気持ちは・・・。統率されているという感じがしない。言葉が違うかも知れないが,全体を見ている人,問題行動に対して指導方法を指示する人。まるで,バラバラに感じる。
私が思うに,全体を見るという立場で考えている人がいないんじゃないかという事ではないか。何が起きているかを把握できていないんじゃないか。それが,結果として,指導の統一性を欠き,指導を難しくしている。今年から赴任した私に,なじめない大きな原因である。
今日も,校内で大きな音が何回もした。爆竹ではないが,それに類する物だろう。しかし,何もなかったかのように過ぎていく。以前いた学校では,すぐに,校長が中心となって,教職員を招集し,統一した指導が入った。どうも,ここ数年,こういう状態が続いて,教職員の感覚が麻痺しているんじゃないかと思ってしまう。
こういう状況が続けば,教職員の感覚は「またか・・・」という感覚になってしまう。それが,今日の荒れを助長しているようにさえ思える。今までなら,すぐに,直訴したが,私の意をくんでくれると思えなくなってしまっていて,自分も,多くの人と同じ感覚になってきてしまっている。でも,私のような少数派じゃ,今は何もできない。少数派と言うより,たった一人と言った方が良いかも知れない。
許されるなら,私は,今の状態を逐一保護者に知らせることをしたい。たぶん,多くの保護者は,正しく事実を把握していないんだと思う。
ところで,今の状況で,越境入学を認めないとなると,地域の保護者はどうすれば良いんだろう。授業中に勝手に走り回る生徒の指導をしていれば,授業は進まない。授業中に私語を始め勝手なことをすれば授業は進まない。そんな学校に安心して自分の子どもを通わせられるだろうか。越境がダメというなら,どこに行っても,同じ教育が受けられるように率先してすべき組織はどこなんだ。その仕事をしているとは,今の私には全く思えない。
せめて今,1週間は学校に常駐して,どうすべきかを指導する必要があるんじゃないだろうか。もう何年も前になるが,教育委員会から指導主事が来て様子を見た。そして,私たち職員に話をしたのを覚えている。今は,そういう気骨のある人はいないのだろうか。
毎日毎日,「なぜ?」と思ってばかりで,体調もそのためかすこぶる悪い状態が続いている。
私が思うに,全体を見るという立場で考えている人がいないんじゃないかという事ではないか。何が起きているかを把握できていないんじゃないか。それが,結果として,指導の統一性を欠き,指導を難しくしている。今年から赴任した私に,なじめない大きな原因である。
今日も,校内で大きな音が何回もした。爆竹ではないが,それに類する物だろう。しかし,何もなかったかのように過ぎていく。以前いた学校では,すぐに,校長が中心となって,教職員を招集し,統一した指導が入った。どうも,ここ数年,こういう状態が続いて,教職員の感覚が麻痺しているんじゃないかと思ってしまう。
こういう状況が続けば,教職員の感覚は「またか・・・」という感覚になってしまう。それが,今日の荒れを助長しているようにさえ思える。今までなら,すぐに,直訴したが,私の意をくんでくれると思えなくなってしまっていて,自分も,多くの人と同じ感覚になってきてしまっている。でも,私のような少数派じゃ,今は何もできない。少数派と言うより,たった一人と言った方が良いかも知れない。
許されるなら,私は,今の状態を逐一保護者に知らせることをしたい。たぶん,多くの保護者は,正しく事実を把握していないんだと思う。
ところで,今の状況で,越境入学を認めないとなると,地域の保護者はどうすれば良いんだろう。授業中に勝手に走り回る生徒の指導をしていれば,授業は進まない。授業中に私語を始め勝手なことをすれば授業は進まない。そんな学校に安心して自分の子どもを通わせられるだろうか。越境がダメというなら,どこに行っても,同じ教育が受けられるように率先してすべき組織はどこなんだ。その仕事をしているとは,今の私には全く思えない。
せめて今,1週間は学校に常駐して,どうすべきかを指導する必要があるんじゃないだろうか。もう何年も前になるが,教育委員会から指導主事が来て様子を見た。そして,私たち職員に話をしたのを覚えている。今は,そういう気骨のある人はいないのだろうか。
毎日毎日,「なぜ?」と思ってばかりで,体調もそのためかすこぶる悪い状態が続いている。
2008年11月16日日曜日
朝から,大変!歯医者へ・・・。
今日,朝食時,突然「固い物」をかんだ感覚が・・・。確かめると,奥歯にかぶせてあった物だ。突然,ぽっかりあいたような奥歯。痛みはないが,気になって気になって・・・。
どうしようかと言うと,息子が「日曜日もやっている歯医者がある」と言うので,10時前に,早速電話をした。すると,10時30分頃なら空いています。と言うことで,行くことにした。
行ってみると,平日も遅くまで,土日も遅くまでやっている。こんな歯医者が近くにあったとは知らなかった。行くと,すぐに,元に戻してもらい,たった10分で終わった。感謝・感謝。
いつもだと,平日に電話をして予約をしてからと思っていたので,本当に助かったのである。家の周辺には,歯医者が多くあるが,土日にやっているのは,ここだけだと思う。
どうしようかと言うと,息子が「日曜日もやっている歯医者がある」と言うので,10時前に,早速電話をした。すると,10時30分頃なら空いています。と言うことで,行くことにした。
行ってみると,平日も遅くまで,土日も遅くまでやっている。こんな歯医者が近くにあったとは知らなかった。行くと,すぐに,元に戻してもらい,たった10分で終わった。感謝・感謝。
いつもだと,平日に電話をして予約をしてからと思っていたので,本当に助かったのである。家の周辺には,歯医者が多くあるが,土日にやっているのは,ここだけだと思う。
2008年11月13日木曜日
生徒指導に対する<わかりやすい判決>?
神奈川の県立高校の食堂で、食器を片付けなかった男子生徒の首を押さえ付けけがを負わせたとして、傷害罪に問われた元定時制非常勤職員に対し、横浜地裁が傷害の事実を認定した上で無罪を言い渡していたことが分かった。
裁判官は「体罰はできる限り避けることが望ましいことは論をまたない」としつつ、「男性の行為は生活指導の必要上行った行為で、正当な範囲を逸脱したとは認められない。規律違反に対する制裁として行ったものではなく、体罰に当たらない」と判断。「仮にこの程度の行為も一切許されずに処罰対象になると、素行が悪く指導に従おうとしない生徒らが、体に触れられた程度でも容易に教職員を警察に告訴する風潮を生み出しかねない」と述べた。
まさに,今,学校現場に対して,よく現状を把握しているという点で,素晴らしい判決と思う。ただ,私たちは,体罰が禁止されていることは十分に理解した上で,子ども達が,このまま放置すればどんな大人になるかという点で,とても不安を持っている。
制止した結果ケガをしてしまった場合まで体罰となれば,ただ,問題行動を見て,言葉で注意しろとなるが,これは,あまりに現場を知らないと思う。今,毎日のように教師が殴られ,蹴られ,突き飛ばされている。それでも,教師は,それを制止すらできないとなれば,誰が止めるのか。それでやれと言うなら,暴力をふるっている生徒の腕すらつかめない。弱い立場の生徒が暴行を受けているときですら,見ているだけだとしたら,誰が許すだろうか。今や,もうそういう時代になってきていることを,この裁判官は理解していたんだと思う。
以前,自己防衛でもダメと言った中学校長がいた。私は,体罰はいけないのは当然として,生徒が殴られていたり,先生が殴られていても,何もできないという風潮になってほしくない。また,各地域の校長会は,この問題に真剣に取り組んでほしい。自分の保身を考えるのではなく,もっと具体的に正面から,「体罰とそうでないもの」を考えてほしい。
下記に文部科学省の通知を載せておきたい。この通知を知らなかった校長もいたので・・・。
学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方<平成19年2月5日>
1 体罰について
(6) なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
裁判官は「体罰はできる限り避けることが望ましいことは論をまたない」としつつ、「男性の行為は生活指導の必要上行った行為で、正当な範囲を逸脱したとは認められない。規律違反に対する制裁として行ったものではなく、体罰に当たらない」と判断。「仮にこの程度の行為も一切許されずに処罰対象になると、素行が悪く指導に従おうとしない生徒らが、体に触れられた程度でも容易に教職員を警察に告訴する風潮を生み出しかねない」と述べた。
まさに,今,学校現場に対して,よく現状を把握しているという点で,素晴らしい判決と思う。ただ,私たちは,体罰が禁止されていることは十分に理解した上で,子ども達が,このまま放置すればどんな大人になるかという点で,とても不安を持っている。
制止した結果ケガをしてしまった場合まで体罰となれば,ただ,問題行動を見て,言葉で注意しろとなるが,これは,あまりに現場を知らないと思う。今,毎日のように教師が殴られ,蹴られ,突き飛ばされている。それでも,教師は,それを制止すらできないとなれば,誰が止めるのか。それでやれと言うなら,暴力をふるっている生徒の腕すらつかめない。弱い立場の生徒が暴行を受けているときですら,見ているだけだとしたら,誰が許すだろうか。今や,もうそういう時代になってきていることを,この裁判官は理解していたんだと思う。
以前,自己防衛でもダメと言った中学校長がいた。私は,体罰はいけないのは当然として,生徒が殴られていたり,先生が殴られていても,何もできないという風潮になってほしくない。また,各地域の校長会は,この問題に真剣に取り組んでほしい。自分の保身を考えるのではなく,もっと具体的に正面から,「体罰とそうでないもの」を考えてほしい。
下記に文部科学省の通知を載せておきたい。この通知を知らなかった校長もいたので・・・。
学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方<平成19年2月5日>
1 体罰について
(6) なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
2008年11月11日火曜日
「砂風呂遊び」と称される遊びを行い、重体に・・・
中学2年生の男子生徒が砂場で「砂風呂遊び」と称される遊びを行い、重体となる事故が起きた。この事故を聞いて思うことは,年々「限度を知らない子ども達」が増えていることである。
「もうやめて」という声に全く耳をかさない子どももいる。本当に限界だということを声や表情で読み取ることができない。中には,わざと,そうする子もいるが,ごくごく普通の子でも,こういう場面に出くわし,注意することが増えた。
小さい頃の,体験不足かも知れない。痛い,苦しいという経験をさほどせずに中学生になる。また,テレビなどでは,大人が限度を超えたようにも見える暴力が報道され,中には,お笑いにしてしまう風潮もある。そんな中で育ってきた子ども達に,「これ以上はダメだ」という気持ちをもてない子がいる。
今,日本では,将来に向けて夢が持てないといわれている。その将来を築くはずの子ども達が,健やかな成長をしなくなってきている。ゆゆしき問題だが,多くの大人が逃げている。まずは,親。何でも人のせいにする親が増えた。そして,教師,保護者のご機嫌をうかがうような行動をしなければならない。いわゆるモンスターペアレント対応も,結局は,担任一人で抱え込まなくてはいけない。
学校という事で考えても,校長を中心とした一致団結していない学校では,事なかれ主義になってしまい,教師集団は,力を発揮できないばかりか,疑心暗鬼になる。
日本は,子どもの教育に真剣に取り組まなければ,将来,大変なことになる。それは,子ども達と毎日接している私たち教師が痛感している事なのである。今回の事故も,この中の1人でも,「やめよう」と言える子がいたら,起きるはずもない事故だった。「やりすぎだぞ」と言える子ども達を一人でも多く育てていかなければならない。勇気を持って,言える子ども達が「言えない」雰囲気の中で生きている現代。それを可能にするのは,私たち大人しかいない。
もうこれ以上,悲しい事故が起きないためにも,子ども達の事を真剣に考え,間違った親には,間違っていると言える大人になろう。
「もうやめて」という声に全く耳をかさない子どももいる。本当に限界だということを声や表情で読み取ることができない。中には,わざと,そうする子もいるが,ごくごく普通の子でも,こういう場面に出くわし,注意することが増えた。
小さい頃の,体験不足かも知れない。痛い,苦しいという経験をさほどせずに中学生になる。また,テレビなどでは,大人が限度を超えたようにも見える暴力が報道され,中には,お笑いにしてしまう風潮もある。そんな中で育ってきた子ども達に,「これ以上はダメだ」という気持ちをもてない子がいる。
今,日本では,将来に向けて夢が持てないといわれている。その将来を築くはずの子ども達が,健やかな成長をしなくなってきている。ゆゆしき問題だが,多くの大人が逃げている。まずは,親。何でも人のせいにする親が増えた。そして,教師,保護者のご機嫌をうかがうような行動をしなければならない。いわゆるモンスターペアレント対応も,結局は,担任一人で抱え込まなくてはいけない。
学校という事で考えても,校長を中心とした一致団結していない学校では,事なかれ主義になってしまい,教師集団は,力を発揮できないばかりか,疑心暗鬼になる。
日本は,子どもの教育に真剣に取り組まなければ,将来,大変なことになる。それは,子ども達と毎日接している私たち教師が痛感している事なのである。今回の事故も,この中の1人でも,「やめよう」と言える子がいたら,起きるはずもない事故だった。「やりすぎだぞ」と言える子ども達を一人でも多く育てていかなければならない。勇気を持って,言える子ども達が「言えない」雰囲気の中で生きている現代。それを可能にするのは,私たち大人しかいない。
もうこれ以上,悲しい事故が起きないためにも,子ども達の事を真剣に考え,間違った親には,間違っていると言える大人になろう。
車のドアが開かない!
今日の仕事帰り,車に乗ろうと,ロックを外すボタンを押した。いつものように「カチッ」と音がして,ドアノブを引いたが,開かない。「あれっ」と思って,もう一度,押したが,また「カチッ」と音がした。しかし,何度やってもドアが開かない。運転席以外は,操作通りに動くが,運転席のドアだけいうことをきいていない感じだった。
結局,キーをドアに差し込んで開ける事になった。何と久しぶりだろう。思い出せないほど前に経験したように思う。ここ数年は,すべてスイッチ1つで解錠ができていた。
これは,困るなと思って,帰り道に購入先に寄った。しばらくして,「モーター」が壊れているようです。と言う話だった。すぐになおるかなと思ったが,部品がないとのこと。しばらく,この不便が続きそうだ。気をつけないといけないのは,車から降りて,スイッチを押しても「運転席だけ」は,ロックしないことだ。いつもの癖で,これをやると,運転席側は,鍵がかからない。
修理費の見積額は,11500円(工賃込み)だという。おととい車検が終わったばかりで,すぐに故障か。いつものように,運が悪いと思った。
結局,キーをドアに差し込んで開ける事になった。何と久しぶりだろう。思い出せないほど前に経験したように思う。ここ数年は,すべてスイッチ1つで解錠ができていた。
これは,困るなと思って,帰り道に購入先に寄った。しばらくして,「モーター」が壊れているようです。と言う話だった。すぐになおるかなと思ったが,部品がないとのこと。しばらく,この不便が続きそうだ。気をつけないといけないのは,車から降りて,スイッチを押しても「運転席だけ」は,ロックしないことだ。いつもの癖で,これをやると,運転席側は,鍵がかからない。
修理費の見積額は,11500円(工賃込み)だという。おととい車検が終わったばかりで,すぐに故障か。いつものように,運が悪いと思った。
2008年11月9日日曜日
車検!
この週末は,疲れもあって,家でゆっくりした。横になる時間がほとんどだったが,土曜日に出した車を取りに出かけた。ちょうど2回目の車検だった。2日間,横になっていたせいか,いつもと違う感じがした。まだ,体調が元に戻っていないんだなと思う。
さて,車検だが,15万円もかかった。こんなものかな。予想としては,10万円くらいと思っていたので,ちょっとショック。また,帰り際に「この車を下取りに新車を買いませんか?」と言われて,全然価格は違うのに「買った方が得じゃないかな」という妙な感覚になった。買う方が高いに決まっているのに,車検を受けるより買った方が良いと思わせるセールスマンの作戦にひっかかりそうだった。
さて,車検だが,15万円もかかった。こんなものかな。予想としては,10万円くらいと思っていたので,ちょっとショック。また,帰り際に「この車を下取りに新車を買いませんか?」と言われて,全然価格は違うのに「買った方が得じゃないかな」という妙な感覚になった。買う方が高いに決まっているのに,車検を受けるより買った方が良いと思わせるセールスマンの作戦にひっかかりそうだった。
2008年11月7日金曜日
とうとう,立っていられなくなって・・・
昨日の昼,廊下で休み中の生徒を見ているんだが,座っていて,立ち上がろうとした時,急にめまいがして立っていられない状況になった。近くにいたクラスの生徒に頼んで,部屋に入れてもらって,横になった。
目がぐるぐる回る感じがして,目を開けると,確かに周りの景色が回っている。気持ちも悪くなるし,どうしようと不安になった。生徒もいるので,何とか,横になっていると,少し回復したように思って,目を開けたが,やはりまだ,周りの景色が回っている。これは,しばらくかかると思って,じっとしていた。
心配した生徒が他の先生を呼んできてくれて,とりあえず,しばらく休むことになった。
今週は,最初から,疲れがひどく,授業中も声を出すのも辛いという状況だったので,疲れが原因かなと思っている。とにかく,休む時間がない。若い人なら,なんとかなっていくんだろうが,50歳を超えた私には,疲労が蓄積しているように感じる。
1時間ほどで,立てるようになった。しかし,休むことは許されず,教室へ行って,学活をやったのである。確かに,どの先生も厳しい状況だから仕方がない,でも,ものすごく空しく寂しい思いをした。このままの状況が続くと,休まないといけないように思えてきた。
目がぐるぐる回る感じがして,目を開けると,確かに周りの景色が回っている。気持ちも悪くなるし,どうしようと不安になった。生徒もいるので,何とか,横になっていると,少し回復したように思って,目を開けたが,やはりまだ,周りの景色が回っている。これは,しばらくかかると思って,じっとしていた。
心配した生徒が他の先生を呼んできてくれて,とりあえず,しばらく休むことになった。
今週は,最初から,疲れがひどく,授業中も声を出すのも辛いという状況だったので,疲れが原因かなと思っている。とにかく,休む時間がない。若い人なら,なんとかなっていくんだろうが,50歳を超えた私には,疲労が蓄積しているように感じる。
1時間ほどで,立てるようになった。しかし,休むことは許されず,教室へ行って,学活をやったのである。確かに,どの先生も厳しい状況だから仕方がない,でも,ものすごく空しく寂しい思いをした。このままの状況が続くと,休まないといけないように思えてきた。
2008年11月3日月曜日
来年の秋は・・・
11月に入った。体調は,悪いながらの毎日である。この3連休も,横になっている時間が長かった。子ども達も大きくなっていて良かったと思う。たぶん,今だったら,近所の公園に連れて行けるかどうかという体力である。
来年,こんな思い,こんな状態でないことを願わずにはいられない。3連休だったら,1日くらいは,どこかに出かけたいと思うようになっていたいものだ。
家にいる時間が長いから余計なことも考えてしまう。学校をどう変えていくのか。どういう方法を持ってすれば,変われるのか。変わってくれる人たちが出てくるのか。いろいろと考えては,「考え過ぎか!」と思い直す。
今まで勤務した学校の中で,一番大変だった頃の事を思い出すようにしている。私が30歳くらいの時である。始業式から,パトカーが校門で待機するほどの状態だった。また,当時の校長のことも同時に思い出す。この校長は,問題を起こす生徒達を自ら呼んで校長室で授業をした。言うことを聞かずに手こずらせている子も多かったにも関わらず・・・。
これを見た,私たち若い教員は,どれだけ「心強い」思いをしただろうか。これから数年後,問題は,急激に少なくなっていったのを思い出す。一致団結した教師集団になった。立ち直ったというのは,言い過ぎかも知れないが,10年満期で変わる頃には,信じられないほど良い学校になっていた。
いろいろと議論も必要だ。ただ,誰がどう動くのかで学校が変わった例だと思う。今は,退職され,どこかの園長先生として頑張って見えると聞く。以前の勤務校で職場体験で行ったとき,生徒達に,私のことをいろいろと話をしてくださった。当然,帰ってきた子ども達は,「先生って,すごいんだね。」と言った。そういう話ができる人である。子どもの心をつかむことが上手な人だった。校長を教職員から選ぶ理由は,こういう事なんだろう。そうじゃなかったら,管理能力がある人だったら誰だって良い。
今後も教員から校長を選んでいくなら,こういう部分も評価に入れてほしいと願っている。研究がすぐれているだけ,試験の結果だけが良いからふさわしいとは言えないと思う。学校の長としてどういう人材を選んでいくかが,教育委員会が学校をどうしたいかの答えなんだと思う。
幸い今,私の勤務校では,教務と教頭がその役をやっているように思える。もっともっと,表に出てきて良いと思っている。そうすることが,学校に「柱」を立てることになるんだろう。細い柱で支えていたら,1本折れただけで倒壊の危機である。しっかりした「太い柱」を立てれば,1本くらい細い柱が倒れたって,なおすだけの時間は生まれる。頑張ってほしい。
厳しいことを書くが,学校には核となる人が数人必要で,それぞれがその仕事をする。しかし,その能力がない人がその仕事を引き受けてしまったら,どうなってしまうか。厳しい言い方だが,できないのにやる事は,他に多大な迷惑がかかることを考えないといけない。私は,できることは,懸命にやってきた。でも,苦手でできないことは,正直にできないことを言って断った。自分の能力の限界がよくわかっているからだ。1つの学年をまとめられても,学校全体に目を向けるだけの力がない。だから,私は,管理職にはなれない。人をコントロールする能力が,残念ながらないからである。でも,1つ学年を任せられたときは,懸命にやってきたし,自慢できる学年を作ってきた。これが,退職まで数年になった私にできる仕事なんだと思っている。
来年,こんな思い,こんな状態でないことを願わずにはいられない。3連休だったら,1日くらいは,どこかに出かけたいと思うようになっていたいものだ。
家にいる時間が長いから余計なことも考えてしまう。学校をどう変えていくのか。どういう方法を持ってすれば,変われるのか。変わってくれる人たちが出てくるのか。いろいろと考えては,「考え過ぎか!」と思い直す。
今まで勤務した学校の中で,一番大変だった頃の事を思い出すようにしている。私が30歳くらいの時である。始業式から,パトカーが校門で待機するほどの状態だった。また,当時の校長のことも同時に思い出す。この校長は,問題を起こす生徒達を自ら呼んで校長室で授業をした。言うことを聞かずに手こずらせている子も多かったにも関わらず・・・。
これを見た,私たち若い教員は,どれだけ「心強い」思いをしただろうか。これから数年後,問題は,急激に少なくなっていったのを思い出す。一致団結した教師集団になった。立ち直ったというのは,言い過ぎかも知れないが,10年満期で変わる頃には,信じられないほど良い学校になっていた。
いろいろと議論も必要だ。ただ,誰がどう動くのかで学校が変わった例だと思う。今は,退職され,どこかの園長先生として頑張って見えると聞く。以前の勤務校で職場体験で行ったとき,生徒達に,私のことをいろいろと話をしてくださった。当然,帰ってきた子ども達は,「先生って,すごいんだね。」と言った。そういう話ができる人である。子どもの心をつかむことが上手な人だった。校長を教職員から選ぶ理由は,こういう事なんだろう。そうじゃなかったら,管理能力がある人だったら誰だって良い。
今後も教員から校長を選んでいくなら,こういう部分も評価に入れてほしいと願っている。研究がすぐれているだけ,試験の結果だけが良いからふさわしいとは言えないと思う。学校の長としてどういう人材を選んでいくかが,教育委員会が学校をどうしたいかの答えなんだと思う。
幸い今,私の勤務校では,教務と教頭がその役をやっているように思える。もっともっと,表に出てきて良いと思っている。そうすることが,学校に「柱」を立てることになるんだろう。細い柱で支えていたら,1本折れただけで倒壊の危機である。しっかりした「太い柱」を立てれば,1本くらい細い柱が倒れたって,なおすだけの時間は生まれる。頑張ってほしい。
厳しいことを書くが,学校には核となる人が数人必要で,それぞれがその仕事をする。しかし,その能力がない人がその仕事を引き受けてしまったら,どうなってしまうか。厳しい言い方だが,できないのにやる事は,他に多大な迷惑がかかることを考えないといけない。私は,できることは,懸命にやってきた。でも,苦手でできないことは,正直にできないことを言って断った。自分の能力の限界がよくわかっているからだ。1つの学年をまとめられても,学校全体に目を向けるだけの力がない。だから,私は,管理職にはなれない。人をコントロールする能力が,残念ながらないからである。でも,1つ学年を任せられたときは,懸命にやってきたし,自慢できる学年を作ってきた。これが,退職まで数年になった私にできる仕事なんだと思っている。
2008年10月30日木曜日
同じ道を通るのか・・・
今,3年生が大変な状況である。毎日,振り回されている。しかし,そこにばかり目を持っていると,足元からすくわれることに気がつく必要がある。
他の学年も,同じ道を歩いているように思うのは,私だけなんだろうか。全学年を見てみると,私の考えと大きな違いがある。詳しくは書けないが,指導の優先順位が違っていると思える。この状態だと,立て直しどころか,毎年ひどくなっていくだろうと容易に想像がつく。
今それに気付いて手を打っていけば,良い方向に向く可能性があると思うが,このまま進んでいけば,間違いなく同じ道を歩むだろう。
今年から着任なので,この学校の当たり前が,私の当たり前と大きく違っているから,そう感じるんだと思う。1つ言えば,ずっと,生徒を見張っている事が指導ではない。見ている必要があるのは当然だが,見張っているという感覚を持っているのと,見ていて,生徒を指導をするのでは全く違うと思っている。子どもを育てていくという考えを持って指導に当たっているのかどうか。形だけできればいいと思って指導しているんじゃないか。
私は,今まで,1年生から3年後を見越して指導をしてきたつもりだ。3年になったときに「こういう生徒」にするんだという目標をはっきり持っていた。途中挫折しそうになるときも多くあったが,学年の仲間の先生達と同一歩調をとってきた。
例えば,廊下で放課中見ていても,チャイム着席ができないというのでは,何のために廊下にいるのだろうか。喧嘩や事件が起きるような状況であれば当然の事だが,そうでないなら,その目的は何だろう。生徒とのコミュニケーションもその1つかも知れない。でも,チャイム着席ができないとしたら,その行動は,はたして,将来の子ども達に有効な指導となっていくだろうか。
3年後を見越した指導。とても難しいが,教師として楽しい指導なんだけど・・・。
他の学年も,同じ道を歩いているように思うのは,私だけなんだろうか。全学年を見てみると,私の考えと大きな違いがある。詳しくは書けないが,指導の優先順位が違っていると思える。この状態だと,立て直しどころか,毎年ひどくなっていくだろうと容易に想像がつく。
今それに気付いて手を打っていけば,良い方向に向く可能性があると思うが,このまま進んでいけば,間違いなく同じ道を歩むだろう。
今年から着任なので,この学校の当たり前が,私の当たり前と大きく違っているから,そう感じるんだと思う。1つ言えば,ずっと,生徒を見張っている事が指導ではない。見ている必要があるのは当然だが,見張っているという感覚を持っているのと,見ていて,生徒を指導をするのでは全く違うと思っている。子どもを育てていくという考えを持って指導に当たっているのかどうか。形だけできればいいと思って指導しているんじゃないか。
私は,今まで,1年生から3年後を見越して指導をしてきたつもりだ。3年になったときに「こういう生徒」にするんだという目標をはっきり持っていた。途中挫折しそうになるときも多くあったが,学年の仲間の先生達と同一歩調をとってきた。
例えば,廊下で放課中見ていても,チャイム着席ができないというのでは,何のために廊下にいるのだろうか。喧嘩や事件が起きるような状況であれば当然の事だが,そうでないなら,その目的は何だろう。生徒とのコミュニケーションもその1つかも知れない。でも,チャイム着席ができないとしたら,その行動は,はたして,将来の子ども達に有効な指導となっていくだろうか。
3年後を見越した指導。とても難しいが,教師として楽しい指導なんだけど・・・。
2008年10月29日水曜日
体重50キロ割れ寸前!
女性なんかで,10キロダイエットしました。何て言うと,「うらやましい」ということになるんだろうが,私は,男で,しかもダイエットはしていない。
10月に入ってから,どんどん体重は減少の一途をたどり,体重計の50キロラインがもうすぐそこというところまできた。夏休みに少し戻ったのだが・・・。4月からだと,何と15キロの減少である。170センチの身長だから,どれくらい細くなったがわかってもらえると思う。
さすがに,最近は,体力的にきつくてきつくて・・・。でも,他の人たちも懸命にやっている以上,自分だけがやらないわけにはいかない。
たぶん,学校の中でも,気が付いている人はいないだろう。人のことまで考えている余裕がないほど忙しい。というか,問題行動が多すぎる。よく思うんだけれど,どうして,この過酷な勤務状態を知りながら,何の手だても講じないんだろう。これでは,死ねと言っているかのような状態である。
朝,8時15分に教室に行く。夕方4時近くに職員室へ戻る。その間,ほとんど立ちっぱなし。しかも,授業エスケープ・対教師暴力・暴言が続く。昼の弁当も全部食べることはできない。精神的にも肉体的にも大変だ。特に,50歳を過ぎている私には,若い頃のような体力がない。
このまま体重が減り続けるとどうなるんだろうという不安もある。疲れすぎて,食事がとれないときが多い。原因はこれなんだろうが,食事を体が受け付けない。今は,ある意味,気力だけでやっている状態である。
10月に入ってから,どんどん体重は減少の一途をたどり,体重計の50キロラインがもうすぐそこというところまできた。夏休みに少し戻ったのだが・・・。4月からだと,何と15キロの減少である。170センチの身長だから,どれくらい細くなったがわかってもらえると思う。
さすがに,最近は,体力的にきつくてきつくて・・・。でも,他の人たちも懸命にやっている以上,自分だけがやらないわけにはいかない。
たぶん,学校の中でも,気が付いている人はいないだろう。人のことまで考えている余裕がないほど忙しい。というか,問題行動が多すぎる。よく思うんだけれど,どうして,この過酷な勤務状態を知りながら,何の手だても講じないんだろう。これでは,死ねと言っているかのような状態である。
朝,8時15分に教室に行く。夕方4時近くに職員室へ戻る。その間,ほとんど立ちっぱなし。しかも,授業エスケープ・対教師暴力・暴言が続く。昼の弁当も全部食べることはできない。精神的にも肉体的にも大変だ。特に,50歳を過ぎている私には,若い頃のような体力がない。
このまま体重が減り続けるとどうなるんだろうという不安もある。疲れすぎて,食事がとれないときが多い。原因はこれなんだろうが,食事を体が受け付けない。今は,ある意味,気力だけでやっている状態である。
生活指導の総括は?
今年も約半分が過ぎた。4月に着任し,自分で言うのも変だが,毎日激務をこなしている。そんな中,今までの「生活指導の総括」ができているんだろうかという疑問を持つ。
失敗をした部分を洗い出して同じ事をしないようにしたり,人選を考えたりという事がなされたんだろうか。そうでないなら,同じ事の繰り返しになるのは,ある意味当然と言える。
あくまで,例えばだが,生徒指導に失敗した教師がいたとして,その人が,引き続きその仕事をやったらどうなるだろう。同じ失敗をしてしまう可能性があるんじゃないだろうか。例え,その失敗した学年から変わったとしても,その原因を考えた上で方向を変えないと同じ結果になる。
だから,総括をし,何をどう変えていったら良いのかを考えた上で,新年度に入るべきなんだと思う。それをするのが,管理職の仕事であって,指導ができないなら,人事を変えるしかない。もし,それができていなかったとしたら,信頼・信用共に失ってしまうだろう。
もう何度も書いているが,これだけ問題のある学校に来て,その学校の指導方針も書面でしか知らない私が,思い切って指導ができるはずもない。いろんな指導をすると,よく生徒から,「去年は,許されたのに・・・」と言われる。ても私としては,「どうして許されたの?」と思うだけで,それ以上のことをすれば,その先生批判になる可能性もある。そういう状態であったことだけは理解できる。
じゃあ,今年のスタートで,どこをこういう方向に持っていくのかを,管理職,そして,去年まで受け持っていた人たちで話し合いをしただろうか。私が半年見た限り,こういう事がなく,ただただ,新しいメンバーに勝手に期待しただけではないだろうか。百歩譲っても,「先生が正しいと思う指導をしてください。責任は私が取ります」という言葉でもあれば良いが,私の感じ方かも知れないが,私のやり方は,否定されているとしか思えない。
学校を良い方向に持って行くには,身を切るほどの覚悟がいると言うことを知らないのかな。何度も書く愚痴だが,本当に,学校になっていない。そんな気がする。必死になるのは,教師。当然だ。でも,その雰囲気を作るのは誰なんだろう。前にも書いたが,1つだけ明るいきざしは,教務主任という立場の人が,方向を変えようと懸命になっていることである。もし,この懸命さを,管理職も持っていたら,必ず良い方向に学校は変わる。
理想論を書いているのではなく,現実にそういう管理職が何人もいたんだということを知ってほしい。辛くても頑張れたのを思い出す。
失敗をした部分を洗い出して同じ事をしないようにしたり,人選を考えたりという事がなされたんだろうか。そうでないなら,同じ事の繰り返しになるのは,ある意味当然と言える。
あくまで,例えばだが,生徒指導に失敗した教師がいたとして,その人が,引き続きその仕事をやったらどうなるだろう。同じ失敗をしてしまう可能性があるんじゃないだろうか。例え,その失敗した学年から変わったとしても,その原因を考えた上で方向を変えないと同じ結果になる。
だから,総括をし,何をどう変えていったら良いのかを考えた上で,新年度に入るべきなんだと思う。それをするのが,管理職の仕事であって,指導ができないなら,人事を変えるしかない。もし,それができていなかったとしたら,信頼・信用共に失ってしまうだろう。
もう何度も書いているが,これだけ問題のある学校に来て,その学校の指導方針も書面でしか知らない私が,思い切って指導ができるはずもない。いろんな指導をすると,よく生徒から,「去年は,許されたのに・・・」と言われる。ても私としては,「どうして許されたの?」と思うだけで,それ以上のことをすれば,その先生批判になる可能性もある。そういう状態であったことだけは理解できる。
じゃあ,今年のスタートで,どこをこういう方向に持っていくのかを,管理職,そして,去年まで受け持っていた人たちで話し合いをしただろうか。私が半年見た限り,こういう事がなく,ただただ,新しいメンバーに勝手に期待しただけではないだろうか。百歩譲っても,「先生が正しいと思う指導をしてください。責任は私が取ります」という言葉でもあれば良いが,私の感じ方かも知れないが,私のやり方は,否定されているとしか思えない。
学校を良い方向に持って行くには,身を切るほどの覚悟がいると言うことを知らないのかな。何度も書く愚痴だが,本当に,学校になっていない。そんな気がする。必死になるのは,教師。当然だ。でも,その雰囲気を作るのは誰なんだろう。前にも書いたが,1つだけ明るいきざしは,教務主任という立場の人が,方向を変えようと懸命になっていることである。もし,この懸命さを,管理職も持っていたら,必ず良い方向に学校は変わる。
理想論を書いているのではなく,現実にそういう管理職が何人もいたんだということを知ってほしい。辛くても頑張れたのを思い出す。
2008年10月26日日曜日
名古屋大学病院の取り組み!<東海テレビ>
今日,東海テレビで「理想のかたち~名古屋大学病院 改革の300日~」というドキュメンタリーが放送された。いろんな問題にどう対応していくのか,まさに,そのリーダーのあり方を見せられた気がした。
人を動かすにはどうするのか。「できない」と思えることを「できるようにする」には,何が必要なのか。見ていて,組織を動かす難しさと共に,「その気」になることで,できることがあることも教えられた。確かに,新たな問題が出てきている。しかし,全く手をこまねいてみていたとしたら,今の名大病院はないだろう。
私たち,学校に勤める者として,とても参考になることが多くあった。私たち教員も見る価値はある。ましてや,教育委員会や校長は,見て,何かを学ぶべきだろう。物事を進めるときに先頭に立つ人の「思い」をいかに組織の「思い」にしていくのか。何が問題で,何を変えなくてはいけないのか。
もし,学校に問題が起きているとしたら,それを分析し,何から始めたらいいのか。ただ,何もしないとしたら,その組織は磨かれず,せっかく持っている力を出せずにいるだろう。一人ひとりの力は小さくとも,得意分野でその力を発揮したら,組織が活性化し,よりよい組織になる。
そのための話し合いは,誰と誰でやるのか。今,私の考えている事と結びつく番組だった。
人を動かすにはどうするのか。「できない」と思えることを「できるようにする」には,何が必要なのか。見ていて,組織を動かす難しさと共に,「その気」になることで,できることがあることも教えられた。確かに,新たな問題が出てきている。しかし,全く手をこまねいてみていたとしたら,今の名大病院はないだろう。
私たち,学校に勤める者として,とても参考になることが多くあった。私たち教員も見る価値はある。ましてや,教育委員会や校長は,見て,何かを学ぶべきだろう。物事を進めるときに先頭に立つ人の「思い」をいかに組織の「思い」にしていくのか。何が問題で,何を変えなくてはいけないのか。
もし,学校に問題が起きているとしたら,それを分析し,何から始めたらいいのか。ただ,何もしないとしたら,その組織は磨かれず,せっかく持っている力を出せずにいるだろう。一人ひとりの力は小さくとも,得意分野でその力を発揮したら,組織が活性化し,よりよい組織になる。
そのための話し合いは,誰と誰でやるのか。今,私の考えている事と結びつく番組だった。
2008年10月23日木曜日
ゼロからプラスへ・・・
去年までの悲惨な状況から,少しずつだが,改善できる部分は改善し始めている。しかし,それは,目に見える形である場合と,目に見えない部分とがある。
特に,目に見えない部分で担任はものすごく時間を使い,苦労に苦労を重ねている。しかし,他から見れば,目に見えないのだから,何もやっていないと映る。
徐々に進めざるを得ない状況で受け継いだ学年。すぐに結果を求められても所詮無理で,できていたらこんな事になっていない。
今日も,残念な場面を多く見た。私は,どうして,この「過程」を見ず,指導を先に進めないのかと思った。いつも書くが,これほどひどい学校はそうはない。それを,徐々に良い方向に持っていこうとしている私たちの指導を認めてはもらえないのだろうか。その過程で,十分ではない部分が残っているのは仕方がない。さっきも書いたが,できていたらこんな事にはなっていないんだから・・・。
これを他の学年の先生方に理解してもらったり,協力をお願いする組織はどこにあるんだろうかと思う。一つの方向に向かない学校が立ち直れるわけがない。もっと,実態を把握し,1つの方向に持っていくべきだ。今,教務主任が頑張って方向を出そうと懸命だ。それを,フォローできるような学校に持って行く立場の人が,仕事をしないと,同じ事の繰り返しだよ。
特に,目に見えない部分で担任はものすごく時間を使い,苦労に苦労を重ねている。しかし,他から見れば,目に見えないのだから,何もやっていないと映る。
徐々に進めざるを得ない状況で受け継いだ学年。すぐに結果を求められても所詮無理で,できていたらこんな事になっていない。
今日も,残念な場面を多く見た。私は,どうして,この「過程」を見ず,指導を先に進めないのかと思った。いつも書くが,これほどひどい学校はそうはない。それを,徐々に良い方向に持っていこうとしている私たちの指導を認めてはもらえないのだろうか。その過程で,十分ではない部分が残っているのは仕方がない。さっきも書いたが,できていたらこんな事にはなっていないんだから・・・。
これを他の学年の先生方に理解してもらったり,協力をお願いする組織はどこにあるんだろうかと思う。一つの方向に向かない学校が立ち直れるわけがない。もっと,実態を把握し,1つの方向に持っていくべきだ。今,教務主任が頑張って方向を出そうと懸命だ。それを,フォローできるような学校に持って行く立場の人が,仕事をしないと,同じ事の繰り返しだよ。
2008年10月22日水曜日
バラバラ!
