息子が,「膝が痛い」と言う。これは,去年からで,「オスグッド」という成長痛らしい。去年は,近所の外科に通ったが,しばらくすれば治るだろうという事だった。
しかし,なかなか痛みはひかず,入試が終わったこともあって,ちょっと大きな病院に行った。そこでも診断名は同じだったが,言うことは違った。近所の医者は「そのまま,運動を続けても良い」という判断だったが,今回は「やめた方がよい」だった。たまたま,妻の高校時代の同級生が整形外科だということで,今日,診てもらいに行った。その答えは,「やっても良い」だった。
なかなか難しい問題だし,医者によって言うことが違う。だから「セカンドオピニオン」が必要で,その判断が分かれたときは,自分で判断をしろということなんだろう。しかし,これは,とても難しく,ややもすると,自分の都合で判断をしてしまう危険があるように思う。
2008年3月29日土曜日
春なのに・・・。
気温も高くなり,春らしい日が続いている。外から聞こえてくる子ども達の声も弾んでいる。我が家の近くに公園がある。ここには,毎日小さな子達が元気に遊んでいる。とてもほほ笑ましい光景を見ることができる。
しかし,世の中は,相変わらずとんでもない事件が起きている。「死刑」になりたいと人を殺す。こんな事件が連鎖しているかのように起きている。学校に勤める者として,何をどう教えていったらいいのかを真剣に考えなければならない。どうして,子ども達の心がゆがんで成長してしまうのか・・・。
競争社会が激化していかないだろうか。二極化と言われ,学校でも勉強をする意欲に変化を感じる。今や,成績に関係なく高校進学ができる時代になり,大学も希望者全入時代が来るという。勉強をしなくても進学ができる。ひどい例だと,九九もあやしい子が大学に進学する。
私たちは,進学だけが社会に出る道だとは思っていない。しかし,いざ,自分の子どもには進学してほしいと願う。そこに,子どもの持っている「隠れた能力」の発見が遅れる一因があるような気がする。手作業がものすごく上手な子が,そういう道に進んだら,きっといきいきしているだろうなと思う。
もうすぐ4月。また,新しい年度が始まる。新しい出会いで,何を考えていくのだろうか。
しかし,世の中は,相変わらずとんでもない事件が起きている。「死刑」になりたいと人を殺す。こんな事件が連鎖しているかのように起きている。学校に勤める者として,何をどう教えていったらいいのかを真剣に考えなければならない。どうして,子ども達の心がゆがんで成長してしまうのか・・・。
競争社会が激化していかないだろうか。二極化と言われ,学校でも勉強をする意欲に変化を感じる。今や,成績に関係なく高校進学ができる時代になり,大学も希望者全入時代が来るという。勉強をしなくても進学ができる。ひどい例だと,九九もあやしい子が大学に進学する。
私たちは,進学だけが社会に出る道だとは思っていない。しかし,いざ,自分の子どもには進学してほしいと願う。そこに,子どもの持っている「隠れた能力」の発見が遅れる一因があるような気がする。手作業がものすごく上手な子が,そういう道に進んだら,きっといきいきしているだろうなと思う。
もうすぐ4月。また,新しい年度が始まる。新しい出会いで,何を考えていくのだろうか。
2008年3月16日日曜日
使い捨て!(物じゃないんだけど・・・)
ひょんな事から,「おまえは,校長に都合良く使われ,捨てられる使い捨て商品」のようだなという話になった。私は,なるほどと思った。そう言えば,始めて学年主任になったのが確か30歳の頃だったように思う。以後,毎年のように「やらされ」35歳の頃は,校務主任もやった。以後は,進路主任や学年主任をやり,今年は,とうとう学年主任と進路主任の掛け持ちとなった。
いずれも,「他にいないから頼む」という言葉にしたがってやってきた。しかし,だんだん疑問を感じるようになった。「あいつは,都合の良い人間だ」と思われているんだろうと・・・。そういう立場になれば,自分で言うのも何だが,結構一生懸命やる。これが,使い捨てのように使われる原因の1つだろう。
ただ,こういう気持ちにならなかった年もある。たぶん,それは,自分の「やったこと」を評価できる人がいたからだと思う。年々そういう人がいなくなったように思う。ここ数年は,とにかく,こういう気持ちが強くなってきた。
