2008年4月26日土曜日

教え子,大相撲の番付表に載る!

 今年3月に卒業した教え子が,大相撲五月場所の「番付表」に載った。連絡を受けてすぐに,日本相撲協会のページで確認した。何か,とても嬉しい。今場所も頑張って,少しでも上を目指してほしいものだ。

2008年4月25日金曜日

物が壊れていく・・・

 始業式後,毎日のように校内で物が壊されている。今日は,自分のクラスの「掃除道具入れ」の扉が壊され,スイッチ類はカバーがへこまされている。また,ドアは,蹴破られる寸前である。火災報知器のカバーははずされてなくなっている。今日は,植木鉢も割られてあったという。 また,傘が何本も外に壊されて放り投げてある。壊された保護者に何と説明をし,謝罪をするのか。
 以前には,トイレの鏡が粉々に・・・。また,手洗い場の洗剤入れもすでに破壊されている。

 こういう事が毎日起きていて,だんだん,自分が鈍感になってきているように思い,いけないと思いなおす。しかし,学校全体として,何もアクションがない・・・。前からいる先生達にとっては,何も驚くことでもなく,日常茶飯事の事で,感覚が麻痺してしまったのだろうか。私は,むなしい思いで,子ども達が帰った後,教室で掃除道具入れの扉を修理した。 何も修理することが嫌なのではなく,また,同じ事が繰り返されるのは間違いないからだ。

 以前いた学校で同様のことが起きたときとは,全く違う様子に戸惑っている。なぜなら,20年ほど前の事だから・・・。時代が変わったのか。こういう事は,仕方がないという時代になったのか。私は,そんなはずはないと思う。当時の管理職は,こういう状態をしっかりと把握し,善後策を指示した。
 その後に勤めた学校で,今回と同じような対応をした管理職がいた。言うまでもなく,どんどん学校で破壊される物が増えていった。そして,新聞でも大々的に問題行動で報道される結果となった。だから,今,もう遅いかもしれないけど対応しておく必要があると思う。 こういう教訓がなぜいかされないのか。疑問でしかない。勝手な想像をすれば,こういう話をすることが,教育委員会の中ではタブーで,問題行動が多い学校の評価につながってしまうんじゃないかと思ってしまう。
 今年,かわったばかりの私は,何をどうしていいのか・・・。

2008年4月23日水曜日

1日20分←イスに座った時間

 今日,どれくらい職員室でイスに座れるかをはかってみた。何とその時間は,8時間の連続勤務で「たった20分弱」であった。こういう状況が,すでに3週間過ぎた。たぶん,他の学年職員も同様だろう。

私の今日の一日
 ・朝8時10分→教室へ行く。
 ・8時25分→生徒を廊下から教室に入れる(すぐには入らない)。押し問答が続く。
 ・8時25分~50分→廊下で,出てくる生徒の指導。
 ・授業のない時間は,廊下。
 ・放課は,各階段(他の学年にいってしまうため)
 ・昼食→教室や廊下で勝手な行動をする生徒の指導。弁当は,ほとんど食べていない。
 ・6時間目が終わる→すぐに教室へ,教室に入れる指導。
 ・下校時→門で対応。運動場で部活動のじゃまをしている生徒の指導。

 やっとイスに座れたのは,4時05分。やれやれ,これが今日の私である。
これって当然なんだろうか。昼食もちゃんと座って食べられず,約8時間連続勤務。これが,今後続いていけば,どうなるんだろう。50歳を超えた私には,辛い。どこかに相談しないといけないかなと思う。

よく似てる・・・。だから早く。

 実は,今の学校の状態が,以前いた学校に非常によく似ている。校長判断の甘さから,どんどん問題はエスカレートし,新聞にも何度も報道される事態となった。それに似ている。私は,何で,こういう教訓がいかされないのか疑問である。たぶん,自分の学校とは関係ないという考えの人が多いんだろう。

 だから,教育委員会があるんじゃないだろうか。こういう状況が続けばどうなるのかを把握できる立場なんだ。だから,早く対応をすべきである。指導監督できる立場は,ここしかないんだ。きちんと,現状を報告しているんだろうか。もし,報告しているのにこの状況だとすれば,全く指導監督できていない。
 ここには,書けないが,もう,すでに,生徒指導の本によれば,第●段階なんだ。気づいていないはずがない。でも,放置はないでしょう。