学校が荒れてくると,職員間の考えに溝ができたり,疑心暗鬼になったり,あまりりよい方向にいかないことが多い。
経験豊富な人は,自分が正しいと意見を言う。しかし,意見が違ったときに,どうまとまっていくかが問題だが,最後は,嫌な雰囲気になったりする。「船頭多くして・・・」の状態になっていしまう。私は,極力というか,全くというか,今年来た者としては,黙っていないと,また1つ違う意見が増えてしまう。
ここで,必要なのが「強いリーダー」ということになる。これだけ,意見を言う人がいるのをまとめていかなければ,1つの学校になれない。生徒指導で言えば,生徒指導主事のリーダーシップは絶大だと思っている。だから,そういう器の人がやっている。
万が一,そうでないと,人の意見で考えがころころと変わってしまえば,学校の柱はないに等しい。こうならないようにフォローしていくのが,任命者責任である。政治の世界でよく使われるが,選んだ人には責任がある。学校の生活指導を託したんだから・・・。
私の2校目で経験したのが,学年間の争いである。「何をやっているんだ」と罵声を浴びせる人もいた。学年の生活をやらされた私は,その標的となっていた。職員会でも名指しで批判をされる。生きた心地がしなかった。ただ,それでも頑張れたのは,周りの先生達の理解と,校長のフォローだった。校長は,毎日のように私に話しかけ,仕事が終わると一緒に飲みに連れて行ったりもしてくれた。
そこで,本当に学校をどう変えていこうかと,仲間で真剣に話をした。そこに校長がいたことは,後々,私たちを陰から支えてくれる結果となり,約3年で,学校は,ほぼ正常になり,5年後には,見違えるような学校になった。私にとっての自慢の1つである。
でも,飲みに行ったときは,校長が「ごめんな,この学校始まって以来の最悪な状態の学年を突然任せて・・・。しかも,一番の問題児の担任で,なおかつ,生活担当にしてしまって・・・」という言葉を何度も聞いた。私の気持ちも少しは,楽になった。
こういう校長が減ったのか,たまたま私が出会わなかったのか。ここ数年,出会っていない。ただ,数人のこういう教頭には出会うことができた。早く校長になって,その学校で勤めたいなと思う。今の学校では,全く評価されない私である。
経験豊富な人は,自分が正しいと意見を言う。しかし,意見が違ったときに,どうまとまっていくかが問題だが,最後は,嫌な雰囲気になったりする。「船頭多くして・・・」の状態になっていしまう。私は,極力というか,全くというか,今年来た者としては,黙っていないと,また1つ違う意見が増えてしまう。
ここで,必要なのが「強いリーダー」ということになる。これだけ,意見を言う人がいるのをまとめていかなければ,1つの学校になれない。生徒指導で言えば,生徒指導主事のリーダーシップは絶大だと思っている。だから,そういう器の人がやっている。
万が一,そうでないと,人の意見で考えがころころと変わってしまえば,学校の柱はないに等しい。こうならないようにフォローしていくのが,任命者責任である。政治の世界でよく使われるが,選んだ人には責任がある。学校の生活指導を託したんだから・・・。
私の2校目で経験したのが,学年間の争いである。「何をやっているんだ」と罵声を浴びせる人もいた。学年の生活をやらされた私は,その標的となっていた。職員会でも名指しで批判をされる。生きた心地がしなかった。ただ,それでも頑張れたのは,周りの先生達の理解と,校長のフォローだった。校長は,毎日のように私に話しかけ,仕事が終わると一緒に飲みに連れて行ったりもしてくれた。
そこで,本当に学校をどう変えていこうかと,仲間で真剣に話をした。そこに校長がいたことは,後々,私たちを陰から支えてくれる結果となり,約3年で,学校は,ほぼ正常になり,5年後には,見違えるような学校になった。私にとっての自慢の1つである。
でも,飲みに行ったときは,校長が「ごめんな,この学校始まって以来の最悪な状態の学年を突然任せて・・・。しかも,一番の問題児の担任で,なおかつ,生活担当にしてしまって・・・」という言葉を何度も聞いた。私の気持ちも少しは,楽になった。
こういう校長が減ったのか,たまたま私が出会わなかったのか。ここ数年,出会っていない。ただ,数人のこういう教頭には出会うことができた。早く校長になって,その学校で勤めたいなと思う。今の学校では,全く評価されない私である。
2008年10月21日火曜日
人を恨むという感情!
ここ数ヶ月,「人を恨む」という感情が表に出てくる。たぶん,疲れて,自分の思うようになっていないことが最大の原因だとは思うが,自分では,「なぜ」今の状態が自分にあるのかを納得していないからだと思う。
今勤めている学校が,会社だったらつぶれているだろうな。そんなことも思う。組織をどうしていこうという方向が見えない。または,そういう立場の人たちが,バラバラ,もしくは,全く先が見えない。これは,言い過ぎだろうな。
生徒指導をとっても,今年転任した私には,「これは,どうなるんだ」という部分が多く,即断できない場面が多い。当然,指導が後手に回る。それを承知で,3年生に配属したなら,そのフォローをすべきで,こんなことは,当然だと今まで思ってきた。去年,他の学校だが,新しいメンバーの先生のクラスには,間接的,あるいは直接的に指導に入った。今の学校には,それがない。「さあ,やってください」と言われたって,2年間の積み重ねはものすごく大きいことを理解していないとしか思えない。
ある生徒が,「今まで,何にも叱られなかったのに,今年になって叱られてばかりで,嫌になる」と言う。私からすれば,当然の注意が当然じゃない状態での引き継ぎなんだ。たまったものじゃない。
まあ,これだけ「人を恨むことも,人生の中で最初で最後だろうな」と思う毎日である。自虐的に言うと,「良いな,学校の先生は・・・。うまくいかなかったら,全く何も知らない人に押しつければ良いんだから・・・。そして,そういう人事を組んだ人も知らんふりしていればいいんだから・・・」
ただ,,今,教頭は目に見える行動をしている。十分評価できると思う。その調子で,頑張れば,きっとみんながついてきてくれる。
今勤めている学校が,会社だったらつぶれているだろうな。そんなことも思う。組織をどうしていこうという方向が見えない。または,そういう立場の人たちが,バラバラ,もしくは,全く先が見えない。これは,言い過ぎだろうな。
生徒指導をとっても,今年転任した私には,「これは,どうなるんだ」という部分が多く,即断できない場面が多い。当然,指導が後手に回る。それを承知で,3年生に配属したなら,そのフォローをすべきで,こんなことは,当然だと今まで思ってきた。去年,他の学校だが,新しいメンバーの先生のクラスには,間接的,あるいは直接的に指導に入った。今の学校には,それがない。「さあ,やってください」と言われたって,2年間の積み重ねはものすごく大きいことを理解していないとしか思えない。
ある生徒が,「今まで,何にも叱られなかったのに,今年になって叱られてばかりで,嫌になる」と言う。私からすれば,当然の注意が当然じゃない状態での引き継ぎなんだ。たまったものじゃない。
まあ,これだけ「人を恨むことも,人生の中で最初で最後だろうな」と思う毎日である。自虐的に言うと,「良いな,学校の先生は・・・。うまくいかなかったら,全く何も知らない人に押しつければ良いんだから・・・。そして,そういう人事を組んだ人も知らんふりしていればいいんだから・・・」
ただ,,今,教頭は目に見える行動をしている。十分評価できると思う。その調子で,頑張れば,きっとみんながついてきてくれる。
2008年10月20日月曜日
ちょっと心配!体重減少。
転任当初の4月から比べると,一番体調が悪かったときは,2ヶ月で体重が10キロ減った。これは,自分でも経験のない減り方だった。とにかく,食事がとれなかった。日に日に体調が悪くなっていったのを覚えている。少し,学校を休んで,徐々に戻り,夏休みには,4月と比べて5キロ減まで戻った。
しかし,今日,久しぶりに,だいたいそれくらいだろうと思って,体重計に乗ったら,3キロ減だった。多少の増減はあるだろうから,2キロから3キロ,この2ヶ月で減ったことになる。確かに,体調も,悪い日も何度かあったように思う。4月からすると,約7キロ~8キロの減ということになる。このままいくと,50キロを切る可能性も出てきた。身長が170センチだから,50キロを切れば,相当の「ガリガリ」状態になってしまう。今でも,自分の腕を見て,悲しい気持ちになるほど細くなった。また,ズボンもぶかぶかで,ベルトを思いっきり締めて下がらないようにしている。
確かに,休憩ができない。立ちっぱなし,授業以外でも生徒との取っ組み合いもあり,体力を消耗していることはわかるが,これだけ短期間に減っているのに驚いた。
今日も,4時頃に昼食を食べている先生が一人や二人ではない。私が見ただけで5人の先生が4時以降に昼食を取っている現実。何度も書いてきたが,これは,劣悪な労働環境ではないだろうか。教材研究のできる時間は,正規の勤務時間にはない。ノートを見たりしてあげる時間もない。当然,家や学校で遅くまで残ってやっている。
昼食もろくに取れない状況が,半年も続いている現実。本当に仕方がないんだろうかと最近思う。何か欠けているものはないんだろうか。知人に弁護士がいるんだが,ちょっと前に,この状況を話したら,「これ以上続くなら,法的な方法も検討しても良いね」と言われたことを思い出した。「昼食もとれず,8時間を超える勤務を休憩もなくやっている状態を黙認しているとすれば問題はあるだろう」と言う。そうすることが,皆のためになるなら,それも一つの考えかも知れない。どうなるかはわからないが,自分の状況と数人の様子を,毎日記録している。
今日一つ,残念なことがあった。暴言を吐き,担任と争うようになった状況に私は,出くわし,当然,指導の手伝いをした。そこは,職員室横の廊下だった。しばらくして,ある人の姿が見えた。大きな声を出しているんだから,当然,こちらの様子を見に来るだろうと思ったら,ちらっとこっちを見て,何もなかったかのように視界から消えた。私は,「えっ」と思った。学校をかえられないのは,こういう事なんだと改めて思った。
今までにも,勤務時間なんて考えないで仕事をやってきた。夜中の12時を超えて家に帰ったこともある。なのに,なぜ,今,そう思えないのか。答えの1つが今書いたことかも知れない。
しかし,今日,久しぶりに,だいたいそれくらいだろうと思って,体重計に乗ったら,3キロ減だった。多少の増減はあるだろうから,2キロから3キロ,この2ヶ月で減ったことになる。確かに,体調も,悪い日も何度かあったように思う。4月からすると,約7キロ~8キロの減ということになる。このままいくと,50キロを切る可能性も出てきた。身長が170センチだから,50キロを切れば,相当の「ガリガリ」状態になってしまう。今でも,自分の腕を見て,悲しい気持ちになるほど細くなった。また,ズボンもぶかぶかで,ベルトを思いっきり締めて下がらないようにしている。
確かに,休憩ができない。立ちっぱなし,授業以外でも生徒との取っ組み合いもあり,体力を消耗していることはわかるが,これだけ短期間に減っているのに驚いた。
今日も,4時頃に昼食を食べている先生が一人や二人ではない。私が見ただけで5人の先生が4時以降に昼食を取っている現実。何度も書いてきたが,これは,劣悪な労働環境ではないだろうか。教材研究のできる時間は,正規の勤務時間にはない。ノートを見たりしてあげる時間もない。当然,家や学校で遅くまで残ってやっている。
昼食もろくに取れない状況が,半年も続いている現実。本当に仕方がないんだろうかと最近思う。何か欠けているものはないんだろうか。知人に弁護士がいるんだが,ちょっと前に,この状況を話したら,「これ以上続くなら,法的な方法も検討しても良いね」と言われたことを思い出した。「昼食もとれず,8時間を超える勤務を休憩もなくやっている状態を黙認しているとすれば問題はあるだろう」と言う。そうすることが,皆のためになるなら,それも一つの考えかも知れない。どうなるかはわからないが,自分の状況と数人の様子を,毎日記録している。
今日一つ,残念なことがあった。暴言を吐き,担任と争うようになった状況に私は,出くわし,当然,指導の手伝いをした。そこは,職員室横の廊下だった。しばらくして,ある人の姿が見えた。大きな声を出しているんだから,当然,こちらの様子を見に来るだろうと思ったら,ちらっとこっちを見て,何もなかったかのように視界から消えた。私は,「えっ」と思った。学校をかえられないのは,こういう事なんだと改めて思った。
今までにも,勤務時間なんて考えないで仕事をやってきた。夜中の12時を超えて家に帰ったこともある。なのに,なぜ,今,そう思えないのか。答えの1つが今書いたことかも知れない。
2008年10月19日日曜日
もうすぐ,車検!
11月が車検で,電話をしたら,見積もりを出すというので出かけた。7年目であるためか,あれもこれも交換とか言うので,何となく不安になった。合計で15万円ほどかかるという。まあ,予想の範囲内ではあるが,結構高いなと感じている。
さて,車検というと,平日に持って行ったり,取りに来てもらったりと言うことが多かったが,今は土日もOKと言うので,土日の2日間でお願いした。当然,代車も用意してもらう。
今まで,乗った車は,最初が,スバル→マツダ→日産→ホンダという順で,あまり,1つの会社に固執していない。スバルは2回,マツダも2回,日産は1回,そして今のホンダである。買い換えようかという思いもあったが,乗りたいなと言う車もないし,一番は,経済的な余裕もない。
あと,乗っていない会社の軽以外の車に乗るには,トヨタ,いすゞくらいかな。どうも,最後は,トヨタで終わりそうな気がする。
さて,車検というと,平日に持って行ったり,取りに来てもらったりと言うことが多かったが,今は土日もOKと言うので,土日の2日間でお願いした。当然,代車も用意してもらう。
今まで,乗った車は,最初が,スバル→マツダ→日産→ホンダという順で,あまり,1つの会社に固執していない。スバルは2回,マツダも2回,日産は1回,そして今のホンダである。買い換えようかという思いもあったが,乗りたいなと言う車もないし,一番は,経済的な余裕もない。
あと,乗っていない会社の軽以外の車に乗るには,トヨタ,いすゞくらいかな。どうも,最後は,トヨタで終わりそうな気がする。
2008年10月18日土曜日
校長,教頭の希望降任最多!
この記事を見て,校長や教頭の職務に適している人が,必ずしもそうなっていないんじゃないかと思います。本人は,なるつもりがなくても「組織」の推薦のような形で選ばれたり,研究で成果をあげたから,選ばれたり・・・。
管理職としての適性をどう見ているかが,問題のような気がします。「名選手,必ずしも名監督ならず」という言葉を思い出します。確かに,そういう人はいます。何人も見てきました。ただ,少数です。大半は,苦労に苦労を重ねている姿を見ます。
たぶん「なるんじゃなかった」と思っている人は多いと思います。降格する気持ちになって,自分の良い部分を子ども達に見せてくれれば,学校に勤めている意味があるんだと思います。
また,中には,病気での降格もあります。激務であることは,見ていてわかります。特に,校長になったとたん,すべてを教頭にぶつけてしまう校長もいます。校長の仕事も教頭の仕事も一人でやるわけですから,たまらないでしょうね。そんな人を校長にしたのも,問題があるんだと思います。
私の知っている人も,降格した人がいます。今,元気に一教員として頑張っています。彼の良い部分が,いっぱいあって,子ども達は,生き生き生活しています。負のイメージばかりではないですね。自分の役割を再認識できて,私は,よかったと思います。
管理職としての適性をどう見ているかが,問題のような気がします。「名選手,必ずしも名監督ならず」という言葉を思い出します。確かに,そういう人はいます。何人も見てきました。ただ,少数です。大半は,苦労に苦労を重ねている姿を見ます。
たぶん「なるんじゃなかった」と思っている人は多いと思います。降格する気持ちになって,自分の良い部分を子ども達に見せてくれれば,学校に勤めている意味があるんだと思います。
また,中には,病気での降格もあります。激務であることは,見ていてわかります。特に,校長になったとたん,すべてを教頭にぶつけてしまう校長もいます。校長の仕事も教頭の仕事も一人でやるわけですから,たまらないでしょうね。そんな人を校長にしたのも,問題があるんだと思います。
私の知っている人も,降格した人がいます。今,元気に一教員として頑張っています。彼の良い部分が,いっぱいあって,子ども達は,生き生き生活しています。負のイメージばかりではないですね。自分の役割を再認識できて,私は,よかったと思います。
2008年10月17日金曜日
育てられなかった世代!
学校の長く勤めると,いろんな仕事がまわってくる。そこで,能力を発揮できる人もいれば,そうでない人もいる。
最近考えることは,自分が新卒から数年間,先輩の先生から,いろんな事を教わった。生徒指導も進路指導も,事務的な仕事も・・・。特に,自分の係でない仕事も手伝うことで,理解できた。今でも覚えているのは,初めて中学校3年生の担任をしたときの進路指導では,ものすごく学んだ。中でも,進路指導主事と一緒に行動し,現場で進路指導を学んだ。当然,生活指導も,「やってみろ」という場面も多く作ってもらい,それで学んだ。
しかし,最近思うことは,そういう経験がなく,突然その係の長になる人が多いと言うことである。明らかに経験不足だと言わざるを得ない。若い頃は,すべての仕事を,学び,そこから,自分が最も得意とする仕事に進むのがベストではある。しかし,人員構成はそうならないので,どの仕事も一通りはこなせるようにしておかなければならない。
また,中学校だと,私の若い頃は,男の先生の数が,明らかに多く,8クラスあれば,6クラスが男の担任で,2クラスが女性というくらいの割合だった。生徒指導も男の先生が中心だったように思う。しかし,今,半々ならいいほうで,女性の先生が多くなった。悪いことではないが,対教師に向かってくる子どもが多い学校では,どうしても,人不足に陥ってしまい,なかなか改善できない事もある。せいぜい,半々の構成にしてもらいたい。たぶん,女性の方が,採用試験の結果が良いんだろうな。今,私が勤務している学校も5クラスで,2クラスが男の担任で,3クラスが女性の担任である。学年の先生も加えれば,女性の先生が明らかに多い。
さて,なぜ,私たちの若い頃のように「後輩に教える」ということがなくなったか。これは,間違っているかも知れないが,学校外での研修の多さではないかと思っている。現場で学ぶべき事まで,研修会で学ぶというのは,所詮無理な話である。机上の空論になりかねない。教師は,現場で学ぶべきだと私は思っている。
また,私は,今はもう「教える」という歳を超えたと思うが,それまで,新卒で赴任してきた若い先生達に,いろいろと自分の考えややり方を教えてきたつもりである。そのスタートには,校長が,「おい,きちんと教えてやれよ」という激励があったからだろう。教師同士で磨きあうという感覚は,今はなくなりつつあり,「なれ合い」とでもいうような状態になりつつある。私の頃は,「言い合い」もけっこうした。激論とまでは言えなくても,夜遅くまで,意見交換をしたものだ。
今も遅くまで残っている教師は多い。だけど,昔とは明らかに違う。和気あいあいだ。悪いことではない。でも,よりよい方向が見えてくるかと言えば,難しいと思う。
こんな事を考えるようになってしまったのは,自分が相当歳を取った証拠なのかも知れない。
最近考えることは,自分が新卒から数年間,先輩の先生から,いろんな事を教わった。生徒指導も進路指導も,事務的な仕事も・・・。特に,自分の係でない仕事も手伝うことで,理解できた。今でも覚えているのは,初めて中学校3年生の担任をしたときの進路指導では,ものすごく学んだ。中でも,進路指導主事と一緒に行動し,現場で進路指導を学んだ。当然,生活指導も,「やってみろ」という場面も多く作ってもらい,それで学んだ。
しかし,最近思うことは,そういう経験がなく,突然その係の長になる人が多いと言うことである。明らかに経験不足だと言わざるを得ない。若い頃は,すべての仕事を,学び,そこから,自分が最も得意とする仕事に進むのがベストではある。しかし,人員構成はそうならないので,どの仕事も一通りはこなせるようにしておかなければならない。
また,中学校だと,私の若い頃は,男の先生の数が,明らかに多く,8クラスあれば,6クラスが男の担任で,2クラスが女性というくらいの割合だった。生徒指導も男の先生が中心だったように思う。しかし,今,半々ならいいほうで,女性の先生が多くなった。悪いことではないが,対教師に向かってくる子どもが多い学校では,どうしても,人不足に陥ってしまい,なかなか改善できない事もある。せいぜい,半々の構成にしてもらいたい。たぶん,女性の方が,採用試験の結果が良いんだろうな。今,私が勤務している学校も5クラスで,2クラスが男の担任で,3クラスが女性の担任である。学年の先生も加えれば,女性の先生が明らかに多い。
さて,なぜ,私たちの若い頃のように「後輩に教える」ということがなくなったか。これは,間違っているかも知れないが,学校外での研修の多さではないかと思っている。現場で学ぶべき事まで,研修会で学ぶというのは,所詮無理な話である。机上の空論になりかねない。教師は,現場で学ぶべきだと私は思っている。
また,私は,今はもう「教える」という歳を超えたと思うが,それまで,新卒で赴任してきた若い先生達に,いろいろと自分の考えややり方を教えてきたつもりである。そのスタートには,校長が,「おい,きちんと教えてやれよ」という激励があったからだろう。教師同士で磨きあうという感覚は,今はなくなりつつあり,「なれ合い」とでもいうような状態になりつつある。私の頃は,「言い合い」もけっこうした。激論とまでは言えなくても,夜遅くまで,意見交換をしたものだ。
今も遅くまで残っている教師は多い。だけど,昔とは明らかに違う。和気あいあいだ。悪いことではない。でも,よりよい方向が見えてくるかと言えば,難しいと思う。
こんな事を考えるようになってしまったのは,自分が相当歳を取った証拠なのかも知れない。
2008年10月16日木曜日
何となく,見えてきた物がある。
今の学校に転勤して約半年,どうして,大変な状況に陥ってしまったのかの原因や遠因が,少しずつ見えてきたように思う。具体的には書けないことばかりだが,一つ言えることは,組織として機能していない状況だと言うことである。
問題が出始めたとき,教師集団は,どこに目標を置いて,子ども達を指導しようとしたのか。子どもに迎合することで問題行動をおさめようとしていなかったか。この方法が,時として,短期的には落ち着いたように見えるが,残り1年以上もある段階で取ってしまえば,持続できることは稀である。
そして,どうしようもなくなってきたとき,教師集団は,押さえ込もうと懸命になってくる。ここで,子ども達との戦いが起きる。「今まで,自分たちの言うことを聞いたのに,突然,聞かなくなったじゃないか」と対教師不信へと突き進む。当然,教師集団は,それを阻止しようと懸命になるが,時既に遅しである。
今,子ども達と話していて,その時期が,ある程度特定できてくる。しかし,なぜ,その時,学年として,あるいは,学校としての対応を良い方向に持っていけなかったのか。誰も気が付かなかったとは思えない。気がついた人はいたと信じたい。その人の意見は,どこで黙殺されたのか。
また,この状況を見て,何かの手だてを講じようという事はあったんだろうか。リーダーシップは発揮できたんだろうか。
なぜ,これほど,身内に厳しいかと言えば,今,子ども達と話す中で,これくらいの子ども達がやるようなことではない問題が,学校で多発しているからである。過去に何度も「どうしようもない状態」を経験した私からすれば,もっともっとできることが,あったはずだと言わざるを得ない。
言葉は悪いが,どれだけ指導しても放置しているのと同じ結果を生んでいるように思えてならない。かえって,放置した方が,良い方向に進んでいったかとさえ思える。これだけ,教師不信があっては,指導が通じていかないことは,ある意味当然なことである。
希望としては,学校は,一度,今回のことを総括し,何がどう間違っていたのかを追求しなければ,毎年,同じ事の繰り返しになる。たった,半年で,つかめたことが,2年間でわからなかったはずはない。
問題が出始めたとき,教師集団は,どこに目標を置いて,子ども達を指導しようとしたのか。子どもに迎合することで問題行動をおさめようとしていなかったか。この方法が,時として,短期的には落ち着いたように見えるが,残り1年以上もある段階で取ってしまえば,持続できることは稀である。
そして,どうしようもなくなってきたとき,教師集団は,押さえ込もうと懸命になってくる。ここで,子ども達との戦いが起きる。「今まで,自分たちの言うことを聞いたのに,突然,聞かなくなったじゃないか」と対教師不信へと突き進む。当然,教師集団は,それを阻止しようと懸命になるが,時既に遅しである。
今,子ども達と話していて,その時期が,ある程度特定できてくる。しかし,なぜ,その時,学年として,あるいは,学校としての対応を良い方向に持っていけなかったのか。誰も気が付かなかったとは思えない。気がついた人はいたと信じたい。その人の意見は,どこで黙殺されたのか。
また,この状況を見て,何かの手だてを講じようという事はあったんだろうか。リーダーシップは発揮できたんだろうか。
なぜ,これほど,身内に厳しいかと言えば,今,子ども達と話す中で,これくらいの子ども達がやるようなことではない問題が,学校で多発しているからである。過去に何度も「どうしようもない状態」を経験した私からすれば,もっともっとできることが,あったはずだと言わざるを得ない。
言葉は悪いが,どれだけ指導しても放置しているのと同じ結果を生んでいるように思えてならない。かえって,放置した方が,良い方向に進んでいったかとさえ思える。これだけ,教師不信があっては,指導が通じていかないことは,ある意味当然なことである。
希望としては,学校は,一度,今回のことを総括し,何がどう間違っていたのかを追求しなければ,毎年,同じ事の繰り返しになる。たった,半年で,つかめたことが,2年間でわからなかったはずはない。
2008年10月14日火曜日
バイク,本当に手放すの?
とは,バイク屋の人。もう何年ものつきあいである。あれだけ,好きで,冬でも頑張って乗っていたのに「どうしちゃったの?」と言われた。だから,「実は,余裕がなくなったんだ。バイクに乗るという時間的な余裕じゃなく,精神的な余裕がなくなってしまったんだ」と答えた。「よくわからないね」と言いながらも,今までの懐かしい話をした。
確かに,私にとってのバイクは,いわゆる青春時代から今まで,ずっと傍らで支えてくれた物の一つのように思う。でも,そのバイクに乗ることが辛いと感じる今,放置はできない。話をしながら,本当に寂しいなと感じた。だから,今,自分の置かれている状況を恨んでしまうんだろうと思う。嫌なことがあっても,バイクに乗れば,少しは晴れた時代もあった。しかし,今は,乗ることさえマイナス思考になってきてしまった。つい,半年前まで,元気に乗っていた自分が嘘のようである。
人は変わる。でも,自分の思いと全く逆に変わるのは,辛いことである。バイク屋さんと話をして,今週中にバイクを取りに来てもらう話がまとまった。電話を切ってから,どうして,こういう気持ちになってしまったのかを考え,また,怒りがこみ上げてきてしまった。私の大好きな物まで取り上げる状況を作った人たちにである・・・。被害妄想になってきた。
確かに,私にとってのバイクは,いわゆる青春時代から今まで,ずっと傍らで支えてくれた物の一つのように思う。でも,そのバイクに乗ることが辛いと感じる今,放置はできない。話をしながら,本当に寂しいなと感じた。だから,今,自分の置かれている状況を恨んでしまうんだろうと思う。嫌なことがあっても,バイクに乗れば,少しは晴れた時代もあった。しかし,今は,乗ることさえマイナス思考になってきてしまった。つい,半年前まで,元気に乗っていた自分が嘘のようである。
人は変わる。でも,自分の思いと全く逆に変わるのは,辛いことである。バイク屋さんと話をして,今週中にバイクを取りに来てもらう話がまとまった。電話を切ってから,どうして,こういう気持ちになってしまったのかを考え,また,怒りがこみ上げてきてしまった。私の大好きな物まで取り上げる状況を作った人たちにである・・・。被害妄想になってきた。
2008年10月13日月曜日
バイクを手放すことにした。
16歳で,原付免許を取って以来,何らかのバイクを乗り続けてきた。しかし,今年,体調もすぐれない日が多く,バイクから遠ざかる日々が続いた。特に,夏に一度もエンジンをかけず,もう数ヶ月間,乗っていないことに気が付いた。
この際,思い切って,バイクを手放す決意をした。思えば,高校生になって,すぐにバイクの免許を取り,大型バイク(当時のCB750)に乗りたくて,やっと免許が取れて,乗ったときは,本当に感動だった。まだ,ヘルメットをかぶらなくて良い時代だったこともあり,よく乗っていた。
大学に入ってもバイク通学をしばらくした。その後,皆より遅れて自動車の免許も取った。でも,バイクは必ず自宅にあった。教員になってからも,通勤には使わなかったが,休みを利用して,結構出かけるのはバイクだった。
しかし,50歳を超え,そして,体力の衰えというか,今年の激務に体が悲鳴をあげ,バイクに乗ろうという気持ちに変化が出てきた。「そろそろ,バイクも終わりかな?」と思っていた。9月も1度も乗らず,10月の今,やっぱりエンジンをかけることはない。いよいよ,バイクも手放すときが来たんだと思った。
ただ,もう一度,体力的にも精神的にも落ち着いたら,乗ってみたいという事になるかも知れない。しかし,乗らないバイクは,悪くなっていく。今は,一度手放そうと思う。何もない時代,バイクに乗ることが,青春だと勘違いしていた頃,母親にものすごく心配をかけた時代だ。鈴鹿サーキットのレーシングコースも走った。公道では出せないスピード感に酔いしれた時期もあった。寂しい気持ちもあるが,動かさなくなったバイクは,ただの塊でしかない。
ところで,今のバイク(フォルツァ)は,4年間のつき合いだった。良いバイクだと思う。また,乗る機会が来る日を楽しみにしているし,若い頃できなかった「バイクで日本一周」なんてできたら,こんな嬉しいことはない。
この際,思い切って,バイクを手放す決意をした。思えば,高校生になって,すぐにバイクの免許を取り,大型バイク(当時のCB750)に乗りたくて,やっと免許が取れて,乗ったときは,本当に感動だった。まだ,ヘルメットをかぶらなくて良い時代だったこともあり,よく乗っていた。
大学に入ってもバイク通学をしばらくした。その後,皆より遅れて自動車の免許も取った。でも,バイクは必ず自宅にあった。教員になってからも,通勤には使わなかったが,休みを利用して,結構出かけるのはバイクだった。
しかし,50歳を超え,そして,体力の衰えというか,今年の激務に体が悲鳴をあげ,バイクに乗ろうという気持ちに変化が出てきた。「そろそろ,バイクも終わりかな?」と思っていた。9月も1度も乗らず,10月の今,やっぱりエンジンをかけることはない。いよいよ,バイクも手放すときが来たんだと思った。
ただ,もう一度,体力的にも精神的にも落ち着いたら,乗ってみたいという事になるかも知れない。しかし,乗らないバイクは,悪くなっていく。今は,一度手放そうと思う。何もない時代,バイクに乗ることが,青春だと勘違いしていた頃,母親にものすごく心配をかけた時代だ。鈴鹿サーキットのレーシングコースも走った。公道では出せないスピード感に酔いしれた時期もあった。寂しい気持ちもあるが,動かさなくなったバイクは,ただの塊でしかない。
ところで,今のバイク(フォルツァ)は,4年間のつき合いだった。良いバイクだと思う。また,乗る機会が来る日を楽しみにしているし,若い頃できなかった「バイクで日本一周」なんてできたら,こんな嬉しいことはない。
2008年10月11日土曜日
時代は変わったのか?少年の事件!
事件を起こして警察に呼ばれる。私が教員になった頃は,子ども達は不安でいっぱいで,ある意味恐怖を感じていた。だから呼ばれると言うだけで,弱気になった。
しかし,時代は変わり,今は,「先生,行ってくるわ」という軽い気持ちで行くのである。「ちゃんとして行けよ」というと「大丈夫だって・・・」となる。終わって帰ってきた子ども達は,「いい人だったよ。全然,怒られなかった」という場合が増えた。言い方が悪いが,事実だけを聞くというのに終始し,言わせるために「いい人」を演じているのかも知れない。
警察を怖いと思わなくなった子ども達は,「これくらい大丈夫だ」という感覚になってしまい,警察に呼ばれることは,遊びに行く感覚になってしまう。これも自慢の一つになる。
ただ,昔は,違った。お説教をしてくれる警察官がいた。事実の把握と共に,その説教で,その後立ち直っていく子どもが多かった。今は,警察に行って立ち直っていく子どもが減ったと感じるのは,考えすぎだろうか。子ども達が,警察へ行って帰ってきたときの表情が,今と昔では違う。
今は,生活安全課というが,この名前の前,「少年防犯課」と言っていた頃の,警察官は,子ども達の将来を案じてした人が多かったように思える。 教員になってしばらくした頃,警察署に生徒を迎えに行ったとき,ものすごい勢いで叱られている自分のクラスの生徒を見た。すごい迫力だった。この子は,今,親になっているが,真面目に生きている。
私たち教員も言われるが,本当にサラリーマン化してきているような気がする。事なかれ主義は,サラリーマン化を推進する。これではいけない。そう思うんだけど・・・。 一生懸命やればやっただけ,責められるのでは,やる気もなくなる。子どもを強く叱っただけで,親から猛烈なクレームをつけられれば,「言わない方が良い」と思う教員がいたって不思議はない。だから,校長が,保護者を叱る場面が必要になるんだと思っている。悪い連鎖に陥っている社会,まずは,大人のわがままに,学校は,毅然とし,問題が起きたら,積極的に教育委員会が,保護者を丸く収めるんじゃなく,間違いを間違いと指摘していかないといけない。モンスターペアレントが話題になったとき,減少傾向になったという。自分の言っていることが,他から見てわがまま(自分勝手)なんだと言うことを,教えてあげる。それが,子どもへ伝わり,将来に良い影響をもたらすと思う。
教育委員会は,その責があると思う。自分のやっているときだけ良ければいいなんて思っていると,この国の子どもは,どんどん悪い方向に向かう子が増えるのは間違いない。
しかし,時代は変わり,今は,「先生,行ってくるわ」という軽い気持ちで行くのである。「ちゃんとして行けよ」というと「大丈夫だって・・・」となる。終わって帰ってきた子ども達は,「いい人だったよ。全然,怒られなかった」という場合が増えた。言い方が悪いが,事実だけを聞くというのに終始し,言わせるために「いい人」を演じているのかも知れない。
警察を怖いと思わなくなった子ども達は,「これくらい大丈夫だ」という感覚になってしまい,警察に呼ばれることは,遊びに行く感覚になってしまう。これも自慢の一つになる。
ただ,昔は,違った。お説教をしてくれる警察官がいた。事実の把握と共に,その説教で,その後立ち直っていく子どもが多かった。今は,警察に行って立ち直っていく子どもが減ったと感じるのは,考えすぎだろうか。子ども達が,警察へ行って帰ってきたときの表情が,今と昔では違う。
今は,生活安全課というが,この名前の前,「少年防犯課」と言っていた頃の,警察官は,子ども達の将来を案じてした人が多かったように思える。 教員になってしばらくした頃,警察署に生徒を迎えに行ったとき,ものすごい勢いで叱られている自分のクラスの生徒を見た。すごい迫力だった。この子は,今,親になっているが,真面目に生きている。
私たち教員も言われるが,本当にサラリーマン化してきているような気がする。事なかれ主義は,サラリーマン化を推進する。これではいけない。そう思うんだけど・・・。 一生懸命やればやっただけ,責められるのでは,やる気もなくなる。子どもを強く叱っただけで,親から猛烈なクレームをつけられれば,「言わない方が良い」と思う教員がいたって不思議はない。だから,校長が,保護者を叱る場面が必要になるんだと思っている。悪い連鎖に陥っている社会,まずは,大人のわがままに,学校は,毅然とし,問題が起きたら,積極的に教育委員会が,保護者を丸く収めるんじゃなく,間違いを間違いと指摘していかないといけない。モンスターペアレントが話題になったとき,減少傾向になったという。自分の言っていることが,他から見てわがまま(自分勝手)なんだと言うことを,教えてあげる。それが,子どもへ伝わり,将来に良い影響をもたらすと思う。
教育委員会は,その責があると思う。自分のやっているときだけ良ければいいなんて思っていると,この国の子どもは,どんどん悪い方向に向かう子が増えるのは間違いない。
2008年10月9日木曜日
対教師暴力!
対教師暴力が起きたときの対応,これが,まちまちだ。学校としての基本線がない。したがって,個々に対応する。しかし,これは,「あの時は,こうだったのに,今回はこうなる」というバランスをなくす結果となり,子ども達や保護者に不信感を抱かせる。
今までの経験では,この線がはっきりしていたので,その場で生徒指導ができるが,まちまちの対応では,その場での判断が,後に覆ることもある。と言うことは,事が起きるたびに会議を開いて決定をするという後手の指導となる。
私たちは,体罰の禁止を言われ,どんなに殴られても殴り返すなと言われる。相手が殴ってこないという事を知っている「対教師暴力に及ぶ生徒」は,挑発をし,殴るのを待つような姿勢も見せる。こんな腹立たしいことはない。ただ,今まで,文科省が言っているように「正当防衛として」という事で毅然とした態度を示すという事も言われた。
しかし,多くの校長は,そういう姿勢を見せない。考え過ぎかも知れないが,校長自身の保身としか考えられない。中には,起訴されたら有罪になる可能性が高いと言う校長もいる。これは,刑法犯すべてについての事であり,体罰で(しかも,正当防衛)起訴が90%を超えるという事実は聞いた事がない。
こんな話を聞いた若い教師達は,もし,手を出したら,例え,正当防衛でも職を失うと思ってしまう。何も体罰容認ではなく,明らかに殴ってくる生徒に無防備で殴られてくださいという考え方に間違いがあると思っている。以前,生徒に刺されてなくなった教師がいた。それでも,私たちは,正当防衛で止めるために手を出してはいけないんですかと言いたい。
私は,こういう校長は,自分で,問題行動を起こした生徒を指導する見本を見せるべきだと思っている。
毎日のように起きる「対教師暴力」。いったい,同じ事を繰り返す中学生に私たちは何を教えるんだろう。法律を犯したり,人の体を傷つけたりしたら,どういうペナルティがあるのかを教えるべきではないんだろうか。警察にもお願いしたいが,やはり,中学生でも人を殴れば,大人と同様に,ペナルティがあることを教えてあげてほしい。
以前,警察に呼ばれた生徒が,「今度やらなかったら良いぞ」と言われたと,今回は,何の注意もなかったと言った。事実関係はわからないが,もし,本当だとしたら,彼らの思うままになってしまう。1回なら許されると・・・。これは,違うんじゃないか。
今までの経験では,この線がはっきりしていたので,その場で生徒指導ができるが,まちまちの対応では,その場での判断が,後に覆ることもある。と言うことは,事が起きるたびに会議を開いて決定をするという後手の指導となる。
私たちは,体罰の禁止を言われ,どんなに殴られても殴り返すなと言われる。相手が殴ってこないという事を知っている「対教師暴力に及ぶ生徒」は,挑発をし,殴るのを待つような姿勢も見せる。こんな腹立たしいことはない。ただ,今まで,文科省が言っているように「正当防衛として」という事で毅然とした態度を示すという事も言われた。
しかし,多くの校長は,そういう姿勢を見せない。考え過ぎかも知れないが,校長自身の保身としか考えられない。中には,起訴されたら有罪になる可能性が高いと言う校長もいる。これは,刑法犯すべてについての事であり,体罰で(しかも,正当防衛)起訴が90%を超えるという事実は聞いた事がない。
こんな話を聞いた若い教師達は,もし,手を出したら,例え,正当防衛でも職を失うと思ってしまう。何も体罰容認ではなく,明らかに殴ってくる生徒に無防備で殴られてくださいという考え方に間違いがあると思っている。以前,生徒に刺されてなくなった教師がいた。それでも,私たちは,正当防衛で止めるために手を出してはいけないんですかと言いたい。
私は,こういう校長は,自分で,問題行動を起こした生徒を指導する見本を見せるべきだと思っている。
毎日のように起きる「対教師暴力」。いったい,同じ事を繰り返す中学生に私たちは何を教えるんだろう。法律を犯したり,人の体を傷つけたりしたら,どういうペナルティがあるのかを教えるべきではないんだろうか。警察にもお願いしたいが,やはり,中学生でも人を殴れば,大人と同様に,ペナルティがあることを教えてあげてほしい。
以前,警察に呼ばれた生徒が,「今度やらなかったら良いぞ」と言われたと,今回は,何の注意もなかったと言った。事実関係はわからないが,もし,本当だとしたら,彼らの思うままになってしまう。1回なら許されると・・・。これは,違うんじゃないか。
2008年10月8日水曜日
空しさを感じた!
