2009年3月30日月曜日

本当に「大変」でしたね!

 今日で,転任で学校で会うのが最後になる先生が「本当に,先生,大変でしたね。」「最後まで,よく頑張られました。」と声をかけてきた。
 そして,今年1年にあったこと,そして,「先生が,どうしてあのクラスを持つようになったか」という事など話をしてくれた。うすうすは,感じていたが,全く自分の考えと同じだった。赴任時に,3年生の事を聞いたとき,全く事実を言わず,隠していた。大変さの1つも言うことはなかった。
 そして,3年に配属した。何の連絡もなく,希望もしていない学年だった。 確かに「大変だ」と言えば,「嫌だ」となるだろう。しかし,全く事実を言わず,当日まで,何の連絡もせず・・・。転任者以外の人の言うことは聞いて・・・。何でもかんでも連絡をしろと言っているのではなく,尋常でない状態であるにも関わらず,何も言わないのはいけないんじゃないか。
 私の考えは,大変なら大変だと,説得をするのが管理職の仕事じゃないかと思っている。私自身,今までも何度も説得された。持ち上がりでなく,他の学年に配属されたときは,わざわざ家にまで足を運んで説得をした校長もいた。これが,上下なく,「礼を尽くす」という事じゃないだろうか。生徒指導担当が持ち上がらず,5クラス中,2クラスの担任しか持ち上がらない状況。しかも,3年生である。何度も書くが転任してきた3人を3年の担任にする。内1人は,若い常勤の講師さんだった。これで,何も言わずやれと言うのは,私は,今でもおかしいと思っている。
 1つ前の学校に転任したときも,当時の教頭が,電話で,事情を話をし,私も最初は断ったが,何度も説得をされ,納得をして3年で,進路主任を引き受けた。この教頭は,女性だったが,はっきりものを言い,学校事情を話し,正直に包み隠さず話をしてくれた。確かに,厳しい人で,私も数度叱られたことがあるが,信頼ができる人だから,素直に話が聞けた。校内人事とは,そういうものではないだろうか。

 「本当にひどいよね。今年度,変わってきた3人に担任を持っていくんだものね。しかも,ひどい方から3クラスだから・・・」と言う。「先生が,途中休まれたとき,もうダメだろうな。」と思ったそうだ。「でも,先生が,卒業式まで頑張ってくれたことで,何とか3年生も卒業式でちゃんとできたね。特に,先生のクラスには,何人もいたから,本当に大変でしたね。文化祭も3年生を送る会も先生は,出られなかったですよね。」
 この事は,一番クラスの子がわかっていて,文化祭で学年の先生方の発表にも出られなかった私に,数人の女子が「先生,大変だね。一番悪いクラスを持たされちゃったね」と言った。子ども達ですらわかっている事実である。学級の時間に対応でいないときも多かったが,他の子達は,十分に私のことを理解していた。この子達は,ここにはかけないくらい辛辣なことを口にしていた。学校が崩壊していることを感じた。
 「何人もの先生が逃げたせいで先生がやらされたんだね。大変だね。」保護者からも,今年から来たと言うことで言いやすかったのか,何度も学校批判・教師批判を聞いた。ここまで放置してきた学校の責任は重いと思う。今まで出会った尊敬できる教頭さんや校長さんなら,どんな対応をしただろう。そういう思いばかりだった。

 今日は,こんな話を,今まであまり話をした人ではない人から言われ,何となく,「気にしてくれた人がいたんだ。」とちょっと嬉しくもあった。ただ,「先生,誰も守ってはくれないから,自分で,自分を守ってくださいね。」と言われた。確かに,そう思う自分である。
 それを実感したのは,数日体調を崩して休んだときに,「授業をどうする。」「何をさせようか」という電話が続いた時,本当に涙が出た。私は,今まで,体調を崩して休んだ人がいた場合,学校にいるメンバーでやることを考えてやった。この学校は,そうでないんだ。何度も無理して学校に向かった。

 私は,去年の人事をスタートに,1年で「人間不信」になったような気がする。誰と言うことは書かないけれど,何人もの人に対して,不信が募っていった。

人事異動!

 今日の新聞に「人事異動」が掲載された。去年の今頃,私は,何と理不尽な人事だと嘆いていた。今まで,5回の転任で,一度も「希望」を言わなかった私が,生まれて初めて「希望」を出した。しかし,それは,見事にかなわなかった。
 と言うより,「そこだけは,やめてください」と言った学校への転任となった。生徒指導が大変な学校ばかり経験し,もうあと1校で退職だと思っている私には,あまりに酷な結果となった。教育委員会は,これまでの頑張りをどう評価し,それに見合う事をしてくれるのか。まあ,そんなこと無理な話だとわかっていても,今年も,新聞を見て,「この人,良いな」と単純に思える人事は多い。

 今回,教頭・校長になる人の中には,私が知っている人も多く,とても嬉しく思う人事もあった。共に,苦労をした人が,こうして,リーダーとして頑張ってくれることに,とても期待している。さっき書いた逆で,「教育委員会」も,ちゃんと見ているんだと思う。なぜ,私たちのような,地道に学校で頑張っている人たちに目を向けてくれないんだろうかと思ってしまう。やっぱり,ごく普通の教師は,物扱いなんだろうな。

 それにしても,もう何人も休職者が出るなど病気になる人が多い大変な学校に,50歳を過ぎた私に行かせた事は,私の今まで抱いてきた教育委員会という組織に対して,極端に悪い感情を持ったことは間違いない。何で,今まで,大変でも頑張ってきたのに・・・。嫌だというのに,学年主任をやれと言われ,進路主任をやれと言われ,校務主任をやれと言われ,やってきたのか・・・。
 教頭や校長になる人たちは,それなりの実績を評価され,出世していく。じゃあ,学校で頑張った人は,何をどう評価されるんだろう。学校に貢献したことが評価されるのは,管理職になることだけではないと思うのは,私だけなのかも知れない。

 何か割り切れないものを感じる一日だった。

2009年3月21日土曜日

立て直しの記録(3)

 保護者を指導できる人

 今まで勤めた学校で,保護者に「指導」ができる教頭が2人いた。1人は,保護者を集めて,あることで指導をした最後に登場し,私たちよりはるかに強い口調で,子ども達の非を話した。そして,保護者に対して,厳しい話をした。
 当然というか,今は,ある中学校で校長として指導力を発揮していると思う。