さて,今年4月からは,自分も少し変革をしていかなければならないと思っている。学年を一人の教員として見ていくことである。冷静に見る目を持ち,自分の今までの考えが合っていたのか,それとももっと良い方法があるのか。それを残り少なくなった教員生活で答えを出していこうと思う。
あまりに先頭を切って走ってきたので,少々疲れたのも事実である。ここで,少し,後ろに下がって,前をゆく人たちを見てみたい。
いずれも,「他にいないから頼む」という言葉にしたがってやってきた。しかし,だんだん疑問を感じるようになった。「あいつは,都合の良い人間だ」と思われているんだろうと・・・。そういう立場になれば,自分で言うのも何だが,結構一生懸命やる。これが,使い捨てのように使われる原因の1つだろう。
ただ,こういう気持ちにならなかった年もある。たぶん,それは,自分の「やったこと」を評価できる人がいたからだと思う。年々そういう人がいなくなったように思う。ここ数年は,とにかく,こういう気持ちが強くなってきた。
さて,今年4月からは,自分も少し変革をしていかなければならないと思っている。学年を一人の教員として見ていくことである。冷静に見る目を持ち,自分の今までの考えが合っていたのか,それとももっと良い方法があるのか。それを残り少なくなった教員生活で答えを出していこうと思う。
あまりに先頭を切って走ってきたので,少々疲れたのも事実である。ここで,少し,後ろに下がって,前をゆく人たちを見てみたい。
2008年3月9日日曜日
2008年3月8日土曜日
リベンジ?
娘が地元の国立大学に合格した。私が合格できなかった大学に合格してくれたことは,何か,自分の失敗を彼女が埋めてくれたように感じている。塾に行かずに高校の授業で頑張った。途中,不安になり「塾にいこうかな」と言ったときも,それを肯定しない私に,反発したこともあったように思う。
でも,今,見事に合格できたのも,塾に行かないという部分があったからこそ,成し得たように思える。 また,部活動も3年になる頃には,やめていく子が多い中,夏休みまではと,やり遂げた。この強い意志が良い結果につながっているんじゃないだろうか。
ところで,合格を伝えるメールには,たった一文字「○」とだけ書いてあった。何とも味気ない連絡であった。
でも,今,見事に合格できたのも,塾に行かないという部分があったからこそ,成し得たように思える。 また,部活動も3年になる頃には,やめていく子が多い中,夏休みまではと,やり遂げた。この強い意志が良い結果につながっているんじゃないだろうか。
ところで,合格を伝えるメールには,たった一文字「○」とだけ書いてあった。何とも味気ない連絡であった。
2008年3月7日金曜日
評価の違い
卒業式が終わり,何か物足りない朝を迎えた。昨日,子ども達,保護者,教員と話をしていて思ったことは,「評価」の違いである。
子ども達と保護者の評価は,共通点が多い。仲間がよかった,こんなに成長できたという評価である。しかし,学校はと言えば,卒業式がきちんとできたとか,答辞がどうだとかいう話になる。よく,学校評議員とか教員評価とか言うが,誰が評価するんだろう。
表面的にしか評価できない人が評価したら,うわべだけの評価になってしまうような気がする。昨日は,ありがたいほど多くの保護者が話しに来てくれた。中には,激論を戦わせた人もいた。話をする中で,子どもと一緒に成長した私や保護者がいた。これは,どう評価されるんだろう。
私は,常に「評価されるはずがない道」を選んだかのように行動しているような気がする。ただ,こうやって,卒業式の保護者の方々からの評価が,私の通知票なんだと思い,嬉しくなるのである。ただ,今後の評価によっては,私の存在は否定され続けることになりそうだ。きちんとできたとして,それを練習だけでやったのではなく,日頃の指導の結果として表れていたことを学校は評価していくべきだと思う。
まあ,頑張れるところまで,自分を曲げずにやっていきたいと,昨日の卒業式後の保護者との話で思ったのである。
子ども達と保護者の評価は,共通点が多い。仲間がよかった,こんなに成長できたという評価である。しかし,学校はと言えば,卒業式がきちんとできたとか,答辞がどうだとかいう話になる。よく,学校評議員とか教員評価とか言うが,誰が評価するんだろう。
表面的にしか評価できない人が評価したら,うわべだけの評価になってしまうような気がする。昨日は,ありがたいほど多くの保護者が話しに来てくれた。中には,激論を戦わせた人もいた。話をする中で,子どもと一緒に成長した私や保護者がいた。これは,どう評価されるんだろう。