今日,ある先生と話をして,「私は,こういう問題がある学校は,初めて。」と言った。私よりも年上の先生だ。この言葉を聞いて,いかに,私が都合良く使われてきたかを再認識した。私が,特に問題がない学校に勤務したのは,たったの1回。7校に勤務し,たった1回である。残りの6校は,精神的にも体力的にも大変な学校だった。校内に警察が導入されたり,機動隊が待機する事態も経験した。制服で警察官が校内にはいることもあった。新聞で報道されたこともあった。それだけ,大変な学校に勤務してきた。
にも関わらず,どういう人事異動を考えているのか。今年,転勤先が決まったときも書いたが,体力の衰えを感じる今,就職して初めて希望を言った。過去6回の転勤で,一度も言わなかった希望。すべて校長に任せてきた。今回だけは,初めて自分の体力の衰えを感じて,教員生活で初めて希望を言った。
結果は,全くの無視。自分の命を縮めるような毎日の学校に転任させられた。年齢を考えていない,経験があっても体力がない。そんなこともわからないんだろうか。あと数年の勤務だから,教員生活をトータルしても,今までの分を考えたら,いかに人間味のない転任だったかがわかる。まあ,人としてみられていなかったこともわかる。方や,私とは全く逆の教員生活で終わる人もいる。
最近思うことは,「おまえ,早く辞めろ」と言っているんだろうかということである。それなら,今回の「仕打ち」は,納得ができる。「よくやってくれた」という言葉は嘘で「こいつを,辞めさせるよう」とする意志が働いているんだろうな。まあ,そういう人生なんだろう。
ただ,今まで,学校のため,精一杯頑張ってきた自分が,ちょっと惨めに思える。教え子達や保護者は,評価をしてくれたが,私の頑張りを見てくれた人は,校長や教育委員会にはいなかったと言うことかな。ますます,不信感を持ってしまう自分である。
私にとって,最後の学校になるはずの学校が,これでは,裏切られた気持ちである。最後ぐらい,今までやってきたことを評価し,気持ちよく退職させてほしかったな。今は,定年まで働こうとは思っていない。タイミングを見て,考えていこうと思っている。言葉が悪いが,恨みに似た感情を今は持っている。今まで,これほど,人を許せないと思ったことはないが,今は,許す気持ちには決してならないだろう。
にも関わらず,どういう人事異動を考えているのか。今年,転勤先が決まったときも書いたが,体力の衰えを感じる今,就職して初めて希望を言った。過去6回の転勤で,一度も言わなかった希望。すべて校長に任せてきた。今回だけは,初めて自分の体力の衰えを感じて,教員生活で初めて希望を言った。
結果は,全くの無視。自分の命を縮めるような毎日の学校に転任させられた。年齢を考えていない,経験があっても体力がない。そんなこともわからないんだろうか。あと数年の勤務だから,教員生活をトータルしても,今までの分を考えたら,いかに人間味のない転任だったかがわかる。まあ,人としてみられていなかったこともわかる。方や,私とは全く逆の教員生活で終わる人もいる。
最近思うことは,「おまえ,早く辞めろ」と言っているんだろうかということである。それなら,今回の「仕打ち」は,納得ができる。「よくやってくれた」という言葉は嘘で「こいつを,辞めさせるよう」とする意志が働いているんだろうな。まあ,そういう人生なんだろう。
ただ,今まで,学校のため,精一杯頑張ってきた自分が,ちょっと惨めに思える。教え子達や保護者は,評価をしてくれたが,私の頑張りを見てくれた人は,校長や教育委員会にはいなかったと言うことかな。ますます,不信感を持ってしまう自分である。
私にとって,最後の学校になるはずの学校が,これでは,裏切られた気持ちである。最後ぐらい,今までやってきたことを評価し,気持ちよく退職させてほしかったな。今は,定年まで働こうとは思っていない。タイミングを見て,考えていこうと思っている。言葉が悪いが,恨みに似た感情を今は持っている。今まで,これほど,人を許せないと思ったことはないが,今は,許す気持ちには決してならないだろう。
2008年10月7日火曜日
お手上げ!危機的な状況にある学校に配属されて
今,学校は,お手上げ状態。指導どころではない。授業エスケープ,対教師暴力,授業中に携帯電話,音楽を鳴らす,暴言など,日常茶飯事である。しかし,ここまで来ると,他の生徒への授業妨害もある。不思議に思うのは,保護者がよく我慢しているということである。授業がまともにできていない公立学校。越境も許されない。この状況を打破することは,もう,無理と言わざるを得ない。初動に失敗した典型例になってしまった。
過去の経験からしたら,保護者に包み隠さず現状を話す保護者会を開き,保護者に協力をあおいで当然の状況である。エスケープする生徒の数に教員の数が足りないのだから・・・。勝手三昧の毎日を送る彼ら,それに振り回される私たち。腰の重い管理職。良くなるはずもない学校。
校長が言えないなら,教育委員会に手をさしのべてもらいたいと真剣に考えている。大きな問題が起きてテレビ新聞などで報道されないと動かないのかな。でも,もういつ起きても不思議でない状況に達している。数年前に,ある中学校の事が,新聞や市議会で取り上げられ,教育委員会も動いたが,そうならないと動かないとしたら,私は,学校との連携に大きな問題があると言わざるを得ない。それか,学校側が,ひたすら隠しているかである。
学校に直接来てもらえば,ドアが蹴破られ,スイッチが壊され,机イスも破損させられ,授業中に走り回り,携帯電話をし,音楽をイヤホンで聴く,暴言を吐き,ドアを蹴飛ばす,ガムをかみながら歩く姿を見ることができる。そして,それを注意している私たちを見れば,どういう状況かすぐにわかるはずである。
校長室に呼びつけて叱った校長を知っている。前にも書いたが,校長が,なぜ,教職員から選ばれるかを考えるなら,当然の事と思う。また,指導すべき立場の人から,指導すべき内容も聞くことはない。もう何ヶ月も前から,私は予想していたことが現実になっている。と言うことは,こんな事は,もっと前にわかっていたことだ。しかし,何とかなるとでも思っていたんだろうか。信じられない気持ちである。
私が気がついていないんだろうか。
同じ事を書くが,なぜ,転任してきたばかりで50歳を超えた私のクラスに,大変な生徒が集まっているのか。そんな情報は一つもなく,突然の担任指名をされた。あきれている。後で聞いたら,「あの子は,こう」「この子はこう」という信じられない話ばかりだ。責任を取るべき人が取っていないから,こういう事になるんだと考えている。自分たちではできないから,新しい人に押しつけるようなやり方には,全く納得ができない。1年生や2年生ならまだしも,中学校3年生で,5クラスの内3クラスが新担任なんて信じられますか。
問題行動が多い学校は,体力勝負である。ここに,若さが必要である。若い人が多いにもかかわらず,年齢を上から数えたら数番目の,しかも,何も知らない私に押しつけたというのが真実だろう。まずは,現有メンバーを説得することからスタートするのが当たり前なのに,その説得もできず,結果として,何も知らない新メンバーに押しつける。管理者として力量不足と言わざるを得ない。特に,中学校3年生は,進路もあり,保護者との信頼関係も必要な学年である。学校を知り尽くした人から選ぶのは,当たり前だし,今までは,そういう経験しかしなかった。
百歩譲って,担任をしたとしても,それにこまめにアドバイスや助言をするのが当然に思える。彼らが,どういう流れで今のようになってしまったのか。家庭環境はどうなっているのか。今までに指導方針はどうだったのか。何一つ聞かされていないのである。
誰が,この人事を決めたんですか。その責任を果たしていますか。自分たちが,こういう学年を作ったんですよ。学年の先生達だけじゃないんですよ。そういう人選をした人が結果責任をとるんです。これは,逃れられない責任なんです。私が,最も嫌っている,責任逃れの方法をとったとしか思えない人事に思える。去年のメンバーで,はずれた人はなぜはずしたんですか。中学校では,1年生から持ち上がった人は,責任があるんです。私が知っている人で,後に大校長と呼ばれた人は「人事が終われば俺の仕事は終わり」とまでいうくらいの重要な仕事なんです。 そのために,どれだけの苦労や時間を使って説得したかを知っています。
私が,運良く,1年からスタートしたときは,どんなに辛いことがあっても,そのメンバーでやり抜く覚悟でやったんです。だから,大変なときは,いろいろと学年で話し合って,助け合って,そして,教頭などにもアドバイスをもらって,学年を作っていくんです。こういう方法で,頑張ってきたんです。どんなことが起きても・・・。
だから,今の自分を振り返ると,指導一つだって,「それは,違う。今までこう指導された」という事になってしまうんです。子ども達との信頼関係が崩れる場合だってあるんです。こんな事がわからないはずがない。教師をやっていたら・・・。
本当に腹が立っているんです。たぶん,教員人生の中で,この人事は,死ぬまで忘れないし,一生許さない人事なんです。過去には3年生に突然入ったことや2年生からスタートということもあった。でも,きちんと,事前に納得できる話をもらったし,学校事情の説明も受けた。また,指導の柱があったし,そのフォローもあった。強いて言うなら,「申し訳ない」という気持ちで任されていたので,そういう気持ちが伝わってきた。
しかし,今回だけは,あまりにも,ひどい人事だと間違いなく言える。私は,物じゃない。部品でもない。人の心を持った人間なんです。だから,もう壊れそうなんです。たぶん,気がついていないと思いますが・・・。学校は,子ども達を相手にしているんです。物を作るかのように誰でも良いから当てはめていくような人事ではダメなのは,学校関係者なら当然知っていることなんです。
定年が近づいている私,もう,同級生の多くが校長になっている。でも,自分は,違う生き方をしてきた。管理職としての力量がないのを自分が一番よく知っていたから・・・。だから,子ども達と一緒になって良い学校を創りたかった。でも,一人ではできないし,同じ思いの管理職がいないとできないんだということを思い知らされたのである。
過去の経験からしたら,保護者に包み隠さず現状を話す保護者会を開き,保護者に協力をあおいで当然の状況である。エスケープする生徒の数に教員の数が足りないのだから・・・。勝手三昧の毎日を送る彼ら,それに振り回される私たち。腰の重い管理職。良くなるはずもない学校。
校長が言えないなら,教育委員会に手をさしのべてもらいたいと真剣に考えている。大きな問題が起きてテレビ新聞などで報道されないと動かないのかな。でも,もういつ起きても不思議でない状況に達している。数年前に,ある中学校の事が,新聞や市議会で取り上げられ,教育委員会も動いたが,そうならないと動かないとしたら,私は,学校との連携に大きな問題があると言わざるを得ない。それか,学校側が,ひたすら隠しているかである。
学校に直接来てもらえば,ドアが蹴破られ,スイッチが壊され,机イスも破損させられ,授業中に走り回り,携帯電話をし,音楽をイヤホンで聴く,暴言を吐き,ドアを蹴飛ばす,ガムをかみながら歩く姿を見ることができる。そして,それを注意している私たちを見れば,どういう状況かすぐにわかるはずである。
校長室に呼びつけて叱った校長を知っている。前にも書いたが,校長が,なぜ,教職員から選ばれるかを考えるなら,当然の事と思う。また,指導すべき立場の人から,指導すべき内容も聞くことはない。もう何ヶ月も前から,私は予想していたことが現実になっている。と言うことは,こんな事は,もっと前にわかっていたことだ。しかし,何とかなるとでも思っていたんだろうか。信じられない気持ちである。
私が気がついていないんだろうか。
同じ事を書くが,なぜ,転任してきたばかりで50歳を超えた私のクラスに,大変な生徒が集まっているのか。そんな情報は一つもなく,突然の担任指名をされた。あきれている。後で聞いたら,「あの子は,こう」「この子はこう」という信じられない話ばかりだ。責任を取るべき人が取っていないから,こういう事になるんだと考えている。自分たちではできないから,新しい人に押しつけるようなやり方には,全く納得ができない。1年生や2年生ならまだしも,中学校3年生で,5クラスの内3クラスが新担任なんて信じられますか。
問題行動が多い学校は,体力勝負である。ここに,若さが必要である。若い人が多いにもかかわらず,年齢を上から数えたら数番目の,しかも,何も知らない私に押しつけたというのが真実だろう。まずは,現有メンバーを説得することからスタートするのが当たり前なのに,その説得もできず,結果として,何も知らない新メンバーに押しつける。管理者として力量不足と言わざるを得ない。特に,中学校3年生は,進路もあり,保護者との信頼関係も必要な学年である。学校を知り尽くした人から選ぶのは,当たり前だし,今までは,そういう経験しかしなかった。
百歩譲って,担任をしたとしても,それにこまめにアドバイスや助言をするのが当然に思える。彼らが,どういう流れで今のようになってしまったのか。家庭環境はどうなっているのか。今までに指導方針はどうだったのか。何一つ聞かされていないのである。
誰が,この人事を決めたんですか。その責任を果たしていますか。自分たちが,こういう学年を作ったんですよ。学年の先生達だけじゃないんですよ。そういう人選をした人が結果責任をとるんです。これは,逃れられない責任なんです。私が,最も嫌っている,責任逃れの方法をとったとしか思えない人事に思える。去年のメンバーで,はずれた人はなぜはずしたんですか。中学校では,1年生から持ち上がった人は,責任があるんです。私が知っている人で,後に大校長と呼ばれた人は「人事が終われば俺の仕事は終わり」とまでいうくらいの重要な仕事なんです。 そのために,どれだけの苦労や時間を使って説得したかを知っています。
私が,運良く,1年からスタートしたときは,どんなに辛いことがあっても,そのメンバーでやり抜く覚悟でやったんです。だから,大変なときは,いろいろと学年で話し合って,助け合って,そして,教頭などにもアドバイスをもらって,学年を作っていくんです。こういう方法で,頑張ってきたんです。どんなことが起きても・・・。
だから,今の自分を振り返ると,指導一つだって,「それは,違う。今までこう指導された」という事になってしまうんです。子ども達との信頼関係が崩れる場合だってあるんです。こんな事がわからないはずがない。教師をやっていたら・・・。
本当に腹が立っているんです。たぶん,教員人生の中で,この人事は,死ぬまで忘れないし,一生許さない人事なんです。過去には3年生に突然入ったことや2年生からスタートということもあった。でも,きちんと,事前に納得できる話をもらったし,学校事情の説明も受けた。また,指導の柱があったし,そのフォローもあった。強いて言うなら,「申し訳ない」という気持ちで任されていたので,そういう気持ちが伝わってきた。
しかし,今回だけは,あまりにも,ひどい人事だと間違いなく言える。私は,物じゃない。部品でもない。人の心を持った人間なんです。だから,もう壊れそうなんです。たぶん,気がついていないと思いますが・・・。学校は,子ども達を相手にしているんです。物を作るかのように誰でも良いから当てはめていくような人事ではダメなのは,学校関係者なら当然知っていることなんです。
定年が近づいている私,もう,同級生の多くが校長になっている。でも,自分は,違う生き方をしてきた。管理職としての力量がないのを自分が一番よく知っていたから・・・。だから,子ども達と一緒になって良い学校を創りたかった。でも,一人ではできないし,同じ思いの管理職がいないとできないんだということを思い知らされたのである。
2008年10月6日月曜日
立て直せるのかな?
今,私の勤務している学校は,問題が噴出しいている。「学校を立て直していきたい」と言った人がいる。しかし,具体的に学校全体で取り組んでいこうという気持ちが全員にあるだろうか。
今,学校全体を見て,今の状態にどの学年もなりそうな雰囲気になっている。こうなると,これは,教職員が,しっかりと目標を定めて,一致団結しないと,毎年同じ事の繰り返しになる。私には,そう見える。
今,まず,やるべき事。書きたいことは山ほどあるが,もう少し様子を見てみようと思っている。理由は,今年赴任し,自分の思いとは違っている点が多すぎることにある。
いずれにしても,「さあ,学校を良い方向に立て直していこう!」という旗振り役がいない。ほんの数人が,そういう方向で動いている。しかし,これも,うまく機能しないと「船頭多くして船山に上る」になってしまう。
これを,調整し,進めていくべき人がいない。残念である。過去に,問題行動が頻発した学校にいた頃,教職員が一致団結して事にあたったことがあり,その充実感は今でも覚えている。例え,結果を出せなくても,全員で立ち向かっていった。その雰囲気を作った人たちのことを思い出す。やっぱり,立派な人たちだった。今では,校長や教育委員会で活躍されている。しかし,その数は,少ない。
今,学校全体を見て,今の状態にどの学年もなりそうな雰囲気になっている。こうなると,これは,教職員が,しっかりと目標を定めて,一致団結しないと,毎年同じ事の繰り返しになる。私には,そう見える。
今,まず,やるべき事。書きたいことは山ほどあるが,もう少し様子を見てみようと思っている。理由は,今年赴任し,自分の思いとは違っている点が多すぎることにある。
いずれにしても,「さあ,学校を良い方向に立て直していこう!」という旗振り役がいない。ほんの数人が,そういう方向で動いている。しかし,これも,うまく機能しないと「船頭多くして船山に上る」になってしまう。
これを,調整し,進めていくべき人がいない。残念である。過去に,問題行動が頻発した学校にいた頃,教職員が一致団結して事にあたったことがあり,その充実感は今でも覚えている。例え,結果を出せなくても,全員で立ち向かっていった。その雰囲気を作った人たちのことを思い出す。やっぱり,立派な人たちだった。今では,校長や教育委員会で活躍されている。しかし,その数は,少ない。
2008年10月5日日曜日
2008年10月4日土曜日
レジ袋の有料化!
名古屋市では,スーパーなどでの「レジ袋」の有料化を進め,ゴミの減量化をはかる考えだ。今日,荷物が多いと言うことで,妻につきあって,車で近所のスーパーに行った。
ほとんどの人が,思い思いの色や形の袋を持参していた。私は,昔を思い出した。昔は,皆「買い物かご」というのか,そう言った物を持って,買い物に来ていた。また,包装も新聞紙に包むということも多かったような気がする。また,量り売りは当然で,その場で必要なだけを包んでもらったように覚えている。
今,世界中で,環境に関する問題が出ている。ちょっと前の日本を思い出せば,いっぱいヒントはあるような気がした。
ほとんどの人が,思い思いの色や形の袋を持参していた。私は,昔を思い出した。昔は,皆「買い物かご」というのか,そう言った物を持って,買い物に来ていた。また,包装も新聞紙に包むということも多かったような気がする。また,量り売りは当然で,その場で必要なだけを包んでもらったように覚えている。
今,世界中で,環境に関する問題が出ている。ちょっと前の日本を思い出せば,いっぱいヒントはあるような気がした。
2008年10月3日金曜日
親を叱った管理職!
私が覚えている中で,親を叱った管理職が数人いる。最初は,初任校の校長。そして2校目の教頭。そして,4校目の教頭。5校目の教頭である。
こう見ていくと,教頭が多いなと思うが,これはたまたまだと思う。理由は,彼らは,校長になっても同じ事をしていたことを耳にする。
いつからか,学校は,親を恐れるようになり,親の理不尽な要求を聞いてしまう部分が出てきてしまった。ここで,毅然と対応できる管理職を育ててこなかった教育委員会の責任は重いと思う。また,そういう人材を登用してこなかった責任も重い。
私が知っている人の中にも,管理職としてふさわしい人は何人も見てきた。しかし,現実は,そうはならなかった。人材登用は,人を見てと言うより,組織を見て,また,文章を見てとなっているような気がしてならない。学校での様子は,どの程度,加味されているのか疑問を感じるときもある。
今こそ,人本意での管理職の登用を期待している。そうしないと,あちこちで,学校は,方向が定まらない,いつ沈没するかわからない船と同じになってしまう。
こう見ていくと,教頭が多いなと思うが,これはたまたまだと思う。理由は,彼らは,校長になっても同じ事をしていたことを耳にする。
いつからか,学校は,親を恐れるようになり,親の理不尽な要求を聞いてしまう部分が出てきてしまった。ここで,毅然と対応できる管理職を育ててこなかった教育委員会の責任は重いと思う。また,そういう人材を登用してこなかった責任も重い。
私が知っている人の中にも,管理職としてふさわしい人は何人も見てきた。しかし,現実は,そうはならなかった。人材登用は,人を見てと言うより,組織を見て,また,文章を見てとなっているような気がしてならない。学校での様子は,どの程度,加味されているのか疑問を感じるときもある。
今こそ,人本意での管理職の登用を期待している。そうしないと,あちこちで,学校は,方向が定まらない,いつ沈没するかわからない船と同じになってしまう。
今週は,よく体がもってくれた。
今週は,月曜日から調子が悪く,休もうと思ったが,他の人にも迷惑がかかると思い,ふらふらの状態で出かけた。当然,行けば,ごく普通の仕事をするわけだから,体が悲鳴をあげていた。泣き言も言えず,ただただ,我慢し,子ども達にさとられないようにした。
しかし,さすがに水曜日は,起きられないほど体調が悪く,少し遅れていくという決断をした。その日も,教室で授業中に何度も「めまい」がして,自分でも「ダメかな」という不安がよぎった。誰かに助けてもらうこともできず,ただ,頑張るしかなかった。
そして,今日(金曜日)を終えることができた。2学期に入ってから,最悪の体調の一週間となってしまった。
私たちは,代わりがいない。休めば,代わりに授業をする,人はいない。だから,無理に無理を重ねる。授業も成立して,普通の学校なら良いが,授業中や放課,すべての時間を,教室や廊下で過ごすのだから,歳を感じる私には,辛い毎日になる。だから,本当に,今週はよく体がもったなと思う。
どうして,こういう状態になったか。もし,タイムマシンがあったら,彼らの過去の学校での生活を見てみたい。どこかに,変化の兆しがあり,どこかに,指導のチャンスがなかったのかを知りたい。子ども達と話をしていて,学校としての指導の柱がなかったか,機能していなかった感じがする。
ちぐはぐな指導が,彼らを混乱させ,指導ができない状態になったのではないか。また,保護者との信頼関係も築けぬまま今日に至っていないのか。たった数ヶ月でも,問題点が見えてくるのに,なぜ,その問題点を整理し,解決しようとしないんだろう。厳しい言い方で言えば,「現状把握ができていない」の一言になる。刑事ものじゃないが,「事件は現場で起きている」と言うことだ。起きたことを,どんなに忠実に言葉で表現しても,現場でしか見えないことの方が多い。
我が校の「荒れ」は,この部分が欠けているように思えてならない。今は,退職した校長は,荒れている子どもと真剣に向き合った。逃げなかった。私は,それが,校長や教頭だと思う。現場を見るとは,そういう事から始まる。
しかし,さすがに水曜日は,起きられないほど体調が悪く,少し遅れていくという決断をした。その日も,教室で授業中に何度も「めまい」がして,自分でも「ダメかな」という不安がよぎった。誰かに助けてもらうこともできず,ただ,頑張るしかなかった。
そして,今日(金曜日)を終えることができた。2学期に入ってから,最悪の体調の一週間となってしまった。
私たちは,代わりがいない。休めば,代わりに授業をする,人はいない。だから,無理に無理を重ねる。授業も成立して,普通の学校なら良いが,授業中や放課,すべての時間を,教室や廊下で過ごすのだから,歳を感じる私には,辛い毎日になる。だから,本当に,今週はよく体がもったなと思う。
どうして,こういう状態になったか。もし,タイムマシンがあったら,彼らの過去の学校での生活を見てみたい。どこかに,変化の兆しがあり,どこかに,指導のチャンスがなかったのかを知りたい。子ども達と話をしていて,学校としての指導の柱がなかったか,機能していなかった感じがする。
ちぐはぐな指導が,彼らを混乱させ,指導ができない状態になったのではないか。また,保護者との信頼関係も築けぬまま今日に至っていないのか。たった数ヶ月でも,問題点が見えてくるのに,なぜ,その問題点を整理し,解決しようとしないんだろう。厳しい言い方で言えば,「現状把握ができていない」の一言になる。刑事ものじゃないが,「事件は現場で起きている」と言うことだ。起きたことを,どんなに忠実に言葉で表現しても,現場でしか見えないことの方が多い。
我が校の「荒れ」は,この部分が欠けているように思えてならない。今は,退職した校長は,荒れている子どもと真剣に向き合った。逃げなかった。私は,それが,校長や教頭だと思う。現場を見るとは,そういう事から始まる。
2008年9月28日日曜日
2008年9月27日土曜日
ラグビーの試合を見に行った。
自分のクラスの生徒が出場するというので,「ラグビー」の試合を見に行った。急に寒くなり,見ている方も,途中で長袖を着たり,風の強さに絶えかねて木の横に行ったりと,寒さ対策をしながらの観戦だった。
結果は,大差で勝利し,また,見に行ったことに感謝もしてもらった。ちょっと前は,自分のクラスの生徒の試合は,必ず見に行っていたなと思い出した。
結果は,大差で勝利し,また,見に行ったことに感謝もしてもらった。ちょっと前は,自分のクラスの生徒の試合は,必ず見に行っていたなと思い出した。
動く!
毎日のように問題が起こる中,「ある動き」があった。それは,教頭だった。今までも,いろんな場面での協力はあったが,目に見えるような物は今回が初めてに思える。
これは,とても大事なことで,「動く」という事は,私たち,目の前の問題に対処しているだけの毎日を送っている者には,ある意味,「方向性」が見えてくる。その「方向性」が,1つになってくるのを期待している。
今までにも,1校を除けば,5校が大変な学校だった。その中で,立ち直っていく学校は,校長・教頭の「動き」から「方向性」が見え,それに職員がまとまっていくことで,立ち直っていく。そういう経験をしてきた私にとって,今回の教頭の行動は,その1つだと思える。それだけ,バラバラした状態の学校をまとめるのに,「行動する人物」が必要であるということだと思う。
過去にも,思い出すと,何人かの「動く教頭」を見てきた。どの人も,やはり,学校運営にたけた人だったように思う。今は,校長になった人もいるが,この人たちの下で働きたいなと今でも思う。大げさに言うと,やはり職責をどう考えているかにあるように思う。「学校運営」をどうしていくのかと同時に,教職員をどう動かしていくのかも大事で,そのための方法も考えないといけない。
ちょっとかも知れないが,ずっと後退していた感じが,立ち止まり,少し前に進んだような気がする。
これは,とても大事なことで,「動く」という事は,私たち,目の前の問題に対処しているだけの毎日を送っている者には,ある意味,「方向性」が見えてくる。その「方向性」が,1つになってくるのを期待している。
今までにも,1校を除けば,5校が大変な学校だった。その中で,立ち直っていく学校は,校長・教頭の「動き」から「方向性」が見え,それに職員がまとまっていくことで,立ち直っていく。そういう経験をしてきた私にとって,今回の教頭の行動は,その1つだと思える。それだけ,バラバラした状態の学校をまとめるのに,「行動する人物」が必要であるということだと思う。
過去にも,思い出すと,何人かの「動く教頭」を見てきた。どの人も,やはり,学校運営にたけた人だったように思う。今は,校長になった人もいるが,この人たちの下で働きたいなと今でも思う。大げさに言うと,やはり職責をどう考えているかにあるように思う。「学校運営」をどうしていくのかと同時に,教職員をどう動かしていくのかも大事で,そのための方法も考えないといけない。
ちょっとかも知れないが,ずっと後退していた感じが,立ち止まり,少し前に進んだような気がする。
2008年9月25日木曜日
悔しい!
こうなるであろうという予想が立つ。その通りになるのに,何の手だても高じることができない悔しさ。常に後手に回ってしまっている現実。今日は,そんな思いがする。最前線で頑張っている同僚。それが,報われることはあるんだろうか。
結果論になるが,予想に対して,どう対応をしていくのかが見えない不安。やっぱりこうなるよなというあきらめの気持ち。組織が,どんどん力を失っていく前触れ。焦燥感。
今,何ができるのかを考える余裕もない。しかし,最前線で,頑張っている人がいる。生徒と相対している人がいる。体力勝負をしている人もいる。それをフォローできない自分がいる。今までなら,できたことがなぜ今,できないんだろう。と考えると,やはり,組織としての指揮・監督がうまく機能していない現実があるんじゃないか。そう思って,組織を見直す必要がないだろうか。
状況把握の遅れ,それが今日の状態を生んでしまった。さかのぼれば,去年からスタートしている。しかし,その時の対応に,何か問題はなかったか。それが,わからない私は,どこで,どういう「ずれ」が生じたのかがわからない。問題点も聞かされていない。
子ども達と反目している状態。これを作った原因。何がそうさせてしまったのか。地域・学校・保護者の協力を感じない自分がいる。この状態で,授業がまともにできない状態で,なぜ,放置され続けたのか。疑問は多い。緊急の保護者会も必要な状態だと感じる。
真面目に頑張っている子がほとんど。その授業が妨害され,中には,暴力を受け,扉は蹴破られ,それでもけなげに学校に来ている。学校教育法の出席停止って,どういう場合に使うの?子ども達の安全・教職員の安全より,「前例がない」が優先するの?おかしくないかな。
結果論になるが,予想に対して,どう対応をしていくのかが見えない不安。やっぱりこうなるよなというあきらめの気持ち。組織が,どんどん力を失っていく前触れ。焦燥感。
今,何ができるのかを考える余裕もない。しかし,最前線で,頑張っている人がいる。生徒と相対している人がいる。体力勝負をしている人もいる。それをフォローできない自分がいる。今までなら,できたことがなぜ今,できないんだろう。と考えると,やはり,組織としての指揮・監督がうまく機能していない現実があるんじゃないか。そう思って,組織を見直す必要がないだろうか。
状況把握の遅れ,それが今日の状態を生んでしまった。さかのぼれば,去年からスタートしている。しかし,その時の対応に,何か問題はなかったか。それが,わからない私は,どこで,どういう「ずれ」が生じたのかがわからない。問題点も聞かされていない。
子ども達と反目している状態。これを作った原因。何がそうさせてしまったのか。地域・学校・保護者の協力を感じない自分がいる。この状態で,授業がまともにできない状態で,なぜ,放置され続けたのか。疑問は多い。緊急の保護者会も必要な状態だと感じる。
真面目に頑張っている子がほとんど。その授業が妨害され,中には,暴力を受け,扉は蹴破られ,それでもけなげに学校に来ている。学校教育法の出席停止って,どういう場合に使うの?子ども達の安全・教職員の安全より,「前例がない」が優先するの?おかしくないかな。
2008年9月23日火曜日
王監督引退!<リーダーの条件>
今日,ソフトバンクホークスの王貞治監督が引退会見を開いた。体調を崩してからは,そうとう辛い毎日だったに違いない。
私は,王監督の会見で,さすが「リーダー」だと思う名言を聞いた。
「監督は,参謀ではない。常に最前線にいるべき」
という内容だったと思う。
リーダーの資質を考えるとき,この言葉は,常に考えるべき一つだと感じた。最前線にいられない状態になったとき,それは,リーダーとしての資格を失うんだという事でもある。参謀ではいけないんだ。参謀は,リーダーになってはいけないし,参謀にもなれない人は,リーダーの資格がない。
まさに,私が,リーダーになれない原因だと思っている。ただ,以前一緒に働いた教頭に「僕は,名参謀になりたい」と言ったことがある。校長や教頭というリーダーと一緒に参謀として学校を作っていこうと常に考えていた。
その目標が達せられたときもあるが,とても少ない。私の力不足も当然あるが,参謀としての力量不足だと思われているんだろう。
今,リーダーは,王監督の言葉を,今一度,読んでほしいな。
私は,王監督の会見で,さすが「リーダー」だと思う名言を聞いた。
「監督は,参謀ではない。常に最前線にいるべき」
という内容だったと思う。
リーダーの資質を考えるとき,この言葉は,常に考えるべき一つだと感じた。最前線にいられない状態になったとき,それは,リーダーとしての資格を失うんだという事でもある。参謀ではいけないんだ。参謀は,リーダーになってはいけないし,参謀にもなれない人は,リーダーの資格がない。
まさに,私が,リーダーになれない原因だと思っている。ただ,以前一緒に働いた教頭に「僕は,名参謀になりたい」と言ったことがある。校長や教頭というリーダーと一緒に参謀として学校を作っていこうと常に考えていた。
その目標が達せられたときもあるが,とても少ない。私の力不足も当然あるが,参謀としての力量不足だと思われているんだろう。
今,リーダーは,王監督の言葉を,今一度,読んでほしいな。
お彼岸!
今日は,家族で「墓参り」に出かけた。なかなか家族全員がそろわなくなっていたが,今日は,全員で2カ所出かけた。
子ども達の健康,私たちの健康を見守ってもらいたいと願った。私も妻も早くに両親を亡くしたため,子ども達は,「おじいちゃん,おばあちゃん」と言う間もなく育った。もし,生きていたら,今の私に何を言うかを聞きたかったなと思う。
特に,今年は,私にとって,今までになく,調子が悪い。調子が悪いと心も弱くなる。そんなとき,いてくれたらなと思うのである。
私も歳を重ねるごとに,自分の両親の思いは,どうだったのかを考えるときがある。特に,父は,私が6歳で病死しているので,小さな子を残して何を感じ,何を言い残したのかと聞きたくもなる。母は,67歳で亡くなったが,まだ,私自身自分の子どもが小さくて,親のことまで考えられなかった。
今,子ども達も大きくなり,親として何を残していくのかを考えるようになった。
子ども達の健康,私たちの健康を見守ってもらいたいと願った。私も妻も早くに両親を亡くしたため,子ども達は,「おじいちゃん,おばあちゃん」と言う間もなく育った。もし,生きていたら,今の私に何を言うかを聞きたかったなと思う。
特に,今年は,私にとって,今までになく,調子が悪い。調子が悪いと心も弱くなる。そんなとき,いてくれたらなと思うのである。
私も歳を重ねるごとに,自分の両親の思いは,どうだったのかを考えるときがある。特に,父は,私が6歳で病死しているので,小さな子を残して何を感じ,何を言い残したのかと聞きたくもなる。母は,67歳で亡くなったが,まだ,私自身自分の子どもが小さくて,親のことまで考えられなかった。
今,子ども達も大きくなり,親として何を残していくのかを考えるようになった。
2008年9月21日日曜日
今日は,法事だったが・・・
今日は,祖母の法事だったが,朝より体調がすぐれず,結局欠席となった。最近は,休みの日に横になることが多くなってしまい,自分のペースを取り戻せない。法事に欠席したのは,今回が初めてだが,致し方ない状況であった。
2008年9月20日土曜日
台風一過!
名古屋は,今朝から,晴天。近所の小学校から,音楽が流れている。どうも,今日は,運動会のようだ。昨日の雨で運動場は大丈夫だったのかなと心配だが,子ども達の元気な歓声が,我が家にも届いてくる。
また,近所の田んぼも稲穂が実り,もう稲刈りのシーズンになった。日に日に秋らしくなっていくんだろう。今年,転任した学校が,大変で気の休まることがない生活をしていて,こういう休みに,ふと考えると,毎日が,何となく過ぎていることに気が付く。
まだ,やることがあるんだろうな。でも,疲れてしまって・・・。定年というものが近づいてきている。寂しい気もするが,早く来てほしい気もする。
今日は一日,小学校から聞こえてくる子ども達の声で,元気をもらおうと思っている。
また,近所の田んぼも稲穂が実り,もう稲刈りのシーズンになった。日に日に秋らしくなっていくんだろう。今年,転任した学校が,大変で気の休まることがない生活をしていて,こういう休みに,ふと考えると,毎日が,何となく過ぎていることに気が付く。
まだ,やることがあるんだろうな。でも,疲れてしまって・・・。定年というものが近づいてきている。寂しい気もするが,早く来てほしい気もする。
今日は一日,小学校から聞こえてくる子ども達の声で,元気をもらおうと思っている。
2008年9月16日火曜日
この道は,いつか来た道。
今,まさしく私は,そう思う。私が新卒1年目。まだ,学校にも慣れていない頃,その学校は,大荒れをした。その時と,今,全く同じ道をたどっている。昭和50年代半ばから後半にかけてである。しかし,その道を,行く羽目になっている自分が悔しい。
当時,校内暴力吹き荒れる時,対教師暴力,器物破損,授業妨害,授業エスケープ,威嚇等々,数週間で行き着くところがあるのかと思うくらいの荒れだった。もう,何をしても何ともならない状況だった。私は,ただただ,先輩の先生の後をついて行くことしかできなかった。しかし,それが,その後の自分の教員生活を変えたのかも知れない。それは,今後の見通しのようなものが見えてくるのである。
だから,今も,その思いを引きずっているのかも知れない。しかし,やはり,全く同じ道を,今,私は歩くことになっている。あの時代,あの経験をしている教師は,多いはずだ。こうなるだろうという予想ができるのに,対策ができない。あの頃は,こんな事をしたという思い出がよみがえる。その提案をした人たちが,校長や教育委員会にいる。
その人たちは,もっと,当時の事を語ってほしい。経験のない人たちに・・・。授業も大事だが,その授業が成立しないのでは,良い授業どころではない。 毅然とした態度は,簡単にできることではない。余程の覚悟を持って行うことだと思う。
焦る自分を押さえることに苦労している毎日である。
当時,校内暴力吹き荒れる時,対教師暴力,器物破損,授業妨害,授業エスケープ,威嚇等々,数週間で行き着くところがあるのかと思うくらいの荒れだった。もう,何をしても何ともならない状況だった。私は,ただただ,先輩の先生の後をついて行くことしかできなかった。しかし,それが,その後の自分の教員生活を変えたのかも知れない。それは,今後の見通しのようなものが見えてくるのである。
だから,今も,その思いを引きずっているのかも知れない。しかし,やはり,全く同じ道を,今,私は歩くことになっている。あの時代,あの経験をしている教師は,多いはずだ。こうなるだろうという予想ができるのに,対策ができない。あの頃は,こんな事をしたという思い出がよみがえる。その提案をした人たちが,校長や教育委員会にいる。
その人たちは,もっと,当時の事を語ってほしい。経験のない人たちに・・・。授業も大事だが,その授業が成立しないのでは,良い授業どころではない。 毅然とした態度は,簡単にできることではない。余程の覚悟を持って行うことだと思う。
焦る自分を押さえることに苦労している毎日である。
2008年9月14日日曜日
ANAのシステムトラブルと生徒指導
今日,早朝より,ANAのコンピュータシステムの不具合から,搭乗手続きや荷物の預かり業務に支障をきたした。多くの人への影響が出た。
コンピュータが,ブラックボックス化し,何がどうなっているのかがわからない。それは,あまりに複雑である。この件を聞いて,私は,私たちの生徒指導にも言えるなと思った。
「これが起きれば,これ」「あれがおきれば,あれ」というようにシステム化したがる人がいる。その一人が私かも知れない。普段通り,普通に進んでいけばよいが,予想外の事が起きたとき,誰もその修正方法を知らない。したがって,専門家に依頼して,修正を依頼しなければならない。
日頃から,バックアップを取り,予想外の出来事に対応できるようにしておけばよいのだが,そうでないために,後手後手の指導になる。その間,そうとうの時間が経ってしまう。
学校の生徒指導のシステムの点検整備は,誰がどのように行うのかが明確でないような気がする。専門家がいない。また,専門家から伝授されていることもない。個人の力に任せてしまっている。それが,余計に修正の邪魔になることがある。
プログラムなら,アルゴリズムをしっかり見直す。生徒指導も同じような見直しをしていくべきなのかも知れない。どこかに,問題があって,今がある。それを,多くの学校で共有化していくことが,専門家を増やすことになるような気がする。それができるのは,教育委員会しかない。
コンピュータが,ブラックボックス化し,何がどうなっているのかがわからない。それは,あまりに複雑である。この件を聞いて,私は,私たちの生徒指導にも言えるなと思った。
「これが起きれば,これ」「あれがおきれば,あれ」というようにシステム化したがる人がいる。その一人が私かも知れない。普段通り,普通に進んでいけばよいが,予想外の事が起きたとき,誰もその修正方法を知らない。したがって,専門家に依頼して,修正を依頼しなければならない。
日頃から,バックアップを取り,予想外の出来事に対応できるようにしておけばよいのだが,そうでないために,後手後手の指導になる。その間,そうとうの時間が経ってしまう。
学校の生徒指導のシステムの点検整備は,誰がどのように行うのかが明確でないような気がする。専門家がいない。また,専門家から伝授されていることもない。個人の力に任せてしまっている。それが,余計に修正の邪魔になることがある。
プログラムなら,アルゴリズムをしっかり見直す。生徒指導も同じような見直しをしていくべきなのかも知れない。どこかに,問題があって,今がある。それを,多くの学校で共有化していくことが,専門家を増やすことになるような気がする。それができるのは,教育委員会しかない。
2008年9月13日土曜日
卒業生からのメール
先ほど,卒業生からメールが届いた。私の体調を心配してと同時に,自分の近況報告もあった。今,若者に何が起き始めているのかを少し感じたメールだった。
今は,就職も以前に比べて,難しくはなくなってきている。しかし,その勤務状態は,人を人とも思わない体制になってきている。価格競争が,人の心をなくさせている。そんな気がした。懸命に働いても,その給料は,生活できるギリギリ。結婚をして,生活をするためには,より給料の多い職業を探すしかない。
少子高齢化の中で,若者が,将来に希望を持てなくなってきているのは事実のようだ。これは,政治家が悪いとか国が悪いというのではなく,国民一人ひとりが自分(会社)中心にしか物事を考えないからではないかと思う。
大企業が中小企業に限界に近い要求をし,中小企業は,命を削るように仕事をする。そんな社会になっている。これは,大企業だけが悪いとは言えず,安いから買う。高いから買わないという国民が作り上げてしまった。
昔を考えればわかるが,高いか安いかではなく,近所の店で買うことで,価格は二の次だった。価格競争が,今のようにはなっていなかった。
今と昔のどっちが良いと言うだけでなく,このまま行けば,必ずや,弱い立場の人たちは,人間らしい生活ができなくなる日がやってくると思ってしまった。
今は,就職も以前に比べて,難しくはなくなってきている。しかし,その勤務状態は,人を人とも思わない体制になってきている。価格競争が,人の心をなくさせている。そんな気がした。懸命に働いても,その給料は,生活できるギリギリ。結婚をして,生活をするためには,より給料の多い職業を探すしかない。
少子高齢化の中で,若者が,将来に希望を持てなくなってきているのは事実のようだ。これは,政治家が悪いとか国が悪いというのではなく,国民一人ひとりが自分(会社)中心にしか物事を考えないからではないかと思う。
大企業が中小企業に限界に近い要求をし,中小企業は,命を削るように仕事をする。そんな社会になっている。これは,大企業だけが悪いとは言えず,安いから買う。高いから買わないという国民が作り上げてしまった。
昔を考えればわかるが,高いか安いかではなく,近所の店で買うことで,価格は二の次だった。価格競争が,今のようにはなっていなかった。
今と昔のどっちが良いと言うだけでなく,このまま行けば,必ずや,弱い立場の人たちは,人間らしい生活ができなくなる日がやってくると思ってしまった。
腰がおかしい・・・
今朝,起きようとしたら,腰に激痛が走った。何でだろうと思って,すぐに原因がわかった。そう言えば,暴れる生徒を制止しているときに,あっちへこっちへ振り回された。その時に,体がそうとう上半身と下半身が逆の方向にねじられた。
これが原因だ。間違いないと思った。何とか起きあがって,食事を取ったが,今日は,夕方まで,ベッドで寝ていた。少しは,薬などをぬったせいもあって,痛みは少なくなったが,まだまだ,動かすと痛い状態である。
これって,公務災害になるんだよな。私の勤務校では,大けがをしないと病院にも行けと言われないので,あとで出てきた症状だったら,そんなの知らないという感じだろうな。ある先生が,首をねじられたが,今でなくても後日出ることだってある。だから,対教師暴力は,病院での診察が必要だと思っている。これって,私には,常識なんだけど・・・。また,今までの多くの学校では,常識だったんだけど・・・。
これが原因だ。間違いないと思った。何とか起きあがって,食事を取ったが,今日は,夕方まで,ベッドで寝ていた。少しは,薬などをぬったせいもあって,痛みは少なくなったが,まだまだ,動かすと痛い状態である。
これって,公務災害になるんだよな。私の勤務校では,大けがをしないと病院にも行けと言われないので,あとで出てきた症状だったら,そんなの知らないという感じだろうな。ある先生が,首をねじられたが,今でなくても後日出ることだってある。だから,対教師暴力は,病院での診察が必要だと思っている。これって,私には,常識なんだけど・・・。また,今までの多くの学校では,常識だったんだけど・・・。
2008年9月11日木曜日
今日もまた,先生が殴られた。
今日も,教師が殴られた。私は,すぐに教頭に報告をした。しかし,学校は,何もなかったかのように普通の一日が終わった。私は,これが納得できない,先生が殴られているにもかかわらず,会議もなく,連絡もなく。たぶん,知らない人の方が多いだろう。
昨日も書いたが,「どうなっているんだろう」という思いは,日に日に強くなっていく。先生が殴られたのに,会議すらない学校ってあるんだろうか。普通なら「緊急会議」が開かれて,しかるべき指導方針が出て,保護者を来校させるなどの助言がなされ,それに私たちは従う。当然,殴られた先生は,病院に行く。これが当たり前だと思うが・・・。
これは,経験の問題ではなく,危機管理の問題だと思っている。危機管理は,誰がどのように行うのか。私としては答えがほしい。
私は,問題行動への対処で,一番最初に起きたときに初動の指導方針が出せず,後手に回り,事が多く起きて,手に負えなくなった。ある意味校内暴力の末期状態を示していると感じている。ここまで来ると,もう,どういう方向にいってしまうかは,経験者ならわかる。
今言えることは,とくかく「悔しい」という思いである。
昨日も書いたが,「どうなっているんだろう」という思いは,日に日に強くなっていく。先生が殴られたのに,会議すらない学校ってあるんだろうか。普通なら「緊急会議」が開かれて,しかるべき指導方針が出て,保護者を来校させるなどの助言がなされ,それに私たちは従う。当然,殴られた先生は,病院に行く。これが当たり前だと思うが・・・。
これは,経験の問題ではなく,危機管理の問題だと思っている。危機管理は,誰がどのように行うのか。私としては答えがほしい。
私は,問題行動への対処で,一番最初に起きたときに初動の指導方針が出せず,後手に回り,事が多く起きて,手に負えなくなった。ある意味校内暴力の末期状態を示していると感じている。ここまで来ると,もう,どういう方向にいってしまうかは,経験者ならわかる。
今言えることは,とくかく「悔しい」という思いである。
2008年9月10日水曜日
陣頭指揮!