 もう1人は,問題行動と言うより,いろんな事が学校で起きるのだが,私自身も経験したことのないような事が起きたとき,一緒に自宅へ行った。そこで,保護者の言い分で,私が「違うな」と思う部分には,すかさず「それは,違いますね」と即座に言ってくれた。明らかに,私が言うのと,教頭が言うのでは,受け取る側の気持ちは違う。
 多くの管理職が逃げてしまうような場面でも,進んで自ら保護者対応をした教頭。若くして校長になったが,私は,当然の事と思っている。こういう人は,若くても,どんどんリーダーとして,その指導力を発揮してもらいたい。

 しかし,まだまだ,そうなっていない人も多い。にも関わらず,私から見ると,逃げているかのような対応をした人が,校長や教頭になったりすると,どういう人が,校長や教頭になれるんだろう?と思ってしまう。これが,学校を立て直すのを遅らせてはいないだろうか。そんな気がする。今書いた2人なら,私の勤めている学校では,どういう指示が出るんだろうか。ぜひ,その指示を聞きたいと思う。

 

立て直しの記録(2)

 学校には,「生徒指導主事」という人がいる。一般的に生徒の問題行動などの対処をリーダー的な立場で行う。

 この「生徒指導主事」で,印象に残っているのは,4校目の「生徒指導主事」である。まあ,体格も良かったが,その指導力は,誰よりもすぐれていた。私は,年齢も若いこの「生徒指導主事」を尊敬し,すべてにわたりバックアップをした。
 彼が,自分の学年ではなく,全学年で,生活指導の方針を徹底させ,学年によって違ってしまいがちな指導を学校として「同一歩調」といえる指導を行った。
 また,この学校では,生徒指導主事と各学年の学年主任・生活担当との関係もよく,まさに,チームとして動いていた。私の出番は,なかったが,ものすごく勉強した。

 この時に,一緒に生徒指導主事を支えた一人は,現在ある中学校で,教務主任をしている。いずれ,教頭・校長となってくれると思うが,この学校では,今書いた生徒指導主事と学年の生活担当は,学校立て直しになくてはならない存在だったと思う。

 こういう人材を,学校運営者が,適材適所に配置し,その力を発揮することで,学校を立て直した例だと思う。

立て直しの記録(1)

 今までにも書いてきたように,今までの6校中5校が,いわゆる「荒れた学校」での勤務だ。その中で,立て直しを目指した学校がいくつかあった。その1つの学校の建て直しの道筋を少しだけ,書こうと思った。理由は,現在勤務している学校の「目指す姿」が,自分でも見えてこないからである。

 その学校に赴任したとき,学校は荒れ放題,授業中に生徒が,あちこちにいる。廊下を徘徊したり,勝手に外に出て,食べ物を買ってきて食べていたり,注意をする教師にくってかかったり,わざと,教師の前でたばこを吸ってみたり・・・。書き出せばきりがないほどの状態だった。

 そこで,ある先輩教師が「学校を立て直していきたい」と言うところから,スタートした。連日,授業後に話し合いをした。学校でも当然だが,学校外で数人が集まって,食事を共にしながら話した。そこには,必ず,当時の校長も同席した。校長自身も「自分のいる間に立て直したい」と訴えた。

 そこで,まず,校長は,自ら「問題ある生徒」と接する時間を増やしてもらい,私たちは,数年かかってでも立て直すには何をしていくべきかを考えた。まず,校長は,早速実践していった。しばらくして,校長室で何人もの生徒を集め,話をしたり,勉強を教え始めるなど,私から見ても頭の下がる思いだった。
 このことで,私たちは,多少時間的に余裕ができた。そこで,他の普通に頑張っている生徒に授業をする中で,学校を立て直したいと言うことを,訴えた。それに,多くの生徒は,賛同していると受け取れた。

 私たちがしたことで,まずは,「上級生の悪い部分を見せない」という事を徹底することにした。朝会でも実践した。極端に言えば,できないと判断したら,取りやめるか,学年ごとの朝会とした。校長は,極端な場合,3回同じ話をすることもあった。とにかく,一緒に行動する行事などは,本当に体を張って,行動した。

 校長と共に「立て直し」を誓った数人が,2桁に増え,ますます,「立て直し」の機運が高まっていった。そして,とんでもなかった3年生を卒業させ,いよいよ1年生からの「立て直し」を始めた。当初から,多くの目標を掲げ,先輩教師をリーダーに,教師は,徐々に立て直すんだという行動に出て行った。
 当然,すぐに良くなることはなかった。3年計画のつもりで始めた。紆余曲折はあったが,立て直しを誓ったこの学年は,大きなトラブルはなく,行事などもできる状態になった。残念ながら,ここで,校長の転任という事があり,また,私たちは,戸惑いを隠せなかった。次に赴任した校長は,私たちの思いとは違って,自らが進んで,生徒に接する事はなかった。校長室から,出てくるのは,朝の打ち合わせと職員協議会のときぐらいという人だった。
 しかし,ここで,次に教務主任となってきた教師が,私たちの意をくみ,この実践を引き継いでくれた。リーダー的な先輩と教務主任を中心に,私たちは,次へのステップを踏み始めた。そして,この3年間で,学校は,見事に立ち直りを見せた。朝会は,全学年でできるようになり,行事も,多少のトラブルでできるようになり,卒業式も平穏の内に終えた。
 ここまでに,「立て直そう」と心に誓った教師達も転任が始まり,まず,1番のリーダーが去ることになり,次に私がその大役をやることとなった。ただ,私に残された年数も2年となっていた。そこで,次への引き継ぎを2年間で,新しく来たメンバーに伝えていくことになった。

 しかし,私が転任して3~4年後,また,この学校は,元の状態まで戻ってしまったと聞いた。私の予想だが,リーダー不在と,教師集団の組織力が落ちてしまったのではないか。落ち着いてくると,教師集団も油断をするのではないか。そんな思いをした。

 この学校での,立て直しのキーマンは,生徒指導を共にやってもらえた校長(当時)と,教務主任(当時)。そして,先輩教師だろう。この人たちがいなかったら,立て直しは不可能だったに違いない。3人とも私の尊敬する人たちである。
 現在,当時の先輩教師は,ある中学校で教頭になり,この時の教務主任は,教育委員会にいる。本当に,体を張って学校を立て直した人たちが,教頭・校長になってもらいたい。また,「立て直し」をするんだという意気込みを持った人を教頭・校長にしてもらいたい。それだけではダメだ。研究も大切だと言うかも知れない。ならば,問題を抱えた学校の管理職には,せめて,そういう経験のある人材を派遣すべきだと思う。

2009年3月19日木曜日

結論を持って,出向く!

