前回の続きだが、今、あの当時に活躍した人たちは、校長や教頭になっていて、自分たちが前線に立つことは少ない。しかも、活躍した人の多くは、「無謀?」な頑張りをした人で、それを今の若い人にやれとは言えない立場だ。
前にも書いたが、どうしても指導が「外見」に流れ、それがトラブルの元になったりする。この労力を子どもたちとの時間に使ったら・・・。ものすごく疲れるし、時間もかかるけど、自然に服装が良くなったり、言えばできるようになったりする。そこに気づきたい。あの当時のやんちゃな子たちの多くは、社会人として頑張っている。ダメじゃないんだ。でも、これは経験しないとわからない。若い先生たちには伝えないとわからないんだ。
ただ、どうしようもないこともある。そこは、関係機関と連携をし、よりよい方向を見つけていくべきだろう。その線引きがどうもできていない。言うことを聞かない子がすべてダメだと思ってしまう風潮がある。危険な気がする。
先生の中には、個性があって、強面に人はそのような指導。優しい人は優しい指導であってもよい。何でもかんでも厳しくしてやりきれる人が減ってきた今、自分の個性で、しっかり指導力をつけていかないと・・・。私は、怒るときも多いが、たぶん、それ以上に子どもと一緒に話をしている時間が長いだろう。以前、とんでもない学校で、「しようがないな、先生が言うから聞くわ」という事を何度も言われた。これが日頃の生活指導のたまものかな。
また、若い教師に「授業研究」ばかりを優先する今の研修。違和感がある。私たちの時は、研修より、授業後の子どもたちとの会話が優先だった。確かに、授業は大切だが、授業を成立させる事はもっと大事じゃないだろうか。「研究」を一生懸命やっている人の授業が成立していない場面を見ると、いったい何のための「研修」なんだと思う。そして、こういう人の中には、管理職になってしまう人もいる。どこか間違ってないかな。
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