陣頭指揮・・・長たる人が直接現場に出て指揮すること。
緊急事態や重要な案件の時によく出てくる言葉である。私は,今,自分の学校は「緊急事態」だと判断している。でも「陣頭指揮」と言うよりは,学年裁量での指導が続いている。このような状態でも陣頭指揮がなされないとすれば,やはり,学校への指導助言を行う教育委員会がその指揮をするようにお願いをしないといけないんだろうか。でも,誰が?お願いするのかな?
緊急事態だと感じること
・他の学年の授業に侵入し,止めようとする先生に暴言をはく
・他の学年の授業中に大きな声を出しながら歩いたり,走ったりする
・授業中に廊下に出ようとする生徒を止めようとすると突き飛ばす
・ガラスなどを割る
・全く関係ない生徒を思いっきり蹴る(目の前でやってもやってないと言い切る)
・生徒の制服に落書きをして,しらを切り通す
・教師を蹴る
・授業中に何度も出入りをし,授業を妨害する
・自転車を校庭で乗り回す
・ドアなどの公共物を破壊する
これが,毎日起きていても「緊急事態」では,ないんですよね。私は,そう思えないんですが・・・。一部の保護者からは,厳しい指摘を受けつつ,改善されていかない学校に不信感を持ってしまう保護者もいる。授業がまともにできない学校。そんな学校に子どもを通わさなければならない。去年は,越境問題も騒がれた。それでも越境がダメだと言い続ける以上,まともに授業ができる学校でなければ保護者は納得できないだろう。
以前,名古屋市のある中学校で,職員室が閉鎖されていたり,生徒の勝手放題になっているという記事があり,教育委員会は,対応をし始めたという。と言うことは,我が校も,教育委員会に対応をゆだねる時期なんだろうか。
以前一緒に勤めていた人で今は退職しているんだが,教育委員会への対応に詳しい人がいた。こういう時は,専門家に聞くのが一番かも知れない。もう,長く会っていないが,ちょっと相談をしてみようかと思っている。
緊急事態や重要な案件の時によく出てくる言葉である。私は,今,自分の学校は「緊急事態」だと判断している。でも「陣頭指揮」と言うよりは,学年裁量での指導が続いている。このような状態でも陣頭指揮がなされないとすれば,やはり,学校への指導助言を行う教育委員会がその指揮をするようにお願いをしないといけないんだろうか。でも,誰が?お願いするのかな?
緊急事態だと感じること
・他の学年の授業に侵入し,止めようとする先生に暴言をはく
・他の学年の授業中に大きな声を出しながら歩いたり,走ったりする
・授業中に廊下に出ようとする生徒を止めようとすると突き飛ばす
・ガラスなどを割る
・全く関係ない生徒を思いっきり蹴る(目の前でやってもやってないと言い切る)
・生徒の制服に落書きをして,しらを切り通す
・教師を蹴る
・授業中に何度も出入りをし,授業を妨害する
・自転車を校庭で乗り回す
・ドアなどの公共物を破壊する
これが,毎日起きていても「緊急事態」では,ないんですよね。私は,そう思えないんですが・・・。一部の保護者からは,厳しい指摘を受けつつ,改善されていかない学校に不信感を持ってしまう保護者もいる。授業がまともにできない学校。そんな学校に子どもを通わさなければならない。去年は,越境問題も騒がれた。それでも越境がダメだと言い続ける以上,まともに授業ができる学校でなければ保護者は納得できないだろう。
以前,名古屋市のある中学校で,職員室が閉鎖されていたり,生徒の勝手放題になっているという記事があり,教育委員会は,対応をし始めたという。と言うことは,我が校も,教育委員会に対応をゆだねる時期なんだろうか。
以前一緒に勤めていた人で今は退職しているんだが,教育委員会への対応に詳しい人がいた。こういう時は,専門家に聞くのが一番かも知れない。もう,長く会っていないが,ちょっと相談をしてみようかと思っている。
不思議だ!対教師暴力への対応!
今でも,教師に対する暴言・暴力は毎日のように起きている。しかし,ごくごく普通の毎日が過ぎていく。ケガをした教師自らが,自分の車を運転して,自分で医者に電話して,自分一人で診察を受けに行く。私が今まで経験した学校ではなかったことである。
以前の勤務校で,数度の対教師暴力が起きたとき,本人は「いいです」と言っていたときも,「ケガをしているんだから病院に連れて行くのは当たり前だ。」と言った校長がいた。私は,これが当然だと思っていたので,今,とても不思議な気持ちである。
また,当然のように教頭が付き添っていった。被害届云々ではなく,管理職とは,教員の生命・健康も管理する役割をもっているんだから・・・。
また,「生徒に手を出すな,体罰はいけない」と言う以上,もし,生徒が手を出したら毅然とした態度を取るべきだと言った校長は,まさに,その通りの行動をした。私は,ものすごい「信頼感」を持ったのを覚えている。親を叱った校長である。
私たちは,今,懸命な毎日を送っている。朝8時15分から午後4時過ぎまで,イスに座れない毎日を送っている。仲間には,昼食も午後4時過ぎに食べている人もいる。管理職は,一日でも良いから,私たちと一緒に一日をおくってほしいものだ。
職員室のイスに座っている場合じゃない状態になっているという危機感を感じていないのかも知れない。だからこそ,一日一緒に行動してみると良い。
今年は,自分の体調を崩して,迷惑をかけたこともあって,昔なら即行動に移した自分だが,思い切って行動できていない。歯がゆい思いをしている・・・。
以前の勤務校で,数度の対教師暴力が起きたとき,本人は「いいです」と言っていたときも,「ケガをしているんだから病院に連れて行くのは当たり前だ。」と言った校長がいた。私は,これが当然だと思っていたので,今,とても不思議な気持ちである。
また,当然のように教頭が付き添っていった。被害届云々ではなく,管理職とは,教員の生命・健康も管理する役割をもっているんだから・・・。
また,「生徒に手を出すな,体罰はいけない」と言う以上,もし,生徒が手を出したら毅然とした態度を取るべきだと言った校長は,まさに,その通りの行動をした。私は,ものすごい「信頼感」を持ったのを覚えている。親を叱った校長である。
私たちは,今,懸命な毎日を送っている。朝8時15分から午後4時過ぎまで,イスに座れない毎日を送っている。仲間には,昼食も午後4時過ぎに食べている人もいる。管理職は,一日でも良いから,私たちと一緒に一日をおくってほしいものだ。
職員室のイスに座っている場合じゃない状態になっているという危機感を感じていないのかも知れない。だからこそ,一日一緒に行動してみると良い。
今年は,自分の体調を崩して,迷惑をかけたこともあって,昔なら即行動に移した自分だが,思い切って行動できていない。歯がゆい思いをしている・・・。
2008年9月3日水曜日
責任!をあやふやにしたくない。
私は,今年,転任と同時に中学校3年生の担任になった。こういう事は,過去にも経験はある。ただ,今回大きく違ったのは,生徒の実態も知らされず,今までの指導方針も聞かされず,初めての出校日にいきなり,有無を言わさず「さあやってください」という状態であったことだ。今までの経験では,信じられない事だ。
体を壊してしまうほど大変だったからかも知れないが,これは,絶対に許せないと今でも,思い出すだけで怒り以上のものを感じてしまう。言葉が悪いが「恨み」に近い感情は,いまだに消えない。
過去には,1年生からスタートできたこともある。その時には,1年生からやらせてもらえる事に感謝し,3年後を見越して,ある意味「責任」を持って目標を常に立て,取り組んできた。途中で,うまくいかなくて何度も悩み苦しんだり,他学年からの叱責も受けたこともあった。でも,自分の「責任」をあやふやにはしなかった。自分の目標は,常に決めていた。だから,時には,新しく加わった人との摩擦もあった。しかし,確固たる目標は揺るぐことはなかった。
今,自分は,この「責任」という言葉を考えるとき,1年生からどう育ててきたのだろう。2年生では,どう修正してきたのだろう。という事がわからない。ただただ,目の前で起こることに対処するのみである。
また,この「責任」というのは,人事を組む側にも言える。なぜ,今年は,こうしたのか。私にはわからない。中学校3年生で,5クラスの内,3クラスが新担任という状態は,正常な状態なのか。本当にそう考えたとしたら,ここまでの「責任」は,どこへ行ったのか。良いと思ってくんだ人事で,もし,失敗があるとすれば,「責任」を取るのが当然の事なんだと思う。今,私が疑問に思うことである。
今までの私が知っている例なら,転任してくる人たちは,よくわからないから,現有メンバーで組み上げ,せいぜい1クラスくらいを転任してきた人に任せるくらいではないだろうか。問題の少ない学校は,そうでなくともいいのだが・・・。
うがった考え方をすれば,「新しく転任してきた人は何も知らないからやらせとけ」と言われても仕方がない状況に思える。子どもを叱るときでも,1年から見てきた人とは全く違う。まして,問題を抱えている生徒であればなおさらである。それがわかっていないはずがない。
ならば,もっと,やることがあったんだと私は思う。一つ前の学校でも,3年生からのスタートだった。この時は,きちんとした説明を受けたし,担任についても相談がきちんとあった。私は,これが当然と考えている。だって,子どもを育てていくんだから・・・。
中には,無責任な人がいて,何ともならない生徒を「何も知らない人の方がお互い良いから」なんて言う人がいる。これは,まさしく,今まで育ててきた人たちの逃げでしかない。「責任」を感じていない一言である。
体を壊してしまうほど大変だったからかも知れないが,これは,絶対に許せないと今でも,思い出すだけで怒り以上のものを感じてしまう。言葉が悪いが「恨み」に近い感情は,いまだに消えない。
過去には,1年生からスタートできたこともある。その時には,1年生からやらせてもらえる事に感謝し,3年後を見越して,ある意味「責任」を持って目標を常に立て,取り組んできた。途中で,うまくいかなくて何度も悩み苦しんだり,他学年からの叱責も受けたこともあった。でも,自分の「責任」をあやふやにはしなかった。自分の目標は,常に決めていた。だから,時には,新しく加わった人との摩擦もあった。しかし,確固たる目標は揺るぐことはなかった。
今,自分は,この「責任」という言葉を考えるとき,1年生からどう育ててきたのだろう。2年生では,どう修正してきたのだろう。という事がわからない。ただただ,目の前で起こることに対処するのみである。
また,この「責任」というのは,人事を組む側にも言える。なぜ,今年は,こうしたのか。私にはわからない。中学校3年生で,5クラスの内,3クラスが新担任という状態は,正常な状態なのか。本当にそう考えたとしたら,ここまでの「責任」は,どこへ行ったのか。良いと思ってくんだ人事で,もし,失敗があるとすれば,「責任」を取るのが当然の事なんだと思う。今,私が疑問に思うことである。
今までの私が知っている例なら,転任してくる人たちは,よくわからないから,現有メンバーで組み上げ,せいぜい1クラスくらいを転任してきた人に任せるくらいではないだろうか。問題の少ない学校は,そうでなくともいいのだが・・・。
うがった考え方をすれば,「新しく転任してきた人は何も知らないからやらせとけ」と言われても仕方がない状況に思える。子どもを叱るときでも,1年から見てきた人とは全く違う。まして,問題を抱えている生徒であればなおさらである。それがわかっていないはずがない。
ならば,もっと,やることがあったんだと私は思う。一つ前の学校でも,3年生からのスタートだった。この時は,きちんとした説明を受けたし,担任についても相談がきちんとあった。私は,これが当然と考えている。だって,子どもを育てていくんだから・・・。
中には,無責任な人がいて,何ともならない生徒を「何も知らない人の方がお互い良いから」なんて言う人がいる。これは,まさしく,今まで育ててきた人たちの逃げでしかない。「責任」を感じていない一言である。
文科省 教員増を断念!を聞いて。
さて,この話題,実情を書くことで少しは,考えて頂けるとありがたい。
今,私の勤務校は,1学年5クラス。非常勤講師を除けば,担任+学年所属2人。そこで,学校は,授業中に抜け出す生徒がいるため,廊下の両端に2人。ということは,朝の学活から帰りの学活まで,職員室すら行けない。また,トイレに行くときも,お互い連絡し合って行かなくてはいけない。こんな状況の学校があるんだよな。時には,昼食も食べられない。
1人でも多くほしい。これが,願いだ。この体制ができないと,どうなるかと言えば,授業をやっている先生が,問題行動をしている生徒を指導しなければならない。と言うことは,授業は,自習となる。私も1学期だけで5回も自習にした。
これで,学校だけで大丈夫ですと胸を張って言えるだろうか。「塾で頑張ってもらえませんか」と言わないといけなくなるんじゃないか。東京のどこかの区のように,学校で塾を開くか,授業後に残って,授業をするかをしないといけない。
学力低下が問題とか言う部分もある。しかし,授業が,勝手な行動をする一部の生徒によって,きちんとできていない学校があるという事実。
こういう学校だと,何とか隠そうとするんだよな。私は,包み隠さず学区の保護者に伝えるべきだという考えを持っているが,そうしてくれた校長は,1人しかいない。
やはり後に大物校長と言われた。
ほとんどの校長は,定年まで大過なく過ごしたいと思っているのか,全く,行動に移さない。
保護者は,一度,自分の学校の授業中を見に行くと良い。結構,先生達も頑張ってやっていることを理解してもらえるような気がする。だって,席に着けと言っただけで胸ぐらをつかんで殴りかかってくるんだよ。こういう状況で先に殴って良いなら,殴っているだろう。しかし,「絶対に手を出さないで」と言われている私たちは,どうするんでしょうか。その答えもなく,ただただ,絶えろと言うことかな。
今,私の勤務校は,1学年5クラス。非常勤講師を除けば,担任+学年所属2人。そこで,学校は,授業中に抜け出す生徒がいるため,廊下の両端に2人。ということは,朝の学活から帰りの学活まで,職員室すら行けない。また,トイレに行くときも,お互い連絡し合って行かなくてはいけない。こんな状況の学校があるんだよな。時には,昼食も食べられない。
1人でも多くほしい。これが,願いだ。この体制ができないと,どうなるかと言えば,授業をやっている先生が,問題行動をしている生徒を指導しなければならない。と言うことは,授業は,自習となる。私も1学期だけで5回も自習にした。
これで,学校だけで大丈夫ですと胸を張って言えるだろうか。「塾で頑張ってもらえませんか」と言わないといけなくなるんじゃないか。東京のどこかの区のように,学校で塾を開くか,授業後に残って,授業をするかをしないといけない。
学力低下が問題とか言う部分もある。しかし,授業が,勝手な行動をする一部の生徒によって,きちんとできていない学校があるという事実。
こういう学校だと,何とか隠そうとするんだよな。私は,包み隠さず学区の保護者に伝えるべきだという考えを持っているが,そうしてくれた校長は,1人しかいない。
やはり後に大物校長と言われた。
ほとんどの校長は,定年まで大過なく過ごしたいと思っているのか,全く,行動に移さない。
保護者は,一度,自分の学校の授業中を見に行くと良い。結構,先生達も頑張ってやっていることを理解してもらえるような気がする。だって,席に着けと言っただけで胸ぐらをつかんで殴りかかってくるんだよ。こういう状況で先に殴って良いなら,殴っているだろう。しかし,「絶対に手を出さないで」と言われている私たちは,どうするんでしょうか。その答えもなく,ただただ,絶えろと言うことかな。
2008年9月2日火曜日
危機管理
どんな会社にもあるだろう生徒指導を含めた「危機管理」について,学校は,どうなっているかを考えるとき,他から聞く事との違いに唖然とする。
最もひどいのは,「危機管理マニュアルがない」というものである。今まで勤めてきた学校には,ほとんど存在していたし,それに従って,指示命令系統がはっきりしていた。だから,事件・事故が起きたときは,より迅速な対応だったと思う。
しかし,最近,すべての学校に存在しているのかという疑問を持つようになった。あるいは,存在していても全くその内容を無視した命令・指示がされている可能性がある。
今まで,マニュアル作りをしたことがある自分にとって,危機管理を誰が,どう行動するのかさえはっきりしない現実があるとすれば,いったい何のために作ってきたのか。
全く違った形で例を挙げれば,数日前の集中豪雨と同じで,避難勧告は出ていても伝わらない。伝える方法が明示されていないか,担当者の勝手な判断がある。私は,学校も同じだなと思いながら,ニュースを見ていた。名古屋市は,松原市長が,このことについてのコメントを出していた。じゃあ,学校の危機管理がうまくいかなかったら,誰が正そうとするんだろう。とても不思議に思う事である。
1つ言えることは,学校が組織的な動きをしていないと言うことでもある。どうしてそうなっているのか。考えていくべき事でもある。
最もひどいのは,「危機管理マニュアルがない」というものである。今まで勤めてきた学校には,ほとんど存在していたし,それに従って,指示命令系統がはっきりしていた。だから,事件・事故が起きたときは,より迅速な対応だったと思う。
しかし,最近,すべての学校に存在しているのかという疑問を持つようになった。あるいは,存在していても全くその内容を無視した命令・指示がされている可能性がある。
今まで,マニュアル作りをしたことがある自分にとって,危機管理を誰が,どう行動するのかさえはっきりしない現実があるとすれば,いったい何のために作ってきたのか。
全く違った形で例を挙げれば,数日前の集中豪雨と同じで,避難勧告は出ていても伝わらない。伝える方法が明示されていないか,担当者の勝手な判断がある。私は,学校も同じだなと思いながら,ニュースを見ていた。名古屋市は,松原市長が,このことについてのコメントを出していた。じゃあ,学校の危機管理がうまくいかなかったら,誰が正そうとするんだろう。とても不思議に思う事である。
1つ言えることは,学校が組織的な動きをしていないと言うことでもある。どうしてそうなっているのか。考えていくべき事でもある。
2008年8月30日土曜日
24時間テレビ始まる!
今年も24時間テレビが始まった。この番組に今は亡き教え子のことが取り上げられたことがある。世の中には,いろんなハンディを持っている人がいる。そして,それを支えている人たちもいる。そんな事に気づかせてくれる番組である。
今,私たちは,「人の心」を考えない言動があふれている中で生きている。学校内でも,そういう声を聞くことがある。その多くは,家庭での保護者の態度に影響を受けている。子ども達だけが悪いんじゃなくて,その周りが,悪い部分を修正できずに来ていることが問題なんだと思う。
「心の教育」とかいう言葉が使われた。これは,学校だけでやる事ではなく,毎日の生活の中で学んでいく,あるいは,教えていくべきことなんだと思っている。まずは,大人だよ。大人が,見本とまではいかなくても,子どもに誇れる行動を目指すことだと思う。
不正に教員を採用したり,汚職をしたり,力で弱者を脅したり,お金第一で人の命を軽んじた仕事をやらせたり・・・。こんな時代で,子どもに「人の心」を教えようなんて,無理に近い。ただ,唯一,できるとすれば,一番身近にいる大人なんだろうな。そんな大人でありたい。
今,私たちは,「人の心」を考えない言動があふれている中で生きている。学校内でも,そういう声を聞くことがある。その多くは,家庭での保護者の態度に影響を受けている。子ども達だけが悪いんじゃなくて,その周りが,悪い部分を修正できずに来ていることが問題なんだと思う。
「心の教育」とかいう言葉が使われた。これは,学校だけでやる事ではなく,毎日の生活の中で学んでいく,あるいは,教えていくべきことなんだと思っている。まずは,大人だよ。大人が,見本とまではいかなくても,子どもに誇れる行動を目指すことだと思う。
不正に教員を採用したり,汚職をしたり,力で弱者を脅したり,お金第一で人の命を軽んじた仕事をやらせたり・・・。こんな時代で,子どもに「人の心」を教えようなんて,無理に近い。ただ,唯一,できるとすれば,一番身近にいる大人なんだろうな。そんな大人でありたい。
2008年8月29日金曜日
豪雨だった!
昨日から今朝にかけての集中豪雨は,以前経験した「東海豪雨」を思い出させるほどだった。あの時は,勤務先にいくのに,約2時間かかった。着いたら,何と,休校になっていて・・・。
昨日は,家の前の道も川のような流れで,これ以上増水すると,まずいなと思ったが,何とかそれ以上にはならなかった。朝,見てみると,いろんなゴミがあちこちにあった。
たぶん,どこからか流されてきたんだろう。ちょうど今日,ゴミの収集日だったので,前日から出した人がいたようで,そのゴミが袋ごといくつもあった。田んぼの中までは片づけられなかったが,手の届く範囲の袋は,家の前まで持ってきて置いた。
中には,木材も流されたり,駐車場の段差に使う部品も数多く流されてあったが,邪魔にならない場所に置くだけはしておいた。
今回は,三河地方がひどいようだ。東海豪雨は,名古屋の西側に大きな被害をもたらした。これも,温暖化との関係があるんだろうか。日本全国あちこちで起きている。ちょっと,多すぎるような気がする。
昨日は,家の前の道も川のような流れで,これ以上増水すると,まずいなと思ったが,何とかそれ以上にはならなかった。朝,見てみると,いろんなゴミがあちこちにあった。
たぶん,どこからか流されてきたんだろう。ちょうど今日,ゴミの収集日だったので,前日から出した人がいたようで,そのゴミが袋ごといくつもあった。田んぼの中までは片づけられなかったが,手の届く範囲の袋は,家の前まで持ってきて置いた。
中には,木材も流されたり,駐車場の段差に使う部品も数多く流されてあったが,邪魔にならない場所に置くだけはしておいた。
今回は,三河地方がひどいようだ。東海豪雨は,名古屋の西側に大きな被害をもたらした。これも,温暖化との関係があるんだろうか。日本全国あちこちで起きている。ちょっと,多すぎるような気がする。
2008年8月24日日曜日
オリンピック最終日に・・・
北京五輪も今日で最終日。多くの場面で心動かされる場面があり,何かに一生懸命取り組む人間の素晴らしさを感じた。多くの場合,小さい頃から始め,オリンピックの場でそれを完成させようとしているように思う。
しかし,今,学校教育の場で,スポーツに対して,今,私たちがオリンピックで活躍するような選手が出てくるような組織になっているかと言えば,とてもそうだとは言えない。
例えば,中学・高校では,部活動だが,どれだけの指導者がいるのか。指導者と言えなくても,そのスポーツを知っている人が顧問になっているのか。私は,今までにも,新規採用された人に,全くやったこともない運動部を任せると言うことは当たり前のように行われている。試合後に「審判をお願いします」と言われ,「ルールもよくしらないので・・・」と断る場面もみている。
また,3年間頑張って指導してきて,試合と教育委員会の研修が重なったとき,ある校長は,試合に行けと良い,ある校長は,研修に欠席するなんて何事だと言う。全く,校長によっても理解に違いがある。ましてや,教育委員会主催の大会が研修日と重なる。調べればすぐわかるのに・・・・。
「日本選手が上位に入らないと,何やってるんだ!」と思う人がいるかも知れない。私は,決してそう思わない。今の日本の教育の中で,「オリンピックに出られた」と言うことの素晴らしさを感じる。
また,教員の中に,休みなく部活動の指導を熱心にやっている人たちがいる。盆と正月くらいが休みの人もいる。しかし,これは,あくまで,学校教育の中にはっきりと位置づけがされているような文章はあっても現実とは違う。でも,そこで,ケガやトラブルが起きれば,責任の追及にあう。授業後に,会議があれば,顧問不在となるため,練習はできない。こんな現実の中で,奮闘している事は,なかなか知られていない。学校が部活動をやるのが当然で,やらない学校は熱心でない学校と決めつける保護者も多い。
私は,以前,学校に部活動がないスポーツをしている子のために,臨時の顧問として,全国大会に何度も付き添ったことがある。スポーツクラブのコーチから,「ありがとうございます。学校によっては,出場の印鑑さえ押してくれない学校もあるんです」と言われた。こういう人たちに,支えられて,スポーツをやっている子達もいる。
勝った負けたで,今,日本は,一喜一憂しているが,子ども達のスポーツについて,本当に,どういう方向に持って行くのかを真剣に考えてもらいたい。
しかし,今,学校教育の場で,スポーツに対して,今,私たちがオリンピックで活躍するような選手が出てくるような組織になっているかと言えば,とてもそうだとは言えない。
例えば,中学・高校では,部活動だが,どれだけの指導者がいるのか。指導者と言えなくても,そのスポーツを知っている人が顧問になっているのか。私は,今までにも,新規採用された人に,全くやったこともない運動部を任せると言うことは当たり前のように行われている。試合後に「審判をお願いします」と言われ,「ルールもよくしらないので・・・」と断る場面もみている。
また,3年間頑張って指導してきて,試合と教育委員会の研修が重なったとき,ある校長は,試合に行けと良い,ある校長は,研修に欠席するなんて何事だと言う。全く,校長によっても理解に違いがある。ましてや,教育委員会主催の大会が研修日と重なる。調べればすぐわかるのに・・・・。
「日本選手が上位に入らないと,何やってるんだ!」と思う人がいるかも知れない。私は,決してそう思わない。今の日本の教育の中で,「オリンピックに出られた」と言うことの素晴らしさを感じる。
また,教員の中に,休みなく部活動の指導を熱心にやっている人たちがいる。盆と正月くらいが休みの人もいる。しかし,これは,あくまで,学校教育の中にはっきりと位置づけがされているような文章はあっても現実とは違う。でも,そこで,ケガやトラブルが起きれば,責任の追及にあう。授業後に,会議があれば,顧問不在となるため,練習はできない。こんな現実の中で,奮闘している事は,なかなか知られていない。学校が部活動をやるのが当然で,やらない学校は熱心でない学校と決めつける保護者も多い。
私は,以前,学校に部活動がないスポーツをしている子のために,臨時の顧問として,全国大会に何度も付き添ったことがある。スポーツクラブのコーチから,「ありがとうございます。学校によっては,出場の印鑑さえ押してくれない学校もあるんです」と言われた。こういう人たちに,支えられて,スポーツをやっている子達もいる。
勝った負けたで,今,日本は,一喜一憂しているが,子ども達のスポーツについて,本当に,どういう方向に持って行くのかを真剣に考えてもらいたい。
2008年8月23日土曜日
人間ドックの結果
今日,人間ドックの結果表が届いた。毎年,増えていく「問題項目」。今年も増えていた。幸いメタボリックシンドロームとやらは,私には無縁のようだ。
少し書くと,胃にポリープ,肺に柵状紋?,肝臓の数値異常等々。年齢と共に,増えていくが,12ヶ月後に再度検査という状態である。
今年の一番の変化は,体重で,7キロ減っていた。やっぱり,体がきついんだよなとつくづく思った。もともと強い体の持ち主ではないので,結構辛い。今までもそうとう大変な学校に勤めていて,そろそろゆっくりできるかと思っていたのに,50歳を超えて,大変な勤務先へ行けと言うんだから,「人として」扱われないんだよね。悲しいものである。
数学で言うと,退職までに,せめて平均になるようにしてもらいたい。
少し書くと,胃にポリープ,肺に柵状紋?,肝臓の数値異常等々。年齢と共に,増えていくが,12ヶ月後に再度検査という状態である。
今年の一番の変化は,体重で,7キロ減っていた。やっぱり,体がきついんだよなとつくづく思った。もともと強い体の持ち主ではないので,結構辛い。今までもそうとう大変な学校に勤めていて,そろそろゆっくりできるかと思っていたのに,50歳を超えて,大変な勤務先へ行けと言うんだから,「人として」扱われないんだよね。悲しいものである。
数学で言うと,退職までに,せめて平均になるようにしてもらいたい。
2008年8月22日金曜日
「有朋自遠方来 不亦楽 」
今日は,私の体調不良を心配した以前の勤務校の人たちが,食事会を開いてくれた。これには,私もうれしさいっぱいであった。今では,体調も良く,以前とほとんど変わらないが,調子が悪かった頃は,本当に,誰かと話したいなと思うこともあった。
やはり,仲が良かった人たちと話をすると,「生きてるな!」と思う。これが,「生きる」って事だなと思う。そんな大切な友たちに感謝である。
いろんな話が出たが,学校と言うところは,職員間の雰囲気が,学校を変えるという部分では,全く同じ思いの人たちばかりだった。学校をどう良くするのかという質問の1つの答えは,これだなと思った。まだまだ,自分は,数ヶ月の勤務だから,もう少し様子を見るが,学校を運営する立場の人たちは,ここに,1つのヒントがあることに気がついてほしい。
「馬鹿笑いばかりして明るいから良いなという雰囲気じゃない」ことだけはわかっていると思うけど・・・。
やはり,仲が良かった人たちと話をすると,「生きてるな!」と思う。これが,「生きる」って事だなと思う。そんな大切な友たちに感謝である。
いろんな話が出たが,学校と言うところは,職員間の雰囲気が,学校を変えるという部分では,全く同じ思いの人たちばかりだった。学校をどう良くするのかという質問の1つの答えは,これだなと思った。まだまだ,自分は,数ヶ月の勤務だから,もう少し様子を見るが,学校を運営する立場の人たちは,ここに,1つのヒントがあることに気がついてほしい。
「馬鹿笑いばかりして明るいから良いなという雰囲気じゃない」ことだけはわかっていると思うけど・・・。
2008年8月20日水曜日
ブラックサンダー?
今日,コンビニに行くと,同じ商品が大量に並べてあった。名前は,「ブラックサンダー」というチョコレートのようだ。あまりに,スペースが大きかったので気になった。
家に帰って,子どもに聞くと,北京五輪と関係があるという。ある体操選手がこの「菓子」を食べていたという情報から,コンビニにも置いたようだ。しかし,その数は,尋常じゃない。ただ,私が見る限り,そんなに急激に売れているようには見えなかったのだが・・・。
不思議なもので,影響力のある人たちの一言で,動いてしまう私たち。なぜか,早速私も買いに行って,その味を確かめたのである。値段も安く,味も結構おいしかった。これは,売れるかも・・・。
たわいもない話だったかな。これだけ,オリンピックを見ていない証拠かも知れない。
家に帰って,子どもに聞くと,北京五輪と関係があるという。ある体操選手がこの「菓子」を食べていたという情報から,コンビニにも置いたようだ。しかし,その数は,尋常じゃない。ただ,私が見る限り,そんなに急激に売れているようには見えなかったのだが・・・。
不思議なもので,影響力のある人たちの一言で,動いてしまう私たち。なぜか,早速私も買いに行って,その味を確かめたのである。値段も安く,味も結構おいしかった。これは,売れるかも・・・。
たわいもない話だったかな。これだけ,オリンピックを見ていない証拠かも知れない。
2008年8月6日水曜日
ゲリラ豪雨!で思うこと。
今日は,雷雨と共に大雨となった。名古屋は,連日猛暑だったが,今日は,一休みとなり,エアコンも夕方でスイッチをとめた。
また,夕方から,涼しい風が部屋に入ってくるようになり,本当に気持ちがよい風を感じている。
今年は,と言うか,最近,ゲリラ豪雨という言葉を耳にする機会が増えた。あちこちで,突然の大雨である。地球温暖化との関係も指摘されている。人間の「心」の変化と共に地球環境も変化している。この両方とも「悪い方向」に向いているような気がする。
今,人間らしく生きると言うことを考える時期にきているような気がする。子ども達にそれを教えていくのが,私たち大人の責任のように思える。
また,夕方から,涼しい風が部屋に入ってくるようになり,本当に気持ちがよい風を感じている。
今年は,と言うか,最近,ゲリラ豪雨という言葉を耳にする機会が増えた。あちこちで,突然の大雨である。地球温暖化との関係も指摘されている。人間の「心」の変化と共に地球環境も変化している。この両方とも「悪い方向」に向いているような気がする。
今,人間らしく生きると言うことを考える時期にきているような気がする。子ども達にそれを教えていくのが,私たち大人の責任のように思える。
2008年8月3日日曜日
やっぱり,変わってきたような気がする。
子ども達が変わってきたような気がする。それは,すべての子どもというのではなく,徐々に増えてきたいるような気がする。
まず,対人関係をうまく構築できない。忍耐力がない等,目に見える形もあるが,ある人が,最近の若者は,「自分の感情を伝えるのに,今までだと,面と向かって相手の表情を見て,お互いが伝え合った。しかし,今,それが苦手な子が増えた。驚くことに,面と向かって感情を伝えられないが,本来不可能かとも思える『携帯電話』ならできる」と言った。
これは,人間関係の構築にどう影響をしていくのだろうか。携帯電話の是非が問われるが,やはり,小さい頃からの使用は,子ども達に悪い影響を与えてしまう危険があることを大人は知っておくべきだろう。
文字だけで,感情が伝わる。これもある部分では可能かも知れない。でも,顔を合わせたときにそれができないとなると,もはや,人と人との関係は,どうなってしまうだろうか。心配である。
つい先日も,中学校3年の女子が父親を殺害した事件があった。自分の気持ちを伝える手段を知らなかったのかも知れない。また,それを関知する力も大人になかったのかも知れない。いずれにしても,今,私たちは,子ども達に何を教えることを優先すべきなんだろうか。
これだけ,若者による事件が多くなり,しかも,通常では考えにくい事件が増えている。学校や大人は,もっともっと,子ども達の成長に目を向けるべきではないだろうか。まだ,少ない内に・・・。
まず,対人関係をうまく構築できない。忍耐力がない等,目に見える形もあるが,ある人が,最近の若者は,「自分の感情を伝えるのに,今までだと,面と向かって相手の表情を見て,お互いが伝え合った。しかし,今,それが苦手な子が増えた。驚くことに,面と向かって感情を伝えられないが,本来不可能かとも思える『携帯電話』ならできる」と言った。
これは,人間関係の構築にどう影響をしていくのだろうか。携帯電話の是非が問われるが,やはり,小さい頃からの使用は,子ども達に悪い影響を与えてしまう危険があることを大人は知っておくべきだろう。
文字だけで,感情が伝わる。これもある部分では可能かも知れない。でも,顔を合わせたときにそれができないとなると,もはや,人と人との関係は,どうなってしまうだろうか。心配である。
つい先日も,中学校3年の女子が父親を殺害した事件があった。自分の気持ちを伝える手段を知らなかったのかも知れない。また,それを関知する力も大人になかったのかも知れない。いずれにしても,今,私たちは,子ども達に何を教えることを優先すべきなんだろうか。
これだけ,若者による事件が多くなり,しかも,通常では考えにくい事件が増えている。学校や大人は,もっともっと,子ども達の成長に目を向けるべきではないだろうか。まだ,少ない内に・・・。
2008年7月25日金曜日
研修会で思うこと!
今日の午後,ある研修会に行った。こういう研修会へ行くたび,また,校内での会議でも思うことがある。それは,時間通りに始まらないと言うことである。
案の定,今回も,「定刻になりましたが,しばらくお待ちください」というアナウンスがあった。その時,まだ,人の出入りがあったからだろう。しかし,ほとんどの人は,時間を守って来ているわけで,理由なく遅れた人を待っている姿勢は,私は間違っていると思う。
ただ,去年出た研修会は,人が動いていようが,「定刻になりましたので始めます」という一言で,研修会が引き締まった会となった。これが本当の姿だと思う。授業に遅刻した生徒を,どう指導しているんだろうか。遅れた人たちは,自問自答してほしいものだ。
ただ,何かアクシデントがあって遅れるなら,その理由によっては仕方がないと思う。しかし,自分の時間の読みの間違いで遅刻をした人に合わせるような形で会を遅らせるのは,私は間違っていると思う。時間を守ろうとこの暑い中,遅れそうなので走ってきた人だっているんだから・・・。
以前勤めていた学校では,学校内での会議は,人がいなかろうが,『始めてください』とよく言った。何度か繰り返すうち,時間を守って会が始まるようになった。確かに,事情もある。だから,それは,仕方がない。要は,時間を守ろうという姿勢に欠けた人がいる事実が問題だし,それを許す主催者も問題だと思う。
私は,保護者会でも同様の対応をしてきた。時間通りに始めた。例え,保護者が少なくても・・・。以前,生徒と同席の保護者会でも同様の対応をしたとき,生徒から「さすが,先生,いつも通りだったね。お母さん達が遅れていたから,待っているち思っていたから驚いたよ。」と言われた。生徒は,入学後から,このやり方が「普通」の事なんだと指導してきた甲斐があったと感じたのを思い出す。
案の定,今回も,「定刻になりましたが,しばらくお待ちください」というアナウンスがあった。その時,まだ,人の出入りがあったからだろう。しかし,ほとんどの人は,時間を守って来ているわけで,理由なく遅れた人を待っている姿勢は,私は間違っていると思う。
ただ,去年出た研修会は,人が動いていようが,「定刻になりましたので始めます」という一言で,研修会が引き締まった会となった。これが本当の姿だと思う。授業に遅刻した生徒を,どう指導しているんだろうか。遅れた人たちは,自問自答してほしいものだ。
ただ,何かアクシデントがあって遅れるなら,その理由によっては仕方がないと思う。しかし,自分の時間の読みの間違いで遅刻をした人に合わせるような形で会を遅らせるのは,私は間違っていると思う。時間を守ろうとこの暑い中,遅れそうなので走ってきた人だっているんだから・・・。
以前勤めていた学校では,学校内での会議は,人がいなかろうが,『始めてください』とよく言った。何度か繰り返すうち,時間を守って会が始まるようになった。確かに,事情もある。だから,それは,仕方がない。要は,時間を守ろうという姿勢に欠けた人がいる事実が問題だし,それを許す主催者も問題だと思う。
私は,保護者会でも同様の対応をしてきた。時間通りに始めた。例え,保護者が少なくても・・・。以前,生徒と同席の保護者会でも同様の対応をしたとき,生徒から「さすが,先生,いつも通りだったね。お母さん達が遅れていたから,待っているち思っていたから驚いたよ。」と言われた。生徒は,入学後から,このやり方が「普通」の事なんだと指導してきた甲斐があったと感じたのを思い出す。
2008年7月23日水曜日
本当に「公平」にやろうよ。
教員採用試験での不正に端を発して,各地で「合否」の事前連絡をしていた問題が起きている。こういう問題は,過去にも多く報道されている。
もう,いい加減「公平」によろうよ。と言いたい。これは,教頭・校長・教育委員会人事でも同じ事である。一番は,やはり,人の上に立つ人の人選からだと思う。今までのしがらみを断ちきって,リーダーシップを発揮できる人を中心に組織を作り直す覚悟がいると思う。
「何々になるには,何々をしないとなれない」というような組織ではいけない。実力のある人が,公平な立場で,物事を判断し,それに横やりを入れる人たちを公表していくシステムがいるのかも知れない。これは,学校再生のためにも必要なことだと思う。
今までにも,多くの先輩達で,素晴らしい力を持っていながら,昇進をせず,退職をしていった人がいた。直接教育委員会の人が見られないのだから,この人の力をどう判断するのか。こういう事を考えたことが過去にあった。
子ども達に,「ずるい大人」を見せてしまう現代。ずるくないと自分の思う職業にも就けないかも・・・。コネがないとどんなに頑張っても,不利益をこうむる可能性があると思う子ども達。しかも,学校で言えば,学校に対して指導監督する立場の人たちの行為。これで,こどもに「真面目にやろうよ」と言っている私たち。何か,空しさを感じてしまう。
どこかで,「先生もお金を渡したの?」と聞かれたとあったが,すべての人に,この言葉を真剣に考えていくべきだろう。もし,そういう人たちが,今もいるなら,一度,解散をしてやり直すべき組織になってしまっていると思うのは,大げさすぎるだろうか。
もう,いい加減「公平」によろうよ。と言いたい。これは,教頭・校長・教育委員会人事でも同じ事である。一番は,やはり,人の上に立つ人の人選からだと思う。今までのしがらみを断ちきって,リーダーシップを発揮できる人を中心に組織を作り直す覚悟がいると思う。
「何々になるには,何々をしないとなれない」というような組織ではいけない。実力のある人が,公平な立場で,物事を判断し,それに横やりを入れる人たちを公表していくシステムがいるのかも知れない。これは,学校再生のためにも必要なことだと思う。
今までにも,多くの先輩達で,素晴らしい力を持っていながら,昇進をせず,退職をしていった人がいた。直接教育委員会の人が見られないのだから,この人の力をどう判断するのか。こういう事を考えたことが過去にあった。
子ども達に,「ずるい大人」を見せてしまう現代。ずるくないと自分の思う職業にも就けないかも・・・。コネがないとどんなに頑張っても,不利益をこうむる可能性があると思う子ども達。しかも,学校で言えば,学校に対して指導監督する立場の人たちの行為。これで,こどもに「真面目にやろうよ」と言っている私たち。何か,空しさを感じてしまう。
どこかで,「先生もお金を渡したの?」と聞かれたとあったが,すべての人に,この言葉を真剣に考えていくべきだろう。もし,そういう人たちが,今もいるなら,一度,解散をしてやり直すべき組織になってしまっていると思うのは,大げさすぎるだろうか。
2008年7月22日火曜日
愛知県が事前連絡を訂正!