 私は,学年主任をやると,多くの問題に対して,「自分の考え・意見」を持って,教務主任・教頭・校長に指示を仰ぐことが多かった。基本的には,教務主任に話し,納得してもらって教頭や校長の指示を受ける場合が多いが,教務主任が,ふがいないときは,教頭に直接言いに行くこともあった。
 こういう場合は,さっきも書いたが,自分の考えを持っていた。

 さて,今日,蛍光灯がはずされ,校舎外に投げられ,ある先生の自動車に当たり,粉々に割れた。また,校舎内の電灯などのスイッチは,ほとんど陥没させられている。とんでもないと思うことが,毎日のように起きる学校になっている。ここで,思ったことを,自分の見聞きした範囲で書くと,決断までの時間。妥当かどうか。進言する人の判断。妥当かどうか。
 ここに登場した人,この人の判断で学校は動いていく。さすがだが,逆に言えば,この人がいなかったら,何も決定できないのかも知れない。決定権が,誰にあるのか。
 今日も,私なら,こうしてこうするという考えを持っていたし,結論から言えば,そうなった。しかし,そこまでにかかった時間は,私から言えば,異常にに長いと言わざるを得ない。誰も自信を持って,行動を起こせない雰囲気なんだろう。

 また,時と場合によるが,良くこういう場合に多くの人を集めて合議することがある。全くナンセンスで,遅々として事がすすまない。「自分の考え」を持って校長・教頭に進言することが大事だと思う。これが,できる人が,今,我が校には1人しかしない。と私は思っている。

 今書いたのは,私たち側からの問題対応だが,校長・教頭という学校管理者側から考えると,こういう場合にどういう姿勢でどういう判断をするのかという事が,日頃から私たちに理解できるような事をしていないと,意見を持って行きようもない。時間の無駄になってしまうこともある。
 この両者の,意思疎通と判断が,学校を立て直すんだろうと思う。今,我が校は,立ち直るかどうかの選択を迫られているように思える。しかし,残念ながら,両者とも,私の目から見ると,一部を除き,先の見えない闇の中を進んでいるように思う。

 しかし,これだけ,いろんな事が起き,当然,報告もしているだろうから教育委員会も知っているだろうに,何のアドバイスもしないのは・・・。一度,見に来られれば,状況を一瞬で把握できるはずだ。そこで,教育委員会として学校を指導するか,校長を指導すべき状況だろう。本当に,保護者はよく我慢している。それを良いことに放置しているとすれば,職務怠慢と言わざるを得ない。
 ただ,若い頃,荒れた学校で,ある先生が「生徒指導担当の指導主事をよんで,見本を見せてもらおう」という事を言い,指導主事が来たことがあったが,残念ながら,結果は,予想したとおり,全く意味のないものだった。「おっさん,あっち行け。邪魔だ」と言われていたな。そして,その先生は,そういう人が指導主事をやっていることが問題だと言っていたことを思い出した。ただ,たった1日,しかも短い時間で彼らの指導ができるはずもないのだが・・・。それを知っていても,とても寂しい気持ちになった。

 もし今後,大きな事件が起きたとき,私は,そういう立場にある人の責任は重いと思っている。だって,知ってて放置したことになるから・・・。この状態が続けば,次にどうなっていくのかは,経験者ならわかることである。だから,人の上に立つ人たちは,逃げてはいけないんだろうと思う。それが,できるから人の上に立っているんじゃないだろうか。

2009年3月18日水曜日

唖然!

 月曜日と火曜日,とうとう休んでしまった。とても仕事ができる状態ではなかった。今日は,何とか学校に行き,予定通りの仕事をしてきた。

 さて,今の学校でいろいろ感じることはある。しかし,「郷に入っては郷に従え」ということで,自分も以前の学校で,転任してきた人が,今までのやり方を無視して,やり始めて,子ども達が戸惑ってしまった経験から,1年目は,とにかく黙って言うことを聞いていこうとした。

 しかし,今日,学校では,授業中にも関わらず,授業を抜け出して,他のクラスが調理実習をしている教室に入り込み,しかも,作った物を食べ始めた。その数は,数人のレベルではない。さすがに,これは,おかしい。しかし,その後,この指導がどのようにされたのだろうか。全く不明。聞くと,厳しい指導はされていないと聞いた。この学年,1年生なんだ。信じられないけど,本当の話である。

 そろそろ1年経つから,自分の思いも言っていこうとは思うが,1年生には,1年生の指導がある。何を目標に,しかも,3年後の姿を見越して・・・。途中で変更も出てくるが,1年生でやるべき事は,たくさんある。正直,私は,4月末の段階で,これは「いけない」と思い,ある先生に話した。1年生でやるべき事がなされていなかったからである。今,これをやっておかないと,先に進めないと感じた。それが,現実になってきた。

 この学校の問題点は,問題点を見つけられないことと,結果として,今起きている事象の先を予想する力がないことだと思う。それをすべき人がいないこと。また,それを指導できる人もいないこと。4月からは,思ったことを言わせてもうが,有言実行の私からすると,体調が心配だ。「あいつ,言うだけ」という事にならないように,体調を元に戻したい。
 ただ,このことは,今年の自分のクラスでは実践した。先を見て,先を見て,子ども達を指導してきた。大変な事はいっぱいだったが,最後は,予想よりは,はるかに楽な終わり方になった。全員が,こういう見方ができれば,学校は変わる。また,全員じゃなくても各学年に2~3人いればできる。
 今書いたことを一気に進める方法がある。それは,学校のリーダーが先頭に立つことである。これがあれば鬼に金棒である。常に不安な気持ちで,先の見通しもなく指導しているのは,その場しのぎの指導になりやすい。残念だが,今の私の勤務している学校の現状である。

 ここに私の最大の疑問がある。なぜ,こういう状態を続けていくのかと言うこと。たぶん,現状把握ができないんだろうな。できれば,対応策は出てくる。たとえ,行動が失敗に終わっても,前に進んでいくという気持ちを教師集団が持ったとき,大きな力になる。それを発揮させられないのは,なぜか。
 これには,多くの答えがあると思うが,私が経験したのは,校長・教頭や先頭に立てる教師のリーダーシップだった。残念ながら,他の方法は,経験がない。リーダーシップを発揮できる人材,いると思うが,その人を「やる気」にさせる力を持っていないように思える。

 リーダとして当たり前の事,次の言葉かな。


[やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ]

2009年3月13日金曜日

それでも休めない!