 また,自分でできないなら,経験豊かな人に援助してもらえば良いじゃないだろうか。一人の判断の甘さから,学校を悪くするのはよくない。だって,大半の子ども達は,きちんと生活しているんだよ。誰が矢面に立つの?生徒は,先生でも親は,誰が矢面に立って学校の立場を言明できるの?何を恐れているの?私が最初に意見を言ったときの対応で,これがすべてだと感じた。意見は聞き入れられなかった。

 今でも思い出す教頭や校長がいる。間違っている親を叱りつけたり,こどもの指導方法を具体的に教えたり・・・。これができる人とできない人。私は,あの人たちにすぐに,学校に来てほしいと願っている。とくに,定年退職している2人の元校長先生には,アドバイスがほしいと思う。 一人は,今,幼稚園の園長先生だが,毎日が大変ではあったが,常に一緒に生徒指導をした。もう一人は,大学にいっていると思うが,とにかくトップダウンというタイプで,親を指導するのがとても上手だった。当然,学校は,徐々に立ち直ったのは言うまでもない。
 すぐは,問題が解決しないだろうけれど,必ず学校の指導方針を立て直し,教職員にやる気を出させる方法を示すだろう。

2008年4月22日火曜日

人として見ていない・・・。

 文部科学省ですら「正当防衛」に言及する時代に,それすら「やめてほしい」という校長がいる。私たちには,殴られてから対応しますと言うことだ。うがった考え方をすれば,生徒防衛が認められそうな事態でも教師さえ手を出していなければ,自分の身には何も起こらない。もし,教師が手を出したら,自分が説明しなければならない。こんな話を平然とできるとは・・・。私たち教師を,人として認めていないと思えてならない。

 20年ほど前,校内暴力吹き荒れる頃,名古屋市内のある中学校の教頭は,「生徒も大事だが,限度を超えれば,私は,教師を守る責任もある。」とのコメントが新聞に掲載された。この言葉に私は,心打たれた。この人の元で働いてみたいと思ったのを覚えている。残念ながら,この人は若くしてなくなった。教員組合でも頑張っていた人だったと記憶している。やはり,人の上に立つ人は,リーダーとしての資質があるんだ。 そうじゃなきゃいけないんだ。人の上に立つ人は・・・。

 今,荒れた学校は,自分の学校がどんな状況かを把握しているんだろうか。私は,疑問を持っている。このままいけば,どうなるのかも想像するのは簡単である。にも関わらず,放置し続ける方針?に,あきれている。ひょっとして,どうしていいのかわからないなんて事は,ないと思うが・・・。 わたしでも,いくつか考えられる。

 何度も書いてきたが,立ち直るのに時間がかかる学校が,まさに,こういう状態であるのを何度も見てきた。私の,思い違いなら良いんだが,どうも日に日に,私の思ったとおりになってきている。早期対応に失敗しているんだから,これ以上遅らせたらだめなんだ。何度も失敗してきた学校を見ているから,焦っている。

2008年4月20日日曜日

不信感!

 今,自分自身,いろんな事に「不信感」を持ってしまう。約30年の教員生活を振り返ってそう思う。最近起こることすべてに「不信感」がある。

 くれない族とでも言おうか・・・。ここまで,頑張ってきたのに,何が残ったのか。生徒指導でも常に矢面に立ってきたのは,いったい何だったのか。人が嫌だという仕事をやってきたのは,いったい何だったのか。死ぬまでこき使われるのだろうか。

 なぜ,教育委員会は,頑張りを評価しないのか。都合よく使うことだけしか考えていないのか。評価したから,こうしていると言うかも知れない。とんでもない間違いである。
 しかし,当然と言えば,当然なのかも知れない。でも,血の通った生身の人間を育てていく仕事を司る立場の人間に血の通った事ができなければ,それは,教育を語る資格がないと思えてならない。子どもは,物じゃない。当然,教員だって物じゃない。こんな当たり前のことができない事に,憤りを通り越して,悲しい気持ちになる。