昨年度の職員採用試験で合否を結果発表の前日に伝えていたことを22日、明らかにした愛知県。県議や国会議員の秘書らからの「受験しているから、教えてもらえんか」という要請に抗しきれず、人事委員会事務局の山田保次長は長年、特別扱いしてきた事実を認めた。
要請者に合否を電話連絡したのは、翌日に張り出す合格者掲示板を作り終え、発送する通知書も整えた前日夕方。「合格者はすべて確定した」として、当時の池田全(たもつ)局長と山田次長の2人が受話器を手にしたという。
山田次長によると、2000年ごろ、いったん全庁的に事前の合否連絡を廃したことがあった。ところが、日ごろから付き合いのある県議らの要請を断り切れず、「圧力といえば圧力」と感じ、数年前から復活した。
同事務局はこれまで報道陣からの問い合わせに「事前の合否連絡はなかった」と回答してきた。山田次長は「かかわっていたのは私と局長。部下は知らずに、報道陣に『やっていない』と答えた」と説明。だが、その後に取材に応じていた山田次長も同様の回答をしていた。
山田次長は「部下が最初に答えてしまったため、そう答えるよう事務局で統一してしまった」と釈明し、陳謝した。
21日、大久保裕司局長と山田次長が県庁で対応策を協議。ウソをついたままではまずいと判断し、22日朝に神田真秋知事へ事実を報告した。
愛知県の職員採用試験の合否発表を事前に伝えていた件で,当初,「していない」としていた愛知県は,「していた」と訂正をした。恥ずかしい事だ。
しかも,当事者の一人は,それを知っていて,「今更」訂正をした。ばれなければ,それで良いとでも思ったのか。職員の不祥事があったとき,県は,どう対応するか。それを考えているべき者の訂正では,いったいどうなっているのかと思ってしまう。隠し事が,まだまだあるんじゃないかと世間に対して疑いを持たせてしまった。
採用には,不正はないと信じるが,「圧力に負けた」との新聞記事を見ると,「本当に?」となるのが世の中である。十分に反省をすると共に,そういう人が,人事担当者にいることじたい,寂しい話である。代々続いていたのかも知れないが,それを改革できない組織だったということになる。それが,行政改革を声高に言えるんだろうか。まずは,足元から改革。
2008年7月19日土曜日
教員採用試験!
大分県での教員採用に関しての不正が大きく報道されている。他の県でも,合否の通知を他の受検者より早く教えたりという,考えてみれば不公平な事が行われていた。残念ながら私の地域でもあったとの報道がされた。
こんな事を書くと,誤解されるが,何年も講師として頑張っている人がいる。何度かの採用試験に不合格となって,今年も挑戦している。しかし,新卒で採用されてきた人と比べて,どこがどうダメだったのかがわかりにくい。点数にあらわれる部分はいいが,面接などの評価がどうなっているのかはよくわからないのも事実である。
その職業でもそうだが,その人の人柄を一瞬で判断するのは難しい。教員だってそうだと思う。面接をする側の力量が問われているのかも知れない。
私が,今の制度で採用試験を受けたら不合格だろうなと思う。なぜなら,教師になってから,出会った多くの先輩の先生に指導を受け,素晴らしい指導力を持った校長・教頭から育てて頂いたからである。受験当時は,実践力はゼロに等しかったと思うのである。自分の周りもそうだったような気がする。でも,その仲間も今は,立派な校長や教頭として頑張っている。採用が間違っていなかったからだと思う。今の採用方法と何が違っていたんだろうか。
こんな事を書くと,誤解されるが,何年も講師として頑張っている人がいる。何度かの採用試験に不合格となって,今年も挑戦している。しかし,新卒で採用されてきた人と比べて,どこがどうダメだったのかがわかりにくい。点数にあらわれる部分はいいが,面接などの評価がどうなっているのかはよくわからないのも事実である。
その職業でもそうだが,その人の人柄を一瞬で判断するのは難しい。教員だってそうだと思う。面接をする側の力量が問われているのかも知れない。
私が,今の制度で採用試験を受けたら不合格だろうなと思う。なぜなら,教師になってから,出会った多くの先輩の先生に指導を受け,素晴らしい指導力を持った校長・教頭から育てて頂いたからである。受験当時は,実践力はゼロに等しかったと思うのである。自分の周りもそうだったような気がする。でも,その仲間も今は,立派な校長や教頭として頑張っている。採用が間違っていなかったからだと思う。今の採用方法と何が違っていたんだろうか。
2008年7月18日金曜日
「ほっ」としたのかな。
今日は,1学期の終業式だった。今家に帰って「ほっ」としているが,気がゆるんだのか,ちょっと調子がよくない。それとも,暑さにやられたのかも知れない。
いずれにしても,当初考えた最悪の状態ではなく,最後まで勤められたことはありがたいと感じた。周りの手助けに,本当に助けられた。これが,なかったら,途中で,ダウンということもあったと思う。思い出すと数回,ものすごく調子の悪い日があったのを思い出す。
明日から,ちょとだけ,余裕ができる。この期間に何とか,元どおりの自分に戻れるようにしたい。今思うことは,人生って,本当にわからない。いろんな事が起きるんだということを実感することになった1学期であった。
いずれにしても,当初考えた最悪の状態ではなく,最後まで勤められたことはありがたいと感じた。周りの手助けに,本当に助けられた。これが,なかったら,途中で,ダウンということもあったと思う。思い出すと数回,ものすごく調子の悪い日があったのを思い出す。
明日から,ちょとだけ,余裕ができる。この期間に何とか,元どおりの自分に戻れるようにしたい。今思うことは,人生って,本当にわからない。いろんな事が起きるんだということを実感することになった1学期であった。
2008年7月15日火曜日
一通の手紙が届く!
今日,私宛に手紙が届いた。差出人は,女性で,彼女が新卒時代に一緒に働いた。とにかく,驚いたという内容で,確かに私が,長期で体調不良になるなんてあり得ないと思っていたようだ。たぶん,この彼女と一緒にやっていた頃の方が,今の状況より,はるかに大変だったから・・・。
今回の件で,一番感じたのは,年齢である。これくらいやったって,大丈夫だという範囲がとても狭くなったように思う。まあ,愚痴になるが,一つ前の学校から,体力不足を感じていたのも事実である。去年の修学旅行で,2日くらい徹夜したって,何とかなったのに,初めて体調不良となり,少々他のメンバーに迷惑をかけた。また,一昨年,野外学習へ行く途中のバスによった。こんな事は,この時まで全くなかった。
やっぱり,適材適所だなと感じている。若い頃できたことと同じ事が,50歳を超えた今,できると思っていても,現実としてできないことがあるという事実。悲しいが,認めざるを得ない現実なのかも知れない。これを,教えたのが今回の体調不良なんだろう。
今回の件で,一番感じたのは,年齢である。これくらいやったって,大丈夫だという範囲がとても狭くなったように思う。まあ,愚痴になるが,一つ前の学校から,体力不足を感じていたのも事実である。去年の修学旅行で,2日くらい徹夜したって,何とかなったのに,初めて体調不良となり,少々他のメンバーに迷惑をかけた。また,一昨年,野外学習へ行く途中のバスによった。こんな事は,この時まで全くなかった。
やっぱり,適材適所だなと感じている。若い頃できたことと同じ事が,50歳を超えた今,できると思っていても,現実としてできないことがあるという事実。悲しいが,認めざるを得ない現実なのかも知れない。これを,教えたのが今回の体調不良なんだろう。
2008年7月13日日曜日
何という「暑さ」!
今朝はそれほどでもなかったが,日中どんどん気温が上がり,35℃を超えたという。確かに,我が家もほぼ全員がぐったり。さすがにエアコンのお世話になった。
一坪ほどの庭に,トマトとキュウリ,そして枝豆の苗を植えてあるのだが,どれもしおれかかっている様子。夕方に水をまいた。
こんな中で,学校は授業を行う。自分たちの頃は,この時期に授業をやるのは当然だったが,最近は,「暑い,暑い」という生徒が増えた。それは,家では快適な部屋で生活をし,学校では,せまい教室に40人も集まってエアコンなして授業をするのだから,暑いのは当然である。
「我慢しろ」と言いながら,噴き出る汗を拭きながらの授業である。最近,高校が,PTAが要望したという形でエアコンが設置される学校が増えた。エアコン生活に慣れた子ども達に,エアコンなしで6時間やれと言うのは,無理な気もする。以前,全教室にエアコンを設置しますと言った政治家がいたが,あの話はどうなったんだろう。
ノートを書く子ども達を見ていると,自分の汗で,ぬれているノートに必死で書いている。まあ,昔の発想で,「修行」と考えられなくもない。
一坪ほどの庭に,トマトとキュウリ,そして枝豆の苗を植えてあるのだが,どれもしおれかかっている様子。夕方に水をまいた。
こんな中で,学校は授業を行う。自分たちの頃は,この時期に授業をやるのは当然だったが,最近は,「暑い,暑い」という生徒が増えた。それは,家では快適な部屋で生活をし,学校では,せまい教室に40人も集まってエアコンなして授業をするのだから,暑いのは当然である。
「我慢しろ」と言いながら,噴き出る汗を拭きながらの授業である。最近,高校が,PTAが要望したという形でエアコンが設置される学校が増えた。エアコン生活に慣れた子ども達に,エアコンなしで6時間やれと言うのは,無理な気もする。以前,全教室にエアコンを設置しますと言った政治家がいたが,あの話はどうなったんだろう。
ノートを書く子ども達を見ていると,自分の汗で,ぬれているノートに必死で書いている。まあ,昔の発想で,「修行」と考えられなくもない。
2008年7月12日土曜日
教師に正当防衛は成立するのか?
文部科学省は,平成19年2月5日、初等中等教育局長名で『問題行動を起こす児童生徒に対する指導について』通知を出している。以下の通りである。
(6) なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。
また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
また、児童生徒が学習を怠り、喧騒その他の行為により他の児童生徒の学習を妨げるような場合には、他の児童生徒の学習上の妨害を排除し教室内の秩序を維持するため、必要な間、やむを得ず教室外に退去させることは懲戒に当たらず、教育上必要な措置として差し支えない。
としている。文科省の言っている意味が各学校に周知徹底されていくことを切に願うのである。この通知後にある校長に指摘をしたら,知らなかったという事もあり,驚いたこともあった。詳しくは,「杉田荘治」の考えを確認してみると良いかも知れない。
(6) なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。
また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
また、児童生徒が学習を怠り、喧騒その他の行為により他の児童生徒の学習を妨げるような場合には、他の児童生徒の学習上の妨害を排除し教室内の秩序を維持するため、必要な間、やむを得ず教室外に退去させることは懲戒に当たらず、教育上必要な措置として差し支えない。
としている。文科省の言っている意味が各学校に周知徹底されていくことを切に願うのである。この通知後にある校長に指摘をしたら,知らなかったという事もあり,驚いたこともあった。詳しくは,「杉田荘治」の考えを確認してみると良いかも知れない。
問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)
数年前,文科省から「タイトルのような通知」<18文科初第1019号>が出されている。一部掲載していみる。
もうだいぶ前の話だが,指導が後手に回って,学校だけで抱え込んでいて,とうとう「機動隊」の要請をする事態にまでなった経験から,心配でならない。
略この通知をどう受け止めていくのか。十分考えて良い文章だと思う。私のクラスの子の一部から,授業がきちんとできていないとの指摘もある。さらに、学校の秩序を破壊し、他の児童生徒の学習を妨げる暴力行為に対しては、児童生徒が安心して学べる環境を確保するため、適切な措置を講じることが必要です。 このため、教育委員会及び学校は、問題行動が実際に起こったときには、十分な教育的配慮のもと、現行法制度下において採り得る措置である出席停止や懲戒等の措置も含め、毅然とした対応をとり、教育現場を安心できるものとしていただきたいと考えます。 この目的を達成するため、各教育委員会及び学校は、下記事項に留意の上、問題行動を起こす児童生徒に対し、毅然とした指導を行うようお願いします。
(1)
出席停止は、懲戒行為ではなく、学校の秩序を維持し、他の児童生徒の教育を受ける権利を保障するために採られる措置であり、各市町村教育委員会及び学校は、このような制度の趣旨を十分理解し、日頃から規範意識を育む指導やきめ細かな教育相談等を粘り強く行う。
(2)
学校がこのような指導を継続してもなお改善が見られず、いじめや暴力行為など問題行動を繰り返す児童生徒に対し、正常な教育環境を回復するため必要と認める場合には、市町村教育委員会は、出席停止制度の措置を採ることをためらわずに検討する。
もうだいぶ前の話だが,指導が後手に回って,学校だけで抱え込んでいて,とうとう「機動隊」の要請をする事態にまでなった経験から,心配でならない。
2008年7月10日木曜日
大分県の教員採用試験!
不正が行われた採用試験。自分も同じ職業を選んだ者として,「噂」を聞いたことはある。でも,まさか,そういう事はないんだろうなとも思っていた。しかし,現実に起きたことだとすると,他の県でも,あるんじゃないかと疑ってしまう。
教員の社会が閉鎖的と言われる所以は,昔,師範学校の卒業生がほとんどだったことで,上下関係,先輩後輩関係が強くて,引くに引けない時代があったんだと勝手に思っている。しかし,今は,多くの大学でも教員免許が与えられ,同じ条件で試験を受ける。
しかし,ここに不正があるとするなら,何のための試験なんだということになる。でも,昔から,「議員さんに頼めば・・・」とか言うことは,頻繁に言っていた時代があった。それを断るのが仕事だと言ったある県の教育長がいた。
ならば,この不正を根絶させるためには,毅然として断れる人を教育委員会のトップにすえ,その指導力で不正を根絶させるしかない。やはり,人の上に立つ人の力量が大事だ。そういう人材を見いだす力を持った人がいない地方自治体は,同じ事を繰り返すだろう。自分が,そういう道で出世してきた人が,人の上に立っていては,いけない。
教員の社会が閉鎖的と言われる所以は,昔,師範学校の卒業生がほとんどだったことで,上下関係,先輩後輩関係が強くて,引くに引けない時代があったんだと勝手に思っている。しかし,今は,多くの大学でも教員免許が与えられ,同じ条件で試験を受ける。
しかし,ここに不正があるとするなら,何のための試験なんだということになる。でも,昔から,「議員さんに頼めば・・・」とか言うことは,頻繁に言っていた時代があった。それを断るのが仕事だと言ったある県の教育長がいた。
ならば,この不正を根絶させるためには,毅然として断れる人を教育委員会のトップにすえ,その指導力で不正を根絶させるしかない。やはり,人の上に立つ人の力量が大事だ。そういう人材を見いだす力を持った人がいない地方自治体は,同じ事を繰り返すだろう。自分が,そういう道で出世してきた人が,人の上に立っていては,いけない。
先生がいると「ほっ」とする?
ある生徒の作文に「先生が教室の前に立つとほっとする」という内容が書いてあった。ちょっと気になったので,書いた子にいろんな事を聞いた。例えば,1年生の時や2年生の時のことなど・・・。
そこで,何か,今の状況を変えていけるヒントがないだろうかと考えた。まだまだ,自分なりの分析をしなければならないが,1つ思い当たる事もある。
今,なぜ生徒は,今年から来た私に「ほっ」とするのか。私がいるからといって,傍若無人な振る舞いが起きないと言うことはない。しかし,そんな状況でも,生徒の何人かは,「ほっ」とするんだ。生徒と教師の関係。これが,今言える1つのヒントなのかも知れない。
また,不思議なことに,他のクラスの子も同じようなことを言う。これは,1・2年生と,子ども達を指導する中に「何か」忘れていることがあるのかも知れない。また,新しく来たからそう思うのかも知れない。ただ,子ども達と私たち教師側の「溝」があるとすれば,それを少しずつ埋めていくことが必要になるかも知れない。
ある子が「先生は,話しやすい」と言った。ここから,人間関係が始まるんだと思う。それは,どの生徒でも同じ。例え,問題を起こしている子でも・・・。
そこで,何か,今の状況を変えていけるヒントがないだろうかと考えた。まだまだ,自分なりの分析をしなければならないが,1つ思い当たる事もある。
今,なぜ生徒は,今年から来た私に「ほっ」とするのか。私がいるからといって,傍若無人な振る舞いが起きないと言うことはない。しかし,そんな状況でも,生徒の何人かは,「ほっ」とするんだ。生徒と教師の関係。これが,今言える1つのヒントなのかも知れない。
また,不思議なことに,他のクラスの子も同じようなことを言う。これは,1・2年生と,子ども達を指導する中に「何か」忘れていることがあるのかも知れない。また,新しく来たからそう思うのかも知れない。ただ,子ども達と私たち教師側の「溝」があるとすれば,それを少しずつ埋めていくことが必要になるかも知れない。
ある子が「先生は,話しやすい」と言った。ここから,人間関係が始まるんだと思う。それは,どの生徒でも同じ。例え,問題を起こしている子でも・・・。
2008年7月9日水曜日
相変わらず大変な学校!
授業を受けずに校内をウロウロ,そして,他教室に勝手に入って押し問答。というか,言い争い。罵声を浴びせる子ども達。こんな事が,毎時間起きている。
他の先生と話をすると,悲しくなるが,私は,6校に勤務して,こういう学校じゃなかったのは,たった1校だけで,あとの5校は,多かれ少なかれ,こういう学校だった。その中の1校では,警察の機動隊が出動したほどの学校だった。
だからこそ思うことは,以前聞いた「授業を受ける側の権利」は,どう考えるのかということである。文科省の言う「出席停止」を考える段階は,どこを基準に考えるのか。
これでは,塾に行っていない子の保護者に学校は,どう説明するのか。我が家の子ども達も塾に行かずに学校だけで頑張った。しかし,この状況で,塾に行かなくても大丈夫ですとは,とても言えない。そんな現状。
ところで,我が子が,小学校5年の時,学級崩壊をしているという噂が広まり,土曜日に開かれた授業参観に私も出かけたことがある。1学級に,何と先生が3人,そして教務主任の合計4人で授業をしていた,それでも,勝手な行動をする子がいたり,「先生,トイレ」と言って,一人が出て行くと,次から次へと出て行くのを見て,衝撃を受けた。 大げさに言えば,何でも許されている現状。もう,どうしようもない現状。それを見た保護者は,どう感じたか。学校としては,多くの先生で頑張っていますという姿勢だろうが,明らかにずれている。
当然というか,こういう状況を見た保護者が,集団で抗議に出た。そして,目に見える形の指導が進んでいった。私は,保護者が抗議しないと,進まないというのが我慢ならない。自分の子どもの時の経験でそう思った。子どもが小学校6年生の時には,全く違った素晴らしい学年になっていた。学校が,あるいは,指導方針をしっかり持った先生のもと,1つにまとまるのが先生達の良いところだなと感じた2年であった。
今,何をすべきかを考えている。しかし,3年生に今年から入った私には,人間関係を築ききれていない子の方が多い。この中で,どうしていくのか。考え中である。
以前勤務した学校では,同じように大変だったけど,こんな方法・あんな方法を考えて実行したな。でも,この方法は,一歩間違うと,その保護者に誤解されるかも知れないと感じたこともあった。でも,そこは,校長・教頭の毅然とした態度で乗り切ったなと,今思い出している。
まだ,体調が十分でない自分が偉そうなことを言うべきでないことは十分わかっている。もうちょっとエネルギーを貯めてから行動かな。
他の先生と話をすると,悲しくなるが,私は,6校に勤務して,こういう学校じゃなかったのは,たった1校だけで,あとの5校は,多かれ少なかれ,こういう学校だった。その中の1校では,警察の機動隊が出動したほどの学校だった。
だからこそ思うことは,以前聞いた「授業を受ける側の権利」は,どう考えるのかということである。文科省の言う「出席停止」を考える段階は,どこを基準に考えるのか。
これでは,塾に行っていない子の保護者に学校は,どう説明するのか。我が家の子ども達も塾に行かずに学校だけで頑張った。しかし,この状況で,塾に行かなくても大丈夫ですとは,とても言えない。そんな現状。
ところで,我が子が,小学校5年の時,学級崩壊をしているという噂が広まり,土曜日に開かれた授業参観に私も出かけたことがある。1学級に,何と先生が3人,そして教務主任の合計4人で授業をしていた,それでも,勝手な行動をする子がいたり,「先生,トイレ」と言って,一人が出て行くと,次から次へと出て行くのを見て,衝撃を受けた。 大げさに言えば,何でも許されている現状。もう,どうしようもない現状。それを見た保護者は,どう感じたか。学校としては,多くの先生で頑張っていますという姿勢だろうが,明らかにずれている。
当然というか,こういう状況を見た保護者が,集団で抗議に出た。そして,目に見える形の指導が進んでいった。私は,保護者が抗議しないと,進まないというのが我慢ならない。自分の子どもの時の経験でそう思った。子どもが小学校6年生の時には,全く違った素晴らしい学年になっていた。学校が,あるいは,指導方針をしっかり持った先生のもと,1つにまとまるのが先生達の良いところだなと感じた2年であった。
今,何をすべきかを考えている。しかし,3年生に今年から入った私には,人間関係を築ききれていない子の方が多い。この中で,どうしていくのか。考え中である。
以前勤務した学校では,同じように大変だったけど,こんな方法・あんな方法を考えて実行したな。でも,この方法は,一歩間違うと,その保護者に誤解されるかも知れないと感じたこともあった。でも,そこは,校長・教頭の毅然とした態度で乗り切ったなと,今思い出している。
まだ,体調が十分でない自分が偉そうなことを言うべきでないことは十分わかっている。もうちょっとエネルギーを貯めてから行動かな。
2008年7月8日火曜日
ピースボートで世界へ・・・。
娘の同級生が,今,ピースボートで世界の旅に出ている。今日,その様子が絵はがきで届いた。中学校からの親友で,一度,オーストラリアにも2人でホームステイに行った仲である。
はがきに書いてある内容を聞いて,一人旅の素晴らしさ,そして,世界に目を向ける斬新な心は,本当に今の若者に必要な事に思えた。
はがきに書いてある内容を聞いて,一人旅の素晴らしさ,そして,世界に目を向ける斬新な心は,本当に今の若者に必要な事に思えた。
2008年7月7日月曜日
食事ができる喜び!
「当たり前のこと」,例えば,食事。朝・昼・夕と3度の食事。しかし,しばらく,食欲が全くないという時期があった。食べられるような気がしても,少し口に入れると,もういい。そんな日々があった。
今,食事の量は,はるかに減ったが,食べられるようになってきた。最初は,薬を飲むために食べているような感じがしたが,今は,ごくごく普通の食事である。
不思議な物で,食欲がない頃は,味を感じないというか,おいしいとかまずいという感覚を失ったようになるが,今は,普通である。体重も下げ止まった感じである。
「当たり前」この言葉を,これほど,重要な言葉だと初めて知った。「当たり前」に生きることがいかに幸せなことか。
ところで,今日集会が外であったが,暑さのせいもあるだろうが,クラクラした。もう数ヶ月,外に長い間出ていないからだろう。しばらく,調子が悪く,1時間ほどで,元に戻った。体力不足を感じたのである。
今,食事の量は,はるかに減ったが,食べられるようになってきた。最初は,薬を飲むために食べているような感じがしたが,今は,ごくごく普通の食事である。
不思議な物で,食欲がない頃は,味を感じないというか,おいしいとかまずいという感覚を失ったようになるが,今は,普通である。体重も下げ止まった感じである。
「当たり前」この言葉を,これほど,重要な言葉だと初めて知った。「当たり前」に生きることがいかに幸せなことか。
ところで,今日集会が外であったが,暑さのせいもあるだろうが,クラクラした。もう数ヶ月,外に長い間出ていないからだろう。しばらく,調子が悪く,1時間ほどで,元に戻った。体力不足を感じたのである。
2008年7月6日日曜日
近所の医者急死!
この地に来てから,就職・結婚・子育てといろいろあったが,ずっと病気やケガではお世話になった同じ町内の医者が急死したとの回覧がきた。とにかく驚いた。年齢としては,私とほとんど変わらないし,子どもも我が家よりは小さい子がいる。
また,私の母もお世話になり,入院の手配や面会まで来てくれる地域に密着した医者だった。母の調子が悪くなり,入院間際には,電話を夜かけてきて,様子を聞くようなそんな医者だった。死因はわからないが,とにかく驚きであった。
年齢を重ねれば,こういうリスクも増すだろう。でも,早すぎないかと思う。せめて,子どもが成人するまでは見てあげたい。それが親としての気持ちだろう。私も,体調が悪くて,このままでは,どうなるのか心配な日々が続いたが,今は,何とか,2人の子どもが成人するまでは,自分の目で見届けたいと切に願う。
今回亡くなった近所のお医者さん,本当に無念だっただろうな。
また,私の母もお世話になり,入院の手配や面会まで来てくれる地域に密着した医者だった。母の調子が悪くなり,入院間際には,電話を夜かけてきて,様子を聞くようなそんな医者だった。死因はわからないが,とにかく驚きであった。
年齢を重ねれば,こういうリスクも増すだろう。でも,早すぎないかと思う。せめて,子どもが成人するまでは見てあげたい。それが親としての気持ちだろう。私も,体調が悪くて,このままでは,どうなるのか心配な日々が続いたが,今は,何とか,2人の子どもが成人するまでは,自分の目で見届けたいと切に願う。
今回亡くなった近所のお医者さん,本当に無念だっただろうな。
2008年7月5日土曜日
暑い!
昨日から,名古屋は,とくかく暑い。33℃を超え,エアコンがほしい。我が家もとうとう,今年初めてエアコンの使用に踏み切った。 いつもなら,我慢・我慢という私も,今年は,体調が万全でないこともあって,早々とエアコンの使用となった。疲れやすくなってしまったので,横になる時間が多い。でも,ちょうど良い温度になると,うとうとできる。とにかく,医者に言わせれば休養が大事と言うことで,寝てばかりの一日である。
ところで,エアコンを入れる前,室内に置いてある温度計は,33℃だった。特に,2回は,34℃を超え,1カ所に家族が集まっている。まあ,これは,これで,良いのかと思っている。
ところで,エアコンを入れる前,室内に置いてある温度計は,33℃だった。特に,2回は,34℃を超え,1カ所に家族が集まっている。まあ,これは,これで,良いのかと思っている。
2008年7月4日金曜日
教え子からもメール!
体調を崩してから,教え子からもメールをもらった。短いメールの中に「温かさ」を感じた。学校の先生って良いなと思う瞬間でもある。もう,結婚をしたり,子どもが中学生になった教え子もいる。そういう教え子達から,励ましを受けて,もうちょっと頑張ろうかと思うのである。
また,具体的にアドバイスをくれる子もいて,嬉しいことが続いた。
また,具体的にアドバイスをくれる子もいて,嬉しいことが続いた。
温かい言葉に支えられれ・・・
今週は,今まででは,調子が一番良かった。途中,「あれっ」という感じはあったが,何とか乗り切った感じである。
また,校長・教頭両先生には,温かい言葉や配慮をいただき,こうやって勤務できたことを嬉しく思っている。多くの人に支えられて生きている自分を再認識した。以前にも書いたことがあるが,自分の「力」だけを信じて学校の仕事をしていたような自分が,ちょっと違う自分を見つけたような気がする。
ただ,多くの人に迷惑をかけていることは事実で,何とか,体力が元に戻ってほしいと常に思っている。やはり,まだ,仕事が終わって家に帰ると,横にならないといけない状態は,まだ何日かはある。体力が回復して,何とか,その恩返しがしたいなと思う。
今の状態をどうやって,改善していくか。子ども達とどう接していくのか。あるいは,学校としての指導体制をどうしていくのか。考えていくことが山ほど浮かぶ。その1つでもできると良いなと夢を見ているのである。
また,校長・教頭両先生には,温かい言葉や配慮をいただき,こうやって勤務できたことを嬉しく思っている。多くの人に支えられて生きている自分を再認識した。以前にも書いたことがあるが,自分の「力」だけを信じて学校の仕事をしていたような自分が,ちょっと違う自分を見つけたような気がする。
ただ,多くの人に迷惑をかけていることは事実で,何とか,体力が元に戻ってほしいと常に思っている。やはり,まだ,仕事が終わって家に帰ると,横にならないといけない状態は,まだ何日かはある。体力が回復して,何とか,その恩返しがしたいなと思う。
今の状態をどうやって,改善していくか。子ども達とどう接していくのか。あるいは,学校としての指導体制をどうしていくのか。考えていくことが山ほど浮かぶ。その1つでもできると良いなと夢を見ているのである。
2008年7月1日火曜日
2008年6月30日月曜日
意外な人からメール,でも嬉しかった!
今日,ある方からメールをもらった。私の体調不良を含めて心配をかけてしまった。この人とは一緒の学校に勤務したことがあるが,本当に,年下の私が言うのも失礼だが,人間味ある方で,私の心に残る一人である。
特に,生徒指導が大変だったときの対応は,いまだにいくつも思い出すことがある。私たちは,安心して職務に専念した。ユーモアもあって,笑いの絶えない職場でもあった。
普通なら(と言うのも変ですが)私のような者に,メールを出すような立場の方でないにも関わらず,一時期同じ職場だったことで,心配をしてくださったことに,本当に涙が出た。こういう人と,また,働きたいと思った。
私は,どちらかというと,評価が両極端だと言われる。「良いやつ」と言ってくださる方と「扱いにくいやつ」という方と・・・。わざわざ嫌われようと思ってやっているんじゃないけれど,自分の思いが正しいと思ったときは,一生懸命になりすぎるのかも知れない。
こういう私を,上手に使ってもらえた人からのメールであった。ありがとうございました。
特に,生徒指導が大変だったときの対応は,いまだにいくつも思い出すことがある。私たちは,安心して職務に専念した。ユーモアもあって,笑いの絶えない職場でもあった。
普通なら(と言うのも変ですが)私のような者に,メールを出すような立場の方でないにも関わらず,一時期同じ職場だったことで,心配をしてくださったことに,本当に涙が出た。こういう人と,また,働きたいと思った。
私は,どちらかというと,評価が両極端だと言われる。「良いやつ」と言ってくださる方と「扱いにくいやつ」という方と・・・。わざわざ嫌われようと思ってやっているんじゃないけれど,自分の思いが正しいと思ったときは,一生懸命になりすぎるのかも知れない。
こういう私を,上手に使ってもらえた人からのメールであった。ありがとうございました。
2008年6月28日土曜日
人の温かさにふれた。
体調を崩して1ヶ月。人の温かさを十分に感じました。前任校を始め,多くの方から,心配のメッセージをもらいました。また,直接家まで来てくださった方もみえました。 ただ,体調が悪いときと言うのは,話す時間が異常に長く感じられ,大変失礼をしたなと反省しています。
職場でも,一部の職員が十分過ぎるくらいの気遣いをしてくれました。今まで,自分はいつも対局にいたというか,常に助けてもらうなんて考えていなかった部分が多かったことに気がついたのです。かっこうよく言えば,人を助ける側にいたような気になっていました。
本当に,「心優しい」人。自分もなれると良いなと思います。体験して始めて気付いたことがいっぱいです。まだまだ,ベストとは言えませんが,以前の自分に戻っていっているのが自分でもわかります。
今までにも,体調を崩して休まれた方がいました。本当に辛かったんだろうなと思います。それに気付いただけでも自分は,よかったと思うのです。
職場でも,一部の職員が十分過ぎるくらいの気遣いをしてくれました。今まで,自分はいつも対局にいたというか,常に助けてもらうなんて考えていなかった部分が多かったことに気がついたのです。かっこうよく言えば,人を助ける側にいたような気になっていました。
本当に,「心優しい」人。自分もなれると良いなと思います。体験して始めて気付いたことがいっぱいです。まだまだ,ベストとは言えませんが,以前の自分に戻っていっているのが自分でもわかります。
今までにも,体調を崩して休まれた方がいました。本当に辛かったんだろうなと思います。それに気付いただけでも自分は,よかったと思うのです。
2008年6月27日金曜日
2008年6月2日月曜日
2008年4月26日土曜日
教え子,大相撲の番付表に載る!
今年3月に卒業した教え子が,大相撲五月場所の「番付表」に載った。連絡を受けてすぐに,日本相撲協会のページで確認した。何か,とても嬉しい。今場所も頑張って,少しでも上を目指してほしいものだ。
2008年4月25日金曜日
物が壊れていく・・・
始業式後,毎日のように校内で物が壊されている。今日は,自分のクラスの「掃除道具入れ」の扉が壊され,スイッチ類はカバーがへこまされている。また,ドアは,蹴破られる寸前である。火災報知器のカバーははずされてなくなっている。今日は,植木鉢も割られてあったという。 また,傘が何本も外に壊されて放り投げてある。壊された保護者に何と説明をし,謝罪をするのか。
以前には,トイレの鏡が粉々に・・・。また,手洗い場の洗剤入れもすでに破壊されている。
こういう事が毎日起きていて,だんだん,自分が鈍感になってきているように思い,いけないと思いなおす。しかし,学校全体として,何もアクションがない・・・。前からいる先生達にとっては,何も驚くことでもなく,日常茶飯事の事で,感覚が麻痺してしまったのだろうか。私は,むなしい思いで,子ども達が帰った後,教室で掃除道具入れの扉を修理した。 何も修理することが嫌なのではなく,また,同じ事が繰り返されるのは間違いないからだ。
以前いた学校で同様のことが起きたときとは,全く違う様子に戸惑っている。なぜなら,20年ほど前の事だから・・・。時代が変わったのか。こういう事は,仕方がないという時代になったのか。私は,そんなはずはないと思う。当時の管理職は,こういう状態をしっかりと把握し,善後策を指示した。
その後に勤めた学校で,今回と同じような対応をした管理職がいた。言うまでもなく,どんどん学校で破壊される物が増えていった。そして,新聞でも大々的に問題行動で報道される結果となった。だから,今,もう遅いかもしれないけど対応しておく必要があると思う。 こういう教訓がなぜいかされないのか。疑問でしかない。勝手な想像をすれば,こういう話をすることが,教育委員会の中ではタブーで,問題行動が多い学校の評価につながってしまうんじゃないかと思ってしまう。
今年,かわったばかりの私は,何をどうしていいのか・・・。
以前には,トイレの鏡が粉々に・・・。また,手洗い場の洗剤入れもすでに破壊されている。
こういう事が毎日起きていて,だんだん,自分が鈍感になってきているように思い,いけないと思いなおす。しかし,学校全体として,何もアクションがない・・・。前からいる先生達にとっては,何も驚くことでもなく,日常茶飯事の事で,感覚が麻痺してしまったのだろうか。私は,むなしい思いで,子ども達が帰った後,教室で掃除道具入れの扉を修理した。 何も修理することが嫌なのではなく,また,同じ事が繰り返されるのは間違いないからだ。
以前いた学校で同様のことが起きたときとは,全く違う様子に戸惑っている。なぜなら,20年ほど前の事だから・・・。時代が変わったのか。こういう事は,仕方がないという時代になったのか。私は,そんなはずはないと思う。当時の管理職は,こういう状態をしっかりと把握し,善後策を指示した。
その後に勤めた学校で,今回と同じような対応をした管理職がいた。言うまでもなく,どんどん学校で破壊される物が増えていった。そして,新聞でも大々的に問題行動で報道される結果となった。だから,今,もう遅いかもしれないけど対応しておく必要があると思う。 こういう教訓がなぜいかされないのか。疑問でしかない。勝手な想像をすれば,こういう話をすることが,教育委員会の中ではタブーで,問題行動が多い学校の評価につながってしまうんじゃないかと思ってしまう。
今年,かわったばかりの私は,何をどうしていいのか・・・。
2008年4月23日水曜日
1日20分←イスに座った時間
今日,どれくらい職員室でイスに座れるかをはかってみた。何とその時間は,8時間の連続勤務で「たった20分弱」であった。こういう状況が,すでに3週間過ぎた。たぶん,他の学年職員も同様だろう。
私の今日の一日
・朝8時10分→教室へ行く。
・8時25分→生徒を廊下から教室に入れる(すぐには入らない)。押し問答が続く。
・8時25分~50分→廊下で,出てくる生徒の指導。
・授業のない時間は,廊下。
・放課は,各階段(他の学年にいってしまうため)
・昼食→教室や廊下で勝手な行動をする生徒の指導。弁当は,ほとんど食べていない。
・6時間目が終わる→すぐに教室へ,教室に入れる指導。
・下校時→門で対応。運動場で部活動のじゃまをしている生徒の指導。
やっとイスに座れたのは,4時05分。やれやれ,これが今日の私である。
これって当然なんだろうか。昼食もちゃんと座って食べられず,約8時間連続勤務。これが,今後続いていけば,どうなるんだろう。50歳を超えた私には,辛い。どこかに相談しないといけないかなと思う。
私の今日の一日
・朝8時10分→教室へ行く。
・8時25分→生徒を廊下から教室に入れる(すぐには入らない)。押し問答が続く。
・8時25分~50分→廊下で,出てくる生徒の指導。
・授業のない時間は,廊下。
・放課は,各階段(他の学年にいってしまうため)
・昼食→教室や廊下で勝手な行動をする生徒の指導。弁当は,ほとんど食べていない。
・6時間目が終わる→すぐに教室へ,教室に入れる指導。
・下校時→門で対応。運動場で部活動のじゃまをしている生徒の指導。
やっとイスに座れたのは,4時05分。やれやれ,これが今日の私である。
これって当然なんだろうか。昼食もちゃんと座って食べられず,約8時間連続勤務。これが,今後続いていけば,どうなるんだろう。50歳を超えた私には,辛い。どこかに相談しないといけないかなと思う。
よく似てる・・・。だから早く。
実は,今の学校の状態が,以前いた学校に非常によく似ている。校長判断の甘さから,どんどん問題はエスカレートし,新聞にも何度も報道される事態となった。それに似ている。私は,何で,こういう教訓がいかされないのか疑問である。たぶん,自分の学校とは関係ないという考えの人が多いんだろう。
だから,教育委員会があるんじゃないだろうか。こういう状況が続けばどうなるのかを把握できる立場なんだ。だから,早く対応をすべきである。指導監督できる立場は,ここしかないんだ。きちんと,現状を報告しているんだろうか。もし,報告しているのにこの状況だとすれば,全く指導監督できていない。
ここには,書けないが,もう,すでに,生徒指導の本によれば,第●段階なんだ。気づいていないはずがない。でも,放置はないでしょう。
また,自分でできないなら,経験豊かな人に援助してもらえば良いじゃないだろうか。一人の判断の甘さから,学校を悪くするのはよくない。だって,大半の子ども達は,きちんと生活しているんだよ。誰が矢面に立つの?生徒は,先生でも親は,誰が矢面に立って学校の立場を言明できるの?何を恐れているの?私が最初に意見を言ったときの対応で,これがすべてだと感じた。意見は聞き入れられなかった。
今でも思い出す教頭や校長がいる。間違っている親を叱りつけたり,こどもの指導方法を具体的に教えたり・・・。これができる人とできない人。私は,あの人たちにすぐに,学校に来てほしいと願っている。とくに,定年退職している2人の元校長先生には,アドバイスがほしいと思う。 一人は,今,幼稚園の園長先生だが,毎日が大変ではあったが,常に一緒に生徒指導をした。もう一人は,大学にいっていると思うが,とにかくトップダウンというタイプで,親を指導するのがとても上手だった。当然,学校は,徐々に立ち直ったのは言うまでもない。
すぐは,問題が解決しないだろうけれど,必ず学校の指導方針を立て直し,教職員にやる気を出させる方法を示すだろう。
だから,教育委員会があるんじゃないだろうか。こういう状況が続けばどうなるのかを把握できる立場なんだ。だから,早く対応をすべきである。指導監督できる立場は,ここしかないんだ。きちんと,現状を報告しているんだろうか。もし,報告しているのにこの状況だとすれば,全く指導監督できていない。
ここには,書けないが,もう,すでに,生徒指導の本によれば,第●段階なんだ。気づいていないはずがない。でも,放置はないでしょう。
また,自分でできないなら,経験豊かな人に援助してもらえば良いじゃないだろうか。一人の判断の甘さから,学校を悪くするのはよくない。だって,大半の子ども達は,きちんと生活しているんだよ。誰が矢面に立つの?生徒は,先生でも親は,誰が矢面に立って学校の立場を言明できるの?何を恐れているの?私が最初に意見を言ったときの対応で,これがすべてだと感じた。意見は聞き入れられなかった。
今でも思い出す教頭や校長がいる。間違っている親を叱りつけたり,こどもの指導方法を具体的に教えたり・・・。これができる人とできない人。私は,あの人たちにすぐに,学校に来てほしいと願っている。とくに,定年退職している2人の元校長先生には,アドバイスがほしいと思う。 一人は,今,幼稚園の園長先生だが,毎日が大変ではあったが,常に一緒に生徒指導をした。もう一人は,大学にいっていると思うが,とにかくトップダウンというタイプで,親を指導するのがとても上手だった。当然,学校は,徐々に立ち直ったのは言うまでもない。
すぐは,問題が解決しないだろうけれど,必ず学校の指導方針を立て直し,教職員にやる気を出させる方法を示すだろう。
2008年4月22日火曜日
人として見ていない・・・。
文部科学省ですら「正当防衛」に言及する時代に,それすら「やめてほしい」という校長がいる。私たちには,殴られてから対応しますと言うことだ。うがった考え方をすれば,生徒防衛が認められそうな事態でも教師さえ手を出していなければ,自分の身には何も起こらない。もし,教師が手を出したら,自分が説明しなければならない。こんな話を平然とできるとは・・・。私たち教師を,人として認めていないと思えてならない。
20年ほど前,校内暴力吹き荒れる頃,名古屋市内のある中学校の教頭は,「生徒も大事だが,限度を超えれば,私は,教師を守る責任もある。」とのコメントが新聞に掲載された。この言葉に私は,心打たれた。この人の元で働いてみたいと思ったのを覚えている。残念ながら,この人は若くしてなくなった。教員組合でも頑張っていた人だったと記憶している。やはり,人の上に立つ人は,リーダーとしての資質があるんだ。 そうじゃなきゃいけないんだ。人の上に立つ人は・・・。
今,荒れた学校は,自分の学校がどんな状況かを把握しているんだろうか。私は,疑問を持っている。このままいけば,どうなるのかも想像するのは簡単である。にも関わらず,放置し続ける方針?に,あきれている。ひょっとして,どうしていいのかわからないなんて事は,ないと思うが・・・。 わたしでも,いくつか考えられる。
何度も書いてきたが,立ち直るのに時間がかかる学校が,まさに,こういう状態であるのを何度も見てきた。私の,思い違いなら良いんだが,どうも日に日に,私の思ったとおりになってきている。早期対応に失敗しているんだから,これ以上遅らせたらだめなんだ。何度も失敗してきた学校を見ているから,焦っている。
20年ほど前,校内暴力吹き荒れる頃,名古屋市内のある中学校の教頭は,「生徒も大事だが,限度を超えれば,私は,教師を守る責任もある。」とのコメントが新聞に掲載された。この言葉に私は,心打たれた。この人の元で働いてみたいと思ったのを覚えている。残念ながら,この人は若くしてなくなった。教員組合でも頑張っていた人だったと記憶している。やはり,人の上に立つ人は,リーダーとしての資質があるんだ。 そうじゃなきゃいけないんだ。人の上に立つ人は・・・。
今,荒れた学校は,自分の学校がどんな状況かを把握しているんだろうか。私は,疑問を持っている。このままいけば,どうなるのかも想像するのは簡単である。にも関わらず,放置し続ける方針?に,あきれている。ひょっとして,どうしていいのかわからないなんて事は,ないと思うが・・・。 わたしでも,いくつか考えられる。
何度も書いてきたが,立ち直るのに時間がかかる学校が,まさに,こういう状態であるのを何度も見てきた。私の,思い違いなら良いんだが,どうも日に日に,私の思ったとおりになってきている。早期対応に失敗しているんだから,これ以上遅らせたらだめなんだ。何度も失敗してきた学校を見ているから,焦っている。
2008年4月20日日曜日
不信感!