 今日,朝起きると,体がだるい。関節にも痛みがあった。ひょっとして熱が出たかなと思って,測ると37度8分ある。これは,一度医者に行ってから,学校に行こうと決めた。卒業式前から,ずっと,微熱が続いていた。でも,休まず学校に行っていた。しかし,さすがに,今日は,すぐに,行けそうな感じはしなかった。

 もう,3年生を卒業させて休んでも良い状況ではあるが,1・2年生の授業もあったし,まして,来年度のクラス編制の話し合いもあった。泣きたい気持ちだが,仕方がない,薬を飲んで頑張ろうということにした。

 3時間目には間に合って,授業をした。ここから昼をはさんで4時間連続の授業は,いくら薬が効いているとはいえ,とにかく辛かった。授業後は,クラス編制の話し合いがあるため,勤務時間終了時間では帰れない。こんな事は,わかっているが,体調の悪いときほど,辛いことはない。

 途中,教頭から,「早めに帰って・・・」という言葉ももらったが,月曜日には必要である以上,やらざるを得ない。たぶん,私を見ていた人は,私がどれだけ辛い思いでやっていたのかを知らないだろう。自分の性格というか,こう言うときは,無理をして頑張って,人に辛いところを見せないようにしてしまう。
 言い方を変えれば,いつもより,頑張る。だから,家に帰ってからは,もう横になることしかできない。今日は,帰りの車の中で,何度も眠りそうになった。本当に危ないと感じたし,そこまでする意味は何だろうと考えてしまった。
 特に,この仕事が私の仕事であるという確実な理由があればあきらめもするが,学年主任でも学年の生活担当でもない。しかも,今年から赴任したばかりの新参者なのである。もっと,他に人がいるのに,自分がやらなければならない理由がない。

 今,自分の過ごしてきた教員生活を振り返って,前にも書いたが,何で,自分は仕事が多くなるのか。まあ,多いことは良いとして,なんで,大変な学校ばかりに行かされるのか。今,本当に,自分はこのまま死んでしまうんじゃないかと思うときがある。今日も,勤務時間を超過しての仕事だった。記録をとってもらった。今週は,5日に内,4日間が超過勤務だった。

2009年3月9日月曜日

気配りができない?「措置要求」しかないのか!

 今日,小学校との打ち合わせに行った。中学校の場合は,たいてい3年生の職員が行く。当然,私も3年生の一員だが,なぜ「私」なのかということが言いたい。卒業式前から,風邪をひき,無理に無理を重ねて当日を乗り切った。もっと言うなら,その前から,体調が万全でないことは,校長も教頭も知っている。

 でも,私が行くことになる。前にも書いたように,私を生身の人間として見てくれていない証拠である。他にも職員はいる。しかし,頼みに来るのは教務主任。出張黒板には,私の名前もあるし,許可を出すのも校長であるわけだから,知らないはずもない。

 当然,授業後,勤務時間はとっくに過ぎても終わるわけもない。体調が悪いと言っているのに「超過勤務」をさせて,何を考えているんだろう。私が,常々言っている「私は,物じゃない」という事。病気になって,倒れて入院したら,やっと「別の人に・・・」となるんだろう。そんな職場。そんな管理職である。言い方は悪いかも知れないが,やってられない。
 こういう人たちだから,新しく赴任した職員を,大変な学年で,大変な学級の担任にしても「それが仕事だ」という考えなんだろう。じゃあ言わせてもらおう。校長・教頭は,自分の仕事をしているのか。私から言えば,私と同じように,病気になり,入院直前になるまで,力一杯働いているのかどうか。胸を張って,言える状態かどうか。

 今日も,怒りながらの一日が終わった。ある先生が,人事委員会に「措置要求」を出してみたら?と言った。今日もそうだが,今までの仕事が終わった時刻や診断書を出したことなどをまとめておくといいよ。とアドバイスを受けた。終了時間の証明は,してくれるとも言ってくれた。よくわからないので,また聞いてみるが,そういう制度があるらしい。見本まで見せてもらった。
 今まで,勤務時間がどうのこうのなんて言ったことがない。夜遅くまで仕事をしてきた。でも,今年は,体調を崩して,辛い毎日だった。こういう時こそ,「気配り」がある職場だったらよかったなと思う。自分が逆で健康の時は,調子の悪い先生に「僕がかわりにやっとくから,先に帰って良いよ」と言った。それが,仲間だと思う。今,私の勤めている学校には,仲間はいない。
 言葉で,「体を大事にしてください。無理をしないように」と言われても,仕事を作っておいて,それはないだろうと思う。

2009年3月8日日曜日

長生きしたくない?

 たまたま,生徒と話をしていて,私の年齢の話から,「長生きはしたくないね」と言う子がいて,それにその場にいたほとんどの子が「そうだね」と言う。

 本音なのかどうかは計り知れないが,今,若者達は,「長生きしたくない」と思っているんじゃないかと思えてならない。これは,今の高齢社会を見聞きし,自分の将来に大きな不安を持っている証拠ではないだろうか。

 子ども達に「明るい素晴らしい未来があるんだ」と教えるべき私ですら,「長生きはしたくない」と思ってしまう。将来に不安がある。その不安を解消するには,お金が一番だと思わせる社会になってきてはいないか。
 人間は,一人ではなく,多くの人たちと共に支えながら生きているという部分がなくなりつつあるような気がする。しかし,今,子ども達は,一人だという孤独感にさいなまれている。だから,携帯やそれを利用したサイトへ走っていく。寂しいんだと言うこともあるが,よくはわからないが「不安」なんだろう。
 これをどう,解消し,将来に目標を持てるかを私たち大人が考えていくべきだろう。ただ,大人が,自分の事しか考えない社会。自分だけが良ければよいという社会。その親に育てられた子ども達。こんな事繰り返していたら,本当に,皆孤独になってしまう。

 「ゆとり」がダメだと,来年度から教育課程もかわる。どんなに言葉で書いたって,実社会とのずれが大きければ,中学生くらいになれば,そんなことは,すぐに見破る。「ゆとり」は,必要だ。だけど,学力だけが人間に必要なことではないはず。子ども達が,志を持って生きていくことが大切。でも,多くの大人は,「学力低下」がいけないと,学力が何にも増して一番だと言う。それに,押されるように文科省も同調する。「それは違う」となぜ言えないのだろうか。
 このままでは,子ども達は,どんどん孤独を味わい,仲間との語らいを忘れ,勉強ができなければダメ人間だと評価されると感じる。こんな事で良いわけがない。