 こういう気持ちになった自分が悲しい。でも,これは,事実だ。今まで,頑張ってきたのは,それに見合う努力をした校長がいたからだと思える。ここ数年,そう思うことはない。正しく人を評価し,学校経営ができる能力を持った人が教育委員会や校長にいなくなったのか。教育を語れる人がいなくなってしまったのか。今後また,名古屋の中学校は,荒れ始めるだろう。そんな気がする。以前,中学校が荒れたときの状態に似ているから・・・。事なかれ主義の産物は,何だったのか。また,歴史は繰り返すんだろう。わかっているのに,なぜ同じ轍を踏むの?その時代を知らない若い教師に誰が,伝えるんだろう。
 やはり,戦うしかないのか・・・。また,若かった時のように戦う姿勢をよみがえらせなければならないのか。まさか,この歳になって,こんなことになるとは思ってもみなかった。変わらない者達と戦う。そうせざるを得ないのか。そうしろと言われているのか。自分には,よくわからない。

旧知の友より電話!

 もう20年も前に出会った人から電話がかかった。いろんな話をして,2時間近くも話をした。自分でもびっくりする長さだった。私の話を聞いて,いろいろと心配をしてくれた。やはり,持つべきものは友だな。一緒に,とても苦しい時代を過ごした人である。今,学校は,どうなっているのか。なぜ,動こうとしないのかなど・・・。20年前と同じ過ちをおかそうとしていないか。そんな話になった。

 さて,最近,自分の将来というか,これからの生活を考える事が多くなった。子ども達もそれなりに成長し,手をかけることも少なくなった。そんな今,残りの人生の過ごし方を考える時期になったのかも知れない。これといって,具体的な話はないが,いろいろとやってみたいことは多い。それを考えながら数年間を過ごすんだろう。

 今,我が家の小さな庭に「トマト」と「きゅうり」が植えてある。ここ数年,毎年植えている。今年は,どんなできばえか,楽しみにしている。歳をとるというのは,こういう事に身が入ると言うことかも知れない。

2008年4月19日土曜日

昼まで寝ても・・・

 今日は,昼頃までベッドで寝ていた。起きられないほど体が疲れている。今,職場で,イスに座れるのは,子ども達が帰ってしばらくした3時過ぎである。それまで,ほとんどイスに座ることはない。
 放課中・昼食時は,廊下で監視をしなければならず,授業のない時間も廊下で見ている。前にも書いたが,以前にもこういう経験をしたが,なにせ,その頃は,若かった。今,50歳を超え,体にこたえる。

 また,愚痴を書くが,だから,今回の転任希望で始めて自分の意見を出したんだ。今までできたというのも若かったのであって,今,こうして年齢を重ねると,無理なこともある。大変だった当時は,30代の職員ばかりで頑張っていた。その中に私がついて行けるはずもない。
 同じ事を当然のように要求される毎日。若い人たちには,わからないだろう。自分も若い頃は,そうだったから・・・。だから,年齢構成を含めて,適材適所じゃないんだろうか。自分の経験が活かせる学校はある。1つ前の学校でもそういう立場で頑張れたと思う。逆戻りをしている感じがしてならない。こういう人事をくむ人の気が知れない。荒れる中学校時代は,こんな人事の組み方をしたら,学校は,明らかに崩れていく。当たり前のことだ。それが,わからない人がいるのが意外であるし驚きである。

2008年4月18日金曜日

何も語らない?

 新しい学校へ行って,2週間。この学校の状態は,とてもひどい状況である。しかし,いろんな事が毎日起きているのに,毎日いつもと同じである。一度として,指導的な立場の人の話はない。

 たぶん,感覚が麻痺しているか,どうしていいのかわからないのか。後者であるはずがないとすれば,感覚が麻痺しているとしか言えない。誰が見ても大変な状況。これが毎日当たり前のように続いている。何の対応策もないとは思えないが,その対応ができない理由はあるんだろうか。

 私は,この状況にどうしてもついて行けない。リーダーは,こういうとき,何をすべきかを語るべきだと思う。なぜ,何も語らないんですか?