今,自分自身,いろんな事に「不信感」を持ってしまう。約30年の教員生活を振り返ってそう思う。最近起こることすべてに「不信感」がある。
くれない族とでも言おうか・・・。ここまで,頑張ってきたのに,何が残ったのか。生徒指導でも常に矢面に立ってきたのは,いったい何だったのか。人が嫌だという仕事をやってきたのは,いったい何だったのか。死ぬまでこき使われるのだろうか。
なぜ,教育委員会は,頑張りを評価しないのか。都合よく使うことだけしか考えていないのか。評価したから,こうしていると言うかも知れない。とんでもない間違いである。
しかし,当然と言えば,当然なのかも知れない。でも,血の通った生身の人間を育てていく仕事を司る立場の人間に血の通った事ができなければ,それは,教育を語る資格がないと思えてならない。子どもは,物じゃない。当然,教員だって物じゃない。こんな当たり前のことができない事に,憤りを通り越して,悲しい気持ちになる。
こういう気持ちになった自分が悲しい。でも,これは,事実だ。今まで,頑張ってきたのは,それに見合う努力をした校長がいたからだと思える。ここ数年,そう思うことはない。正しく人を評価し,学校経営ができる能力を持った人が教育委員会や校長にいなくなったのか。教育を語れる人がいなくなってしまったのか。今後また,名古屋の中学校は,荒れ始めるだろう。そんな気がする。以前,中学校が荒れたときの状態に似ているから・・・。事なかれ主義の産物は,何だったのか。また,歴史は繰り返すんだろう。わかっているのに,なぜ同じ轍を踏むの?その時代を知らない若い教師に誰が,伝えるんだろう。
やはり,戦うしかないのか・・・。また,若かった時のように戦う姿勢をよみがえらせなければならないのか。まさか,この歳になって,こんなことになるとは思ってもみなかった。変わらない者達と戦う。そうせざるを得ないのか。そうしろと言われているのか。自分には,よくわからない。
くれない族とでも言おうか・・・。ここまで,頑張ってきたのに,何が残ったのか。生徒指導でも常に矢面に立ってきたのは,いったい何だったのか。人が嫌だという仕事をやってきたのは,いったい何だったのか。死ぬまでこき使われるのだろうか。
なぜ,教育委員会は,頑張りを評価しないのか。都合よく使うことだけしか考えていないのか。評価したから,こうしていると言うかも知れない。とんでもない間違いである。
しかし,当然と言えば,当然なのかも知れない。でも,血の通った生身の人間を育てていく仕事を司る立場の人間に血の通った事ができなければ,それは,教育を語る資格がないと思えてならない。子どもは,物じゃない。当然,教員だって物じゃない。こんな当たり前のことができない事に,憤りを通り越して,悲しい気持ちになる。
こういう気持ちになった自分が悲しい。でも,これは,事実だ。今まで,頑張ってきたのは,それに見合う努力をした校長がいたからだと思える。ここ数年,そう思うことはない。正しく人を評価し,学校経営ができる能力を持った人が教育委員会や校長にいなくなったのか。教育を語れる人がいなくなってしまったのか。今後また,名古屋の中学校は,荒れ始めるだろう。そんな気がする。以前,中学校が荒れたときの状態に似ているから・・・。事なかれ主義の産物は,何だったのか。また,歴史は繰り返すんだろう。わかっているのに,なぜ同じ轍を踏むの?その時代を知らない若い教師に誰が,伝えるんだろう。
やはり,戦うしかないのか・・・。また,若かった時のように戦う姿勢をよみがえらせなければならないのか。まさか,この歳になって,こんなことになるとは思ってもみなかった。変わらない者達と戦う。そうせざるを得ないのか。そうしろと言われているのか。自分には,よくわからない。
旧知の友より電話!
もう20年も前に出会った人から電話がかかった。いろんな話をして,2時間近くも話をした。自分でもびっくりする長さだった。私の話を聞いて,いろいろと心配をしてくれた。やはり,持つべきものは友だな。一緒に,とても苦しい時代を過ごした人である。今,学校は,どうなっているのか。なぜ,動こうとしないのかなど・・・。20年前と同じ過ちをおかそうとしていないか。そんな話になった。
さて,最近,自分の将来というか,これからの生活を考える事が多くなった。子ども達もそれなりに成長し,手をかけることも少なくなった。そんな今,残りの人生の過ごし方を考える時期になったのかも知れない。これといって,具体的な話はないが,いろいろとやってみたいことは多い。それを考えながら数年間を過ごすんだろう。
今,我が家の小さな庭に「トマト」と「きゅうり」が植えてある。ここ数年,毎年植えている。今年は,どんなできばえか,楽しみにしている。歳をとるというのは,こういう事に身が入ると言うことかも知れない。
さて,最近,自分の将来というか,これからの生活を考える事が多くなった。子ども達もそれなりに成長し,手をかけることも少なくなった。そんな今,残りの人生の過ごし方を考える時期になったのかも知れない。これといって,具体的な話はないが,いろいろとやってみたいことは多い。それを考えながら数年間を過ごすんだろう。
今,我が家の小さな庭に「トマト」と「きゅうり」が植えてある。ここ数年,毎年植えている。今年は,どんなできばえか,楽しみにしている。歳をとるというのは,こういう事に身が入ると言うことかも知れない。
2008年4月19日土曜日
昼まで寝ても・・・
今日は,昼頃までベッドで寝ていた。起きられないほど体が疲れている。今,職場で,イスに座れるのは,子ども達が帰ってしばらくした3時過ぎである。それまで,ほとんどイスに座ることはない。
放課中・昼食時は,廊下で監視をしなければならず,授業のない時間も廊下で見ている。前にも書いたが,以前にもこういう経験をしたが,なにせ,その頃は,若かった。今,50歳を超え,体にこたえる。
また,愚痴を書くが,だから,今回の転任希望で始めて自分の意見を出したんだ。今までできたというのも若かったのであって,今,こうして年齢を重ねると,無理なこともある。大変だった当時は,30代の職員ばかりで頑張っていた。その中に私がついて行けるはずもない。
同じ事を当然のように要求される毎日。若い人たちには,わからないだろう。自分も若い頃は,そうだったから・・・。だから,年齢構成を含めて,適材適所じゃないんだろうか。自分の経験が活かせる学校はある。1つ前の学校でもそういう立場で頑張れたと思う。逆戻りをしている感じがしてならない。こういう人事をくむ人の気が知れない。荒れる中学校時代は,こんな人事の組み方をしたら,学校は,明らかに崩れていく。当たり前のことだ。それが,わからない人がいるのが意外であるし驚きである。
放課中・昼食時は,廊下で監視をしなければならず,授業のない時間も廊下で見ている。前にも書いたが,以前にもこういう経験をしたが,なにせ,その頃は,若かった。今,50歳を超え,体にこたえる。
また,愚痴を書くが,だから,今回の転任希望で始めて自分の意見を出したんだ。今までできたというのも若かったのであって,今,こうして年齢を重ねると,無理なこともある。大変だった当時は,30代の職員ばかりで頑張っていた。その中に私がついて行けるはずもない。
同じ事を当然のように要求される毎日。若い人たちには,わからないだろう。自分も若い頃は,そうだったから・・・。だから,年齢構成を含めて,適材適所じゃないんだろうか。自分の経験が活かせる学校はある。1つ前の学校でもそういう立場で頑張れたと思う。逆戻りをしている感じがしてならない。こういう人事をくむ人の気が知れない。荒れる中学校時代は,こんな人事の組み方をしたら,学校は,明らかに崩れていく。当たり前のことだ。それが,わからない人がいるのが意外であるし驚きである。
2008年4月18日金曜日
何も語らない?
新しい学校へ行って,2週間。この学校の状態は,とてもひどい状況である。しかし,いろんな事が毎日起きているのに,毎日いつもと同じである。一度として,指導的な立場の人の話はない。
たぶん,感覚が麻痺しているか,どうしていいのかわからないのか。後者であるはずがないとすれば,感覚が麻痺しているとしか言えない。誰が見ても大変な状況。これが毎日当たり前のように続いている。何の対応策もないとは思えないが,その対応ができない理由はあるんだろうか。
私は,この状況にどうしてもついて行けない。リーダーは,こういうとき,何をすべきかを語るべきだと思う。なぜ,何も語らないんですか?
たぶん,感覚が麻痺しているか,どうしていいのかわからないのか。後者であるはずがないとすれば,感覚が麻痺しているとしか言えない。誰が見ても大変な状況。これが毎日当たり前のように続いている。何の対応策もないとは思えないが,その対応ができない理由はあるんだろうか。
私は,この状況にどうしてもついて行けない。リーダーは,こういうとき,何をすべきかを語るべきだと思う。なぜ,何も語らないんですか?
2008年4月13日日曜日
2008年4月12日土曜日
息子と同級生!
今年高校に入学した息子のクラスに去年の私の教え子がいて,すでに,話をしたらしい。何か,すぐにばれたらしく,「○○先生の息子さんなの?」ということになったという。どんな話をしたのかまでは教えてくれないが,何となく良い感じで話ができたらしい。
実は,上の子の時も同じように,自分の受け持った学年と自分の娘が同じ学年で,今回と同じ事があった。何か,親としては,どんな話をしたのかが妙に気になる。 ただ,この2学年とも,自信を持って育てた子達である。きっと,私のやり方を十分理解し,その良さを感じ取ってくれていると信じている。
さて,こうやって,子ども達は,どんどん成長していく。それにつれて,自分はと言うと,何となくだが,成長が止まるだけではなく,後退していくような感覚になる。子ども達から,その若さをもらい,頑張らないといけないかな。
実は,上の子の時も同じように,自分の受け持った学年と自分の娘が同じ学年で,今回と同じ事があった。何か,親としては,どんな話をしたのかが妙に気になる。 ただ,この2学年とも,自信を持って育てた子達である。きっと,私のやり方を十分理解し,その良さを感じ取ってくれていると信じている。
さて,こうやって,子ども達は,どんどん成長していく。それにつれて,自分はと言うと,何となくだが,成長が止まるだけではなく,後退していくような感覚になる。子ども達から,その若さをもらい,頑張らないといけないかな。
2008年4月11日金曜日
いつ,昼食を食べるのか・・。
今,私は,昼食を食べられるのは生徒が帰ったあと。午後2時を超える。毎日が,こうだと,体力がいつまで続くのか不安になる。こういう現状をどう認識しているのか。職員の様子を見ても何の反応もない校長。下手すると,こういう現状すら知らないかも知れない。 一度,学校を建て直した先輩校長に聞いたらいいのにと思う。 私なら,今すぐに思い出す人が,3人はいる。
ただ,今までも,こういう学校はあった。でも,今ほど,怒りに近い感覚になったことはない。考えてみると,これほどの現状にもかかわらず,転任してきた教員を一人担任として2学級も配置する感覚。全く何の説明もなく・・・。とにかく,驚きの人事である。
私は,自分の学年が大変になったこともある。しかし,その時でも,新しく赴任する先生に頼って人事を考えたことはない。それは,自分の責任だからである。
どうしても私には,こういう感覚が理解できない。これが,1年続くのは,自分の年齢からして,とても大変なことである。それも知っての配属。信じられない。
前任校から「歓送迎会」の案内が来たが,こういう状態を知って,転任させた人がいる場所に,気持ちよく行くことができるわけがない。
ただ,今までも,こういう学校はあった。でも,今ほど,怒りに近い感覚になったことはない。考えてみると,これほどの現状にもかかわらず,転任してきた教員を一人担任として2学級も配置する感覚。全く何の説明もなく・・・。とにかく,驚きの人事である。
私は,自分の学年が大変になったこともある。しかし,その時でも,新しく赴任する先生に頼って人事を考えたことはない。それは,自分の責任だからである。
どうしても私には,こういう感覚が理解できない。これが,1年続くのは,自分の年齢からして,とても大変なことである。それも知っての配属。信じられない。
前任校から「歓送迎会」の案内が来たが,こういう状態を知って,転任させた人がいる場所に,気持ちよく行くことができるわけがない。
2008年4月10日木曜日
2008年4月9日水曜日
離任式にも行かず・・・。
今日は,「離任式」と言って,前任校の生徒や職員に挨拶をする日だが,私は,行かなかった。それは,3年の担任であると言うことだけでなく,あまりにひどい状況であり,たった一人でも抜けることは,他の先生達への負担がそうとう増えることになるからである。この日は,転任した先生と転任してきた先生の両方がいないのだから,手薄になるのは間違いなかった。
ただ,決断したとき,特に誰に相談するわけでもなく,自分でもびっくりするくらい,あっさりしていたように思う。まあ,一言であえば,「それどころでないんだよ」と言うこと。ただ,生徒に最後の言いたいことがあったので,その事だけは残念である。
ところで,この決断に気がついて声をかけてくれた人が今の学校にたった一人いた。その先生は,「先生,ご苦労様。あまりに大変だから,行かれなかったんですね。」と言った。たった一人でも気づいてくれた人がいたことが,何となく今回の自分の決断は間違っていなかったような気がした。
いずれにしても,前途多難であることは間違いない。鏡に映った髪の毛が,見る見る白くなっていた。まあ,これも,仕方がないかと思いながら,少々,腹を立てているのも事実である。この調子では,とても歓送迎会には行けないだろう。そう思わせる今回の人事異動である。あと少しになった教員生活,いったい自分の思うような転任はあるのだろうか。たぶん,一度もなく終わるんだろうな。頑張った甲斐のある事を一つくらいやってくれても良いのにね。「使い捨てじゃないんだよ」くらいの人事を一度くらいやってほしいと切に願うのである。
ただ,決断したとき,特に誰に相談するわけでもなく,自分でもびっくりするくらい,あっさりしていたように思う。まあ,一言であえば,「それどころでないんだよ」と言うこと。ただ,生徒に最後の言いたいことがあったので,その事だけは残念である。
ところで,この決断に気がついて声をかけてくれた人が今の学校にたった一人いた。その先生は,「先生,ご苦労様。あまりに大変だから,行かれなかったんですね。」と言った。たった一人でも気づいてくれた人がいたことが,何となく今回の自分の決断は間違っていなかったような気がした。
いずれにしても,前途多難であることは間違いない。鏡に映った髪の毛が,見る見る白くなっていた。まあ,これも,仕方がないかと思いながら,少々,腹を立てているのも事実である。この調子では,とても歓送迎会には行けないだろう。そう思わせる今回の人事異動である。あと少しになった教員生活,いったい自分の思うような転任はあるのだろうか。たぶん,一度もなく終わるんだろうな。頑張った甲斐のある事を一つくらいやってくれても良いのにね。「使い捨てじゃないんだよ」くらいの人事を一度くらいやってほしいと切に願うのである。
2008年4月8日火曜日
高校って,今!
高校1年生になった息子が,2・3年生が,「静かにしなさい」と先生が言っても静かにならない。ちょと静かになったらと思ったら,また勝手なことばかりやっている。と言う。今年高校を卒業した娘も「私の学校もそうだったよ」と言う。
たまたまなのか,2つの公立高校がほぼ同じ状態であることがわかった。中学校では,余程のことがない限りこういう状態はない。しかし,公立高校では,日常茶飯事なんだ。「どうして,指導を徹底させないんだろう?」という疑問を持った。
ただ,子ども達には,もっと見える部分ではない,「見えない部分を見なさい」と話した。しかし,高校は,勉強をすることろであるのは間違いないが,人間形成の一部分を担っているのではないか。
今,私は,新しい学校で,一つの方向性を出して,人間形成にプラスになる方法がないかを考え始めた。もっと,多くの教師が,中学校とか高校というのではなく,先生として,考えていくべきではないか。そこから,自主性を重んじ,自立した大人になれるのではないかと思うのである。どんなに,文字にして伝えても,伝える側が,そういう意志を持っていなければ,意味を持たない。その先頭に立つのは,学校のリーダーであることは,間違いない。
たまたまなのか,2つの公立高校がほぼ同じ状態であることがわかった。中学校では,余程のことがない限りこういう状態はない。しかし,公立高校では,日常茶飯事なんだ。「どうして,指導を徹底させないんだろう?」という疑問を持った。
ただ,子ども達には,もっと見える部分ではない,「見えない部分を見なさい」と話した。しかし,高校は,勉強をすることろであるのは間違いないが,人間形成の一部分を担っているのではないか。
今,私は,新しい学校で,一つの方向性を出して,人間形成にプラスになる方法がないかを考え始めた。もっと,多くの教師が,中学校とか高校というのではなく,先生として,考えていくべきではないか。そこから,自主性を重んじ,自立した大人になれるのではないかと思うのである。どんなに,文字にして伝えても,伝える側が,そういう意志を持っていなければ,意味を持たない。その先頭に立つのは,学校のリーダーであることは,間違いない。
2008年4月7日月曜日
これでも,始業式なの?
今日,新しい学校で始業式があった。事前に聞いていたとおり大変な式だった。ただ,それよりも何よりも,私は不思議に思うことがあった。ものすごくうるさい,勝手なことをしている中で,長々と話を続ける。ちょっと前に報道された「荒れる成人の日」の式を見るかのようだった。もう,手に負えない状況であることは,明らかだった。
そこで,ものすごく単純な疑問。「何で注意しないの?」という事だ。先生達を指導する立場の人が,あれでは,学校を再生できないんじゃないかと思った。 まだ,担任発表をされていない私は,何もできず見ているだけだった。
私の経験上,こんな場面をたくさん見た。でも,あの状態で,何もないかように話ができるという人はいなかったように思う。学校を建て直そうとした校長を何人か思い出した。
1人は,ものすごい勢いで壇上から注意をした。なぜ,今静かに聞かなければならないかを何度も説いた。2人目は,すぐに「どうしていくのか」について,先生達から意見を集約した。そして,自分が先頭に立って頑張る姿勢を見せた。3人目は,生徒をつかまえて一人一人校長室で話をした。過去もそうだが,今でも,ある中学校の校長は校門で難しい生徒を指導している。
こういう経験からして,今日の始業式はとても意外に感じたのである。
ただ,救いは,教務主任が,私の考える「校長のやるべき事」を何度もやっていた。この教務主任は,なかなかの人だと思った。まあ,この人について行っても良いかもしれない。
そこで,ものすごく単純な疑問。「何で注意しないの?」という事だ。先生達を指導する立場の人が,あれでは,学校を再生できないんじゃないかと思った。 まだ,担任発表をされていない私は,何もできず見ているだけだった。
私の経験上,こんな場面をたくさん見た。でも,あの状態で,何もないかように話ができるという人はいなかったように思う。学校を建て直そうとした校長を何人か思い出した。
1人は,ものすごい勢いで壇上から注意をした。なぜ,今静かに聞かなければならないかを何度も説いた。2人目は,すぐに「どうしていくのか」について,先生達から意見を集約した。そして,自分が先頭に立って頑張る姿勢を見せた。3人目は,生徒をつかまえて一人一人校長室で話をした。過去もそうだが,今でも,ある中学校の校長は校門で難しい生徒を指導している。
こういう経験からして,今日の始業式はとても意外に感じたのである。
ただ,救いは,教務主任が,私の考える「校長のやるべき事」を何度もやっていた。この教務主任は,なかなかの人だと思った。まあ,この人について行っても良いかもしれない。
2008年4月5日土曜日
2008年4月4日金曜日
報復人事じゃないの・・・
今日,ある人から電話があり,「おまえさ,報復人事じゃないの?」と言われた。理由は,大凡希望したところではなかった事だ。新聞を見れば,他に多くの学校があったが,希望から言えば,最後の最後,できれば,違うところという希望だった。確かに,自分は,すぐに自分が正しいと思うとすぐに意見を言う。それが,校長であろうがなかろうが・・・。そうは思いたくなくても,結果は,そう思えてしまう。
しばらく話をしていて,またも同じ話になる。「おまえは,どんなに頑張っても報われないよな。」と。たぶん,そうでない人の方が多いんだろう。私も転任については,そう思うことが多い。今までの4回の転任で,自分から希望区をただの一度も言ったことはない。すべて校長に任せてきた。中には,希望を強引に進めていく人もいるのにである。私は,今回5回目の転任で,教員生活始めて「希望」を言った。それは,残り10年を切り体力的にもそろそろ辛いと感じる事が多くなった事である。
まあ,だからといって,自分を変えることはないだろう。同じように頑張るだろう。ただ,さっきも書いたが,残すところ10年を切り,体力的に大変さをつくづく感じる。電話で,「無理しすぎるなよ。体をこわしたらもともこもないからな」と言われた。もし,そうなれば,これほど恨むことは二度と起きないだろう。約30年の教員生活でたった一度の希望も叶えられない自分。そんなたわいもない話を1時間もしてしまった。
今年は,以前見た「ハケンの品格」もどきで,勤務時間をしっかり働き,今までのように8時9時になるような仕事はしないことにする。この8時9時までやっていたことは,自分の仕事プラス他の学年職員・学校の仕事だった。わかりやすく言えば,他人の仕事だ。これだけでも減らせば,少しは,体力が持つかな。
まあ,新しい環境に,ついていけなくていろいろ考えるんだろうなとは思う。これも歳のせいかもしれない。
しばらく話をしていて,またも同じ話になる。「おまえは,どんなに頑張っても報われないよな。」と。たぶん,そうでない人の方が多いんだろう。私も転任については,そう思うことが多い。今までの4回の転任で,自分から希望区をただの一度も言ったことはない。すべて校長に任せてきた。中には,希望を強引に進めていく人もいるのにである。私は,今回5回目の転任で,教員生活始めて「希望」を言った。それは,残り10年を切り体力的にもそろそろ辛いと感じる事が多くなった事である。
まあ,だからといって,自分を変えることはないだろう。同じように頑張るだろう。ただ,さっきも書いたが,残すところ10年を切り,体力的に大変さをつくづく感じる。電話で,「無理しすぎるなよ。体をこわしたらもともこもないからな」と言われた。もし,そうなれば,これほど恨むことは二度と起きないだろう。約30年の教員生活でたった一度の希望も叶えられない自分。そんなたわいもない話を1時間もしてしまった。
今年は,以前見た「ハケンの品格」もどきで,勤務時間をしっかり働き,今までのように8時9時になるような仕事はしないことにする。この8時9時までやっていたことは,自分の仕事プラス他の学年職員・学校の仕事だった。わかりやすく言えば,他人の仕事だ。これだけでも減らせば,少しは,体力が持つかな。
まあ,新しい環境に,ついていけなくていろいろ考えるんだろうなとは思う。これも歳のせいかもしれない。
2008年4月3日木曜日
学校を建て直した校長とできなかった校長!
中学校が,学校としてうまく機能しなくなったとき,それに気づいて「建て直し」ができた校長とできなかった校長には,ある共通点があるように思う。すでに,6校に勤務し,その多くが「建て直し」が必要な学校だった。
一番に出てくるのが,最初の勤務校の校長だ。この校長のリーダーシップは,目を見張るものだった。だから,ついて行く私なんかは,できなくて思わず「悪口」を言ってしまったこともある。しかし,そんな声は,全く無視で「自分のビジョン」を常に語り,自分で進んで行動した。後に,校長会の中でトップに立ったのを思えている。「やはりな」と思った。
逆に,できなかった校長は,教科書どおりに行動していた人のように思う。「こういう場合は,こうだ」というように・・。そんなことは,教師だったら誰でも知ってる。そんなことを聞いているんじゃない。教科書に書かれていない部分を,どう伝えるかが重要なんだ。言い方を変えるなら,現場と遊離しているようなタイプ。前にもこの通信に書いたが,学校周辺でバイクが走った時「中学生が乗っているわけない」とか言って,私たちとのギャップを感じた。これ1つで判断はできないが,その後,この学校は,大変なことになっていったのは言うまでもない。
教師は,それぞれに自分の指導方法や人生観が違う。それを,それぞれの教師個人の「力」のみに頼ってできる場合とできない場合がある。その判断ができる人,これも「建て直し」ができる校長である。2校目で経験した。この校長は,私たちの指導方法に軍配を上げ,他の教師にはっきり「この方法でやるから」と伝えた。相当の反発が起きたのは言うまでもない。しかし,校長の判断は正しく,それ以後,信じられないほどの落ち着きある学校となった。私たちは,「無理かも知れない」という不安を抱きながらも校長のバックアップをもらって頑張っていった。そういう雰囲気作りが上手な校長だった。
親と一緒で,何もないときは問題ない。何か起きたときにどう行動するのかの違いが子ども達の成長に大きな影響を与えるんだと思う。良い校長に出会いたいものである。
一番に出てくるのが,最初の勤務校の校長だ。この校長のリーダーシップは,目を見張るものだった。だから,ついて行く私なんかは,できなくて思わず「悪口」を言ってしまったこともある。しかし,そんな声は,全く無視で「自分のビジョン」を常に語り,自分で進んで行動した。後に,校長会の中でトップに立ったのを思えている。「やはりな」と思った。
逆に,できなかった校長は,教科書どおりに行動していた人のように思う。「こういう場合は,こうだ」というように・・。そんなことは,教師だったら誰でも知ってる。そんなことを聞いているんじゃない。教科書に書かれていない部分を,どう伝えるかが重要なんだ。言い方を変えるなら,現場と遊離しているようなタイプ。前にもこの通信に書いたが,学校周辺でバイクが走った時「中学生が乗っているわけない」とか言って,私たちとのギャップを感じた。これ1つで判断はできないが,その後,この学校は,大変なことになっていったのは言うまでもない。
教師は,それぞれに自分の指導方法や人生観が違う。それを,それぞれの教師個人の「力」のみに頼ってできる場合とできない場合がある。その判断ができる人,これも「建て直し」ができる校長である。2校目で経験した。この校長は,私たちの指導方法に軍配を上げ,他の教師にはっきり「この方法でやるから」と伝えた。相当の反発が起きたのは言うまでもない。しかし,校長の判断は正しく,それ以後,信じられないほどの落ち着きある学校となった。私たちは,「無理かも知れない」という不安を抱きながらも校長のバックアップをもらって頑張っていった。そういう雰囲気作りが上手な校長だった。
親と一緒で,何もないときは問題ない。何か起きたときにどう行動するのかの違いが子ども達の成長に大きな影響を与えるんだと思う。良い校長に出会いたいものである。
2008年4月2日水曜日
評価してくれた人々!
新聞で私の転勤を知った保護者数名が手紙をくれた。多くが,「もう少し,学校にいてほしかった」という内容とお礼であった。お礼の中には,「先生のおかげで,息子がとても成長しました」という部分があり,頑張って良かったなと思った。卒業生の弟と妹たちを当然,担当してくれると思っていた人もいて,ちょっと申し訳なくも思う。
私たちは,その学校で必要とされているかどうかは重要な事である。もし,「必要ない」という判断があるなら,これは,進んで新天地に行くべきだろう。今年3月に卒業させた生徒を1年生から見た教師4人の内,3人が満期を待たずに学校を去る。
私たちは,その学校で必要とされているかどうかは重要な事である。もし,「必要ない」という判断があるなら,これは,進んで新天地に行くべきだろう。今年3月に卒業させた生徒を1年生から見た教師4人の内,3人が満期を待たずに学校を去る。
やっぱり都合の良い物だったと実感。
新しい学校に行き,自分の所属学年も決まった。ただ,些細な?私の希望は聞き入れられなかった。その些細な希望とは,息子の入学式に出たいというもので,こういう仕事をしていたら無理なんだが,唯一今年は,それが可能な学年があり,それを希望したが,全く連絡もなく聞き入れられなかった。
今まで30年近く,自分の子どもの入学式や卒業式には出られなかった。夫婦とも教員である宿命であるが,中には,その些細な希望が叶って自分の子どもの式に出られた人もいる。しかし,私は,とうとう聞き入れられなかった。「あいつ,ここまで頑張ったから,1つくらいは言うこと聞いてやろうか」という気持ちにならない学校。冷たいと感じている。
今回行った学校を見て,私がこの学年にいなければならない理由はない。単純なチェンジもできる状況に見える。もし,そうでないなら,なぜ,説明をしないのか。同じ給料をもらっている教員で,言うことが聞いてもらえる人と聞いてもらえない人の違いは何か。
息子の入学式次第には,「保護者と必ず同伴してください」と書いてある。親戚も近くにいない我が家は,保護者にかわる人なんかいない。結果として,同級生の保護者に頼むことにした。 約30年で始めて,学年の所属について「わがまま」を言った。たった1回。 一度くらいは,約30年間学校のために頑張ったんだから,叶えてほしかったな。「学年主任を・・・」「進路主任を・・・」という無理な事を聞き入れてきた自分に腹立たしくもある。こういう場面で,1つの駒でしかない自分を実感するのである。
今は,命令以外の「お願い」される仕事は,何も引き受けないと誓ったのである。
今まで30年近く,自分の子どもの入学式や卒業式には出られなかった。夫婦とも教員である宿命であるが,中には,その些細な希望が叶って自分の子どもの式に出られた人もいる。しかし,私は,とうとう聞き入れられなかった。「あいつ,ここまで頑張ったから,1つくらいは言うこと聞いてやろうか」という気持ちにならない学校。冷たいと感じている。
今回行った学校を見て,私がこの学年にいなければならない理由はない。単純なチェンジもできる状況に見える。もし,そうでないなら,なぜ,説明をしないのか。同じ給料をもらっている教員で,言うことが聞いてもらえる人と聞いてもらえない人の違いは何か。
息子の入学式次第には,「保護者と必ず同伴してください」と書いてある。親戚も近くにいない我が家は,保護者にかわる人なんかいない。結果として,同級生の保護者に頼むことにした。 約30年で始めて,学年の所属について「わがまま」を言った。たった1回。 一度くらいは,約30年間学校のために頑張ったんだから,叶えてほしかったな。「学年主任を・・・」「進路主任を・・・」という無理な事を聞き入れてきた自分に腹立たしくもある。こういう場面で,1つの駒でしかない自分を実感するのである。
今は,命令以外の「お願い」される仕事は,何も引き受けないと誓ったのである。
2008年4月1日火曜日
心機一転?
今日から,4月。私にとっても,また新しい生活が始まる。学校をかわり,残り一桁になった年数をどう過ごすのかを考え,また,自分の今までの実践がどうだったかも考えたい。
前にも書いたが,がむしゃらにやってきたような気がする。すべてが,学校優先の生活だった。これが,良かったかどうかも今日から考えたい。教え子達にとって,よかったのか,悪かったのか。いつも考えているのは,「自分の子どもを通わせたい学校作り」である。「この学校なら,安心して行かせられる」とい学校。
しかし,今までには,自分の思いが叶わなかったこともある。学校が全体として進む方向性を見失っているように感じたときである。
あるテレビで,「やる気が出る組織」という話題で,「頑張っている人が報われる組織」「リーダーが,ビジョンを持って事に当たる組織」というものだった。これは,会社組織での話題ではあったが,私は,今の学校にも通用する内容だと感じた。前者は,例えば,授業の進め方,子ども達への接し方が素晴らしい教師達に出会ったが,中には,全く評価されていなかった人もいた。これは,文章にした人とそうでない人の差なんだろう。子どもや保護者の評価ではなく,教師が教師を評価していることに問題があると思った。
また,後者は,何度も今までに書いてきたが,「校長で学校はかわる」という体験をした私にとっては,欠くことができない私の「やる気」を引き出すような気がする。たまたま私がそう感じたかも知れないが,以前の方が,個性が強く,リーダーシップがあった校長が多くいたように思う。素晴らしい出会いは,三分の一くらいかな。
いずれにしても,30歳で学年主任になってしまい,以後,同じような立場で学校をみてきたので,今日からは,今までとはちょっと姿勢を変え,自分がリーダーではない学校をみるつもりだ。
前にも書いたが,がむしゃらにやってきたような気がする。すべてが,学校優先の生活だった。これが,良かったかどうかも今日から考えたい。教え子達にとって,よかったのか,悪かったのか。いつも考えているのは,「自分の子どもを通わせたい学校作り」である。「この学校なら,安心して行かせられる」とい学校。
しかし,今までには,自分の思いが叶わなかったこともある。学校が全体として進む方向性を見失っているように感じたときである。
あるテレビで,「やる気が出る組織」という話題で,「頑張っている人が報われる組織」「リーダーが,ビジョンを持って事に当たる組織」というものだった。これは,会社組織での話題ではあったが,私は,今の学校にも通用する内容だと感じた。前者は,例えば,授業の進め方,子ども達への接し方が素晴らしい教師達に出会ったが,中には,全く評価されていなかった人もいた。これは,文章にした人とそうでない人の差なんだろう。子どもや保護者の評価ではなく,教師が教師を評価していることに問題があると思った。
また,後者は,何度も今までに書いてきたが,「校長で学校はかわる」という体験をした私にとっては,欠くことができない私の「やる気」を引き出すような気がする。たまたま私がそう感じたかも知れないが,以前の方が,個性が強く,リーダーシップがあった校長が多くいたように思う。素晴らしい出会いは,三分の一くらいかな。
いずれにしても,30歳で学年主任になってしまい,以後,同じような立場で学校をみてきたので,今日からは,今までとはちょっと姿勢を変え,自分がリーダーではない学校をみるつもりだ。
2008年3月29日土曜日
セカンドオピニオン?
息子が,「膝が痛い」と言う。これは,去年からで,「オスグッド」という成長痛らしい。去年は,近所の外科に通ったが,しばらくすれば治るだろうという事だった。
しかし,なかなか痛みはひかず,入試が終わったこともあって,ちょっと大きな病院に行った。そこでも診断名は同じだったが,言うことは違った。近所の医者は「そのまま,運動を続けても良い」という判断だったが,今回は「やめた方がよい」だった。たまたま,妻の高校時代の同級生が整形外科だということで,今日,診てもらいに行った。その答えは,「やっても良い」だった。
なかなか難しい問題だし,医者によって言うことが違う。だから「セカンドオピニオン」が必要で,その判断が分かれたときは,自分で判断をしろということなんだろう。しかし,これは,とても難しく,ややもすると,自分の都合で判断をしてしまう危険があるように思う。
しかし,なかなか痛みはひかず,入試が終わったこともあって,ちょっと大きな病院に行った。そこでも診断名は同じだったが,言うことは違った。近所の医者は「そのまま,運動を続けても良い」という判断だったが,今回は「やめた方がよい」だった。たまたま,妻の高校時代の同級生が整形外科だということで,今日,診てもらいに行った。その答えは,「やっても良い」だった。
なかなか難しい問題だし,医者によって言うことが違う。だから「セカンドオピニオン」が必要で,その判断が分かれたときは,自分で判断をしろということなんだろう。しかし,これは,とても難しく,ややもすると,自分の都合で判断をしてしまう危険があるように思う。
春なのに・・・。
気温も高くなり,春らしい日が続いている。外から聞こえてくる子ども達の声も弾んでいる。我が家の近くに公園がある。ここには,毎日小さな子達が元気に遊んでいる。とてもほほ笑ましい光景を見ることができる。
しかし,世の中は,相変わらずとんでもない事件が起きている。「死刑」になりたいと人を殺す。こんな事件が連鎖しているかのように起きている。学校に勤める者として,何をどう教えていったらいいのかを真剣に考えなければならない。どうして,子ども達の心がゆがんで成長してしまうのか・・・。
競争社会が激化していかないだろうか。二極化と言われ,学校でも勉強をする意欲に変化を感じる。今や,成績に関係なく高校進学ができる時代になり,大学も希望者全入時代が来るという。勉強をしなくても進学ができる。ひどい例だと,九九もあやしい子が大学に進学する。
私たちは,進学だけが社会に出る道だとは思っていない。しかし,いざ,自分の子どもには進学してほしいと願う。そこに,子どもの持っている「隠れた能力」の発見が遅れる一因があるような気がする。手作業がものすごく上手な子が,そういう道に進んだら,きっといきいきしているだろうなと思う。
もうすぐ4月。また,新しい年度が始まる。新しい出会いで,何を考えていくのだろうか。
しかし,世の中は,相変わらずとんでもない事件が起きている。「死刑」になりたいと人を殺す。こんな事件が連鎖しているかのように起きている。学校に勤める者として,何をどう教えていったらいいのかを真剣に考えなければならない。どうして,子ども達の心がゆがんで成長してしまうのか・・・。
競争社会が激化していかないだろうか。二極化と言われ,学校でも勉強をする意欲に変化を感じる。今や,成績に関係なく高校進学ができる時代になり,大学も希望者全入時代が来るという。勉強をしなくても進学ができる。ひどい例だと,九九もあやしい子が大学に進学する。
私たちは,進学だけが社会に出る道だとは思っていない。しかし,いざ,自分の子どもには進学してほしいと願う。そこに,子どもの持っている「隠れた能力」の発見が遅れる一因があるような気がする。手作業がものすごく上手な子が,そういう道に進んだら,きっといきいきしているだろうなと思う。
もうすぐ4月。また,新しい年度が始まる。新しい出会いで,何を考えていくのだろうか。
2008年3月16日日曜日
使い捨て!(物じゃないんだけど・・・)
ひょんな事から,「おまえは,校長に都合良く使われ,捨てられる使い捨て商品」のようだなという話になった。私は,なるほどと思った。そう言えば,始めて学年主任になったのが確か30歳の頃だったように思う。以後,毎年のように「やらされ」35歳の頃は,校務主任もやった。以後は,進路主任や学年主任をやり,今年は,とうとう学年主任と進路主任の掛け持ちとなった。
いずれも,「他にいないから頼む」という言葉にしたがってやってきた。しかし,だんだん疑問を感じるようになった。「あいつは,都合の良い人間だ」と思われているんだろうと・・・。そういう立場になれば,自分で言うのも何だが,結構一生懸命やる。これが,使い捨てのように使われる原因の1つだろう。
ただ,こういう気持ちにならなかった年もある。たぶん,それは,自分の「やったこと」を評価できる人がいたからだと思う。年々そういう人がいなくなったように思う。ここ数年は,とにかく,こういう気持ちが強くなってきた。
さて,今年4月からは,自分も少し変革をしていかなければならないと思っている。学年を一人の教員として見ていくことである。冷静に見る目を持ち,自分の今までの考えが合っていたのか,それとももっと良い方法があるのか。それを残り少なくなった教員生活で答えを出していこうと思う。
あまりに先頭を切って走ってきたので,少々疲れたのも事実である。ここで,少し,後ろに下がって,前をゆく人たちを見てみたい。
いずれも,「他にいないから頼む」という言葉にしたがってやってきた。しかし,だんだん疑問を感じるようになった。「あいつは,都合の良い人間だ」と思われているんだろうと・・・。そういう立場になれば,自分で言うのも何だが,結構一生懸命やる。これが,使い捨てのように使われる原因の1つだろう。
ただ,こういう気持ちにならなかった年もある。たぶん,それは,自分の「やったこと」を評価できる人がいたからだと思う。年々そういう人がいなくなったように思う。ここ数年は,とにかく,こういう気持ちが強くなってきた。
さて,今年4月からは,自分も少し変革をしていかなければならないと思っている。学年を一人の教員として見ていくことである。冷静に見る目を持ち,自分の今までの考えが合っていたのか,それとももっと良い方法があるのか。それを残り少なくなった教員生活で答えを出していこうと思う。
あまりに先頭を切って走ってきたので,少々疲れたのも事実である。ここで,少し,後ろに下がって,前をゆく人たちを見てみたい。
2008年3月9日日曜日
2008年3月8日土曜日
リベンジ?