私は,常に「評価されるはずがない道」を選んだかのように行動しているような気がする。ただ,こうやって,卒業式の保護者の方々からの評価が,私の通知票なんだと思い,嬉しくなるのである。ただ,今後の評価によっては,私の存在は否定され続けることになりそうだ。きちんとできたとして,それを練習だけでやったのではなく,日頃の指導の結果として表れていたことを学校は評価していくべきだと思う。
まあ,頑張れるところまで,自分を曲げずにやっていきたいと,昨日の卒業式後の保護者との話で思ったのである。
2008年3月6日木曜日
巣立った子ども達
私には「素晴らしい卒業式だった」と言える。途中,打ち合わせと違う場面が何度もあって,子ども達は戸惑っていたが,いつもの「考えて行動」を実践で見せた。私は,「何で打ち合わせと違うことをするの?」という怒りに近い感情もあったが,子ども達のその場に応じた行動が見えたことで,かえって,この学年らしいと思った。
また,今日の卒業式の中にも,多くの3年間「考えた」行動が見えた。これに気づいた人は,何人いたんだろう。それは,「指導をしていない場面」で彼らがとっと行動である。ややもすると,「練習でしっかりやっていたからできた」と思われる部分かも知れない。
自分の学校の先生の中でも気づく人は少ない。また,入場前に子ども達が「保護者に向けて歌った歌」聞こえていただろうか。見えないところで,気がつかないところで,彼らは自分たちの卒業式を自分たちで演じたのである。失敗があっても100点満点がつく子ども達。自慢の娘息子達だ。
また,今日の卒業式の中にも,多くの3年間「考えた」行動が見えた。これに気づいた人は,何人いたんだろう。それは,「指導をしていない場面」で彼らがとっと行動である。ややもすると,「練習でしっかりやっていたからできた」と思われる部分かも知れない。
自分の学校の先生の中でも気づく人は少ない。また,入場前に子ども達が「保護者に向けて歌った歌」聞こえていただろうか。見えないところで,気がつかないところで,彼らは自分たちの卒業式を自分たちで演じたのである。失敗があっても100点満点がつく子ども達。自慢の娘息子達だ。
2008年3月5日水曜日
半分の時間で・・・
今日は,卒業式前の練習が行われた。リハーサルに当てられた時間は2時間。しかし,一度も止めての指導はなく,半分の1時間で終わった。
3年生は,自分たちで考えて行動することが当然の事として3年間過ごした。だから,「言われる前に何をしなければならないか」に気づく。明日の本番が楽しみである。
途中,他の学年の先生から,「どうやったら,こういう学年になるんですか?」と聞かれた。答えは,「指示を必要以上に出さず,自分たちで考えさせることを3年間やれば良いんです。」と言った。だから,一度も「静かにしてください」という事は言わない。あの子達には,「当たり前の事」なんだ。
でも,ここまでに具体的にどう指導方法を考えてきたかは,一緒にやった人しかわからないかも知れない。もっと言うなら,それを盗む気持ちがなければできないことだろう。
残念ながら,この先生以外に「どうするんですか?」と聞いた先生はいない。この先生は,少し,こういう学年の「良さ」を感じてくれたんだと思う。こういう先生が増えていくことを切に願う。旧態依然とした指導の継続は,子ども達の成長を遅らせてしまうように思う。
私も改良しながら指導を重ねてきた。これも,先輩の先生のやり方を見て学んだ。人から盗んで,そこに自分なりの方法を追求することが大切だと思う。「なぜできない」と嘆いていても先には進まない。なぜできないのかを考え,こうするとこうなるんじゃないかと考えたいものだ。
よく「前の学校ではこうだった」という先生がいるが,これは,「自分はこれ以上進歩できません」と言っているように聞こえる。こういう考え方こそ,学校に閉塞感を与えてしまっている。
3年生は,自分たちで考えて行動することが当然の事として3年間過ごした。だから,「言われる前に何をしなければならないか」に気づく。明日の本番が楽しみである。
途中,他の学年の先生から,「どうやったら,こういう学年になるんですか?」と聞かれた。答えは,「指示を必要以上に出さず,自分たちで考えさせることを3年間やれば良いんです。」と言った。だから,一度も「静かにしてください」という事は言わない。あの子達には,「当たり前の事」なんだ。