2008年4月13日日曜日

床屋に行った!

 今日は,近所の床屋さんに行った。約1ヶ月ぶりだが,中には,薄型の液晶テレビや飲料水が設置してあった。床屋と言えば,ラジオの音を聞きながらという雰囲気はなくなっていた。

 さて,短めにはしてもらったが,なんせ「おでこの広さ」に愕然。目が悪いので,終わるまで自分の髪がどうなったのかはわからない。「終わりました」と言われて,始めてメガネをかけて鏡を見る。それで,さっきに言葉になる。

 また,白い物も以前とは比較にならないほど多く,これは,もうしばらくすると,白髪になってしまうかもと思ったのである。

2008年4月12日土曜日

息子と同級生!

 今年高校に入学した息子のクラスに去年の私の教え子がいて,すでに,話をしたらしい。何か,すぐにばれたらしく,「○○先生の息子さんなの?」ということになったという。どんな話をしたのかまでは教えてくれないが,何となく良い感じで話ができたらしい。

 実は,上の子の時も同じように,自分の受け持った学年と自分の娘が同じ学年で,今回と同じ事があった。何か,親としては,どんな話をしたのかが妙に気になる。 ただ,この2学年とも,自信を持って育てた子達である。きっと,私のやり方を十分理解し,その良さを感じ取ってくれていると信じている。

 さて,こうやって,子ども達は,どんどん成長していく。それにつれて,自分はと言うと,何となくだが,成長が止まるだけではなく,後退していくような感覚になる。子ども達から,その若さをもらい,頑張らないといけないかな。

2008年4月11日金曜日

いつ,昼食を食べるのか・・。

 今,私は,昼食を食べられるのは生徒が帰ったあと。午後2時を超える。毎日が,こうだと,体力がいつまで続くのか不安になる。こういう現状をどう認識しているのか。職員の様子を見ても何の反応もない校長。下手すると,こういう現状すら知らないかも知れない。 一度,学校を建て直した先輩校長に聞いたらいいのにと思う。 私なら,今すぐに思い出す人が,3人はいる。

 ただ,今までも,こういう学校はあった。でも,今ほど,怒りに近い感覚になったことはない。考えてみると,これほどの現状にもかかわらず,転任してきた教員を一人担任として2学級も配置する感覚。全く何の説明もなく・・・。とにかく,驚きの人事である。
 私は,自分の学年が大変になったこともある。しかし,その時でも,新しく赴任する先生に頼って人事を考えたことはない。それは,自分の責任だからである。

 どうしても私には,こういう感覚が理解できない。これが,1年続くのは,自分の年齢からして,とても大変なことである。それも知っての配属。信じられない。

 前任校から「歓送迎会」の案内が来たが,こういう状態を知って,転任させた人がいる場所に,気持ちよく行くことができるわけがない。

 

 

2008年4月10日木曜日

頑張れ!卒業生

 今日,今年の卒業生の情報が一つ入った。部活動で,もう一歩だったという知らせだった。いろんな場面で活躍していることを知るにつけ嬉しくなる。この生徒の全国大会を見に行ったこともある。高校生になったとしても教え子であることには変わりない。時間さえ合えば,必ず応援に行こうと思っている。そして,その成長ぶりを自分の目で見たい。

 大変な練習の日々が続くだろうが,頑張ってほしいと思う。

2008年4月9日水曜日

離任式にも行かず・・・。

 今日は,「離任式」と言って,前任校の生徒や職員に挨拶をする日だが,私は,行かなかった。それは,3年の担任であると言うことだけでなく,あまりにひどい状況であり,たった一人でも抜けることは,他の先生達への負担がそうとう増えることになるからである。この日は,転任した先生と転任してきた先生の両方がいないのだから,手薄になるのは間違いなかった。

 ただ,決断したとき,特に誰に相談するわけでもなく,自分でもびっくりするくらい,あっさりしていたように思う。まあ,一言であえば,「それどころでないんだよ」と言うこと。ただ,生徒に最後の言いたいことがあったので,その事だけは残念である。