娘が地元の国立大学に合格した。私が合格できなかった大学に合格してくれたことは,何か,自分の失敗を彼女が埋めてくれたように感じている。塾に行かずに高校の授業で頑張った。途中,不安になり「塾にいこうかな」と言ったときも,それを肯定しない私に,反発したこともあったように思う。
でも,今,見事に合格できたのも,塾に行かないという部分があったからこそ,成し得たように思える。 また,部活動も3年になる頃には,やめていく子が多い中,夏休みまではと,やり遂げた。この強い意志が良い結果につながっているんじゃないだろうか。
ところで,合格を伝えるメールには,たった一文字「○」とだけ書いてあった。何とも味気ない連絡であった。
でも,今,見事に合格できたのも,塾に行かないという部分があったからこそ,成し得たように思える。 また,部活動も3年になる頃には,やめていく子が多い中,夏休みまではと,やり遂げた。この強い意志が良い結果につながっているんじゃないだろうか。
ところで,合格を伝えるメールには,たった一文字「○」とだけ書いてあった。何とも味気ない連絡であった。
2008年3月7日金曜日
評価の違い
卒業式が終わり,何か物足りない朝を迎えた。昨日,子ども達,保護者,教員と話をしていて思ったことは,「評価」の違いである。
子ども達と保護者の評価は,共通点が多い。仲間がよかった,こんなに成長できたという評価である。しかし,学校はと言えば,卒業式がきちんとできたとか,答辞がどうだとかいう話になる。よく,学校評議員とか教員評価とか言うが,誰が評価するんだろう。
表面的にしか評価できない人が評価したら,うわべだけの評価になってしまうような気がする。昨日は,ありがたいほど多くの保護者が話しに来てくれた。中には,激論を戦わせた人もいた。話をする中で,子どもと一緒に成長した私や保護者がいた。これは,どう評価されるんだろう。
私は,常に「評価されるはずがない道」を選んだかのように行動しているような気がする。ただ,こうやって,卒業式の保護者の方々からの評価が,私の通知票なんだと思い,嬉しくなるのである。ただ,今後の評価によっては,私の存在は否定され続けることになりそうだ。きちんとできたとして,それを練習だけでやったのではなく,日頃の指導の結果として表れていたことを学校は評価していくべきだと思う。
まあ,頑張れるところまで,自分を曲げずにやっていきたいと,昨日の卒業式後の保護者との話で思ったのである。
子ども達と保護者の評価は,共通点が多い。仲間がよかった,こんなに成長できたという評価である。しかし,学校はと言えば,卒業式がきちんとできたとか,答辞がどうだとかいう話になる。よく,学校評議員とか教員評価とか言うが,誰が評価するんだろう。
表面的にしか評価できない人が評価したら,うわべだけの評価になってしまうような気がする。昨日は,ありがたいほど多くの保護者が話しに来てくれた。中には,激論を戦わせた人もいた。話をする中で,子どもと一緒に成長した私や保護者がいた。これは,どう評価されるんだろう。
私は,常に「評価されるはずがない道」を選んだかのように行動しているような気がする。ただ,こうやって,卒業式の保護者の方々からの評価が,私の通知票なんだと思い,嬉しくなるのである。ただ,今後の評価によっては,私の存在は否定され続けることになりそうだ。きちんとできたとして,それを練習だけでやったのではなく,日頃の指導の結果として表れていたことを学校は評価していくべきだと思う。
まあ,頑張れるところまで,自分を曲げずにやっていきたいと,昨日の卒業式後の保護者との話で思ったのである。
2008年3月6日木曜日
巣立った子ども達
私には「素晴らしい卒業式だった」と言える。途中,打ち合わせと違う場面が何度もあって,子ども達は戸惑っていたが,いつもの「考えて行動」を実践で見せた。私は,「何で打ち合わせと違うことをするの?」という怒りに近い感情もあったが,子ども達のその場に応じた行動が見えたことで,かえって,この学年らしいと思った。
また,今日の卒業式の中にも,多くの3年間「考えた」行動が見えた。これに気づいた人は,何人いたんだろう。それは,「指導をしていない場面」で彼らがとっと行動である。ややもすると,「練習でしっかりやっていたからできた」と思われる部分かも知れない。
自分の学校の先生の中でも気づく人は少ない。また,入場前に子ども達が「保護者に向けて歌った歌」聞こえていただろうか。見えないところで,気がつかないところで,彼らは自分たちの卒業式を自分たちで演じたのである。失敗があっても100点満点がつく子ども達。自慢の娘息子達だ。
また,今日の卒業式の中にも,多くの3年間「考えた」行動が見えた。これに気づいた人は,何人いたんだろう。それは,「指導をしていない場面」で彼らがとっと行動である。ややもすると,「練習でしっかりやっていたからできた」と思われる部分かも知れない。
自分の学校の先生の中でも気づく人は少ない。また,入場前に子ども達が「保護者に向けて歌った歌」聞こえていただろうか。見えないところで,気がつかないところで,彼らは自分たちの卒業式を自分たちで演じたのである。失敗があっても100点満点がつく子ども達。自慢の娘息子達だ。
2008年3月5日水曜日
半分の時間で・・・
今日は,卒業式前の練習が行われた。リハーサルに当てられた時間は2時間。しかし,一度も止めての指導はなく,半分の1時間で終わった。
3年生は,自分たちで考えて行動することが当然の事として3年間過ごした。だから,「言われる前に何をしなければならないか」に気づく。明日の本番が楽しみである。
途中,他の学年の先生から,「どうやったら,こういう学年になるんですか?」と聞かれた。答えは,「指示を必要以上に出さず,自分たちで考えさせることを3年間やれば良いんです。」と言った。だから,一度も「静かにしてください」という事は言わない。あの子達には,「当たり前の事」なんだ。
でも,ここまでに具体的にどう指導方法を考えてきたかは,一緒にやった人しかわからないかも知れない。もっと言うなら,それを盗む気持ちがなければできないことだろう。
残念ながら,この先生以外に「どうするんですか?」と聞いた先生はいない。この先生は,少し,こういう学年の「良さ」を感じてくれたんだと思う。こういう先生が増えていくことを切に願う。旧態依然とした指導の継続は,子ども達の成長を遅らせてしまうように思う。
私も改良しながら指導を重ねてきた。これも,先輩の先生のやり方を見て学んだ。人から盗んで,そこに自分なりの方法を追求することが大切だと思う。「なぜできない」と嘆いていても先には進まない。なぜできないのかを考え,こうするとこうなるんじゃないかと考えたいものだ。
よく「前の学校ではこうだった」という先生がいるが,これは,「自分はこれ以上進歩できません」と言っているように聞こえる。こういう考え方こそ,学校に閉塞感を与えてしまっている。
3年生は,自分たちで考えて行動することが当然の事として3年間過ごした。だから,「言われる前に何をしなければならないか」に気づく。明日の本番が楽しみである。
途中,他の学年の先生から,「どうやったら,こういう学年になるんですか?」と聞かれた。答えは,「指示を必要以上に出さず,自分たちで考えさせることを3年間やれば良いんです。」と言った。だから,一度も「静かにしてください」という事は言わない。あの子達には,「当たり前の事」なんだ。
でも,ここまでに具体的にどう指導方法を考えてきたかは,一緒にやった人しかわからないかも知れない。もっと言うなら,それを盗む気持ちがなければできないことだろう。
残念ながら,この先生以外に「どうするんですか?」と聞いた先生はいない。この先生は,少し,こういう学年の「良さ」を感じてくれたんだと思う。こういう先生が増えていくことを切に願う。旧態依然とした指導の継続は,子ども達の成長を遅らせてしまうように思う。
私も改良しながら指導を重ねてきた。これも,先輩の先生のやり方を見て学んだ。人から盗んで,そこに自分なりの方法を追求することが大切だと思う。「なぜできない」と嘆いていても先には進まない。なぜできないのかを考え,こうするとこうなるんじゃないかと考えたいものだ。
よく「前の学校ではこうだった」という先生がいるが,これは,「自分はこれ以上進歩できません」と言っているように聞こえる。こういう考え方こそ,学校に閉塞感を与えてしまっている。
2008年3月4日火曜日
一通の手紙
今日,ある保護者から手紙をもらった。3年間,一緒に子ども達のことを考えた私に温かい言葉をもらった。一生懸命やると,やっぱり良いことがある。
ところで,保護者の人とは話す機会が少ない。だから,今の自分たちのやっていることの評価を知るのは難しい。こうやって,言葉をもらうと,「やる気」が出る。本当に嬉しいことだ。この手紙を励みにまた,頑張ろうと思う。
今の3年生とは,あと2日。今日の練習も「ああしろ,こうしろ」をあまり言わず,進んだ。「これは,格好悪いな」と言ったことは,自分たちで修正する。特に,退場がバラバラだったが,たった4分の休憩時間に室長中心に修正していた。こんなことは,教師側が「こうしろ」と言えばすむ話だ。でも,あえて,子ども達に「考え」させた。
3年間の成果だ。一生懸命練習していた。それは,怒られるからじゃない。心一つにして頑張ろうというクラスの団結だ。見ていた他学年の先生に「先生の求めていたことは,これなんですね」と言われ,なぜか誇らしく思った。
間違ってないんだ。自分の3年間は・・・・。
ところで,保護者の人とは話す機会が少ない。だから,今の自分たちのやっていることの評価を知るのは難しい。こうやって,言葉をもらうと,「やる気」が出る。本当に嬉しいことだ。この手紙を励みにまた,頑張ろうと思う。
今の3年生とは,あと2日。今日の練習も「ああしろ,こうしろ」をあまり言わず,進んだ。「これは,格好悪いな」と言ったことは,自分たちで修正する。特に,退場がバラバラだったが,たった4分の休憩時間に室長中心に修正していた。こんなことは,教師側が「こうしろ」と言えばすむ話だ。でも,あえて,子ども達に「考え」させた。
3年間の成果だ。一生懸命練習していた。それは,怒られるからじゃない。心一つにして頑張ろうというクラスの団結だ。見ていた他学年の先生に「先生の求めていたことは,これなんですね」と言われ,なぜか誇らしく思った。
間違ってないんだ。自分の3年間は・・・・。
2008年3月3日月曜日
送る会で・・・。
今日は,「3年生を送る会」があった。座ったままの挨拶・時間どおりに着席・指示される前に静かになる。我が学年では「あたりまえ」の事が,素晴らしいことに思えるような会だった。盛り上がっても,けじめはつける。
「静かにしてください」という言葉を嫌う私に育てられた子ども達は,自分たちで静かになる。時計を見て行動することを「あたりまえ」にしてきたから,どの学年より早く着席した。これに,何人の生徒や教師が気がついただろうか。もし,気がついたとしたら,この伝統は継承される。
卒業式まであと3日となった。子ども達は,「いい顔」をしている。
「静かにしてください」という言葉を嫌う私に育てられた子ども達は,自分たちで静かになる。時計を見て行動することを「あたりまえ」にしてきたから,どの学年より早く着席した。これに,何人の生徒や教師が気がついただろうか。もし,気がついたとしたら,この伝統は継承される。
卒業式まであと3日となった。子ども達は,「いい顔」をしている。
2008年3月2日日曜日
2008年3月1日土曜日
最後の学年通信 「一期一会」
最後の「学年通信」を出しました。こんなことを書きました。
一期一会とは,<茶の湯で、茶会は毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた語。転じて、一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎりであること。>とあります。まさに私たちと子ども達,そして保護者の皆様との一生に一度しかない出会いを,真剣に過ごした3年間でした。
さて,とうとう最後の「学年だより」を発行することになりました。1年生から,枚数だけは決して他の学年に負けないボリュームのある「学年だより」にしました。その中で,子ども達の言葉を多く掲載し,保護者の方々に「今の中学校」を知ってもらい,成長していく子どもたちの姿を感じていただけるものと信じて発行してきました。どうでしたか。
私は,最後の「学年だより」で,保護者の皆様,そして子ども達に感謝したいと思います。この3年で,私自身が驚くほどの成長をしました。すべてが,保護者の方々とお子さん達のおかげです。入学当初は,保護者の方々からお叱りも受けることが多く,「何で?」という思いが先に立ち,「一生懸命にやっているのに・・・」と思ったことも何度もありました。嫌になった時期も正直一度や二度ではありませんでした。
しかし,保護者の方と話す中で,「子供のことを真剣に考えている」という部分は,私たちと同じであることを感じていました。だから,「子供たちのこと」を考えてやれば,必ず理解してもらえると信じてきました。そして,徐々に,保護者の皆様からも私たちのやり方に対して肯定的な意見も寄せられるようになり,「やりがい」を感じた事も多くあり,「よし,この子達を日本一の中学3年生にしよう。」と思ったのです。
また,何より子供たちの成長は,めざましく,この3年間で,全員すばらしい「人」になったと思います。最初の出会いの入学式後に最初に子ども達に言った言葉は「考えろ」です。どうしてそうしたかは,3年後に「こういう集団にしよう」と何度も話し合ってのことです。こちらから,指示を出しすぎることは「指示待ち人間」になってしまう。現代の若者を見ていてそう思っていました。ですから,常に「考えろ」と言い続けました。これを忠実に実践してきた3年生は,私の想像を超えた「考えろ」を実践したのです。私が思いもよらないがんばりを見たのは,「稲武」そして「修学旅行」などの行事でした。稲武では,全く「指示をする放送」を使わない実践をしました。自分たちで時計を見て行動したのです。朝の「起きろ」というのもありませんでした。ちゃんと全員集合しました。お互いが,気を配って行動していました。他の中学校ではできることではありません。
修学旅行でも,すべて「子ども達」の手で運営されました。私たちは,まさに,「連れて行ってもらう修学旅行」に徹しました。行く先々で,驚きのお褒めの言葉をいただきました。学校を離れてできたということは,全員が,中学校の課程を間違いなく修了できたことの証明です。学校というところは,指示をしてそれに従うことで指導をしていると思いこんでいる部分があります。こうして3年間を過ごしてみて,私たちが取った方法は間違っていないと思っています。こういう集団作りもあるんだという意味で,学年経営に一石を投じたと思います。
さて,ここに9年間の義務教育を終えるわけですが,私たちの仕事が終わるわけではありません。全員が,10年後・20年後に「この3年間」が生きた経験として身に付いていてこそ,意味のある3年間になります。卒業はしても,子ども達は,私たちの「大事な生徒」です。私が中学校にいなくなっても,子ども達を思う気持ちは変わることは決してありません。共に子ども達のために見守っていきましょう。
お子さんのますますの成長を願い,最後の巻頭言とします。本当に,本当にありがとうございました。どこかで,お会いできる日を楽しみにしています。
※学校外の行事では,「なぜ,指示を出さないのか?」と言われ,これが「私の考える集団です」と答えたことを思い出す。それだけ,「教師は指示をするものだ」と思っている人が多いと言うことだ。ちょっと愚痴を言えば,この集団作りをどうやってきたかを知る人は,ほとんどいない。研究論文のような結果だけを見てしまう教師には,難しい課題だろう。また,この実践が出来たのは,私の思いを忠実に実践してくれた仲間がいたことが大きいのは,当然である。
最後に,この集団作りの成果かどうかはわからないが,小学校からの不登校が激減したのも事実である。決して評価はされないけれど・・・。
一期一会とは,<茶の湯で、茶会は毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた語。転じて、一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎりであること。>とあります。まさに私たちと子ども達,そして保護者の皆様との一生に一度しかない出会いを,真剣に過ごした3年間でした。
さて,とうとう最後の「学年だより」を発行することになりました。1年生から,枚数だけは決して他の学年に負けないボリュームのある「学年だより」にしました。その中で,子ども達の言葉を多く掲載し,保護者の方々に「今の中学校」を知ってもらい,成長していく子どもたちの姿を感じていただけるものと信じて発行してきました。どうでしたか。
私は,最後の「学年だより」で,保護者の皆様,そして子ども達に感謝したいと思います。この3年で,私自身が驚くほどの成長をしました。すべてが,保護者の方々とお子さん達のおかげです。入学当初は,保護者の方々からお叱りも受けることが多く,「何で?」という思いが先に立ち,「一生懸命にやっているのに・・・」と思ったことも何度もありました。嫌になった時期も正直一度や二度ではありませんでした。
しかし,保護者の方と話す中で,「子供のことを真剣に考えている」という部分は,私たちと同じであることを感じていました。だから,「子供たちのこと」を考えてやれば,必ず理解してもらえると信じてきました。そして,徐々に,保護者の皆様からも私たちのやり方に対して肯定的な意見も寄せられるようになり,「やりがい」を感じた事も多くあり,「よし,この子達を日本一の中学3年生にしよう。」と思ったのです。
また,何より子供たちの成長は,めざましく,この3年間で,全員すばらしい「人」になったと思います。最初の出会いの入学式後に最初に子ども達に言った言葉は「考えろ」です。どうしてそうしたかは,3年後に「こういう集団にしよう」と何度も話し合ってのことです。こちらから,指示を出しすぎることは「指示待ち人間」になってしまう。現代の若者を見ていてそう思っていました。ですから,常に「考えろ」と言い続けました。これを忠実に実践してきた3年生は,私の想像を超えた「考えろ」を実践したのです。私が思いもよらないがんばりを見たのは,「稲武」そして「修学旅行」などの行事でした。稲武では,全く「指示をする放送」を使わない実践をしました。自分たちで時計を見て行動したのです。朝の「起きろ」というのもありませんでした。ちゃんと全員集合しました。お互いが,気を配って行動していました。他の中学校ではできることではありません。
修学旅行でも,すべて「子ども達」の手で運営されました。私たちは,まさに,「連れて行ってもらう修学旅行」に徹しました。行く先々で,驚きのお褒めの言葉をいただきました。学校を離れてできたということは,全員が,中学校の課程を間違いなく修了できたことの証明です。学校というところは,指示をしてそれに従うことで指導をしていると思いこんでいる部分があります。こうして3年間を過ごしてみて,私たちが取った方法は間違っていないと思っています。こういう集団作りもあるんだという意味で,学年経営に一石を投じたと思います。
さて,ここに9年間の義務教育を終えるわけですが,私たちの仕事が終わるわけではありません。全員が,10年後・20年後に「この3年間」が生きた経験として身に付いていてこそ,意味のある3年間になります。卒業はしても,子ども達は,私たちの「大事な生徒」です。私が中学校にいなくなっても,子ども達を思う気持ちは変わることは決してありません。共に子ども達のために見守っていきましょう。
お子さんのますますの成長を願い,最後の巻頭言とします。本当に,本当にありがとうございました。どこかで,お会いできる日を楽しみにしています。
※学校外の行事では,「なぜ,指示を出さないのか?」と言われ,これが「私の考える集団です」と答えたことを思い出す。それだけ,「教師は指示をするものだ」と思っている人が多いと言うことだ。ちょっと愚痴を言えば,この集団作りをどうやってきたかを知る人は,ほとんどいない。研究論文のような結果だけを見てしまう教師には,難しい課題だろう。また,この実践が出来たのは,私の思いを忠実に実践してくれた仲間がいたことが大きいのは,当然である。
最後に,この集団作りの成果かどうかはわからないが,小学校からの不登校が激減したのも事実である。決して評価はされないけれど・・・。
何のためのリーダーか!
今,自衛隊の漁船衝突事故での対応がニュースになっている。私は,自分の失敗,自分の所属している組織の失敗にどう対応するのかを考える上で,何のためのリーダーかを考える。
多くの人は,自分の失敗を隠したいだろう。ましてや,それが大きな問題であればその思いは強くなるのは当然かも知れない。それが,大きな組織だとしたら,対応が重要になる。
その時のために「リーダー」がいるんだ。だから,どういう対応をしたかは,リーダーの資質の問題でもある。どうして,リーダーになったのか。リーダーになったら,何をすべきか。不祥事があったとき,どうすべきか。ものすごく難しい。それが出来ないのならやはり,資格なしということだろう。厳しいと思う。今の日本の組織を考えたら,多くのリーダーは,その資格がないかも知れない。
ただ,私たち,真実を知る立場の側にも心構えがいる。本当に真実を知るために,考えることも多い。真実が言える雰囲気を作ることも大事だ。外国の中には,正直に言うことが刑期に影響を与えたりする。
たぶん,世の中に出てこない不祥事の方が多いのだろう。だから,何度も「隠し通せた」という意識が消えない。結果として,上に立つ者は,隠し通せた方がはるかに「楽」だと思う。だって,明るみに出たときに様子は,想像を絶するものだから・・・。
これで,いいのか?といわれて,どう答えたらいいのだろう。
多くの人は,自分の失敗を隠したいだろう。ましてや,それが大きな問題であればその思いは強くなるのは当然かも知れない。それが,大きな組織だとしたら,対応が重要になる。
その時のために「リーダー」がいるんだ。だから,どういう対応をしたかは,リーダーの資質の問題でもある。どうして,リーダーになったのか。リーダーになったら,何をすべきか。不祥事があったとき,どうすべきか。ものすごく難しい。それが出来ないのならやはり,資格なしということだろう。厳しいと思う。今の日本の組織を考えたら,多くのリーダーは,その資格がないかも知れない。
ただ,私たち,真実を知る立場の側にも心構えがいる。本当に真実を知るために,考えることも多い。真実が言える雰囲気を作ることも大事だ。外国の中には,正直に言うことが刑期に影響を与えたりする。
たぶん,世の中に出てこない不祥事の方が多いのだろう。だから,何度も「隠し通せた」という意識が消えない。結果として,上に立つ者は,隠し通せた方がはるかに「楽」だと思う。だって,明るみに出たときに様子は,想像を絶するものだから・・・。
これで,いいのか?といわれて,どう答えたらいいのだろう。
娘の卒業式
今日は,娘(高校生)の卒業式である。目標校に入学し,毎日充実した生活を送ったようだ。特に,素晴らしい先生との出会いが,彼女の学習意欲に火をつけたようだ。
この先生は,世界史を教えているという。毎年,日本史を選択することが多いというが,この先生がいたため,今年は世界史が多かったらしい。受験で不利だという言葉も「この先生の授業を受けたい」という子ども達の思いは素晴らしい。同じ仕事をしている私にとっても,大変考えさせられることである。
今,大学受験を終え,毎日,図書館で本を読む毎日だが,今日で最後の高校生活をどう終えていくのか。親としては,「早かったな」と思うのと同時に「これからも頑張れ」と思うのである。
この先生は,世界史を教えているという。毎年,日本史を選択することが多いというが,この先生がいたため,今年は世界史が多かったらしい。受験で不利だという言葉も「この先生の授業を受けたい」という子ども達の思いは素晴らしい。同じ仕事をしている私にとっても,大変考えさせられることである。
今,大学受験を終え,毎日,図書館で本を読む毎日だが,今日で最後の高校生活をどう終えていくのか。親としては,「早かったな」と思うのと同時に「これからも頑張れ」と思うのである。
2008年2月29日金曜日
ラストレッスン!
昨日から,全クラスへ「最後の話」をしにいっている。学年の先生達の配慮で実現できた。今の子ども達との出会い,そして別れ。この3年間は,自分自身が今まで経験しなかった問題も多く起きた。
そこで,考えたことは,「集団の力にかけてみよう!」ということだった。この意見に学年の先生達は賛同してくれ,ある意味,私のわがままを実践していってくれた。その結果が,今目の前にある。間違っていなかったことを実証して見せたのである。
途中では,反対意見やなじめない先生もいた。わかりやすくいえば,学校では,非常識な「指導をするな」という実践だ。これは,1年の時に3年後を見据えた挑戦であった。集団の力をどう育てていくのか。リーダーをそう育てていくのか。この集団を見もしないで批判した人たちに対しても,見える形で結果を出そうと思ったのである。
今,こうして終わりを迎え,子ども達にと共に生活した3年間が,彼らの人生に生きた体験になれば幸いである。
実は,1年次から毎日やったことがある。それは,一日一言である。毎日,子ども達にとっては,禅問答のような言葉を並べ「考えろ」と言い続けた。間違っていないことを10年後20年後に見たいものだ。
さて,最後の4日間に書く一日一言はこれである。「ラストレッスン」の話を聞いた後に読めば,それがわかるというものだ。
2月29日(4日前) 「Push back approved Runway!」
3月 3日(3日前) 「Taxi to Runway!」
3月 4日(2日前) 「Line up and wait!」
3月 5日(前日) 「Cleared for take off!」
そこで,考えたことは,「集団の力にかけてみよう!」ということだった。この意見に学年の先生達は賛同してくれ,ある意味,私のわがままを実践していってくれた。その結果が,今目の前にある。間違っていなかったことを実証して見せたのである。
途中では,反対意見やなじめない先生もいた。わかりやすくいえば,学校では,非常識な「指導をするな」という実践だ。これは,1年の時に3年後を見据えた挑戦であった。集団の力をどう育てていくのか。リーダーをそう育てていくのか。この集団を見もしないで批判した人たちに対しても,見える形で結果を出そうと思ったのである。
今,こうして終わりを迎え,子ども達にと共に生活した3年間が,彼らの人生に生きた体験になれば幸いである。
実は,1年次から毎日やったことがある。それは,一日一言である。毎日,子ども達にとっては,禅問答のような言葉を並べ「考えろ」と言い続けた。間違っていないことを10年後20年後に見たいものだ。
さて,最後の4日間に書く一日一言はこれである。「ラストレッスン」の話を聞いた後に読めば,それがわかるというものだ。
2月29日(4日前) 「Push back approved Runway!」
3月 3日(3日前) 「Taxi to Runway!」
3月 4日(2日前) 「Line up and wait!」
3月 5日(前日) 「Cleared for take off!」
2008年2月28日木曜日
指示を出しすぎるな!
中学校に勤めていて,最近よく思うことは,多くの教師が「指示をだすこと」が指導だと思っているような気がすることである。私の学年は,1年次より,「まずやらせて」後で反省というスタイルを貫いてきた。
例えば,学年での集会の集まりが悪く,なかなか静かにならないとしても「静かにしろ」とは言わない。その会が終わるときに「何がいけなかった」を話してきた。
ある時,「なぜ,○○君,子ども達を指導しないのか」と言われた。私は,「この人は,指示をすることを指導だと思っている人なんだ。だから,私の指導方針を理解できない人だ」と感じた。そこまでに,見えない指導をどれだかしたかが見えてない人。寂しい限りだ。
だから,途中から学年に入った先生達との違いは歴然としてしまう。何かをやっていると,列に入って指導をする「前をみなさい」とか「姿勢を正しなさい」とか・・・。でも,それをやるなと言うのは「指導を放棄している」と考えるのか,何度も同じ事をする。こうなると困ってしまう。3年間かけて作ってきた学年集団。
昨日も,子ども達だけで1時間を有効に使うように指示しただけで,途中での指示は一切しなかった。ただ,卒業式が近いせいかいつもに比べて落ち着かない様子もあったので,最後に久しぶりに雷を落とした。子ども達の目は,間違いなく「気づいた目」だった。3年間の成果だと思っている。このやり方,認めてもらえますか。文章に書いて認めるんじゃなくて,生徒を見て,評価してみませんか。
何も認めてもらうためじゃなく,子ども達のためというか,私にも子どもがいるが,「自分の子どもにもこういう指導をしたい」ということをやっているだけである。しかし,これを是とする雰囲気がない学校というのは,寂しい。子どもを見て,「なぜ,こういう生徒集団になったか」を分析しないのか。そして,良いという部分を継承しないのか。
それは,研究なんかじゃない。実際の子どもが見えない文章ではなく,今の子どもを見て,評価するのは誰なのか。それを評価できるだけの能力を身につけているのか。そう思えてしまう今日この頃である。
例えば,学年での集会の集まりが悪く,なかなか静かにならないとしても「静かにしろ」とは言わない。その会が終わるときに「何がいけなかった」を話してきた。
ある時,「なぜ,○○君,子ども達を指導しないのか」と言われた。私は,「この人は,指示をすることを指導だと思っている人なんだ。だから,私の指導方針を理解できない人だ」と感じた。そこまでに,見えない指導をどれだかしたかが見えてない人。寂しい限りだ。
だから,途中から学年に入った先生達との違いは歴然としてしまう。何かをやっていると,列に入って指導をする「前をみなさい」とか「姿勢を正しなさい」とか・・・。でも,それをやるなと言うのは「指導を放棄している」と考えるのか,何度も同じ事をする。こうなると困ってしまう。3年間かけて作ってきた学年集団。
昨日も,子ども達だけで1時間を有効に使うように指示しただけで,途中での指示は一切しなかった。ただ,卒業式が近いせいかいつもに比べて落ち着かない様子もあったので,最後に久しぶりに雷を落とした。子ども達の目は,間違いなく「気づいた目」だった。3年間の成果だと思っている。このやり方,認めてもらえますか。文章に書いて認めるんじゃなくて,生徒を見て,評価してみませんか。
何も認めてもらうためじゃなく,子ども達のためというか,私にも子どもがいるが,「自分の子どもにもこういう指導をしたい」ということをやっているだけである。しかし,これを是とする雰囲気がない学校というのは,寂しい。子どもを見て,「なぜ,こういう生徒集団になったか」を分析しないのか。そして,良いという部分を継承しないのか。
それは,研究なんかじゃない。実際の子どもが見えない文章ではなく,今の子どもを見て,評価するのは誰なのか。それを評価できるだけの能力を身につけているのか。そう思えてしまう今日この頃である。
2008年2月26日火曜日
嘘を見抜け!罰が当たるぞ!
今,あることで,何で上の人たちは「嘘を見抜けなかったんだろう」と思う。去年3月にある人が,言ったことは,実は嘘だった。しかし,私は,当初からそれを見抜いた。「たぶん,こうだろう」と。でも,結果は,嘘をついた人の思い通りになった。 以前にも同じ事が多々あった。ある意味,「オオカミ少年」的な人だから・・・。
自分の言動に責任を持てない人は,人として許されない。でも,こういう人は,嘘をついて自分の都合の良いように生きていく。周りの人たちは,それを知りながら,腹を立てながら生活していく。これが,世の中なんだろうか。子どもの頃,「罰が当たるよ」という言葉を良く聞いた。でも,罰が当たったと言うことを実感したのは,自分自身だけで,周りの人がそうなったのを見たことがない。
自分の言動に責任を持てない人は,人として許されない。でも,こういう人は,嘘をついて自分の都合の良いように生きていく。周りの人たちは,それを知りながら,腹を立てながら生活していく。これが,世の中なんだろうか。子どもの頃,「罰が当たるよ」という言葉を良く聞いた。でも,罰が当たったと言うことを実感したのは,自分自身だけで,周りの人がそうなったのを見たことがない。
良いところを引き出すこと
私たちの仕事は,学習面は当然として,子ども達の良いところを見つけ,引き出すことも仕事の一つである。「この子は,こういうところが良いから,これをひきだしてやろう」というようにである。それをひとり一人にやっていくのは,大変難しい。時間との戦いでもある。ただ,3年という間に,それを可能に出来ることも多い。
さて,これを,教職員に当てはめるとどうだろう。良いところを引き出せる人がいるかいないかが大きな問題である。端で見ていてこの人は,こんなに素晴らしいところがあると思ってもそれをいかせていない部分は多い。原因は,私たちが子どもを育てるような目線を持っていないからである。引き出せない人たちは,子ども達にも同様な対応になっていないだろうか。
私は,150人強の生徒全ての「良いところを言え」と言われても自信はない。ただ,「たぶん,顔を思い出し,時間をもらえば,全員についてはなせると思っている。こういう事を,教職員についてもやったら,学校も活性化するに違いない。
さて,これを,教職員に当てはめるとどうだろう。良いところを引き出せる人がいるかいないかが大きな問題である。端で見ていてこの人は,こんなに素晴らしいところがあると思ってもそれをいかせていない部分は多い。原因は,私たちが子どもを育てるような目線を持っていないからである。引き出せない人たちは,子ども達にも同様な対応になっていないだろうか。
私は,150人強の生徒全ての「良いところを言え」と言われても自信はない。ただ,「たぶん,顔を思い出し,時間をもらえば,全員についてはなせると思っている。こういう事を,教職員についてもやったら,学校も活性化するに違いない。
2008年2月23日土曜日
人のふりみて我がふりなおせ!
昨日,用があって,県立高等学校へ出かけた。2つの学校へ行ったが,その差に愕然とした。1つめに行った高校は,私が行って,事務職員に挨拶をしてもおじぎ一つしない。しかも,十数人が私の方をじっと見ている状態だった。教頭先生をお願いして,お会いした教頭先生は,挨拶も態度もよかったのに・・・。
もう1つの学校は,着くとすぐに1人の方が窓口に出てきて挨拶をし,用件を聞くという対応で,他の事務職員も私の「教頭先生」という言葉を聞いて,気を利かせて教頭先生を呼んできてくれた。特に,用が終わって帰るとき,ほぼ全員の職員が,おじぎをした。1つめの学校とは,明らかに違う対応に,「公務員の質」をまざまざと感じた。
ただ,これも,チームとして,リーダーを中心にやっていくことで,いい雰囲気を作れば,きっと不快な思いをさせることはなくなるだろう。
私も学校に勤める者として,「人のふり見て我がふり直せ」という言葉が頭にうかんだ。良いことだから書くが,後者の学校は,愛知県立瑞陵高等学校の事務職員の方々である。ありがとうございました。
もう1つの学校は,着くとすぐに1人の方が窓口に出てきて挨拶をし,用件を聞くという対応で,他の事務職員も私の「教頭先生」という言葉を聞いて,気を利かせて教頭先生を呼んできてくれた。特に,用が終わって帰るとき,ほぼ全員の職員が,おじぎをした。1つめの学校とは,明らかに違う対応に,「公務員の質」をまざまざと感じた。
ただ,これも,チームとして,リーダーを中心にやっていくことで,いい雰囲気を作れば,きっと不快な思いをさせることはなくなるだろう。
私も学校に勤める者として,「人のふり見て我がふり直せ」という言葉が頭にうかんだ。良いことだから書くが,後者の学校は,愛知県立瑞陵高等学校の事務職員の方々である。ありがとうございました。
2008年2月21日木曜日
壊れていくような・・・。
今,学校が壊れていくような,そんな妙な気になる。教職員の意思疎通がうまくいかない。そこには,勝手な思いこみもあるだろう。
しかし,危惧をすることは,学校が子ども優先ではなく,教師や保護者優先になっていないだろうか。ある要望が保護者から出されたとき,謙虚に,その要望を考える姿勢を持っているのか。「それは,親のわがまま」ですましていないか。
私たちは,学校をどういう方向に持って行くのか。不協和音をどう改善していくのか。声だけが大きい,理屈だけの人に引っ張られすぎていないか。
常々,正しい評価をしてもらえる職場が良いなと思っている。それは,主任になるとかではなく,この先生は,こういう良いところがあり,ここで頑張っていると言うような・・・。しかし,そういう思いが出来たのは,今までに数回しかない。でも,言葉だけは「よくやってくれる」というものだが,具体的に何をやっているのかに言及できた人は少ない。 学校を出た後,家庭訪問を何度もしていることに気づく人はいない。気づいてもらうためにやっているのではないので良いのだが,こういう方法もあるんだと言うことが,次の世代の若い先生達に伝えられないか。親の考えを変えるのは難しい。でも,子どもへの思いは共通である。不登校の子どもの親に「あなたが悪い」というような指導は,絶対あってはならない。一緒に考えていく姿勢こそ大切なことである。
問題がなく,うまくいっているとき,それに向けてどれだけの時間を使って子ども達と話をしているのかに気づく人もいない。私の周りにも子どもと同じ目線で頑張っている教師がいる。しかし,見えるところでのみ働く教師もいる。
よい担任を見つけるのは,至難の業だと思う。それは,ある意味,子どもに聞くのが一番だろうな。
今日,たまたま,帰りに今の中三の保護者に出会い,「今度,1年生に娘が入るから,担任をしてくださいね。先生のやり方に大賛成なんですから・・・。なかなか良い集団作りですよ。」と言われた。ちょっと言葉につまった。すごく嬉しい言葉だけど・・・。
この集団ができたのは,私の「思い」を実現できるスタッフがいたことが大きい。時として,他の学年から非難された。でも,私を信じてついてきてくれた人たちに感謝である。今,周りを見て,私の「思い」を理解できる人が激減した。寂しい限りである。「伝えたい」という思いは,もう伝わらないだろうな。
しかし,危惧をすることは,学校が子ども優先ではなく,教師や保護者優先になっていないだろうか。ある要望が保護者から出されたとき,謙虚に,その要望を考える姿勢を持っているのか。「それは,親のわがまま」ですましていないか。
私たちは,学校をどういう方向に持って行くのか。不協和音をどう改善していくのか。声だけが大きい,理屈だけの人に引っ張られすぎていないか。
常々,正しい評価をしてもらえる職場が良いなと思っている。それは,主任になるとかではなく,この先生は,こういう良いところがあり,ここで頑張っていると言うような・・・。しかし,そういう思いが出来たのは,今までに数回しかない。でも,言葉だけは「よくやってくれる」というものだが,具体的に何をやっているのかに言及できた人は少ない。 学校を出た後,家庭訪問を何度もしていることに気づく人はいない。気づいてもらうためにやっているのではないので良いのだが,こういう方法もあるんだと言うことが,次の世代の若い先生達に伝えられないか。親の考えを変えるのは難しい。でも,子どもへの思いは共通である。不登校の子どもの親に「あなたが悪い」というような指導は,絶対あってはならない。一緒に考えていく姿勢こそ大切なことである。
問題がなく,うまくいっているとき,それに向けてどれだけの時間を使って子ども達と話をしているのかに気づく人もいない。私の周りにも子どもと同じ目線で頑張っている教師がいる。しかし,見えるところでのみ働く教師もいる。
よい担任を見つけるのは,至難の業だと思う。それは,ある意味,子どもに聞くのが一番だろうな。
今日,たまたま,帰りに今の中三の保護者に出会い,「今度,1年生に娘が入るから,担任をしてくださいね。先生のやり方に大賛成なんですから・・・。なかなか良い集団作りですよ。」と言われた。ちょっと言葉につまった。すごく嬉しい言葉だけど・・・。
この集団ができたのは,私の「思い」を実現できるスタッフがいたことが大きい。時として,他の学年から非難された。でも,私を信じてついてきてくれた人たちに感謝である。今,周りを見て,私の「思い」を理解できる人が激減した。寂しい限りである。「伝えたい」という思いは,もう伝わらないだろうな。
2008年2月20日水曜日
DIYで二重窓に挑戦<防音対策>猫の鳴き声
リフォーム業者の見積もりは,予想以上に高額で,これでは,無理と判断。自分でできないかと思っていると,アクリサンデーというページに「アクリル版を使った二重窓」の作成方法が掲載されていた。これだと思い,材料を調達することにした。 ホームセンターに行ってみようと思う。
ところで,隣の家にお願いに行ったことで,布をかぶせるなど対策をしてもらったが,やはり,猫の鳴き声は,こもったように聞こえてくる。以前ほどではないが,気にし出すとたまらない。
ところで,隣の家にお願いに行ったことで,布をかぶせるなど対策をしてもらったが,やはり,猫の鳴き声は,こもったように聞こえてくる。以前ほどではないが,気にし出すとたまらない。
2008年2月17日日曜日
防音のための二重窓(プラマード)
今,書いたように,息子の部屋のすぐ横が,隣の家の猫小屋になっている。言いにいったもののすぐに改善できることもなく,結局,防音対策を考えることになった。
YKKから「プラマード」という製品があり,後で,内窓として設置できるらしい。早速,近くのリホーム店で見積もりをしてもらうことにした。電話をして,明日来てくれるという。
ただ,結構金額は高い。
今回,音が「騒音」になるかどうかと言うことを考えた。猫の鳴き声は,かわいいと感じる人にとっては,全くの音である。しかし,それを不快に感じる人にとっては,「騒音」である。だから,「そんなにうるさい鳴き声は出していません。違う野良猫だと思う。」という返事になる。息子の部屋に行ってみれば歴然として,隣の家の猫の鳴き声である。しかも,私が聞いても「ちょっと,大きすぎるなと思う。前の家から聞こえてくる犬の鳴き声よりはるかに大きい。
かくも,人によって感じ方が違うのである。近所付き合いは,やはり,難しい。それを,誰よりも感じたのは息子本人だろう。
YKKから「プラマード」という製品があり,後で,内窓として設置できるらしい。早速,近くのリホーム店で見積もりをしてもらうことにした。電話をして,明日来てくれるという。
ただ,結構金額は高い。
今回,音が「騒音」になるかどうかと言うことを考えた。猫の鳴き声は,かわいいと感じる人にとっては,全くの音である。しかし,それを不快に感じる人にとっては,「騒音」である。だから,「そんなにうるさい鳴き声は出していません。違う野良猫だと思う。」という返事になる。息子の部屋に行ってみれば歴然として,隣の家の猫の鳴き声である。しかも,私が聞いても「ちょっと,大きすぎるなと思う。前の家から聞こえてくる犬の鳴き声よりはるかに大きい。
かくも,人によって感じ方が違うのである。近所付き合いは,やはり,難しい。それを,誰よりも感じたのは息子本人だろう。
息子,意外な一面。(隣家の騒音)
今日,朝息子が「隣の家に行ってくる」というので,「なぜ?」と聞くと
「隣の猫がうるさくて夜寝られない。家の奥に入れてもらおうと思う」と言う。
私も,実は,反対側の部屋にいて,ものすごくうるさいと思っていた。すぐ隣の息子の部屋だったら,それはそれは大変だと思う。
私は,「でも,近所だし,言うのはどうかと思うよ」と言うと,
「近所だから言うんじゃない。お互い様でしょ」と。
一人で行こうとしているのを見た妻が,一緒に行くことになった。
後で聞いてみると,息子が自分でしっかり話してきたという。
いやー,知らぬ間に大人になっているんだと。近所だからやめとけと言った
自分が少し恥ずかしくなった。
「隣の猫がうるさくて夜寝られない。家の奥に入れてもらおうと思う」と言う。
私も,実は,反対側の部屋にいて,ものすごくうるさいと思っていた。すぐ隣の息子の部屋だったら,それはそれは大変だと思う。
私は,「でも,近所だし,言うのはどうかと思うよ」と言うと,
「近所だから言うんじゃない。お互い様でしょ」と。
一人で行こうとしているのを見た妻が,一緒に行くことになった。
後で聞いてみると,息子が自分でしっかり話してきたという。
いやー,知らぬ間に大人になっているんだと。近所だからやめとけと言った
自分が少し恥ずかしくなった。
2008年2月9日土曜日
「ほっ」と一息
息子が高校受験の真っ最中である。まず,私立高校の入試が終わり,結果が来た。私立では,第一希望に合格できた。次は,公立高校である。希望が高いだけに心配である。世の中の親は,今,こんな気持ちで毎日を過ごしているんだろう。
しかし,意外に普段と変わらない。まあ,自慢と言えば,子ども2人とも塾に行かずに高校入試,大学入試に挑戦していることだろう。これで,合格できたら,公立学校の教師としては,間違った道を選んでないと思う。何か,学校に勤めながら,自分の子どもを塾に行かせている教師が多いが,公立学校の教師は,塾に行かなくても学力をつけられる授業を心がけているんだろうか。
私は,公立学校の教師が自分の子どもを塾に頼らずに授業だけで学力をつけるという意気込みが必要だと思う。
しかし,意外に普段と変わらない。まあ,自慢と言えば,子ども2人とも塾に行かずに高校入試,大学入試に挑戦していることだろう。これで,合格できたら,公立学校の教師としては,間違った道を選んでないと思う。何か,学校に勤めながら,自分の子どもを塾に行かせている教師が多いが,公立学校の教師は,塾に行かなくても学力をつけられる授業を心がけているんだろうか。
私は,公立学校の教師が自分の子どもを塾に頼らずに授業だけで学力をつけるという意気込みが必要だと思う。
2008年2月2日土曜日
2008年1月25日金曜日
リーダーのやるべき事
今,宮崎県では,県知事の交代と共に「県職員」の意識も変わってきたとの報道があった。私は,まさに,リーダーの力は,とても大きいと思っている。どれだけ「やる気」を持って頑張っても,組織としてそれをバックアップできなければ,その能力を生かし切れない。
常々思うことに,「情報の共有」という考えがある。今,組織の中で,何が問題で,それに対してどういう取り組みをしていくのか。ちょっと前は,よく,校長・教頭を交えて仲間で話し合った。この中で,「今,こんな事があるんだ。こんな事で苦しんでいるんだ」と。
しかし,いつからか,これが少なくなったと感じるようになった。自分が年をとったのかも知れないが,当時は,年配者も含めて,議論した。なぜ,今それが少ないのか。組織をひっぱる力を出さないのか。それとも出せないのか。
一つの考えとしては,私は,学校が一番という気持ちでやってきた。学校を「こうしたい」と思ってやってきた。その「思いの差」があるんじゃないかと言うことである。直接子どもと接して感じることができない人たちが増えたんじゃないか。しだいに,学年単位だけで物事を考えるバラバラな学校ができ,職員間も「思い」が伝わらない。
私は,子ども達に「気がつく人間になれ」と言っている。これは,まさに,私たち教員に言えることだろう。
常々思うことに,「情報の共有」という考えがある。今,組織の中で,何が問題で,それに対してどういう取り組みをしていくのか。ちょっと前は,よく,校長・教頭を交えて仲間で話し合った。この中で,「今,こんな事があるんだ。こんな事で苦しんでいるんだ」と。
しかし,いつからか,これが少なくなったと感じるようになった。自分が年をとったのかも知れないが,当時は,年配者も含めて,議論した。なぜ,今それが少ないのか。組織をひっぱる力を出さないのか。それとも出せないのか。
一つの考えとしては,私は,学校が一番という気持ちでやってきた。学校を「こうしたい」と思ってやってきた。その「思いの差」があるんじゃないかと言うことである。直接子どもと接して感じることができない人たちが増えたんじゃないか。しだいに,学年単位だけで物事を考えるバラバラな学校ができ,職員間も「思い」が伝わらない。
私は,子ども達に「気がつく人間になれ」と言っている。これは,まさに,私たち教員に言えることだろう。
2008年1月20日日曜日
私たち「親」は,何を育てているのか?
