中学校に勤めていて,最近よく思うことは,多くの教師が「指示をだすこと」が指導だと思っているような気がすることである。私の学年は,1年次より,「まずやらせて」後で反省というスタイルを貫いてきた。
例えば,学年での集会の集まりが悪く,なかなか静かにならないとしても「静かにしろ」とは言わない。その会が終わるときに「何がいけなかった」を話してきた。
ある時,「なぜ,○○君,子ども達を指導しないのか」と言われた。私は,「この人は,指示をすることを指導だと思っている人なんだ。だから,私の指導方針を理解できない人だ」と感じた。そこまでに,見えない指導をどれだかしたかが見えてない人。寂しい限りだ。
だから,途中から学年に入った先生達との違いは歴然としてしまう。何かをやっていると,列に入って指導をする「前をみなさい」とか「姿勢を正しなさい」とか・・・。でも,それをやるなと言うのは「指導を放棄している」と考えるのか,何度も同じ事をする。こうなると困ってしまう。3年間かけて作ってきた学年集団。
昨日も,子ども達だけで1時間を有効に使うように指示しただけで,途中での指示は一切しなかった。ただ,卒業式が近いせいかいつもに比べて落ち着かない様子もあったので,最後に久しぶりに雷を落とした。子ども達の目は,間違いなく「気づいた目」だった。3年間の成果だと思っている。このやり方,認めてもらえますか。文章に書いて認めるんじゃなくて,生徒を見て,評価してみませんか。
何も認めてもらうためじゃなく,子ども達のためというか,私にも子どもがいるが,「自分の子どもにもこういう指導をしたい」ということをやっているだけである。しかし,これを是とする雰囲気がない学校というのは,寂しい。子どもを見て,「なぜ,こういう生徒集団になったか」を分析しないのか。そして,良いという部分を継承しないのか。
それは,研究なんかじゃない。実際の子どもが見えない文章ではなく,今の子どもを見て,評価するのは誰なのか。それを評価できるだけの能力を身につけているのか。そう思えてしまう今日この頃である。
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