でも,ここまでに具体的にどう指導方法を考えてきたかは,一緒にやった人しかわからないかも知れない。もっと言うなら,それを盗む気持ちがなければできないことだろう。
残念ながら,この先生以外に「どうするんですか?」と聞いた先生はいない。この先生は,少し,こういう学年の「良さ」を感じてくれたんだと思う。こういう先生が増えていくことを切に願う。旧態依然とした指導の継続は,子ども達の成長を遅らせてしまうように思う。
私も改良しながら指導を重ねてきた。これも,先輩の先生のやり方を見て学んだ。人から盗んで,そこに自分なりの方法を追求することが大切だと思う。「なぜできない」と嘆いていても先には進まない。なぜできないのかを考え,こうするとこうなるんじゃないかと考えたいものだ。
よく「前の学校ではこうだった」という先生がいるが,これは,「自分はこれ以上進歩できません」と言っているように聞こえる。こういう考え方こそ,学校に閉塞感を与えてしまっている。
2008年3月4日火曜日
一通の手紙
今日,ある保護者から手紙をもらった。3年間,一緒に子ども達のことを考えた私に温かい言葉をもらった。一生懸命やると,やっぱり良いことがある。
ところで,保護者の人とは話す機会が少ない。だから,今の自分たちのやっていることの評価を知るのは難しい。こうやって,言葉をもらうと,「やる気」が出る。本当に嬉しいことだ。この手紙を励みにまた,頑張ろうと思う。
今の3年生とは,あと2日。今日の練習も「ああしろ,こうしろ」をあまり言わず,進んだ。「これは,格好悪いな」と言ったことは,自分たちで修正する。特に,退場がバラバラだったが,たった4分の休憩時間に室長中心に修正していた。こんなことは,教師側が「こうしろ」と言えばすむ話だ。でも,あえて,子ども達に「考え」させた。
3年間の成果だ。一生懸命練習していた。それは,怒られるからじゃない。心一つにして頑張ろうというクラスの団結だ。見ていた他学年の先生に「先生の求めていたことは,これなんですね」と言われ,なぜか誇らしく思った。
間違ってないんだ。自分の3年間は・・・・。
ところで,保護者の人とは話す機会が少ない。だから,今の自分たちのやっていることの評価を知るのは難しい。こうやって,言葉をもらうと,「やる気」が出る。本当に嬉しいことだ。この手紙を励みにまた,頑張ろうと思う。
今の3年生とは,あと2日。今日の練習も「ああしろ,こうしろ」をあまり言わず,進んだ。「これは,格好悪いな」と言ったことは,自分たちで修正する。特に,退場がバラバラだったが,たった4分の休憩時間に室長中心に修正していた。こんなことは,教師側が「こうしろ」と言えばすむ話だ。でも,あえて,子ども達に「考え」させた。
3年間の成果だ。一生懸命練習していた。それは,怒られるからじゃない。心一つにして頑張ろうというクラスの団結だ。見ていた他学年の先生に「先生の求めていたことは,これなんですね」と言われ,なぜか誇らしく思った。
間違ってないんだ。自分の3年間は・・・・。
2008年3月3日月曜日
送る会で・・・。
今日は,「3年生を送る会」があった。座ったままの挨拶・時間どおりに着席・指示される前に静かになる。我が学年では「あたりまえ」の事が,素晴らしいことに思えるような会だった。盛り上がっても,けじめはつける。
「静かにしてください」という言葉を嫌う私に育てられた子ども達は,自分たちで静かになる。時計を見て行動することを「あたりまえ」にしてきたから,どの学年より早く着席した。これに,何人の生徒や教師が気がついただろうか。もし,気がついたとしたら,この伝統は継承される。
卒業式まであと3日となった。子ども達は,「いい顔」をしている。
「静かにしてください」という言葉を嫌う私に育てられた子ども達は,自分たちで静かになる。時計を見て行動することを「あたりまえ」にしてきたから,どの学年より早く着席した。これに,何人の生徒や教師が気がついただろうか。もし,気がついたとしたら,この伝統は継承される。
卒業式まであと3日となった。子ども達は,「いい顔」をしている。
2008年3月2日日曜日
2008年3月1日土曜日
最後の学年通信 「一期一会」
最後の「学年通信」を出しました。こんなことを書きました。
