2009年12月7日月曜日

保護者会に託児所?

 「保護者会」に来いと言うなら「託児所」を用意しろ!という私からすると無理難題を言う保護者がいる。「託児所」がないなら行かない!

 最近,こういう「?」と思う要求をする保護者が一部だが出てきた。「権利意識」というんだろうか。しかし,無理なことは無理だ。私たち公務員に対してなら「何を言っても」「どんな言葉遣い」でも良いと思うのか,明らかに暴言に近いこともある。
 そういうことがあって,子ども達を見ると,「大人を大人とも思わない子ども達」がいる。自分たちと大人が全く同じだと思うから,言葉遣いも信じられない言葉となる。この言い方「どこかで聞いたな!」と思うと,電話を思い出す。

 私は,常々「大人の教育」が必要な時代になったと思う。本当にひどい大人がいる。それが保護者となれば,その子ども達がかわいそうである。もっと,違う人生が送れたはずなのに,この「親」のせいで,こういう生き方になってしまった・・・。ちょっと前,「モンスターペアレント」という言葉が報道されたが,一時期減ったが,報道が少なくなったのか増えつつある。

 しかし,多くの保護者は,頑張っている。これも常々思うことに「正直者が馬鹿を見る」世の中ではいけない。生活保護を受けているのに外車に乗っていたり・・・。ないお金を一生懸命貯めて,高校に行かせようと寝る時間も惜しんで働いている保護者。この差を考えないといけないんじゃないだろうか。
 「ずるい大人」が大手を振って歩いている。真面目に頑張っている人が減っていったら日本はどうなるんだ。政権交代があった。今,このチャンスに「正直者が馬鹿を見る」世の中からの脱却を切に願う。

2009年12月6日日曜日

東海テレビ!

 実は,今日「東海テレビ」の「スタイルプラス」という番組のプレゼントに応募をした。夕方,東海テレビから「当選されました」と電話があった。その担当者の言葉遣いに感心した。とにかく,丁寧で,しかも適切で,思わず「わざわざ丁寧にありがとうございました」と自分の口から言葉が出た。
 これは,社員教育なのか,それとも「この人」の人柄なのか・・・。私は,仕事柄,子ども達をどんな大人にしていこうかを考える。今日は,この人と話して,「こういう言葉遣いができる人」になってほしいなと思ったのである。そうそう,プレゼントは,「湯たんぽ」のようだ。数日後に届くようだ。

 今,学校は,本当に「子ども達をどういう大人に育てていこうか」という事を考えているだろうか。なぜか,徐々に「勉強だけの塾」のような学校になっていないだろうか。保護者も「勉強が1番」としか考えられない人が増えてはいないだろうか。私は,多くの卒業生を見ていて思うことは,第1に考えるのは,「どういう人間」になるかだと思っている。早く,それに私たちも保護者も気付かないといけないと思う。勉強が苦手だった子達の多くは,今,ちゃんとした親になり,自慢じゃないが,自分のクラスだった子達は,「人として」立派に頑張っていると信じている。
 やはり,学校は,「人を育てる」事が大切だと,再認識していくべきだろう。今日の東海テレビの担当者のような人を育てていくことが,第1目標であってほしい。

 教育の再生とか言うが,今,大人達が考えないといけないこと,それは何かを考えよう。夜遅くまで,寝る時間を割いて,塾に行くことが良いんだろうか。それより,人のためになることをし,人との関わり方を学んだ方が,人間として成長するんじゃないかなあ。学校で,授業も受けずに廊下を徘徊している子達の何人かは「塾」に行って勉強をしている。これって,どうなんだろう。
 

2009年12月3日木曜日

正規採用者より「講師」!

