2009年3月7日土曜日

一夜明けてこみ上げてきたもの!

 壮絶な卒業式が終わり,朝起きてこみ上げてきたものは,「怒り」である。特に,校外に出てから,彼らの動向をずっと,見届けていたのは,私一人。皆,腫れ物をさわるような対応。若い先生は,何をしているんだ。と言うこと。

 以前にもこういう経験は何度もした。しかし,そこには,自分も若かったし,常に若い教師が前面にいた。なぜ,今年度たった1年のつき合いの,しかも,50歳を過ぎた私が,彼らの面倒を一人で見なければならないのか。ここに,この学年を持ってきた学校の問題が隠されているんだろうな。

 何度も書いてしまうが,とにかく,今は「怒り」。特に,こういう状況を作った人たちすべてへの「怒り」である。傘もさせずに,ずぶ濡れの私に,誰が気付き,誰が声をかけたか。誰もいない。だって,見ていないんだから・・・。と言うか,見ないようにしているのかも知れない。
 以前いた学校でも,大変なことは多くあった。ただ,卒業式に3年職員をはじめ,生徒指導で頑張った教員一人ひとりにねぎらいの言葉をかけてくれた校長がいた。私の基準が,ここにあるから,怒りを感じるのかも知れない。ただ,言えることは,この校長の時,学校は,立ち直っていった。これは,事実としてある。ここがチームワークが必要な集団をまとめる基本線ではないだろうか。ただ,この校長は評判としては,あまり良くないと聞いたことがある。逆に,評判が良いと聞いている校長の中に,私は絶対に許せないと思っている人がいる。この評価の落差は,どこを見て判断しているかだろうな。

 私は,今年1年,とにかく意地でやってきた。卒業式までは,なるべく文句も言わず,できることをやろうと頑張ったつもりだ。しかし,それが終わった今,「怒り」以外の感情はない。人それぞれの頑張りを見られない,見つけられないリーダー。これでは,学校が変わるわけないと思った。
 また,同僚についても,少なからず,言いたいことはある。私と同じ「思い」を持って仕事をしてくれる人が,あと数人いたら,立て直してみせると言えるが,今の様子では,それは,かなり難しい。4月から,新しく赴任する人たちに期待している。

 少し,自慢話になるが,1校目は,とにかく大変なスタートだった。でも,5~6年上の先輩達に教えられながら,学校が立ち直った。2校目は,初日からパトカーが常駐する学校だった。史上最悪の学年といわれた学年に入れられた。でも,そこには,立て直そうとする強い意志を持った校長と,仲間がいた。一番長くいた学校だが,学校をかわる頃には,信じられないと言えるほどの立ち直りを見せた。3校目も,対教師暴力から始まるような学校だった。ここでは,数年で立ち直りを見せたが,残念ながら,上の方の人事で,私と同じ教科の教務主任が赴任し,必要のない人間になり,翌年転任した。4校目は,悪いながらも,すでに体制ができている学校で,ここでは,大変助けられた。体力的にも辛くなり始めていたこともあるが,若い先生達の足手まといにはならなかったと思う。ここでは,保護者を叱りつける素晴らしい教頭(現 校長)にも出会えた。5校目は,初めて経験する,世間一般で言う問題行動ではなく,子どもの心の問題と保護者への対応で,苦労をした。ただ,ここでは,素晴らしい教頭(現 校長)に出会えた。リーダーとは,かくあるべきだというのを絵に描いたような教頭だった。もう少し,この学校にいようと思ったが,そろそろこの教頭もかわる時期であったし,教務主任が変わり,私の「思い」とは,全く違っていて,「このままいては,邪魔になるな」と思って転任した。
 そして,6校目の今である。ある先生が「先生,大変じゃない学校がなかったじゃないですか」と言った。でも5校目では,少し,余裕もあった。その人の言うとおり,他の5校は,すべて,大変な学校だ。だいぶ前に書いたと思うが,なぜ,私は,そういう学校ばかりに行かされるのか。もういい加減に,年相応の仕事ができる学校に転任させてほしい。私の感じ行動したことを,若い世代に伝えられる学校に行かせてほしいと切に願うのである。<まあ,無理だな!校長に楯突くから・・・・>

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