一期一会とは,<茶の湯で、茶会は毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた語。転じて、一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎりであること。>とあります。まさに私たちと子ども達,そして保護者の皆様との一生に一度しかない出会いを,真剣に過ごした3年間でした。
さて,とうとう最後の「学年だより」を発行することになりました。1年生から,枚数だけは決して他の学年に負けないボリュームのある「学年だより」にしました。その中で,子ども達の言葉を多く掲載し,保護者の方々に「今の中学校」を知ってもらい,成長していく子どもたちの姿を感じていただけるものと信じて発行してきました。どうでしたか。
私は,最後の「学年だより」で,保護者の皆様,そして子ども達に感謝したいと思います。この3年で,私自身が驚くほどの成長をしました。すべてが,保護者の方々とお子さん達のおかげです。入学当初は,保護者の方々からお叱りも受けることが多く,「何で?」という思いが先に立ち,「一生懸命にやっているのに・・・」と思ったことも何度もありました。嫌になった時期も正直一度や二度ではありませんでした。
しかし,保護者の方と話す中で,「子供のことを真剣に考えている」という部分は,私たちと同じであることを感じていました。だから,「子供たちのこと」を考えてやれば,必ず理解してもらえると信じてきました。そして,徐々に,保護者の皆様からも私たちのやり方に対して肯定的な意見も寄せられるようになり,「やりがい」を感じた事も多くあり,「よし,この子達を日本一の中学3年生にしよう。」と思ったのです。
また,何より子供たちの成長は,めざましく,この3年間で,全員すばらしい「人」になったと思います。最初の出会いの入学式後に最初に子ども達に言った言葉は「考えろ」です。どうしてそうしたかは,3年後に「こういう集団にしよう」と何度も話し合ってのことです。こちらから,指示を出しすぎることは「指示待ち人間」になってしまう。現代の若者を見ていてそう思っていました。ですから,常に「考えろ」と言い続けました。これを忠実に実践してきた3年生は,私の想像を超えた「考えろ」を実践したのです。私が思いもよらないがんばりを見たのは,「稲武」そして「修学旅行」などの行事でした。稲武では,全く「指示をする放送」を使わない実践をしました。自分たちで時計を見て行動したのです。朝の「起きろ」というのもありませんでした。ちゃんと全員集合しました。お互いが,気を配って行動していました。他の中学校ではできることではありません。
修学旅行でも,すべて「子ども達」の手で運営されました。私たちは,まさに,「連れて行ってもらう修学旅行」に徹しました。行く先々で,驚きのお褒めの言葉をいただきました。学校を離れてできたということは,全員が,中学校の課程を間違いなく修了できたことの証明です。学校というところは,指示をしてそれに従うことで指導をしていると思いこんでいる部分があります。こうして3年間を過ごしてみて,私たちが取った方法は間違っていないと思っています。こういう集団作りもあるんだという意味で,学年経営に一石を投じたと思います。
さて,ここに9年間の義務教育を終えるわけですが,私たちの仕事が終わるわけではありません。全員が,10年後・20年後に「この3年間」が生きた経験として身に付いていてこそ,意味のある3年間になります。卒業はしても,子ども達は,私たちの「大事な生徒」です。私が中学校にいなくなっても,子ども達を思う気持ちは変わることは決してありません。共に子ども達のために見守っていきましょう。
お子さんのますますの成長を願い,最後の巻頭言とします。本当に,本当にありがとうございました。どこかで,お会いできる日を楽しみにしています。
※学校外の行事では,「なぜ,指示を出さないのか?」と言われ,これが「私の考える集団です」と答えたことを思い出す。それだけ,「教師は指示をするものだ」と思っている人が多いと言うことだ。ちょっと愚痴を言えば,この集団作りをどうやってきたかを知る人は,ほとんどいない。研究論文のような結果だけを見てしまう教師には,難しい課題だろう。また,この実践が出来たのは,私の思いを忠実に実践してくれた仲間がいたことが大きいのは,当然である。
最後に,この集団作りの成果かどうかはわからないが,小学校からの不登校が激減したのも事実である。決して評価はされないけれど・・・。