 ところで,この決断に気がついて声をかけてくれた人が今の学校にたった一人いた。その先生は,「先生,ご苦労様。あまりに大変だから,行かれなかったんですね。」と言った。たった一人でも気づいてくれた人がいたことが,何となく今回の自分の決断は間違っていなかったような気がした。

 いずれにしても,前途多難であることは間違いない。鏡に映った髪の毛が,見る見る白くなっていた。まあ,これも,仕方がないかと思いながら,少々,腹を立てているのも事実である。この調子では,とても歓送迎会には行けないだろう。そう思わせる今回の人事異動である。あと少しになった教員生活,いったい自分の思うような転任はあるのだろうか。たぶん,一度もなく終わるんだろうな。頑張った甲斐のある事を一つくらいやってくれても良いのにね。「使い捨てじゃないんだよ」くらいの人事を一度くらいやってほしいと切に願うのである。

2008年4月8日火曜日

高校って,今!

 高校1年生になった息子が,2・3年生が,「静かにしなさい」と先生が言っても静かにならない。ちょと静かになったらと思ったら,また勝手なことばかりやっている。と言う。今年高校を卒業した娘も「私の学校もそうだったよ」と言う。
 たまたまなのか,2つの公立高校がほぼ同じ状態であることがわかった。中学校では,余程のことがない限りこういう状態はない。しかし,公立高校では,日常茶飯事なんだ。「どうして,指導を徹底させないんだろう?」という疑問を持った。

 ただ,子ども達には,もっと見える部分ではない,「見えない部分を見なさい」と話した。しかし,高校は,勉強をすることろであるのは間違いないが,人間形成の一部分を担っているのではないか。

 今,私は,新しい学校で,一つの方向性を出して,人間形成にプラスになる方法がないかを考え始めた。もっと,多くの教師が,中学校とか高校というのではなく,先生として,考えていくべきではないか。そこから,自主性を重んじ,自立した大人になれるのではないかと思うのである。どんなに,文字にして伝えても,伝える側が,そういう意志を持っていなければ,意味を持たない。その先頭に立つのは,学校のリーダーであることは,間違いない。

2008年4月7日月曜日

これでも,始業式なの?

 今日,新しい学校で始業式があった。事前に聞いていたとおり大変な式だった。ただ,それよりも何よりも,私は不思議に思うことがあった。ものすごくうるさい,勝手なことをしている中で,長々と話を続ける。ちょっと前に報道された「荒れる成人の日」の式を見るかのようだった。もう,手に負えない状況であることは,明らかだった。
 そこで,ものすごく単純な疑問。「何で注意しないの?」という事だ。先生達を指導する立場の人が,あれでは,学校を再生できないんじゃないかと思った。 まだ,担任発表をされていない私は,何もできず見ているだけだった。

 私の経験上,こんな場面をたくさん見た。でも,あの状態で,何もないかように話ができるという人はいなかったように思う。学校を建て直そうとした校長を何人か思い出した。
 1人は,ものすごい勢いで壇上から注意をした。なぜ,今静かに聞かなければならないかを何度も説いた。2人目は,すぐに「どうしていくのか」について,先生達から意見を集約した。そして,自分が先頭に立って頑張る姿勢を見せた。3人目は,生徒をつかまえて一人一人校長室で話をした。過去もそうだが,今でも,ある中学校の校長は校門で難しい生徒を指導している。
 こういう経験からして,今日の始業式はとても意外に感じたのである。

 ただ,救いは,教務主任が,私の考える「校長のやるべき事」を何度もやっていた。この教務主任は,なかなかの人だと思った。まあ,この人について行っても良いかもしれない。

2008年4月5日土曜日

娘が大学に入学

 今日,娘が大学の入学式に出かけた。学校からの要項によれば,学生以外は,会場(講堂)に入れないと言うことで,家で学校が提供するインターネットでの配信映像を見ようとした。
 しかし,大学院の入学式が終わり,学部の入学式になると,全くつながらなくなり,見ることはできなかった。たぶん,アクセスの集中によりサーバーがダウンしたんだろう。ちょっと残念である。