 今年,卒業させた子ども達,とても大変な子ども達だったが,1年つき合って思ったことは,私たち教師を含めた周りの大人達が悪くしてしまったのではないかと思う。そういう思いを持って,子ども達を育てていくべきである。この不景気で,親は子どもの事ばかり考えていられなくなる。寂しさを訴えられない子ども達は,どんどん増えていくだろう。

2009年3月7日土曜日

パソコンにブルー画面が・・・

 パソコンが使用中に「ブルー画面」が出て,見ると「STOP~」という状態で止まってしまう。いろいろと今日は試した。まずは,マザーボードの交換,しかし,改善されず。次に,ハードディスクの交換,しかし,改善されず。次にメモリの交換,やっと症状がでなくなった。

 どうも,メモリに原因があったようだ。5~6年目の出来事だった。しかし,ここまでに5時間を要した。疲れた。

 パソコンの異常は,なかなか見当がつかず苦労する。そういう意味では,この程度で良かったのかも知れない。

一夜明けてこみ上げてきたもの!

 壮絶な卒業式が終わり,朝起きてこみ上げてきたものは,「怒り」である。特に,校外に出てから,彼らの動向をずっと,見届けていたのは,私一人。皆,腫れ物をさわるような対応。若い先生は,何をしているんだ。と言うこと。

 以前にもこういう経験は何度もした。しかし,そこには,自分も若かったし,常に若い教師が前面にいた。なぜ,今年度たった1年のつき合いの,しかも,50歳を過ぎた私が,彼らの面倒を一人で見なければならないのか。ここに,この学年を持ってきた学校の問題が隠されているんだろうな。

 何度も書いてしまうが,とにかく,今は「怒り」。特に,こういう状況を作った人たちすべてへの「怒り」である。傘もさせずに,ずぶ濡れの私に,誰が気付き,誰が声をかけたか。誰もいない。だって,見ていないんだから・・・。と言うか,見ないようにしているのかも知れない。
 以前いた学校でも,大変なことは多くあった。ただ,卒業式に3年職員をはじめ,生徒指導で頑張った教員一人ひとりにねぎらいの言葉をかけてくれた校長がいた。私の基準が,ここにあるから,怒りを感じるのかも知れない。ただ,言えることは,この校長の時,学校は,立ち直っていった。これは,事実としてある。ここがチームワークが必要な集団をまとめる基本線ではないだろうか。ただ,この校長は評判としては,あまり良くないと聞いたことがある。逆に,評判が良いと聞いている校長の中に,私は絶対に許せないと思っている人がいる。この評価の落差は,どこを見て判断しているかだろうな。

 私は,今年1年,とにかく意地でやってきた。卒業式までは,なるべく文句も言わず,できることをやろうと頑張ったつもりだ。しかし,それが終わった今,「怒り」以外の感情はない。人それぞれの頑張りを見られない,見つけられないリーダー。これでは,学校が変わるわけないと思った。
 また,同僚についても,少なからず,言いたいことはある。私と同じ「思い」を持って仕事をしてくれる人が,あと数人いたら,立て直してみせると言えるが,今の様子では,それは,かなり難しい。4月から,新しく赴任する人たちに期待している。

 少し,自慢話になるが,1校目は,とにかく大変なスタートだった。でも,5~6年上の先輩達に教えられながら,学校が立ち直った。2校目は,初日からパトカーが常駐する学校だった。史上最悪の学年といわれた学年に入れられた。でも,そこには,立て直そうとする強い意志を持った校長と,仲間がいた。一番長くいた学校だが,学校をかわる頃には,信じられないと言えるほどの立ち直りを見せた。3校目も,対教師暴力から始まるような学校だった。ここでは,数年で立ち直りを見せたが,残念ながら,上の方の人事で,私と同じ教科の教務主任が赴任し,必要のない人間になり,翌年転任した。4校目は,悪いながらも,すでに体制ができている学校で,ここでは,大変助けられた。体力的にも辛くなり始めていたこともあるが,若い先生達の足手まといにはならなかったと思う。ここでは,保護者を叱りつける素晴らしい教頭(現 校長)にも出会えた。5校目は,初めて経験する,世間一般で言う問題行動ではなく,子どもの心の問題と保護者への対応で,苦労をした。ただ,ここでは,素晴らしい教頭(現 校長)に出会えた。リーダーとは,かくあるべきだというのを絵に描いたような教頭だった。もう少し,この学校にいようと思ったが,そろそろこの教頭もかわる時期であったし,教務主任が変わり,私の「思い」とは,全く違っていて,「このままいては,邪魔になるな」と思って転任した。
 そして,6校目の今である。ある先生が「先生,大変じゃない学校がなかったじゃないですか」と言った。でも5校目では,少し,余裕もあった。その人の言うとおり,他の5校は,すべて,大変な学校だ。だいぶ前に書いたと思うが,なぜ,私は,そういう学校ばかりに行かされるのか。もういい加減に,年相応の仕事ができる学校に転任させてほしい。私の感じ行動したことを,若い世代に伝えられる学校に行かせてほしいと切に願うのである。<まあ,無理だな!校長に楯突くから・・・・>

2009年3月6日金曜日

先生だからできた!

 今日の昼,学校で食事をしながら,ある先生が「先生だから,○○の指導ができた。去年のことを考えると信じられないほど良くなった。」と言われた。もし,本当にそうだったら,嬉しい。続けて,「あれだけ学校批判をしていた保護者に協力をしてもらえたなんて,これも信じられない。去年は,電話しても全く聞く耳を持たなかった。」と。

 さて,この評価は,嬉しいのだが,誰がどこまで認めているかという事で言えば,知らない人の方が多いだろうな。私が,休日でも連絡を取ったり,家に何度も足を運んだり・・・。最初は,門前払い状態だったのが,家の中に入れてもらえるようになり,私からではなく,相手の保護者から私に電話がかかるようになってきた。
 こんな努力?は,知る人はいないだろう。でも,認めてもらおうとは思わないが,特に若い先生達には,「こういう方法もある」と言うことは,知ってほしいなと言う気持ちはある。ただ,全く,出世にも結びつかないし,管理職が認めて褒めてくれることもない。そんな時間あるなら,研究会などの組織の会合に出ていた方が自分のためかも知れない。
 それでも教師だから,やるんだと思っている人は,ぜひ,頑張ってほしい。子どもが変わり,保護者が変わる。ある意味,こういう醍醐味も教師にはあるんだ。世の中には,こんな教師もいるんだということを知ってもられると嬉しいな。

戦いの痕!