この歳で思うことは,「親」は,何を育てているのかという事である。当然,子どもを育てているのだが,子どもに何を求めているのか。子どもには,何も求めていないと言いながら,私たちは,何より「学力」を求めている。良い学校に入り,良い会社に入る事が第一条件になってはいないだろうか。
親がすべき事をしなかった。数年前,ある生徒が「俺の親は,何も教えてくれなかった」と言った。「こういう場合は,こうするんだよ」という事だ。ある意味「常識」という部分だ。
だから,平気で人に迷惑をかける。弱い者いじめをする。何か起きれば,すべて「他人」のせいにして,その場を逃れる。問題行動を起こして警察に捕まった中学生が「弁護士に相談してくれ」と言った話を聞いた。弁護士に相談することは悪いことではない。しかし,「やったことをやらなかったことにしろ」という大人の発想は,若者に「ずるさ」を教えることになる。
私も反省することは,多い。ただ,今まで,自慢できることは,テストの点数が悪くて怒ったことは一度もなく,「勉強しろ」と言ったこともない。それよりも,「大切なこと」があるだろうと言い続けてきた。今,あまりに「子どもをどう育てていくか」を考えない親の行動に,危機感を持っている。
親がすべき事をしなかった。数年前,ある生徒が「俺の親は,何も教えてくれなかった」と言った。「こういう場合は,こうするんだよ」という事だ。ある意味「常識」という部分だ。
だから,平気で人に迷惑をかける。弱い者いじめをする。何か起きれば,すべて「他人」のせいにして,その場を逃れる。問題行動を起こして警察に捕まった中学生が「弁護士に相談してくれ」と言った話を聞いた。弁護士に相談することは悪いことではない。しかし,「やったことをやらなかったことにしろ」という大人の発想は,若者に「ずるさ」を教えることになる。
私も反省することは,多い。ただ,今まで,自慢できることは,テストの点数が悪くて怒ったことは一度もなく,「勉強しろ」と言ったこともない。それよりも,「大切なこと」があるだろうと言い続けてきた。今,あまりに「子どもをどう育てていくか」を考えない親の行動に,危機感を持っている。
過去問は,やるべきか?
センター試験1日目が終わり,各塾からのコメントが発表された。それを見て,去年と比べてと言う部分がある。
そこで,娘に聞いた。「去年と大幅に変わったところがあるみたいだな」と。すると,「私は,過去問は,だいぶ前にやっただけだから,よくわからないけど,友達は,難しくなったとか,去年の傾向と違うから困った」と言ったという。
なるほど,あまりに,試験日が迫ってから,過去問をやると,去年と比較しすぎるとか,去年と同じような問題が出ないと面食らうんだろう。冷静に考えれば,去年の問題が出るはずはないが・・・。
ここから,過去問のやる時期,そして,過去問に対する考え方をしっかりしておかないと,いらぬ不安を引き起こすんだと思う。
特に,英語のリスニングのコメントに対しては,「去年を知らないから,こんなもんか」と思ったという。去年を知っていた子の中には,「えっ,こんな問題が・・・」と思ったらしい。受験とは,こんな事も考えないといけない時代になったんだろうか。
そこで,娘に聞いた。「去年と大幅に変わったところがあるみたいだな」と。すると,「私は,過去問は,だいぶ前にやっただけだから,よくわからないけど,友達は,難しくなったとか,去年の傾向と違うから困った」と言ったという。
なるほど,あまりに,試験日が迫ってから,過去問をやると,去年と比較しすぎるとか,去年と同じような問題が出ないと面食らうんだろう。冷静に考えれば,去年の問題が出るはずはないが・・・。
ここから,過去問のやる時期,そして,過去問に対する考え方をしっかりしておかないと,いらぬ不安を引き起こすんだと思う。
特に,英語のリスニングのコメントに対しては,「去年を知らないから,こんなもんか」と思ったという。去年を知っていた子の中には,「えっ,こんな問題が・・・」と思ったらしい。受験とは,こんな事も考えないといけない時代になったんだろうか。
2008年1月17日木曜日
手のかけ方
家でも学校でもそうだが,子どもにどう手をかけるかを考えてみると,過保護とも言える手のかけ方をする人がいる。これは,親でも教師でもそうだ。
「その子のためだからやる」という点では,同じだが,「本当にその子のためになっているか」という点では,疑問を感じることが多い。特に,学校でそういう場面に出くわす。ややもすると,その「お節介」をすることが教師の仕事だと勘違いしているんじゃないかと思うことさえある。
もし,何かあれば,「今,この子にどういう指導をすることが,次回に生かされるか」を考えたい。よく言われるが,「転んだ子を自分の力で立ち上がらせる」という感じだ。しかし,学校では,すぐに手を貸して立ち上がらせてしまう。まるで,そうしないといけないかのようにである。
特に,中学校では,大人へ向かう時期だ。社会に出たときのことも考えてやらないといけない。時として,その瞬間は冷たい対応だなと思えることもある。しかし,これは,「わざとそうしているんだよ」と思っても理解されず,折角起きあがるのを待っているのに,横から,手をさしのべて起きあがらせてしまう。その子は,手をさしのべた先生に感謝する。逆に,見ていた先生を冷たいと思う。
こういう事が結構多い私は,あまりに多いと,腹が立つこともある。「なんで,この先生はわからないんだろう」と思う。意味があってしていることなのに・・・。こういうクラスは,どんどん指示待ち人間を作ってしまう。子ども達の社会ができていかない。ただ,先生の言うことは聞く。自分たちで問題を解決しようとする力がつかない。
私は,特にこの点に力を入れてきた。しかし,なかなか理解してくれない人はいる。せっかく子ども達が成長してきたのに,逆戻りを始めたりする事も多い。
「その子のためだからやる」という点では,同じだが,「本当にその子のためになっているか」という点では,疑問を感じることが多い。特に,学校でそういう場面に出くわす。ややもすると,その「お節介」をすることが教師の仕事だと勘違いしているんじゃないかと思うことさえある。
もし,何かあれば,「今,この子にどういう指導をすることが,次回に生かされるか」を考えたい。よく言われるが,「転んだ子を自分の力で立ち上がらせる」という感じだ。しかし,学校では,すぐに手を貸して立ち上がらせてしまう。まるで,そうしないといけないかのようにである。
特に,中学校では,大人へ向かう時期だ。社会に出たときのことも考えてやらないといけない。時として,その瞬間は冷たい対応だなと思えることもある。しかし,これは,「わざとそうしているんだよ」と思っても理解されず,折角起きあがるのを待っているのに,横から,手をさしのべて起きあがらせてしまう。その子は,手をさしのべた先生に感謝する。逆に,見ていた先生を冷たいと思う。
こういう事が結構多い私は,あまりに多いと,腹が立つこともある。「なんで,この先生はわからないんだろう」と思う。意味があってしていることなのに・・・。こういうクラスは,どんどん指示待ち人間を作ってしまう。子ども達の社会ができていかない。ただ,先生の言うことは聞く。自分たちで問題を解決しようとする力がつかない。
私は,特にこの点に力を入れてきた。しかし,なかなか理解してくれない人はいる。せっかく子ども達が成長してきたのに,逆戻りを始めたりする事も多い。
学校の存在価値
高三の娘が,夕食の時「今日,半分くらい休んだ。」と言うので「どうしたの?風邪かな。」と聞くと,「センター試験対策で休んだんだって」という。私は,「へぇー」と言ってから,何となく寂しい気持ちになった。
確かに,センター試験に関係ない教科の勉強をするより,自分に必要な教科の勉強を家や塾でやった方が良いのだろう。「でも・・・」と思うのは,時代遅れなんだろうか。娘に「おまえは,これからどうするの?」と聞いたら,「私は,学校に行って,授業進まないから質問する」と言った言葉にホッとした。
高校の中には,予備校に行かなくても大学に十分合格できると言う。しかし,それを予備校からすれば,高校は,大学に入るための予備校化していると言える。それが,現代なんだろう。しかし,半分は,学校で頑張っている。何とか,この子達の希望が叶ってほしいと思ってしまった。
今,学校とは,何をするところなんだろう。何ができるようになるところなんだろう。ゆとり教育からの転換が決まったという新聞を見て,大人の場当たり的な施策に踊らされている子ども達は,この先,どんな大人になっていくべきだろう。
九九ができない大学生がいる。経営のために学生数を確保するためだろう。でも,これで良いのだろうか。「最高学府に学ぶ者としての行動か」と怒られた昔を思い出す。とても恥ずかしい思いをした。今,若者達に最高学府に学ぶ者としての自覚を持たせたいものだ。
確かに,センター試験に関係ない教科の勉強をするより,自分に必要な教科の勉強を家や塾でやった方が良いのだろう。「でも・・・」と思うのは,時代遅れなんだろうか。娘に「おまえは,これからどうするの?」と聞いたら,「私は,学校に行って,授業進まないから質問する」と言った言葉にホッとした。
高校の中には,予備校に行かなくても大学に十分合格できると言う。しかし,それを予備校からすれば,高校は,大学に入るための予備校化していると言える。それが,現代なんだろう。しかし,半分は,学校で頑張っている。何とか,この子達の希望が叶ってほしいと思ってしまった。
今,学校とは,何をするところなんだろう。何ができるようになるところなんだろう。ゆとり教育からの転換が決まったという新聞を見て,大人の場当たり的な施策に踊らされている子ども達は,この先,どんな大人になっていくべきだろう。
九九ができない大学生がいる。経営のために学生数を確保するためだろう。でも,これで良いのだろうか。「最高学府に学ぶ者としての行動か」と怒られた昔を思い出す。とても恥ずかしい思いをした。今,若者達に最高学府に学ぶ者としての自覚を持たせたいものだ。
2008年1月16日水曜日
人は,どうあるべきか
今日,午後からある学校に出かけた。そこで,話す中で,「人は,どうあるべきか」を考えさせられた。よく,大人は,「勉強ができて,スポーツもできて・・・」という理想を持つが,『人のために役立つか』を考える人は少ない。だから,子ども達のそういう部分が正しく評価されない。
世の中には,そういう部分を持った子がたくさんいるのに・・・。
今日行った学校は,そういう私たちが,ややもすると後回しにしてしまう部分を評価している学校だ。廊下ですれ違う子ども達の挨拶,そして,態度は,ふと自分を昔に戻してくれた。昔は,みんな,こういう事ができた。しかし,今は,二の次三の次になった。極端に言えば,おじぎの仕方より,テストの点数である。
よく,子どもを良くしようと言うが,まずは,大人がやるべき事がある。親は,自分の子どもに,何を教えるのか。勉強じゃない何を教えていくのか・・・。今,私の受け持っている学年は,これに挑戦した3年間である。先生に何かをしてもらったら「ありがとうございます」と言い,頼むときは,「これ,お願いできますか」と言う。
最近,職員室で,先生を呼ぶときに先生のあだ名で呼ぶ生徒がいる。その学年の先生は,注意しない。もし,自分の学年だったら,間違いなく叱られる。何もあだ名がいけないのではなく,職員室という「公」の場でする態度でないからである。先生と生徒だけの教室なら,そういう事もあるだろう。しかし,この「公」という考え方ができない子どもが多い。それに挑戦してきた。私は,自分の学年の生徒が職員室でとる態度は,偉そうに書くが,3学年で1番だと思う。ここに,1年生から,「こうしていこう」「10年後に役立つことを教えよう」と頑張ってきた成果が出ている。
親は,学校に勉強だけを期待しているかも知れない。ならば,「人として,どうあるべきか」を家庭で教えてあげてほしい。そうしたら,私たちの思いは,つながるような気がする。
世の中には,そういう部分を持った子がたくさんいるのに・・・。
今日行った学校は,そういう私たちが,ややもすると後回しにしてしまう部分を評価している学校だ。廊下ですれ違う子ども達の挨拶,そして,態度は,ふと自分を昔に戻してくれた。昔は,みんな,こういう事ができた。しかし,今は,二の次三の次になった。極端に言えば,おじぎの仕方より,テストの点数である。
よく,子どもを良くしようと言うが,まずは,大人がやるべき事がある。親は,自分の子どもに,何を教えるのか。勉強じゃない何を教えていくのか・・・。今,私の受け持っている学年は,これに挑戦した3年間である。先生に何かをしてもらったら「ありがとうございます」と言い,頼むときは,「これ,お願いできますか」と言う。
最近,職員室で,先生を呼ぶときに先生のあだ名で呼ぶ生徒がいる。その学年の先生は,注意しない。もし,自分の学年だったら,間違いなく叱られる。何もあだ名がいけないのではなく,職員室という「公」の場でする態度でないからである。先生と生徒だけの教室なら,そういう事もあるだろう。しかし,この「公」という考え方ができない子どもが多い。それに挑戦してきた。私は,自分の学年の生徒が職員室でとる態度は,偉そうに書くが,3学年で1番だと思う。ここに,1年生から,「こうしていこう」「10年後に役立つことを教えよう」と頑張ってきた成果が出ている。
親は,学校に勉強だけを期待しているかも知れない。ならば,「人として,どうあるべきか」を家庭で教えてあげてほしい。そうしたら,私たちの思いは,つながるような気がする。
2008年1月15日火曜日
十人十色
今日,必要な物を取りに行くために車で出かけた。何となく,ぼんやりしていてふと,今までに仕えた校長の顔が浮かんだ。 ちょうど,10人だった。
その中で,私を強くバックアップしてくれた人,その逆の人。そして,学校をどうしていくのかで激論を戦わせた人。何も思い出せない人。様々であった。
そんな中で,学校をどうしていくのかで,大激論をしたことを思い出した。みんな,必死だった。校長も自分の考えを言い,当然,私たちも言う。そんななかから,ある結論が出てくる。それを,みんなで実践し,修正しながら目標を達成する。みるみる学校が変わっていくのを感じた。
しかし,今,こんな議論ができるのだろうか。20年ほど前の校長は,一本筋が通っていたというか,頑固というか,なかなかの人が多かった。でも,自分勝手ではなかった。学校をどうしていくかを考えていた。私は,今,その方向性が見えてこない。歳をとったからなのだろうか。職員間でも,学校をどうしていくのかを議論する人もいなくなった。子どもと一緒で,「ただただ,落ち着いて,平和な学校であればそれで良い」という感じがする。
私のやっていることのどこが問題なのか。学校のリーダーはどうあるべきか。そんな議論もここ3年ほどはしたことがない。人が変われば学校は変わる。これは,当然の事かも知れない。ただ,何年かかけて「こうしていこう」と一致団結してきた私には,何か納得できない部分でもある。
ところで,不思議なことに,教頭とは,そんな議論をしたことを思い出す。たまたま,そうなんだろうか。
その中で,私を強くバックアップしてくれた人,その逆の人。そして,学校をどうしていくのかで激論を戦わせた人。何も思い出せない人。様々であった。
そんな中で,学校をどうしていくのかで,大激論をしたことを思い出した。みんな,必死だった。校長も自分の考えを言い,当然,私たちも言う。そんななかから,ある結論が出てくる。それを,みんなで実践し,修正しながら目標を達成する。みるみる学校が変わっていくのを感じた。
しかし,今,こんな議論ができるのだろうか。20年ほど前の校長は,一本筋が通っていたというか,頑固というか,なかなかの人が多かった。でも,自分勝手ではなかった。学校をどうしていくかを考えていた。私は,今,その方向性が見えてこない。歳をとったからなのだろうか。職員間でも,学校をどうしていくのかを議論する人もいなくなった。子どもと一緒で,「ただただ,落ち着いて,平和な学校であればそれで良い」という感じがする。
私のやっていることのどこが問題なのか。学校のリーダーはどうあるべきか。そんな議論もここ3年ほどはしたことがない。人が変われば学校は変わる。これは,当然の事かも知れない。ただ,何年かかけて「こうしていこう」と一致団結してきた私には,何か納得できない部分でもある。
ところで,不思議なことに,教頭とは,そんな議論をしたことを思い出す。たまたま,そうなんだろうか。
2008年1月14日月曜日
成人式に思う事
今日は,「成人の日」である。今,受け持っている中三の子達も5年後に,「成人の日」を迎える。どんな大人になるのか楽しみである。私は,常々5年後・10年後を見越して指導していると子ども達に言う。これは,言っておかないと,これは,できるようにしておかないとと思っている。
この3年間は,「集団」をテーマに過ごしてきた。2年次までは,スタートから同じメンバーだったこともあって,相当私の考え方が浸透し,子ども達の行動もスムーズだった。3年になり4クラスの内2クラスが新しいメンバーとなり,やはり,私のやり方が普通でないのか戸惑う状態となり,心配した。子ども達も注意するポイントの違いに戸惑ったようだ。
しかし,今は,この「集団」をテーマにした学年になじんでもらい,同じ道を進み始めた。私は,教師という者は,かくも「教師の常識」にとらわれるんだと言うことを身をもって感じた。1・2年は,若い先生と一緒だったことで,私の指示が徹底した。経験の多い先生には,ショックだったと思う。でも,今の様子を見て,気づいてくれたんだと思っている。
今書いたように,私の考え方は,学校の常識的な方法とは一線を画している。その大きな違いは,3年生になったとき,こういう生徒にしようという気持ちで,細かに目標を定めている。しかし,それは,学級単位ではなく,学年単位で行動する。学級王国を作ってしまう教師には,とてもできないことだろう。できないと思われてしまうと感じるような先生は,辛いだろう。私の学年は,毎日授業後,生徒のことについて話し合いをした。良いことも悪いこともである。若い先生が「言うこと聞いてくれないんです」と平気で言える雰囲気を作っていった。
そして,指導は,ほとんど学年で行ってきた。だから,どのクラスも同じ指導を受けることになる。そして,そこには,学年全員の教師で対応した。
さあ,5年後の彼らは,この指導をどう生かして大人になっていくか。楽しみにしている。この方法は,間違っていないと思っている。ただ,今の学校では,この方法が認められなくなった。残念である。バックアップしてくれる人がいなくなってきたのである。ここ数年で,仲間と共に立て直してきた学校の柱が変わろうとしているのかも知れない。
この3年間は,「集団」をテーマに過ごしてきた。2年次までは,スタートから同じメンバーだったこともあって,相当私の考え方が浸透し,子ども達の行動もスムーズだった。3年になり4クラスの内2クラスが新しいメンバーとなり,やはり,私のやり方が普通でないのか戸惑う状態となり,心配した。子ども達も注意するポイントの違いに戸惑ったようだ。
しかし,今は,この「集団」をテーマにした学年になじんでもらい,同じ道を進み始めた。私は,教師という者は,かくも「教師の常識」にとらわれるんだと言うことを身をもって感じた。1・2年は,若い先生と一緒だったことで,私の指示が徹底した。経験の多い先生には,ショックだったと思う。でも,今の様子を見て,気づいてくれたんだと思っている。
今書いたように,私の考え方は,学校の常識的な方法とは一線を画している。その大きな違いは,3年生になったとき,こういう生徒にしようという気持ちで,細かに目標を定めている。しかし,それは,学級単位ではなく,学年単位で行動する。学級王国を作ってしまう教師には,とてもできないことだろう。できないと思われてしまうと感じるような先生は,辛いだろう。私の学年は,毎日授業後,生徒のことについて話し合いをした。良いことも悪いこともである。若い先生が「言うこと聞いてくれないんです」と平気で言える雰囲気を作っていった。
そして,指導は,ほとんど学年で行ってきた。だから,どのクラスも同じ指導を受けることになる。そして,そこには,学年全員の教師で対応した。
さあ,5年後の彼らは,この指導をどう生かして大人になっていくか。楽しみにしている。この方法は,間違っていないと思っている。ただ,今の学校では,この方法が認められなくなった。残念である。バックアップしてくれる人がいなくなってきたのである。ここ数年で,仲間と共に立て直してきた学校の柱が変わろうとしているのかも知れない。
2008年1月13日日曜日
入学願書の記入
我が家の息子も高校の入学願書の記入をした。「ここは,どうかくの?」と言うので「こうだろう」と言うと,「違う。学校からの注意にこう書いてある。」と言う。よく見ると,確かにそうだ,
ただ,今書いたことは,高校の記入例と中学校の注意が違っていることによる。こういうことは,たまにある。中学校は,全体的に網羅できる方法で指導する。だから,簡略化できる部分でも詳しく書くように指示する。しかし,高校の中には,簡略化できるところはそうしたいと思っている。
ここで,思うことは,中学校がどこまで指導すべきかということだ。願書は,本来本人保護者が責任を持って書くもので,中学校は,あくまで手助けをする。ちょっと前,願書は中学校を経由して出していた頃の考え方が残っているのかも知れない。
しかし,間違いがあまりに多いので,たぶん,そのままにしている。例えば,本人と保護者の関係を書く欄があるが,
例
生徒名 名古屋 太郎
保護者名 名古屋 一郎
続柄 父(男)
父は男だろう。正解は,例えば 父(長男)となる。
かわった間違いでは,母(京子)とか,父(本人)とかね。
まあ,子ども達は,始めての「契約書」を書く練習にもなるんだ。
ただ,今書いたことは,高校の記入例と中学校の注意が違っていることによる。こういうことは,たまにある。中学校は,全体的に網羅できる方法で指導する。だから,簡略化できる部分でも詳しく書くように指示する。しかし,高校の中には,簡略化できるところはそうしたいと思っている。
ここで,思うことは,中学校がどこまで指導すべきかということだ。願書は,本来本人保護者が責任を持って書くもので,中学校は,あくまで手助けをする。ちょっと前,願書は中学校を経由して出していた頃の考え方が残っているのかも知れない。
しかし,間違いがあまりに多いので,たぶん,そのままにしている。例えば,本人と保護者の関係を書く欄があるが,
例
生徒名 名古屋 太郎
保護者名 名古屋 一郎
続柄 父(男)
父は男だろう。正解は,例えば 父(長男)となる。
かわった間違いでは,母(京子)とか,父(本人)とかね。
まあ,子ども達は,始めての「契約書」を書く練習にもなるんだ。
おっと,確認はしないと・・・
我が家の冷蔵庫も購入後10年を過ぎ,何となく「音」がおかしいという話になり,買い換えのため,同じ区内の電気量販店に出かけた。
今とほぼ同じ容積の冷蔵庫が予想していたより安い?<ひょっとして,掲示してある金額から大幅な値引きにだまされた?>ので,購入しようということになった。現金は持ってないので,配達時に支払いをすることになった。
しかし,ここで,私はレシートを見て,「あれっ」と思った。購入予定の型番が違っている。1つ下の容積ではないか。「これって,違ってませんか?」と言うと「いえ,間違っていません。」と言う。
まさかとは思って,もう一度見に行くと,あわてて店員もついてきた。やはり,私の指摘どおり間違っていた。「申し訳ありません」という店員。おいおい,もし,このまま気がつかなかったら,当日,大変なことになった。
と言うことは,価格は大丈夫かと確認すると,同じ価格だという。まあ,大きい物と小さい物が同じと言うことは,大きいのを選んだ私は,お値打ち品を選んだんだろう。
いずれにしても,こういう事が私はよくある。「運が悪い」と家族にも言うが,この「運が悪い」と思っていたから今回確認してよかったのか。もしくは,もともと運が悪いからこうなったのか。よくわからない。
まあ,これくらいのことを深く考えない方がよいのだろう。
今とほぼ同じ容積の冷蔵庫が予想していたより安い?<ひょっとして,掲示してある金額から大幅な値引きにだまされた?>ので,購入しようということになった。現金は持ってないので,配達時に支払いをすることになった。
しかし,ここで,私はレシートを見て,「あれっ」と思った。購入予定の型番が違っている。1つ下の容積ではないか。「これって,違ってませんか?」と言うと「いえ,間違っていません。」と言う。
まさかとは思って,もう一度見に行くと,あわてて店員もついてきた。やはり,私の指摘どおり間違っていた。「申し訳ありません」という店員。おいおい,もし,このまま気がつかなかったら,当日,大変なことになった。
と言うことは,価格は大丈夫かと確認すると,同じ価格だという。まあ,大きい物と小さい物が同じと言うことは,大きいのを選んだ私は,お値打ち品を選んだんだろう。
いずれにしても,こういう事が私はよくある。「運が悪い」と家族にも言うが,この「運が悪い」と思っていたから今回確認してよかったのか。もしくは,もともと運が悪いからこうなったのか。よくわからない。
まあ,これくらいのことを深く考えない方がよいのだろう。
2008年1月12日土曜日
部活動の越境通学
新聞で,部活動をやることを目的とした「越境通学」の問題が報道された。個々の問題はわからないが,学校としてできることも限られていると思う。
さて,最近は,学校規模が小さくなり,特に運動部の閉鎖が相次いでいる。生徒数に応じて職員数が決められているため,当然,物理的に難しい。また,運動部は,一歩間違えば命にも関わる事故が起きる危険もはらんでいるため,顧問は,常に練習に付き添わなければならない。授業後に,部活動が終われば,次の日の準備がある。この時期は,進路指導の事務で,そうとうの時間が費やされる。体力的に余裕のある若い教師は,少子化の影響で新規採用のが減り,年配者の割合が大きくなった。したがって,部活動によっては,複数の学校で合同チームで試合に出場したり,練習をしている学校もある。
一時期,部活動を社会体育へ移行させようと考えた時期もあった。地域やスポーツクラブに担ってもらう事も考えたようだ。しかし,安全の問題や,会場。そして費用の問題もあった。結果として,やりたい部活動が自分の学区にないということが多く出てきてしまった。
毎年,入学説明会でも,部活動の廃部撤回や新設の要望が強い。しかし,現実の問題として,数を増やせるだけの余裕がない。また,部活動は,教師の善意に近い形で運用されている現状では,難しい。今の状況の中で,少し前進させるなら,部活動の顧問には,時間の補償や問題発生時の教育委員会としてのバックアップが必要な気がする。
以前,夏期休業中に研修がある先生の代わりに監督としてある部活の試合に行ったが,ルールもよくわからない私は,子ども達に聞きながらやった。負けてしまって責任を感じた。その後,「審判お願いします」と言われ,素人が顧問を引き受けては大変なことを知った。ただ,こういう研修を計画するのも教育委員会,大会の主催や後援も教育委員会。どちらが優先するかと言えば,研修?かな。子ども達が3年間頑張ってきた成果を出す舞台に顧問がいない。何か変。部活動に対する教育委員会の考え方は,この事でわかるような気がする。
過去には,子ども達が試合会場に行ったが,顧問がいなくて不戦敗になったという中学校も出てしまった。また,学校行事(野外学習・修学旅行など)が試合と重なり,泣く泣く参加しなかった生徒もいる。この時,親が行事を欠席させて,試合には参加させるという手段をとったら,どう思うのだろうか。
私も公式試合と研修と試合が重なりその場にいけなくなり,子ども達は,私のラケットを持って試合に臨んだ。試合に行きたいという私に「研修に行くのが当然」と言われた。しかし,ある校長は,研修の欠席を認めた。こんな校長に仕えたいものだ。だって,子ども達が一番じゃないのかな。研修の内容も関係するだろうが,そうなら,教育委員会主催の研修を部活動の試合と重ねないことだ。
さて,最近は,学校規模が小さくなり,特に運動部の閉鎖が相次いでいる。生徒数に応じて職員数が決められているため,当然,物理的に難しい。また,運動部は,一歩間違えば命にも関わる事故が起きる危険もはらんでいるため,顧問は,常に練習に付き添わなければならない。授業後に,部活動が終われば,次の日の準備がある。この時期は,進路指導の事務で,そうとうの時間が費やされる。体力的に余裕のある若い教師は,少子化の影響で新規採用のが減り,年配者の割合が大きくなった。したがって,部活動によっては,複数の学校で合同チームで試合に出場したり,練習をしている学校もある。
一時期,部活動を社会体育へ移行させようと考えた時期もあった。地域やスポーツクラブに担ってもらう事も考えたようだ。しかし,安全の問題や,会場。そして費用の問題もあった。結果として,やりたい部活動が自分の学区にないということが多く出てきてしまった。
毎年,入学説明会でも,部活動の廃部撤回や新設の要望が強い。しかし,現実の問題として,数を増やせるだけの余裕がない。また,部活動は,教師の善意に近い形で運用されている現状では,難しい。今の状況の中で,少し前進させるなら,部活動の顧問には,時間の補償や問題発生時の教育委員会としてのバックアップが必要な気がする。
以前,夏期休業中に研修がある先生の代わりに監督としてある部活の試合に行ったが,ルールもよくわからない私は,子ども達に聞きながらやった。負けてしまって責任を感じた。その後,「審判お願いします」と言われ,素人が顧問を引き受けては大変なことを知った。ただ,こういう研修を計画するのも教育委員会,大会の主催や後援も教育委員会。どちらが優先するかと言えば,研修?かな。子ども達が3年間頑張ってきた成果を出す舞台に顧問がいない。何か変。部活動に対する教育委員会の考え方は,この事でわかるような気がする。
過去には,子ども達が試合会場に行ったが,顧問がいなくて不戦敗になったという中学校も出てしまった。また,学校行事(野外学習・修学旅行など)が試合と重なり,泣く泣く参加しなかった生徒もいる。この時,親が行事を欠席させて,試合には参加させるという手段をとったら,どう思うのだろうか。
私も公式試合と研修と試合が重なりその場にいけなくなり,子ども達は,私のラケットを持って試合に臨んだ。試合に行きたいという私に「研修に行くのが当然」と言われた。しかし,ある校長は,研修の欠席を認めた。こんな校長に仕えたいものだ。だって,子ども達が一番じゃないのかな。研修の内容も関係するだろうが,そうなら,教育委員会主催の研修を部活動の試合と重ねないことだ。
2008年1月7日月曜日
今日は,始業式
3学期の始業式があった。久しぶりに会う子ども達も,いつもどおり顔を見せてくれた。卒業式まであと2ヶ月しかないと言うことで,何か,少し寂しい気持ちもある。
ただ,1年生から,「こうしていこう!」と話し合いながら作ってきた学年である。やり残したことはあるだろう。でも,その時々で,やれることはやってきたし,子ども達はそれに十分応えてくれた。前にも書いたが,今,少しずつ学校が変わろうとしている。良い方向に変わるのであれば問題ない。
しかし,私たち教員が「常識」と考えることが,果たして学校が変わっても「永遠の物」かどうかはわからない。常に,そこの学校,そこの子ども達を見て,考えるべきだろう。とかく,私も含めて,「自分のやり方」が一番だと思いがちである。今,もう一度,冷静に子ども達を見て,自分を見つめ直し,やれることを考えたい。
現場の教師は評論家ではない。いつも語っているだけではいけない。それをどう実践していくかである。肝に銘じて2ヶ月を過ごそうと思う。
ただ,1年生から,「こうしていこう!」と話し合いながら作ってきた学年である。やり残したことはあるだろう。でも,その時々で,やれることはやってきたし,子ども達はそれに十分応えてくれた。前にも書いたが,今,少しずつ学校が変わろうとしている。良い方向に変わるのであれば問題ない。
しかし,私たち教員が「常識」と考えることが,果たして学校が変わっても「永遠の物」かどうかはわからない。常に,そこの学校,そこの子ども達を見て,考えるべきだろう。とかく,私も含めて,「自分のやり方」が一番だと思いがちである。今,もう一度,冷静に子ども達を見て,自分を見つめ直し,やれることを考えたい。
現場の教師は評論家ではない。いつも語っているだけではいけない。それをどう実践していくかである。肝に銘じて2ヶ月を過ごそうと思う。
2008年1月6日日曜日
何か,嫌になってきた!
「何か嫌になってきた」と中三の息子が,朝言った。「何で・・・」と聞くと「受験,受験って思って勉強してるけど,これって意味あるの?」と言う。
確かに,今覚えていることの多くは,一部しか役立たないかも知れない。でも,その中から「自分の能力を見つけ出したり」または,「勉強をするということが,将来に役立つ事もある」と話した。
たぶん,息子は,焦りと苛立ちを感じているんだと思う。もっとわかりやすく言うなら「不安」なんだろう。体は大きくなり,偉そうなことを言うが,まだまだ,子どもである。
昨日,高校生が不特定の人を切りつけるという事件が起きた。詳しいことはわからないが,何かに苛立ち,何かに不安があるのかも知れない。私たちの若い頃は,不安よりも期待が大きかったように思う。今は,「人の心を忘れたかのような『競争』が,当たり前のようになった」気がする。
もっと言うなら,「人の命」を削ってまで,やらなければならない時代になったのかも知れない。人の上の立つ一部の人が,平気で悪いことをして,自分の思いを叶え,その結果,ごくごく普通に生きている人たちの「命」を削ろうとしていないだろうか。
それに敗れた人たちは,格差社会の中で,最低限の生活をすることに死にものぐるいである。最近のある映画のCMで「豊かではなかったけれど・・・」という部分がある。まさに,その時代を生きていた私には,感ずる物がある。
確かに,今覚えていることの多くは,一部しか役立たないかも知れない。でも,その中から「自分の能力を見つけ出したり」または,「勉強をするということが,将来に役立つ事もある」と話した。
たぶん,息子は,焦りと苛立ちを感じているんだと思う。もっとわかりやすく言うなら「不安」なんだろう。体は大きくなり,偉そうなことを言うが,まだまだ,子どもである。
昨日,高校生が不特定の人を切りつけるという事件が起きた。詳しいことはわからないが,何かに苛立ち,何かに不安があるのかも知れない。私たちの若い頃は,不安よりも期待が大きかったように思う。今は,「人の心を忘れたかのような『競争』が,当たり前のようになった」気がする。
もっと言うなら,「人の命」を削ってまで,やらなければならない時代になったのかも知れない。人の上の立つ一部の人が,平気で悪いことをして,自分の思いを叶え,その結果,ごくごく普通に生きている人たちの「命」を削ろうとしていないだろうか。
それに敗れた人たちは,格差社会の中で,最低限の生活をすることに死にものぐるいである。最近のある映画のCMで「豊かではなかったけれど・・・」という部分がある。まさに,その時代を生きていた私には,感ずる物がある。
2008年1月1日火曜日
謹賀新年!
2008年が始まり,早朝より「熱田神宮」へ初詣に行ってきました。 午前7時頃は,まだ,人もそれほど多くなく,スムーズに参拝できました。
さて,家に帰って「年賀状」を見たのですが,1つとてもショックというか,「えっ,もう・・・」と言うものがありました。
それは,「今の楽しみは『孫』との散歩です」という文面。おいおい,同級生なのに「孫との散歩」はないだろう。と思いつつ,考えてみれば,我が娘も18歳。そうか,へたすりゃ数年後に「おじいさん」という事もありうるんだと思い,ちょっと寂しい気分に・・・。
ただ,恩師が早期退職して北海道で暮らしているというのもあって,まだまだ,やることいっぱいだなと感じたのであります。
さて,家に帰って「年賀状」を見たのですが,1つとてもショックというか,「えっ,もう・・・」と言うものがありました。
それは,「今の楽しみは『孫』との散歩です」という文面。おいおい,同級生なのに「孫との散歩」はないだろう。と思いつつ,考えてみれば,我が娘も18歳。そうか,へたすりゃ数年後に「おじいさん」という事もありうるんだと思い,ちょっと寂しい気分に・・・。
ただ,恩師が早期退職して北海道で暮らしているというのもあって,まだまだ,やることいっぱいだなと感じたのであります。
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