今日,朝,学校の門で,2つ前の学校で一緒に勤めていた同僚と会った。彼は,部活動の練習試合で来ていた。
今年から,この学校にかわってきたことや,一緒に働いていた頃の話題で,しばらく時間が過ぎるのも忘れるほどだった。
途中,「去年より,今年は,何とかなりましたか?」と聞かれ「去年の事は,よく知らないけど,とにかく大変で,1学期にしばらく休んだんです。」と言うと「先生のようなタフな人でも,大変だったんですね。」と言われた。去年から,大変な学校であることは,ある意味,知れ渡っていた事になる。前にも書いたが,それでも私をこの学校に配属した教育委員会の判断は,いったい何を考えているんだろうと,今でも思う。
ところで,タフかどうかは別として,あまり辛さを表に出さないのは,事実で,今学期も何度も「辛い」日々があったが,誰一人気付く人はいなかった。心配してもらおうという気持ちではないが,限界近くで頑張っていることくらいはわかってほしいと思ったことは何度もある。2学期が終わって,休暇は,1日。自分でもよくやれたなと思う。2学期が終わって,声をかけてくれた人は,誰一人いなかった。それほど,辛いのを隠して頑張ったということかな。でも,その辛さを知っている人にも一言も声をかけてはもらえなかった。こういう時に,「物としての扱い」を感じる。
また,彼と働いていた頃の学校の大変さからすれば,今の学校の方が楽なはずなのに,なぜ,大変か。それは,リーダーの不在と,職員構成のように思う。彼と一緒に働いていた頃は,何度も新聞報道されるほど大変だったが,今より,大変さを感じていなかった。変な言い方だが,職員間では楽しく過ごせた。それは,若さもあるだろうが・・・。
しかし,何と言っても教師集団のチームワークがしっかりできていたことである。だから,今より楽だと感じたと思う。当時の校長・教頭は,とにかく,リーダーとしての役割を十分に果たしていて,働きやすい環境を作っていた。だからこそ,大変な学校でもやっていけるんだと思う。
久しぶりの再会だったが,その当時を思い出して,嬉しくなった。あんな学校にしたいものだ。あの当時の教師が,今の学校に集合したら,必ず,大変でも「やりがいある」チームになるだろうなと思う。生徒指導主事も人間的に素晴らしく,リーダー性もあった。それを支える校長・教頭も素晴らしかった。こういう関係がなければ,学校は,機能していかないんだと言うことを知った気がする。
今日会った同僚も,人間的に素晴らしく,いつも最前線で頑張っていた人である。
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