 先ほど,早めに風呂に入った。よく見ると,あちこちに「あざ」がある。この数日間で,生徒達との小競り合いでついたケガの痕である。

 本当に,卒業式の練習に入ってから,毎日のように争いが起きた。突っかかってくる生徒。止める私。当然,生徒の手が出る・足が出る。それをよけた結果が「あざ」となっている。

 確かに,卒業式は,予想よりは,良かった。しかし,私たち教師の「心の傷」と「体の傷」は,いまだ癒やされることはないだろう。また,癒しの言葉もかけられなかった。今まで,私が3年生をやったときは,必ず,3年生全職員に対して,「ご苦労様」という言葉があった。今回初めて,何の言葉もない,終わり方だった。まあ,仕事だからやるのが当然というのもわかる。だけど,この学校のひどさは,誰が見ても異常といえる。先生達の限界を超えている状況なんだから,一言かけて当然と私は思う。

 ところで,去年,私が1年から育てた子ども達が巣立ったとき,確かに大変なことが多かった学年ではあったが最後は,本当に感謝の心を持って卒業した。その式の後,教頭から「本当にご苦労さん。いい学年経営を見せてもらったよ」と言われた。これほど嬉しいことはなかった。
 私は,この教頭に,「私が育てる3年間を見てほしい。だから,卒業させるまでは転勤しないでよ」と言ったのを覚えている。彼は,その約束通り,私の育てた子ども達の卒業式を見て,先ほどの言葉をかけてくれた。本当に,「苦労が報われた」と思った。途中,絶対に主任は嫌だというのを,彼の何とかやってほしいという願いを聞き入れての学年だった。だからこそ,彼は,こういう言葉をかけてくれたんだと思う。尊敬している教頭(現 校長)だ。
 人をやる気にさせ,自分で無理に頼んだ人には,それに報いるような言動ができる。どれだけ助けられたかわからない。若くして校長になったが,私は,当然のことだと思っている。そういう資質を持っている人である。世の中の校長が,すべて,こういう人だったら,学校は,良い方向にかわるだろうし,働いている教職員も「やる気」が出るだろうな。
 無いものねだりじゃないと思う。こういう人は,何人もいる。でも,?と思う人が校長になったりするのを聞くと,校長になる資質とは,いったい何だろうと思う。答えは,ある意味簡単で,「学校を良くするために全身全霊を傾けられる人」と言うことだろう。リーダーとしての自覚を持って,自分の目標をしっかり持って,邁進する人。これが,条件かな。

終わった!卒業式!

 今日の卒業式は,予想をしていたよりは,うまくいった。それは,保護者が協力してくれたこと,職員全員で対応したことなど,今後の学校運営に役立つ多くのことが,実践されたことによるだろう。

 校外では,多くの警察官が配置され,彼らも羽目を外しすぎることはなかった。ありがたいなと思った。ただ,何年ぶりだろう・・・。こんなに多くの警察官を目にしたのは・・・。また,警察車両・パトカーは,1台や2台ではなかった。ある意味,本当に大変な学年であったことは確かである。

 私のクラスで言えば,とにかく保護者が頑張ってくれた。去年まで,反学校というくらいの状態だったそうだが,今年は,協力的だった。ここにも,私たちの反省点があるんだと思う。なぜ,保護者との良い関係が作れなかったか。同じように,生徒と教師の良い関係が作れなかったのか。

 こうやって,大げさではなく「死にそうな一年」が終わったが,本当に,やらなければならないことが見えてきたようにも思う。それにどれだけ気付いた教師がいるか。あるいは,管理職は気付いて来年度にいかせるかが,この学校の立ち直りに大きな影響を与えるだろう。

 いずれにしても,私は,終わった後の校長の言葉に「もっと,次につながる言葉があってよかった」と思っている。今,おぼろげながら,何をすればよいのかが見えた時だからこそ,言うべきではなかったのか。それは,今日が終わりではなく,始まりの日だから・・・。残念である。ひょっとして,今日が終わればいいと言うような考えだったとすれば,こんな寂しいことはない。学校を引っ張る力というのは,本当に大事なことだと改めて感じた1年でもあった。来年度は,誰が,引っ張ってくれるんだろうか。

2009年3月5日木曜日

公務員の犯罪告発義務!

ちょっと,公務員の犯罪告発について調べてみた。

・公務員と告発

 法第239条第1項では「何人でも犯罪があると思料するときは、告発をすることができる」とし、第2項では「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」としている。
 ここで、「その職務を行うことにより」とは、必ずしもその犯罪事実の発見そのものが職務内容である必要はなく、「職務の執行に際し」と広く解するのが通説となっている。したがって、公務員が通勤途上等、私人と同じ立場で発見した犯罪事実については、第2項の対象となるものではない。

・告発義務
 公務員が職務執行に際し犯罪事実を発見した場合は、必ず告発しなければならないものでしょうかについては,説は分かれており、第239条第2項の規定を訓示規定とするものもありますが、通説はこれを義務規定としている。
 しかしながら、この通説においても、告発するか否かについて職務上正当と考えられる程度の裁量まで許さないとするものではないというのが一般的な考え方となっている。
 ここで問題となるのが、職務上正当か否かの判断だが、この点については「例えば、公立中学校の生活指導担当の教諭が、喫煙をしている生徒を見つけたが、いまだ生活指導の余地ありとして、教育上の見地から告発をしないことは、事情によっては『職務上正当』と認められるであろう。これに対し、本来捜査機関によって判断されるべき事由、例えば、被疑者の再犯のおそれ、改悛の情の有無等を判断して、これによって告発するか否かを決めたり、その他自己の職務と関係のない事由によってこれを判断したりすることは、許されない」ものと解されている。

・告発の要件
 告発人の名義 告発は、だれでも、また口頭によってもこれを行うことができるが(法第241条)、上記のとおり告発には訴追を求める意思表示を必要とするものと解されることに加え、告発するか否かについて職務上の判断をする余地があると解されることから、「公務員として告発するについては、当該事案につき決定権限を有する者がこれに関与するのが一般的であって、地方公共団体の場合にあっては、一般に所属長(課長・所長等)以上の名義で告発するのが適当であると思われる」とされている。

ちょっと変じゃない?