一期一会とは,<茶の湯で、茶会は毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた語。転じて、一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎりであること。>とあります。まさに私たちと子ども達,そして保護者の皆様との一生に一度しかない出会いを,真剣に過ごした3年間でした。
さて,とうとう最後の「学年だより」を発行することになりました。1年生から,枚数だけは決して他の学年に負けないボリュームのある「学年だより」にしました。その中で,子ども達の言葉を多く掲載し,保護者の方々に「今の中学校」を知ってもらい,成長していく子どもたちの姿を感じていただけるものと信じて発行してきました。どうでしたか。
私は,最後の「学年だより」で,保護者の皆様,そして子ども達に感謝したいと思います。この3年で,私自身が驚くほどの成長をしました。すべてが,保護者の方々とお子さん達のおかげです。入学当初は,保護者の方々からお叱りも受けることが多く,「何で?」という思いが先に立ち,「一生懸命にやっているのに・・・」と思ったことも何度もありました。嫌になった時期も正直一度や二度ではありませんでした。
しかし,保護者の方と話す中で,「子供のことを真剣に考えている」という部分は,私たちと同じであることを感じていました。だから,「子供たちのこと」を考えてやれば,必ず理解してもらえると信じてきました。そして,徐々に,保護者の皆様からも私たちのやり方に対して肯定的な意見も寄せられるようになり,「やりがい」を感じた事も多くあり,「よし,この子達を日本一の中学3年生にしよう。」と思ったのです。
また,何より子供たちの成長は,めざましく,この3年間で,全員すばらしい「人」になったと思います。最初の出会いの入学式後に最初に子ども達に言った言葉は「考えろ」です。どうしてそうしたかは,3年後に「こういう集団にしよう」と何度も話し合ってのことです。こちらから,指示を出しすぎることは「指示待ち人間」になってしまう。現代の若者を見ていてそう思っていました。ですから,常に「考えろ」と言い続けました。これを忠実に実践してきた3年生は,私の想像を超えた「考えろ」を実践したのです。私が思いもよらないがんばりを見たのは,「稲武」そして「修学旅行」などの行事でした。稲武では,全く「指示をする放送」を使わない実践をしました。自分たちで時計を見て行動したのです。朝の「起きろ」というのもありませんでした。ちゃんと全員集合しました。お互いが,気を配って行動していました。他の中学校ではできることではありません。
修学旅行でも,すべて「子ども達」の手で運営されました。私たちは,まさに,「連れて行ってもらう修学旅行」に徹しました。行く先々で,驚きのお褒めの言葉をいただきました。学校を離れてできたということは,全員が,中学校の課程を間違いなく修了できたことの証明です。学校というところは,指示をしてそれに従うことで指導をしていると思いこんでいる部分があります。こうして3年間を過ごしてみて,私たちが取った方法は間違っていないと思っています。こういう集団作りもあるんだという意味で,学年経営に一石を投じたと思います。
さて,ここに9年間の義務教育を終えるわけですが,私たちの仕事が終わるわけではありません。全員が,10年後・20年後に「この3年間」が生きた経験として身に付いていてこそ,意味のある3年間になります。卒業はしても,子ども達は,私たちの「大事な生徒」です。私が中学校にいなくなっても,子ども達を思う気持ちは変わることは決してありません。共に子ども達のために見守っていきましょう。
お子さんのますますの成長を願い,最後の巻頭言とします。本当に,本当にありがとうございました。どこかで,お会いできる日を楽しみにしています。
※学校外の行事では,「なぜ,指示を出さないのか?」と言われ,これが「私の考える集団です」と答えたことを思い出す。それだけ,「教師は指示をするものだ」と思っている人が多いと言うことだ。ちょっと愚痴を言えば,この集団作りをどうやってきたかを知る人は,ほとんどいない。研究論文のような結果だけを見てしまう教師には,難しい課題だろう。また,この実践が出来たのは,私の思いを忠実に実践してくれた仲間がいたことが大きいのは,当然である。
最後に,この集団作りの成果かどうかはわからないが,小学校からの不登校が激減したのも事実である。決して評価はされないけれど・・・。
何のためのリーダーか!