 この4年で,彼女は,何を学び何を考えるのか。私自身,後悔が多い大学生活である。同じ道を歩まず,目標を持って行動してほしいと願っている。

2008年4月4日金曜日

報復人事じゃないの・・・

 今日,ある人から電話があり,「おまえさ,報復人事じゃないの?」と言われた。理由は,大凡希望したところではなかった事だ。新聞を見れば,他に多くの学校があったが,希望から言えば,最後の最後,できれば,違うところという希望だった。確かに,自分は,すぐに自分が正しいと思うとすぐに意見を言う。それが,校長であろうがなかろうが・・・。そうは思いたくなくても,結果は,そう思えてしまう。

 しばらく話をしていて,またも同じ話になる。「おまえは,どんなに頑張っても報われないよな。」と。たぶん,そうでない人の方が多いんだろう。私も転任については,そう思うことが多い。今までの4回の転任で,自分から希望区をただの一度も言ったことはない。すべて校長に任せてきた。中には,希望を強引に進めていく人もいるのにである。私は,今回5回目の転任で,教員生活始めて「希望」を言った。それは,残り10年を切り体力的にもそろそろ辛いと感じる事が多くなった事である。
 まあ,だからといって,自分を変えることはないだろう。同じように頑張るだろう。ただ,さっきも書いたが,残すところ10年を切り,体力的に大変さをつくづく感じる。電話で,「無理しすぎるなよ。体をこわしたらもともこもないからな」と言われた。もし,そうなれば,これほど恨むことは二度と起きないだろう。約30年の教員生活でたった一度の希望も叶えられない自分。そんなたわいもない話を1時間もしてしまった。

 今年は,以前見た「ハケンの品格」もどきで,勤務時間をしっかり働き,今までのように8時9時になるような仕事はしないことにする。この8時9時までやっていたことは,自分の仕事プラス他の学年職員・学校の仕事だった。わかりやすく言えば,他人の仕事だ。これだけでも減らせば,少しは,体力が持つかな。

 まあ,新しい環境に,ついていけなくていろいろ考えるんだろうなとは思う。これも歳のせいかもしれない。

2008年4月3日木曜日

学校を建て直した校長とできなかった校長!

 中学校が,学校としてうまく機能しなくなったとき,それに気づいて「建て直し」ができた校長とできなかった校長には,ある共通点があるように思う。すでに,6校に勤務し,その多くが「建て直し」が必要な学校だった。
 一番に出てくるのが,最初の勤務校の校長だ。この校長のリーダーシップは,目を見張るものだった。だから,ついて行く私なんかは,できなくて思わず「悪口」を言ってしまったこともある。しかし,そんな声は,全く無視で「自分のビジョン」を常に語り,自分で進んで行動した。後に,校長会の中でトップに立ったのを思えている。「やはりな」と思った。
 逆に,できなかった校長は,教科書どおりに行動していた人のように思う。「こういう場合は,こうだ」というように・・。そんなことは,教師だったら誰でも知ってる。そんなことを聞いているんじゃない。教科書に書かれていない部分を,どう伝えるかが重要なんだ。言い方を変えるなら,現場と遊離しているようなタイプ。前にもこの通信に書いたが,学校周辺でバイクが走った時「中学生が乗っているわけない」とか言って,私たちとのギャップを感じた。これ1つで判断はできないが,その後,この学校は,大変なことになっていったのは言うまでもない。

 教師は,それぞれに自分の指導方法や人生観が違う。それを,それぞれの教師個人の「力」のみに頼ってできる場合とできない場合がある。その判断ができる人,これも「建て直し」ができる校長である。2校目で経験した。この校長は,私たちの指導方法に軍配を上げ,他の教師にはっきり「この方法でやるから」と伝えた。相当の反発が起きたのは言うまでもない。しかし,校長の判断は正しく,それ以後,信じられないほどの落ち着きある学校となった。私たちは,「無理かも知れない」という不安を抱きながらも校長のバックアップをもらって頑張っていった。そういう雰囲気作りが上手な校長だった。

 親と一緒で,何もないときは問題ない。何か起きたときにどう行動するのかの違いが子ども達の成長に大きな影響を与えるんだと思う。良い校長に出会いたいものである。

2008年4月2日水曜日

評価してくれた人々!