 今,生徒指導のトップは,2年生まで今の3年生を受け持っていた人。当然,1年から2年と持ち上がったから,3年生にいて当然。しかし,現実は,そうではない。

 そして,今の3年に対して,「これをしてください。」「あれをしてください。」と言う。自分が出来なかったことを,私たちに「やれ」という。こういう状態では,なかなか素直に聞けない部分もある。「じゃあ,去年まで2年も見てきたんだから,自分で言えば・・・」と思ってしまう。

 まあ,こういう人事を組んだ人の責任なんだろうが,どう考えても「変」な人事である。これが,今の荒れた学年を作ってきたんだろうと推測できる。なぜ,彼を3年にしなかったのか。それをわかるようにしなければならないと私は思う。もし,生徒指導主事にするなら,当然,3年生でやってもらうべきじゃないか。そうでなかったらおかしいと思うのは,私だけじゃないだろう。

 今まで,許されていたわけではないが,やっていたことが,突然「今年はダメ」と言われれば,問題を抱えている生徒の反発があるに決まっている。その矢面に立つくらいの覚悟を持って行っているのだろうか。「言うは易く行うは難し」である。やるのは,今年度かわってきた私たち。生徒指導の細かなニュアンスもわからない私たち。

 とにかく,「おかしいよ。この学校!」と私は,思っている。加えて言えば,昨年度,前任校で私が1年から受け持った学年では3年になったとき,産休に入る人がいて,新たに担任が必要になった。だから,私は,途中からの担任,そして,学年主任・進路主任を掛け持ちでやった。
 当然,問題を持っている生徒を新しくお願いする人には申し訳ないと,今まで持ち上がってきたメンバーで面倒を見た。当然,私も担任を飛び越してでも指導をした。だって,自分の学年だからね。「責任」を持ってやっているからね。こういう事をしてきた私には,今の学校が,異常に思えてならないし,その説明も明確に受けたこともない。
 できなくなったから,じゃあ他の人にお願いというような,そういうのは,許されない。給料をもらっているんだから・・・。もし,許されることがあるとすれば,病気など,どうしようもない理由の時だろう。言葉が悪いが,「尻ぬぐいを,なぜしなければならないのか」と言うことである。
 こういう無責任な事をされて,病気寸前になった私に対して,誰がその責任をとってくれるのか。 だから,前に書いたように,この学校に転任させた校長と,今の学校の校長は,絶対に許すことはない。理由は,はっきりしている。前任校の校長は,私のことを現在の学校に「無責任な報告した」し,今の校長は,もう50を過ぎている私を,その学校の一番大変な学年で,しかも,一番大変なクラス担任にした。
 今までも,こういう事をされてきたが,今回だけは,納得することなく強引に,本人の了解なく行ったことに腹立たしさを持っている。今までは,大変な学年に入ったときも,きちんと説明をされ,納得して引き受けた。どんなに頑張ってきても,やはり,こういう扱いをされる。ほとほと嫌になる。定年まで少しになってもこういう扱い。最後ぐらい,「人間として扱って!」と言いたい。頑張っている人を評価しない教育委員会も大嫌いになった。

 最近,思うことがある。それは,「これは言ってはいけないことだな」と思って黙って胸にしまってきたことがたくさんある。それは,その当事者や関係者に配慮してのことである。しかし,こういう仕打ちを受けた以上,公にして,私がされて感じたのと同じくらい辛い思いをしてもらわないといけない人がいるなという事。そこまで考えている。それだけひどい1年だった。
 ただ,公務員の守秘義務について,勉強も必要だろう。時間ができたら,知人の弁護士に相談してみたい。

とんでもない卒業式練習!

 明日の卒業式の練習があった。しかし,途中,一人の生徒が注意に従わず,数人の教師と乱闘状態になった。私も途中からその場に行き,体育館から外に出した。私は,微熱があり,ふらふらしていたが,やらざるを得なかった。
 大半の生徒が頑張っているのに,この状態は,かわいそうでならない。もっと,保護者は怒るべきだろう。頑張っている先生にじゃなく,この状態を放置しているとしか思えない学校管理者に・・・。

 そして,外に出てからも暴れ回る生徒。注意をした教師を何度も殴ろうとする状態。途中で,私も突き飛ばされ,足にケガをした。どれくらいの時間経っただろうか。私は,この生徒が少し落ち着いたところで,この状態に乗して外に出てきた,自分のクラスの生徒への指導に入った。

 そこにいた校長は,いったい何をし,何を言ったのか。私には,全く理解できない。それでも,私たちは,手を出さず,やられっぱなしなんだ。明日が思いやられる。何度も同じ事を書くが,これは,昨日の打ち合わせでも起こることは予想されていた。なぜ,校長は,すぐに保護者を呼び,指導しないのか。「こんな状況では,他の生徒の迷惑になり困る」と自分で言えないのか。すでに,担任は,数え切れないほど保護者に言っているんだ。そういう姿勢を見せる時期は,すでにはるか前のことである。

 昨日も書いたが,こういう状況を教育委員会は,把握しているか。していないだろうな。または,していても「学校のことは校長が・・・」と言うだろうな。校長は,かわいそうな立場だが,自分でなりたいと思ってなった以上,それなりの事はすべきである。嫌だったら,降格もできるんだから・・・。
 正直,その場で,警察に逮捕されてもおかしくない状況。でも,それをしない判断。今の3年を悪くした判断じゃないか。これくらいやっても大丈夫とね。ひょっとして,子ども達じゃなく,学校が悪かったんじゃないかとさえ思える。

2009年3月4日水曜日

なぜ,教育委員会は,指導に来ないのか?

 今日も,2人の先生が生徒によって「ケガ」をさせられた。当然,病院に行って,診断書も取ったと思う。もう,今年一年で何度目なんだろうか。

 今回は,ちょっと違った考え方を書くが,こういうケガは,「公務災害」となるはず。これだけ毎日のように「公務災害」が頻発しているのに,その指導・監督をすべき「教育委員会」は,いったい何をしたんだろうか。ここに書いてあるのは,ほんの一部で,毎日のように,アザになるようなケガは誰かがしている毎日である。これを,すべて公務災害として届け出ているんだろうか。
 もし,届け出ているにも関わらず,教育委員会が,何の対応もしないとしたら,労働基準監督署から指導があってしかるべきだと思う。あくまで,学校という場での話なので,一般的な企業とは違うのかも知れない。もし,同じなら,教育委員会の職務怠慢と言える。
 職員の安全は,他の仕事のように考えられないのか。私は,とても疑問である。何度も対教師暴力や器物破損を繰り返す生徒がいて,文科省が「出席停止」に言及しているにもかかわらず,名古屋市教育委員会は,対応策を示さない。これは,あくまで,我が校の校長が,教育委員会に報告しているという前提だから,何も報告をしていなかったら,教育委員会は,知らないことになる。