 学校には,採用試験に失敗をして,講師として活躍している人たちがいる。しかし,採用試験に合格して採用された人より,仕事がしっかりできる講師がいる。私からすると,「なぜ,この人が不合格で,この人が合格したんだろう」と思うこともあった。

 確かに,短い時間での面接で人柄を見抜くのは難しい。しかし,中には,一瞬でそれがわかる場合がある。こうなると,何か別の力が働いたんじゃないかと疑ってみたくなる。今,一次試験では,点数主義なんだろう。しかし,面接はそうでもない。となれば,1年間,講師として活躍した人が採用試験に不合格となった理由がわからない。

 行き着くところ,「人」なんだと思う。その「人」を見抜く力を持った人が採用試験の試験官なんだろうか。しかも,講師として十分すぎる活躍をしている人は,その学校の長が,推薦できる制度も必要だと思う。だって,「人」を見抜けない採用試験になっているから・・・。

 だいぶ前に,ちょっと話しただけで,「?」と思う人が採用された。授業もできないし,子どもとの関係も作れない。前にも書いたことがあるが,こういう人の採用試験の面接官達が,自分の「目」が誤っていた事を検証する場が必要ではないだろうか。それだけの責任を持てる人が面接官であるべきだし,万が一,誤りがあれば検証していかないと,いつもでも同じ事が繰り返されてしまうだろう。
 そうでないと,何か裏にあるんじゃないかという「疑念」がでてきてしまう。堂々と胸を張って採用試験の結果を発表できると良いなと思う。

2009年12月1日火曜日

窓をベニヤ板で封鎖!

 特別教室の窓ガラスが何度も割られている。しかも,木製の窓枠まで折れるほどの力で割られた。とうとう,ガラスを替えるのではなく,窓自体をベニヤ板で封鎖することとなった。今,授業中に何人もの生徒が抜け出し,器物破損をしたり,防火扉を閉めたり,喫煙をしたり・・・。学校が教育という場であることを忘れさせるような出来事に無力感を持って毎日を送っている。

 今思い出すと,こういう事をしたのは,もう30年ほど前である。昨日,小中校生の「暴力事件増加」という記事が目に入り,それを読むと,70年代から80年代にかけて「荒れる学校」が報道されて以来という。確かに,当時は,教員に成り立てで,これが現実なんだと驚いた。

 しかし,今また,同じような状況になってきた。1つ思うことは,あの時代を過ごしたのが,今中高生を持つ親になっているということ。学校に対する思いで言えば,教師に対して良い思いがない世代なのかも知れない。一部とはいえ,そういう生活をした中学生がいたのは事実である。

 ただ,兆候は,前から出ていて,また,当時の経験がある年代も50を過ぎ,対応が後手に回ってしまうこともあるように思う。残念なのは,当時を知る人たちが管理職になっているはずなのだが,その対応に疑問があったりする。また,今の管理職の中には,若い人も多く,「荒れる学校」を経験していない人が増えた。結果として,どう対応して良いのかわからないというのが現実ではないだろうか。
 それでいて,経験者に耳を傾けるという姿勢ではないとなると,ますます学校は,疲弊する。また,それをフォローできる体制が教育委員会にあるのかも疑問である。
 私のこういう思いや疑問を,自分の周りの人たちと話すことが多い。意見が言える人は,自分自身がそういう「荒れた学校」を経験した人である。ものすごく嫌みを言えば,「あの時,逃げ回っていた人が偉くなっているんだよ」と聞くと,もう言う言葉がなくなる。

 学区外通学を認めない教育委員会は,明らかに,教育環境に学校間格差がある現実があるにもかかわらず,学区内の学校へ通えと言えるだろうか。言うなら,どの学区でも,せめて,授業が成立してる必要がある。それができてない以上,私は,学区内の学校に行けと言う前に,学校を学校らしくするのが先だろう。
 現実にそうでない学校があることは把握している。しかし,その対応は学校任せ。言い方は悪いが,自分たちの保身か何かわからないが,報告書だけはしっかり出させる。荒れた学校が報告書を出して立てなおるなら何も言わない。しかし,出すのは,何のためだろうと思うことの方が多い。マスコミや議会や議員に追求されたときのためじゃないだろうか。その報告書を元に,現場に対して,どういう方法を取ればいいかを指示するなら意味のある報告なんだが・・・。