 新聞で私の転勤を知った保護者数名が手紙をくれた。多くが,「もう少し,学校にいてほしかった」という内容とお礼であった。お礼の中には,「先生のおかげで,息子がとても成長しました」という部分があり,頑張って良かったなと思った。卒業生の弟と妹たちを当然,担当してくれると思っていた人もいて,ちょっと申し訳なくも思う。

 私たちは,その学校で必要とされているかどうかは重要な事である。もし,「必要ない」という判断があるなら,これは,進んで新天地に行くべきだろう。今年3月に卒業させた生徒を1年生から見た教師4人の内,3人が満期を待たずに学校を去る。

やっぱり都合の良い物だったと実感。

 新しい学校に行き,自分の所属学年も決まった。ただ,些細な?私の希望は聞き入れられなかった。その些細な希望とは,息子の入学式に出たいというもので,こういう仕事をしていたら無理なんだが,唯一今年は,それが可能な学年があり,それを希望したが,全く連絡もなく聞き入れられなかった。
 今まで30年近く,自分の子どもの入学式や卒業式には出られなかった。夫婦とも教員である宿命であるが,中には,その些細な希望が叶って自分の子どもの式に出られた人もいる。しかし,私は,とうとう聞き入れられなかった。「あいつ,ここまで頑張ったから,1つくらいは言うこと聞いてやろうか」という気持ちにならない学校。冷たいと感じている。
 今回行った学校を見て,私がこの学年にいなければならない理由はない。単純なチェンジもできる状況に見える。もし,そうでないなら,なぜ,説明をしないのか。同じ給料をもらっている教員で,言うことが聞いてもらえる人と聞いてもらえない人の違いは何か。
 息子の入学式次第には,「保護者と必ず同伴してください」と書いてある。親戚も近くにいない我が家は,保護者にかわる人なんかいない。結果として,同級生の保護者に頼むことにした。 約30年で始めて,学年の所属について「わがまま」を言った。たった1回。 一度くらいは,約30年間学校のために頑張ったんだから,叶えてほしかったな。「学年主任を・・・」「進路主任を・・・」という無理な事を聞き入れてきた自分に腹立たしくもある。こういう場面で,1つの駒でしかない自分を実感するのである。

 今は,命令以外の「お願い」される仕事は,何も引き受けないと誓ったのである。

2008年4月1日火曜日

心機一転?

 今日から,4月。私にとっても,また新しい生活が始まる。学校をかわり,残り一桁になった年数をどう過ごすのかを考え,また,自分の今までの実践がどうだったかも考えたい。

 前にも書いたが,がむしゃらにやってきたような気がする。すべてが,学校優先の生活だった。これが,良かったかどうかも今日から考えたい。教え子達にとって,よかったのか,悪かったのか。いつも考えているのは,「自分の子どもを通わせたい学校作り」である。「この学校なら,安心して行かせられる」とい学校。
 しかし,今までには,自分の思いが叶わなかったこともある。学校が全体として進む方向性を見失っているように感じたときである。
 あるテレビで,「やる気が出る組織」という話題で,「頑張っている人が報われる組織」「リーダーが,ビジョンを持って事に当たる組織」というものだった。これは,会社組織での話題ではあったが,私は,今の学校にも通用する内容だと感じた。前者は,例えば,授業の進め方,子ども達への接し方が素晴らしい教師達に出会ったが,中には,全く評価されていなかった人もいた。これは,文章にした人とそうでない人の差なんだろう。子どもや保護者の評価ではなく,教師が教師を評価していることに問題があると思った。
 また,後者は,何度も今までに書いてきたが,「校長で学校はかわる」という体験をした私にとっては,欠くことができない私の「やる気」を引き出すような気がする。たまたま私がそう感じたかも知れないが,以前の方が,個性が強く,リーダーシップがあった校長が多くいたように思う。素晴らしい出会いは,三分の一くらいかな。

 いずれにしても,30歳で学年主任になってしまい,以後,同じような立場で学校をみてきたので,今日からは,今までとはちょっと姿勢を変え,自分がリーダーではない学校をみるつもりだ。