 法律に詳しくないが,毎日「公務災害」がある職場があるのに放置している現状は,明らかにおかしいと私は思う。それでいて,正当防衛でも生徒に手を出すなと言う校長。いったい,私たちは,自分の体を何で守るんだろうか。鎧甲で,学校生活をすれば良いんだろうな。

 以前,信じられない状態の学校が,新聞に載って,やっと教育委員会が動いたという記事があったが,この時のように,報道されれば,教育委員会は,重い腰をあげるんだろうな。と言うことは,こういう現実を新聞などで取り上げてもらうことが一番なんだろうか。でも,そうしないと動かないとしたら,何と悲しいご都合主義の組織なんだろう。テレビカメラでも持って,一日学校を取材したら,学区の人を中心に信じられない光景を目にすることになるだろう。

 今日は,昨日,38度の熱が出て,解熱剤を飲んでの1日だった。それでも休めない状況の学校なんだ。多くの教員が病気をおして頑張っている。皮肉を書くが,生徒がいない応接室で,何やら仕事をやっている人には,わからないだろう。一度,生徒の暴走を自分の手で止めてみてほしいものだ。私は,そういう校長に出会ったことがあるんだから・・・。
 今日も数人の仲間から,管理職への注文が相次いだ。それだけ,信頼されることをしていないと皆は感じている。では,どうするか。自分でわからないなら,教育委員会に生徒指導担当の指導主事がいうんだから,具体的に聞けばいい。

 今日のことで言えば,もう何度も繰り返しているんだから,校長が自ら保護者を呼んで,話をする段階だと思っている。なぜ,担任や学年の生活担当なんだろう。教師にケガを負わせていて,それが一度や二度でないのに,校長がやらずに誰がやるんだ?
 前にも書いたが,そういう教頭・校長はいたんだ。そういう人の元でも問題は起こる。でも,職員は団結して自分の力を発揮しようとする。それが,学校運営と言うんだと私は思う。

2009年3月2日月曜日

3年生を送る会にも参加できなかった!

 今日,下級生による「送る会」が行われた。当然というか,服装違反の我がクラスの生徒は,入場禁止。その面倒を会場外で見ることになった。約3時間,傍若無人な行動をたった一人の私が対応するわけで,それは,想像を絶する辛さであった。

 当然,会場内は,平穏に行われたらしい。私は,文化祭・送る会,両方とも会場には入っていない。去年までのツケを誰が払っているのか。これで,うまくいったね。成功だね。という感覚にはならない。あのような状態にした,今まで関わってきた教師達は,何を感じたんだろうか。今年から来た私に押しつけておいて,何を思っているのか聞いてみたいものだ。

 ところで,当事者である3年生が入場できない「送る会」。私たちの反省は・・・それを許可した校長の反省は・・・。当然,ルールを守れない子供たちが悪い。でも,今まで,そういう指導をしてこなかったのは,誰なのか。考えさせられた。
 今回の指導方法を否定しているのではない。こういう指導を徹底すると,こういう問題が出てくる。だから,こうしていこうと言うところまで,考えてほしいのである。それを監督指示するのは,誰なのか。私が最近書いているように「組織として機能」していない点ではないだろうか。

 また,私以外の3年生職員の出し物もあったが,当然,私はそこにはいなかった。自分のクラスの子は,それをどう思っただろうか。

2009年3月1日日曜日

押しつけられた1年!

 今週末には,卒業式である。しかし,この1年,体を壊すほどの状況であった。ただ,4月,新しく赴任してきた2人(私ともう一人)は,始業式で「はめられた」と感じた。
 5クラスの中,一番落ち着かず,整列もしない2クラスが私たちに与えられたクラスだったのである。日に日にその「大変さ」は,想像を絶することになる。年齢的に体力不足の私は,体調を崩すことになった。

 しかし,転任してずぐに3年担任。これは,今までも経験した。ただ,とんでもない状態の学年で,しかも,誰もが敬遠をするクラスを持たされたことはなかった。後になって知ったことは,私を愕然とさせた。それは,2年生まで,生徒指導を担当していた教師が,この学年にいなかったこと。また,一昨年のスタートでは,学級が決まらないという状況で,誰も持ちたくないと,時間が過ぎたという。
 私は,あえて言うが,結果として,知らない2人に押しつけた学校。それが,今の私の勤務校。しかも,何のねぎらいもない学校。前にも書いたが,事前に知らせれば,断られると思ったのか,発表当日まで,内密にしていた学校。しかし,知っていた人もいた。そんな学校。誰が信用するだろうか。
 また,こういうクラスを任せると言うことは,当然前任校からの情報が伝わっていたことになる。前任校の校長も絶対に許すことはないだろう。

 今年1年,頑張ってきて,言いたいことは,去年の4月の体に戻してくれと言うことである。50を過ぎた体力不足の,体育会系でない私に一番の問題クラスを押しつけたこと。この責任は,誰が取ってくれるか。当然のこととして,1年生から,面倒を見てきた職員に責任を取ってもらうんじゃないのか。私は,1年から持った学年は,どんなに大変でもやり遂げてきた。逃げた人たちは,猛省し,校長・教頭は,自分達の考えた理不尽な人事について,総括し,その答えを示してもらいたいと思っている。
 そうじゃなかったら,同じ給料をもらってやってられない。前にも書いたが,この1年で,私は,校長・教頭を信頼しないという思いを強くした。どれだけ辛い1年だったかは,私の体重が,10キロ減ったことでわかってもらえるだろう
 きつい言い方だが,50を過ぎても,まだまだ人間ができていない私は,今年度の人事に関わった人たちを絶対に許さない。今の学校より大変な学校に勤務したときでも,こんな感情を持ったことはなかった。それだけ,今の学校は,組織として動いていない。個人の力だけで,しかも,自分じゃなくて,人のふんどしで相撲をとろうとしている集団になってしまっている。
 企業だったら,責任を取らせられる。良いよな,学校は・・・。だから,ダメなんだと思う。こういう人事をしても責任取らなくて良いんだから・・・。教育委員会は,こういう現実を,ぜひ知って,リーダーの育成に力を入れてほしい。少なくとも,私は,それができる校長・教頭や教育委員会に所属している人を多く知っている。全面に出て,所管の学校全部を良くしていくために,力を使ってほしいと切に望んでいる。