今,自衛隊の漁船衝突事故での対応がニュースになっている。私は,自分の失敗,自分の所属している組織の失敗にどう対応するのかを考える上で,何のためのリーダーかを考える。
多くの人は,自分の失敗を隠したいだろう。ましてや,それが大きな問題であればその思いは強くなるのは当然かも知れない。それが,大きな組織だとしたら,対応が重要になる。
その時のために「リーダー」がいるんだ。だから,どういう対応をしたかは,リーダーの資質の問題でもある。どうして,リーダーになったのか。リーダーになったら,何をすべきか。不祥事があったとき,どうすべきか。ものすごく難しい。それが出来ないのならやはり,資格なしということだろう。厳しいと思う。今の日本の組織を考えたら,多くのリーダーは,その資格がないかも知れない。
ただ,私たち,真実を知る立場の側にも心構えがいる。本当に真実を知るために,考えることも多い。真実が言える雰囲気を作ることも大事だ。外国の中には,正直に言うことが刑期に影響を与えたりする。
たぶん,世の中に出てこない不祥事の方が多いのだろう。だから,何度も「隠し通せた」という意識が消えない。結果として,上に立つ者は,隠し通せた方がはるかに「楽」だと思う。だって,明るみに出たときに様子は,想像を絶するものだから・・・。
これで,いいのか?といわれて,どう答えたらいいのだろう。
多くの人は,自分の失敗を隠したいだろう。ましてや,それが大きな問題であればその思いは強くなるのは当然かも知れない。それが,大きな組織だとしたら,対応が重要になる。
その時のために「リーダー」がいるんだ。だから,どういう対応をしたかは,リーダーの資質の問題でもある。どうして,リーダーになったのか。リーダーになったら,何をすべきか。不祥事があったとき,どうすべきか。ものすごく難しい。それが出来ないのならやはり,資格なしということだろう。厳しいと思う。今の日本の組織を考えたら,多くのリーダーは,その資格がないかも知れない。
ただ,私たち,真実を知る立場の側にも心構えがいる。本当に真実を知るために,考えることも多い。真実が言える雰囲気を作ることも大事だ。外国の中には,正直に言うことが刑期に影響を与えたりする。
たぶん,世の中に出てこない不祥事の方が多いのだろう。だから,何度も「隠し通せた」という意識が消えない。結果として,上に立つ者は,隠し通せた方がはるかに「楽」だと思う。だって,明るみに出たときに様子は,想像を絶するものだから・・・。
これで,いいのか?といわれて,どう答えたらいいのだろう。
娘の卒業式
今日は,娘(高校生)の卒業式である。目標校に入学し,毎日充実した生活を送ったようだ。特に,素晴らしい先生との出会いが,彼女の学習意欲に火をつけたようだ。
この先生は,世界史を教えているという。毎年,日本史を選択することが多いというが,この先生がいたため,今年は世界史が多かったらしい。受験で不利だという言葉も「この先生の授業を受けたい」という子ども達の思いは素晴らしい。同じ仕事をしている私にとっても,大変考えさせられることである。
今,大学受験を終え,毎日,図書館で本を読む毎日だが,今日で最後の高校生活をどう終えていくのか。親としては,「早かったな」と思うのと同時に「これからも頑張れ」と思うのである。
この先生は,世界史を教えているという。毎年,日本史を選択することが多いというが,この先生がいたため,今年は世界史が多かったらしい。受験で不利だという言葉も「この先生の授業を受けたい」という子ども達の思いは素晴らしい。同じ仕事をしている私にとっても,大変考えさせられることである。
今,大学受験を終え,毎日,図書館で本を読む毎日だが,今日で最後の高校生活をどう終えていくのか。親としては,「早かったな」と思うのと同時に「これからも頑張れ」と思うのである。
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